……ふわふわする。
 さっきとは違って、ちょっと熱くなってきたような気もする。
 といっても、気がするだけで実際はどうかなぁと思うけれど。
 こういうときって、必ずと言っていいほどヘンな夢を見るんだよね……。
 私は、小さいころから熱を出すと必ず幼稚園の夢を見た。
 音のない、黒い空の下でやっているお遊戯の夢。
 それがすごく怖くて、みんないるのに独りきりにみたいで本当にイヤだった。
 ……だけど、熱があるときっていつの間にか寝ちゃうんだよね。
「…………」
 ふと枕もとのスマフォを見ると、もうお昼近かった。
 さっきはまだ9時ぐらいだと思っていたから、結構寝ていたんだなぁと実感する。
 ……先生、ちゃんとごはん食べてるのかな……。
 こんなときでも、やっぱり気になるのは彼のこと。
 カップ麺とかで済ましちゃってそうで、それがちょっと心配だった。
「……はぁ」
 寝返りを打ち、再び瞳を閉じる。
 ……風邪なんて、久しぶりに引いたなぁ。
 でも、この時期って昔から必ず風邪引くんだよね。
 うー……。
 早く元気になりたい。
 病気になって初めて、いつもの自分が恋しくなる。
 怪我をしてもそうだけど、こうして病気になったときは、特に。
 ……本当だったら、今日も先生に会えていたのに。
 そしてそして、例の映画も見れたのに。
 ……そう考えると、ちょっと悔しい。
 なんでこんなときに限って風邪なんか引くんだろう。
 ていうか、受験生じゃない? 私。
 なのに、風邪引いて寝込むなんて……受験生としても、失格だよね。
 インフルエンザの予防接種、やっぱり受けたほうがいいかもしれない。
「……?」
 うつらうつらしながらそんなことを考えていたとき。
 遠くで、音がした気がした。
 半分眠っているようなものだから、断定はできない。
 ……あれ? でも、階段上がってきてる……よね。
 …………ああ。もしかしたら、お母さんかな。
 朝出かけるときとても心配してたから、もしかしたら帰ってきてしまったのかもしれない。
 うーん……。
 それとも、昨日も帰ってこなかったお兄ちゃんが朝帰り?
 ……もう、本当にしょうがないなぁ。
「…………?」
 部屋のドアが小さく開いた。
 その音で瞳を開けると、ぼうっとした人影。
 ……誰?
 起きるのはさすがに身体がかったるくて無理なので、顔だけをそちらに向ける。
 ――……と、額に手のひらが当てられた。
 ちょっと冷たくて……気持ちいい。
「大丈夫?」
「……え……?」
 響いた声で、思わず瞳が開いた。
 だって、その声は間違いなく……先生だったから。
「……先生?」
「ん。どうした?」
 いつもと同じ、優しい声。
 ……あれ?
「え? どうして……? なんで、先生ここに……!」
「いいから、寝てなさい」
 慌てて起きようとした私を押さえ、苦笑を浮かべてから髪を撫でてくれた。
 いつもと変わらない彼が、なぜここにいるのか。
 それが、どうしても飲み込めなかった。
「孝之から電話があったんだよ。ひとりで家にいる、って。……で、コレを使って上がらせてもらったんだ」
 チャリ、と小さな音がして目の前にぶら下げられたのは、鈴がついた鍵。
 ……あ、ウチの鍵だ。
「じゃあ、階段上がって3歩右に行って――」
「そ。……よく覚えてるな。何? 暗号なの?」
「だって、何かあるたびにお母さんが言うんだもん」
 おかしそうに笑った彼に、こちらも苦笑が漏れる。
 何度も何度も昔から言われてれば、覚えちゃうよね。
「具合はどう?」
「んー……どうだろ。ちょっと熱い……」
「だろうね。熱があるし」
「……気持ちいい」
「それはよかった」
 再び当てられた手のひらで瞳を閉じると、そのまま眠れそうな気さえしてくる。
 でも……。
「先生、わざわざ来てくれたの?」
「わざわざってことはないだろ? 心配だったんだよ、昨日から。……ましてや、家にひとりで……なんて聞いたら、ほっとけない」
「……えへへ。嬉しい」
「そういうのは、元気になってから言ってね」
「ん……」
 でも、素直に嬉しかった。
 彼がそう言ってくれたことも、こうして会いに来てくれたことも。
 だけど、心配をかけてしまったというのは、もちろん申し訳ない。
「ここだと、正直言って家の勝手がわからないんだよな……。……起きれる?」
「え? ……あ、うん。……平気」
 そう言って身体を起こそうとすると、途端に頭がくらくらした。
 ……いうか……鈍く痛い。
 う。気持ち悪い……。
 ずっと寝ていた分、そう簡単にこの身体が言うことを聞いてくれそうにはないらしい。
「ごめん、無理言って。……んー……そうだな……」
 慌てて寝かせてくれた彼が顎に手を当てると、何か考えてから再び視線を合わせてきた。
 ……なんだろ。
 彼が何を考えているのか掴めなくて、ついまばたきが増える。
「ウチで寝ようか」
「……え……?」
「ほら、ウチだったら俺が看病してあげれるし。勝手知ってる分、俺もまぁそれなりに使えるよ?」
「先生は十分大丈夫ですよ……そんな。……でも、いいの? 私、風邪引いてるし……」
「風邪引いてるから、言ってるんだろ? むしろ、面倒見てあげたい。……ダメ?」
「……先生……」
 まさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかったこともあって、少しだけ目が潤む。
 ……ああ、私具合悪いんだ。
 ほんのちょっとのことでも泣きそうになるから、重症かもしれない。
 ……でも。
「迷惑じゃ……」
「そんなワケないだろ? ……ウチにおいで」
 柔らかい笑みと同時に髪を撫でられ、さらに涙腺が緩む。
 こくん、とうなずいて指先で軽く涙を拭うと、よしよしとばかりに彼が頭を撫でた。
「じゃあ……毛布かけて……うん。そうするか」
「? そうするって……?」
「抱っこ」
「……え?」
「いい?」
 ワケがわからずきょとんとしているこちらに笑みを見せてから、羽毛布団をめくって――……。
「わ……っ!?」
 毛布ごと抱き上げられた。
「せ、せんせっ……! 危ないですよ!」
「大丈夫だって。落ちそうになったら、羽織ちゃんは助けるから」
「そうじゃなくって!」
   平然と部屋から階段に向かう彼に慌てるも、まったく気にする様子がない。
 ……すごい。
 毛布が結構ハバをきかせていて、それはもうムクムクとしている状態なのにも関わらず、ふつーに、いつも抱っこしてくれるみたいに階段を下り切ってしまった。
 ……先生、すごいかも。
 1度玄関に下ろされて靴を先に履く彼を見ていると、気付いたらしく不思議そうな顔をした。
「どうした?」
「……先生、すごい……」
「え? ……なんで」
「だって、こんな……毛布に包まってる状態なのに、ふつーに……」
「ああ、それか」
 靴を履き終えておかしそうに笑うと、いつものようないたずらっぽい笑みを浮かべた。
「まぁ、これでも男だからね」
「っ……」
 その顔が、少しだけいつもと違って、どきりとするような表情だったのかもしれない。
 思わず口ごもるしかできなくて、視線も外れた。
 ……今、顔が赤くてもきっと『熱のせい』って思ってもらえるよね。
 口元を毛布で隠し、どきどきと少しうるさい鼓動を鎮めるようにゆっくり深呼吸。
 ……もぅ。
 先生見てると、いつだって男の人だな……って実感するのに。
「それじゃ、行こうか」
 先に車のドアを開けてくると告げて、1度姿を消した彼がすぐ戻ってきた。
 そして、また抱き上げてくれてから……器用に外の階段を降りて、助手席へ。
 ……手際いいなぁ。
 看護士さんとか向いてるかもしれない。
 なんて、ちょっと思ってみたりする。
 力だってあるし、優しいし。
 ……嬉しいけど、どきどきしちゃうかも。
 ふと自分がお世話されている様子を思い浮かべ、また顔が熱くなった。
「大丈夫?」
「え? あ、平気……ですよ?」
 家の鍵を閉めて戻ってくる間にそんなことを考えていると、何も知らない彼が運転席のドアを開けた。
「家帰ったらすぐ休んで」
「はぁい」
 子どもをなだめるような笑顔で頭を軽く撫でてから、エンジンをかける。
 その動作はいつもと一緒のはずなのに、やけに彼が大きく見えた。
 確かに、シートに膝を曲げて座っているからっていうのもあると思うんだけど……。
 でも、気分的に弱っているというのもあるかな。
 ――……そんなときに、彼が家に迎えに来てくれて……自宅での療養を提案してくれた。
 ……ああ、とっても幸せだなぁ。
 車の心地いい振動にいつしか瞳を閉じると、笑みが自然に漏れた。


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