「ん……?」
気が付くと、知らない天井が見えた。
……あれ?
家で寝てたはずなのに…………あ。
そうか。
先生が迎えに来てくれて……。
ころんっと寝返りを打つと、今いるのが彼のベッドだとわかった。
見慣れた枕に、窓。
そして――……。
「……先生……?」
「ん? ごめん。起こした?」
「ううん、そんなことないです」
ベッドへもたれるようにこちらを振り返ったのは、紛れもなく彼本人。
床へじかに座っているらしく、目線がほぼ同じ高さでなんだか不思議な感じ。
「お袋さんには、連絡いれておいたから」
「……え……? あ……ありがとうございます」
「いいえ。冷却シート、ぬるくなったら取り替えるから、言って」
「……ん」
彼の言葉で額に手を当ててみると……確かに、そこには冷却シート。
……いつ貼ってくれたんだろ。
というより、いつ自分がベッドへ寝かせてもらったのかも覚えていない。
そんなに眠ってたのかな……。
もしかしたら、彼に会えて安心したのかもしれない。
……などと考えていると、どうやら顔が笑っていたらしく彼が柔らかく笑った。
「どうした? そんな嬉しそうな顔して」
「……なんか……。嬉しい」
ぽつりと囁き、そっと彼に手を伸ばす。
すぐに手の届く距離。
ああ、なんか……とっても贅沢な感じ。
「先生……ありがと」
「……何を言うのかと思ったら。礼なんて言われるほどのことしてないよ?」
「ううん、そんなことないです。……すごく……幸せ」
……あれ?
ヘンなこと言ったかな。
一瞬瞳を丸くしてから、苦笑されてしまった。
……なんで?
「幸せってセリフは、風邪治ったら改めて言って」
「……あ。そっか」
忘れてた。
確かに、今風邪引いてるんだよね。
こんな状態で幸せなワケないし。
……うん。
早く元気になって、先生においしいごはん作らなくちゃ。
…………あ。
そういえば、ワイシャツもアイロンしてない。
それに、月曜日ゴミの日だし……。
などとあれこれ考えていたら、彼が髪を撫でた。
「え?」
「今は、風邪治すことだけ考えるように。……わかった?」
「……あ……。わかりました」
どうしてわかったんだろう。
もしかして先生、超能力者さんか何か?
眉尻を下げて小さくうなずくと、納得したように彼も笑った。
「食べたい物とか、ある? アイスとか」
「アイス……んー……。小さいころは、桃の缶詰とか食べましたよ」
「あー。定番だね、風邪引いたときの」
「そうなのかな……。でも、先生も食べたなら……定番ですね」
「うん」
小さいころ、風邪を引くと必ず母が食べさせてくれた白桃の缶詰。
……おいしいんだよね、甘くて。
よく冷えて冷たくなってるのが、喉にも気持ちよくって。
しかも、風邪引いたときだけに食べてたような気がするし。
「でも、今は何も……」
「そう? 何かあったら、遠慮しないで言って? 飲みたい物とかも、ちゃんと」
「ん。大丈夫」
「……じゃあ、ちょっと寝たほうがいいかな」
「え……?」
彼の言葉でつい眉が寄る。
……けど、それって……。
「大丈夫。……ちゃんと、ここにいるから」
「……ホント……?」
「俺が嘘つくわけないだろ? 大丈夫だよ」
聞き返した私にくすくす笑いながら髪を撫でると、安心させるように軽く背中を叩いてくれた。
……なんか、お母さんみたい。
つい漏れた笑みのまま彼に感謝の言葉を小さく呟いてから、瞳を閉じる。
家と違う場所。
だけど、彼が隣にいてくれるのが……すごく嬉しいし、安心できる。
――……そのお陰か、すんなりとまた眠りにつけたようだった。
「…………」
いつしか、規則正しい寝息が聞こえてきた。
ベッドを振り返ると、安心したように眠る姿。
……やっぱり、そばについていてやりたいからな。
病気のときは、どうしたって人恋しくなるし。
独りきりで家にいたとき電話してくれればよかったのに、それをしてこなかった彼女。
どうせまた、迷惑だからとかなんとか思っていたんだろう。
彼女らしいとは思うが、具合悪いときくらい甘えてほしいのも正直なところ。
「……ったく」
頬にかかっている髪を払ってから再び彼女に背を向けると、小さな苦笑が漏れた。
どこでもできる仕事があるのは、結構いいものだ。
ノートパソコンを使っての、作業。
足元にはさすがにいろいろな資料が広がっているが、これはこれで結構居心地がいい。
何より、彼女のそばについていてやれるという点が……いいね。
パチパチと響く自分が叩くキーボードの音。
……あ、そうだ。
風邪のときって何食ったらいいんだろうな……。
できれば、買い出しも行きたい。
スーパーとは言わない。せめて近所のコンビニまで行ければ、十分なんだけど。
家にはスポーツドリンクのような物は置いてないので、買ってこなければ。
普段は違うが、こういう代謝が落ちているときはアレが1番いい。
……さすがに病気で伏せってるんだから、若干水で薄めたほうがいいだろうけど。
あとは、メシか。
…………何作ればいいんだ。
いや、そもそも俺に何が作れるんだ。
風邪といえば、粥とかおじやとか……あー、あと鍋焼きうどん食った記憶もあるな。
選ぶことはできるが、作るのとはまた違う。
うーん……。
粥ってどうすりゃいいんだ?
ジャーのご飯を煮る……のか?
「…………」
こういうとき、改めて彼女の大きさを実感する。
自分はいつも見ているだけだからこそ、魔法みたいになんでも器用にこなす彼女は、ホント偉大だ。
掃除、洗濯、炊事。
どれもこれもソツなくこなすってのは、ホントすごいことなんだよな。
……俺の場合はどれもこれも適当になってしまうからこそ、余計に。
週末ともなると、非常に人間的な生活をしている気がする。
人間的っつーか、生活水準が高いというか。
それもこれも、すべては彼女のお陰。
甲斐甲斐しく面倒みてもらえているおかげで、手に入れられている週末の生活。
……あれ。ひょっとして俺って……結構ダメなのか?
年上っていうだけで、実はなんの役にも立ってないのかもしれない。
…………うわ、ちょっとヘコむぞこれは。
「……はー」
ベッドに寄りかかってため息をつくと、彼女が小さく声をあげた。
反射的にそちらを見る……が、特に目を覚ます気配はない。
だが、少し熱いらしく額には汗が浮いていた。
とりあえずの応急処置として布団を1枚減らしてやってから、タオルで汗を拭う。
……でも、額にこれだけ汗かいてるってことは身体もかいてるよな……。
あとで着替えさせないと。
「…………」
などとあれこれ考えていて、ふと我にかえる。
俺って……やっぱ、変わったよなぁ。
できないことはできないで放っておくという性格でもないが、少なくとも私生活……特にこうした自分だけの暮らしでは、できないことというか、やらなくてもいいことはしないタチだった。
だから、食事やら何やらはマメにしなかったし。
……それが、だ。
彼女が熱を出して苦しんでるとわかれば……甲斐甲斐しく何かしてやりたい衝動に駆られる。
……ちょっと孝之っぽいな。
いや、ヘンな意味じゃなくて。
アイツは昔から、ホントにマメだった。
料理もそれなりにやってるっぽいし、バイクも車も細かく弄ってるし。
――……そして何よりも、女に対してマメ。
誕生日や好みなどは、ほとんどと言っていいほど把握していた。
これまで付き合った女の名前と顔も、覚えているんじゃないかと思うほど。
俺は、アイツを見ていて『よくやるよ』と客観的に見ていた記憶がある。
それくらい何もしなかった。いや、マジで。
孝之に比べれば、本当にズボラ。
だからこそ……まさか彼女に対してこれほど世話を焼きたがるとは……。
大切な証拠、だな。
「…………」
ベッドに肘をついて彼女を見ると、少し汗が引いたように思えた。
風邪は汗をたくさんかけば治るとかいうヘンな噂があったが、あれはウソだろう。
そんな程度で治れば、医者も病院もいらない。
確かに、汗をかいて体温が下がれば多少はいいかもしれないが、汗をかいたままでは悪化の一途を辿る。
……あとで着替えだけはさせないとな……。
再びパソコンの画面に向き直ってからそんなことを考え、続きを打ち始めるべく指が動いた。
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