ようやく終わった鍋を見ながら後ろに手をついて鍋を見ていると、ふいに対面の絵里ちゃんへ視線が向かった。
随分大人しいな……なんて考えていたそのとき。
急に目が合う。
「ぬぁに見てんのよ」
「え?」
「大体ねぇ。うきょー先生、羽織にちょっかい出しすぎなのよ、だーしーすーぎぃ!」
「……は?」
上目遣いながらも人差し指でびしぃっと指差す姿は、彼女そのもの。
……ではあるのだが、その目は完全に据わっていた。
「うわ!? 絵里、お前いつの間に飲んだんだよ!!」
「うるさいっ! もっと、よこせぇー」
「馬鹿! やめろってば!!」
「邪魔すんなぁー!!」
制する純也さんを赤い顔で振り解き、手酌で黒吟を飲み始めた彼女。
……いつの間に。
全然気付かなかった。
ふと隣を見ると、困ったように絵里ちゃんを見つめている羽織ちゃんの姿。
一体、どうやってこの3人が気が付かない間に、ここまでデキあがることができたのか。
それが、ものすごく不思議だ。
「んー? ちょっと、もうないわよー。お酒ぇー」
「なっ……!? おいおいおい、マジかよっ! まだ全然飲んで――」
「うるさぁい! 買って来い!!」
「うわ!?」
瓶を片手で振りながら純也さんに渡し、なおも酒を要求する絵里ちゃん。
……うわー。
ここまで酒癖が悪かったとは、想像もつかなかった。
まぁ、これまで彼女が酔うところを見たことがないから当たり前なんだけど。
「……う」
相変わらず、眼光鋭い眼差しと目が合った。
……しかも、ものすごく酒臭いし。
「あのねぇ! いーい? 羽織は、この前まで……なぁーんにも知らなかったのよ!? なのに、せんせーと付き合いだしてから……いきなり……」
「……いきなり?」
「いきなりよ、いきなり! 見なさい、この身体!」
「っわ!?」
何をするのかと思いきや、ぐいっと羽織ちゃんを抱き寄せ、頬をむにむにとつまみ始めた。
「こーんな何も知らなさそうな顔してる子に、よ? ていうか、教え子じゃない! それなのに……っ」
「やっ、ちょ、絵里!?」
「私が知らない間に、やーらしぃ身体になってるじゃない!? どーゆーことよっ!!」
「いや……どういうって言われても……」
きっと睨みつけられてたじろぐも、容赦せずにどんどんと続けていく。
そんな彼女が、頬から手を離して羽織ちゃんのわき腹を掴んだかと思うと――……。
「っきゃあ!?」
いきなり、胸を鷲掴みにした。
「んんー? 前より大きくなってるんじゃないのぉ?」
「や、絵里ってばっ! やだぁ!!」
「……ちょっとぉ、おねーさんに言うことあるんじゃなくてぇー?」
「ないってばっ! やっ……もぉ、離してよー!!」
頬を染めて絵里から逃れようとする、羽織ちゃん。
一方で、やたら楽しそうに彼女で遊ぶ絵里ちゃん。
………これは。
思わず、純也さんと顔を合わせて黙りこむ。
なんつーか、やっぱり、こう……女同士の絡みはアヤシイ……し、ヤバいわけで。
「んっ!」
「それに……ぃ」
小さな悲鳴でそちらを見ると、見事に押し倒されていた。
……どこで学んだんだ、この子は。
と、思うくらいの見事な身体さばき。
しっかりと手首を押さえつけて動けないようにしてから、足の間に身体を割り込ませている。
……うわー……やらしーな、オイ。
口元に手を当ててそんなふたりを見ていると、いきなり絵里ちゃんが彼女の服をたくし上げた。
「わぁっ!?」
「大体ねぇ……あんた、無防備すぎるのよー。えぇ? せんせーに何言われてんだか知らないけど、もっと気をつけないとダメでしょうが!」
「やっ……ん!」
「そんな声出してぇ……。えぇ? いつの間に覚えたのよー」
「ちょっ……絵里、やだってば! やめてよっ!!」
「やめられるかぁっ!」
「わぁーー!!?」
……ごくり。
って、喉を鳴らして見入ってる場合じゃなかった。
「こら! やめろって!!」
純也さんも同じだったらしく、先に動いたのは彼。
羽交い絞めにしている絵里ちゃんを後ろから掴むと、べりっと引き剥がした。
「……大丈夫?」
「うぅ……あんまり……」
真っ赤な顔で、今にも泣きそうな羽織ちゃん。
そんな彼女を起こしてやると、絵里ちゃんから遠ざかるように腕へしがみついた。
「ちょっとぉー。邪魔しないでよね!」
「お前は、悪酔いしすぎなんだよ!! いい加減にしろってば!」
「……うるさぁーい!!」
「うっわ!?」
少しは大人しくなったかに見えた彼女だったが、諭していた純也さんを振り切り、再び羽織ちゃんに向き直った。
途端、嫌そうな顔をして俺の後ろに隠れる。
「……はーおーりちゃーん」
「や……やだぁ……っ」
「あーそびーましょー」
んふふ、と怪しさ満点で笑いながらにじり寄ってくると、にやぁっと意地の悪そうな笑みを見せてから俺の肩に手をかけた。
「こら! いい加減に――」
「襲うわよ」
「……は……はぁ!?」
いきなりの言葉に、思わず瞳が丸くなる。
なんつーことを言い出すんだ、この子は。
眉を寄せてから彼女を再び見るが、なんだか本当に襲われそうな気がして、少したじろいでしまった。
「……あのな」
「だーかーらぁ。邪魔すると、せんせーのこと襲うわよ」
「ちょ……ちょっと待て。それは――」
「邪魔すんなぁーー!!」
「うわ!?」
両手でいきなり後ろに突き飛ばされ、危うく壁にぶつかるところだった。
……えぇえ!?
そのままの姿勢で彼女を見ていると、逃げようとしていた羽織ちゃんをがっちり掴んでからシャツに手をかけている。
ま……まさか……!
「やぁっ……! 絵里、やめっ――」
「問答無用!!」
ぐいっと引き寄せてから床に倒し、顔を近づけてにっこりと笑みを見せた彼女。
ちょ、ちょっと待て。
その格好はひょっとして――……。
「……ちうしよっか」
「えぇ!?」
「どんだけ、せんせーに教わったのか……おねーさんが確かめてあげよう」
「ちょ、ちょちょっ、やっ……! 先生、助けてぇ!」
「……あ」
あまりの気迫に押されていたのだが、ようやく彼女の声で我に返った。
「んっ、や、めっ――」
「絵里!!」
「ちょっと待て!!」
純也さんとともに慌てて近寄るが、ときすでに遅し。
みるみるうちに唇が寄り、そしてそのまま――……。
「……ぐぅ……」
糸が切れたかのように、羽織ちゃんの身体の上へ絵里ちゃんが崩れた。
……え。ね……寝た?
身動きひとつせずにいる絵里ちゃんと同じく、こちらも動きが止まってしまう。
「……んん、苦しいっ……」
「「あ」」
羽織ちゃんの声で純也さんとハモってから、慌てて救助開始。
一方の絵里ちゃんは、まったくもって動く気配すらしない。
「……ったく」
そんな彼女を抱き上げて純也さんが奥の部屋に向かうと、すぐに戻ってきた。
「羽織ちゃん、大丈夫?」
「……あんまり」
先ほどと同じようにそれだけ呟くと、それはそれは大きくため息を見せる。
どうやら、彼女にとってこの一件は十分トラウマになるレベルらしい。
「……絵里ちゃん、酔うと怖いっすね」
「普段はうっかり梅酒とか飲んじゃっても、あそこまで悪くないんだけどなー。ったく。ひとりで半分以上飲みやがって……」
ぶちぶちと文句を言いながら瓶を手にしてから、純也さんも大きくため息をついた。
「ごめんね、羽織ちゃん」
「……大丈夫です」
貞操は守られたので、まぁ、いいとしておこう。
――……結構面白いのが見れたなんて言ったら、ものすごく怒られるだろうが。
結局。
そのあとは、絵里ちゃんが酔い潰れてしまったというのもあるが、鍋も終わったということで、闇鍋の会は無事に幕を閉じた。
最後まで彼女に謝っていた純也さんに苦笑を返してから彼の家をあとにすると、外はすっかり暗くなっていた。
近くだからということで歩いてきたのだが、この時間になるとやはり肌寒さが先立つ。
部屋が暖かかったせいもあるだろうが、この寒さの中にいると酔いもすっかり冷めるような感じがした。
「大丈夫?」
「え?」
寒そうにバッグを抱えている彼女を見ると、一瞬瞳を丸くしてから小さくうなずいた。
びっくりしたよなぁ。
まさか、友人に……しかも、絵里ちゃんに襲われかけるなんて。
「……もぉ……。でも、もっと早く助けてくれたらよかったじゃないですか……」
「いや、ごめん。まさかあんなに面白――……じゃなくて、ああいう展開になるとは思わなかったから」
「……今、面白いって言いました?」
珍しく、耳ざとい。
怪訝そうな彼女に笑みを浮かべてから首を振るも、相変わらずその表情は崩さなかった。
「気のせい」
「嘘っ! ……そういえばあのときも……先生、なんかすごく楽しそうでしたよね?」
「思いすごしだろ?」
「違うもん! 先生、楽しんでたでしょ!」
「……これくらいはね」
「っ……やっぱり……」
指で『ちょっと』を示してやると、一瞬瞳を丸くしてから彼女が大きくため息をついた。
だが、呆れた顔ながらも、彼女の場合は『しょうがないなぁ』という笑みがあるから、救われるのだが。
「けど、それくらいは許してもらいたいもんだね。……誰かさんは、人の嫌いな物平気で鍋に入れたんだし?」
「……そ、それは……」
「そっちのほうが、俺としては許されざる事件なんだけど」
わざと視線を宙に浮かせながら呟くと、一変して彼女が申し訳なさそうに眉を寄せた。
「まだ……怒ってます?」
「怒ってる」
「……ごめんなさい」
「って言ったら、どうしてくれるのかな?」
「……え?」
案の定、すぐに謝罪を入れた彼女に笑みを返してやると、驚いたように瞳を丸くする。
……あー、困ってる困ってる。
「……あの……」
「さぁて。家帰って風呂入るか」
「……う、ん」
……珍しい。
いつもならばここでひとつくらい戸惑いの声が聞こえるのだが、今日はまったくなし。
……もしかして、トマト入れたこと気にしてるのかも。
俺としては別にあんなことくらいでどうこうしようというつもりはないのだが、彼女が何かしてくれるんであれば大歓迎。
それじゃあ、トマトの代償はきっちり払ってもらおうか。
……それに、ちょっと確かめたいこともあるしな。
「ほら、寒いし早く帰ろう」
「え? あ、ま、待って!」
彼女の手を取って家に向かうと、自然に笑みが漏れた。
俺にとっての、ハロウィンはまだ始まったばかりかもしれない。
自然に顔が緩むのを感じて、我ながら少しおかしかった。
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