「後悔って、どうしたら消えるんだろう」
ぽつりとつぶやいてみるけれど、答えはない。正解もない。
当然だ。人が生きるうえで、何が正しいかなんて誰にもわからないんだから。
自分で納得するしかなくて、巻き戻すことはできなくて。
時間は平等でひいきすることないから、なんとも世の中は生きにくい。
「…………」
穂澄と別れ、自宅方面へのバスを待ちながら手鏡を取り出す。
少しだけ雨が降ったせいで、前髪が少しだけクセづいた。
小さいころは、クセ毛なのが嫌で髪を伸ばさなかった。
でも、幼稚園のころから穂澄だけは、私の髪を触りながら『いいなぁ』って言ってくれたんだよね。
くるりと毛先がカーブするのを見て『おひめさまみたい』って。
大きくなるにつれて、いろんな方法を知ることができた。
だから、好き。
生きることは、そんなに苦しいことじゃないのかもしれない、と思えるようになったから。
「…………」
バス停の屋根を見ながら、流れる電光掲示板に視線を移す。
高校生のころが、一番もどかしかった気がする。
がんばっている自覚も、報われている自覚もあったのに、どうしても手に入らないものがあり続けて。
出会ったときから、彼は大人で、私は子どもで。
その差は縮まらないのに、自分が成長すれば埋まるかもしれないと勝手に抱いていた。
でも、今は違う。
今、彼に手を伸ばすことは許してもらえるようになった。
同じように、私に手を伸ばしてくれるようになった。
でも、こんなふうにからりと晴れてない曇り空を見るたびに、ついつい"もしも”を想像するのは癖なんだろう。
もしもあのとき、彼に声をかけていたら何か変わっただろうか。
高校3年生のあの日、穂澄が鷹塚先生へ声をかけようとしたのを遮った、あの瞬間に。
「……すっごい久しぶりに見た」
「え? っ……」
まるで、映画を見ているかのようだった。
音を立てて景色が変わったように見えた。
今となっては、懐かしいどころか少し気恥ずかしいような気のする、ブレザーの制服を着た穂澄が、道の反対側を指さす。
「鷹塚先生。ほら、中学のとき本屋で会ったって言ったじゃん」
このセリフを聞いたことがある。
一度じゃない、二度じゃない。
夢か現実かわからないほど、何度も繰り返した。
……ああ、やっぱり。私の引っかかっている部分は、ここなんだ。
このとき私は、声をかけないことを選んだ。だって、自分に何も自信がなくて、彼が私を見てくれる可能性がゼロに等しいと思ったから。
でもそれは、私が出した勝手な選択。
もしもがないからこそ、違う時間軸は手に入らない。
そう思って、諦めたんだ。
本当は違ったのに。欲しくてたまらなかったし、ここから繋がれたらどれだけよかったかと、心底で後悔し続けたんだから。
ないと思う。けれど、もしもがあるかもしれない、と期待し続けた時間が、一気に巻き戻った今。
私は、何に躊躇する必要があるのか。
「声かけなくてい……え、ちょ、瑞穂!」
穂澄の声が、少し離れて聞こえた。
さっきまではすぐ隣にいたのに、今はかなり遠い。
代わりに、子どもたちと笑いながら話す彼の声が、すぐそばで聞こえた。
「鷹塚先生っ……!」
今の自分よりも、少しだけ高い声。
そんなに駆けた自覚はなかったのに、ほんの少しだけ息が切れて、せっかく彼が見てくれた久しぶりの私は、かなり眉を寄せていただろう。
「えー、と……?」
「お仕事中にごめんなさい。でも、どうしても声をかけたくて……覚えていてくれなくて当然です。あの、私――」
「はやみーじゃん」
「っ……」
「だろ? だよな? うわ、すっげぇ久しぶり! 元気か? ちょ、めっちゃ女子高生じゃん。やば、すっげぇかわいい」
ぱちん、と鳴らした指を私に向けた彼は、満面の笑みを浮かべた。
きっと、今とほとんど変わらない話し方。
それこそ、昨日会ったときと大きく違わないような話し方に、目の前がぼやける。
どうやら、覚えていてくれた"もしも”を、私は強く願ったらしい。
小学生がそれぞれいろんな言葉を彼へ投げつける中、こくこくとうなずきながらも、言葉が出てこなかった。
「俺のこと覚えててくれて嬉しいよ。毎年、年賀状くれてたもんな」
「あ……」
彼に送った年賀状が宛先不明で戻ってしまうようになったのは、ちょうどこのころだったか。
今はその理由を、ちゃんと知っている。
ああ、そうか。
だから私は、このとき、どうしても彼と繋がりたかったんだ。
「鷹塚先生、お仕事が終わったら、どこかでお時間いただけませんか?」
断られて当然のおねだりができるくらいには、切羽詰まっているらしい。
子どもたちが色めきだつのを聞いて、やってしまったことを後悔する。
でもごめんね、少しだけ。
このときの私もまた、あなたたちとそう変わらない子どもだから、と言い訳をする。
「いーぜ。んじゃ、18時すぎにここで」
「え……?」
「引っ越したんだよ、俺。今そこに住んでる」
差し出されたのは、レモン色の付箋に書かれた、走り書きの文字。
少し癖のある、だけど読みやすい英語は、確かにあのお店の名前だった。
「待ってる」
「っ……」
腕時計を見て『やべ』と小さくつぶやいた彼が、大きく手を挙げた。
嘘みたいだけど嘘じゃない、現実のもしもの時間。
やってみなければ、結果はわからない。本当だ。
ああ、本当に。
どうせ後悔するなら、やるだけやったあとのほうが、ずっと小さいって学んだじゃないか。
当時手に入らなかった切符を手に、なんともいえない気分でいっぱいになった。
|