「ねえ。たとえば、後悔ってどうしたらなくなるの?」
 いつもと同じカフェの、だいたいいつも座る角の席で、この間とは違うモーニングを頼む。
 今日は、ワッフルセット。
 昨日よりも少し肌寒かったから、アイスじゃなくてあったかいココアにした。
「穂澄も後悔するの?」
「ちょっとーそれじゃ私がなんも考えてない子みたいじゃない」
「そんなふうに言ってないよ? ただ、いつもいろんなことちゃんと考えて動くから、意外だっただけ」
 私とは違って、ちゃんと食事メニューを頼んだ瑞穂は、カリカリベーコンをサラダと一緒に口へ運んだ。
 朝からほんと元気。うらやましい。や、いくらうらやんだところで、瑞穂にはなれないんだけどさ。
 厚切りトーストに、ベーコンとウィンナーに、ダブルの目玉焼き。
 里逸もそこまで食べない量が、目の前できれいに消えていく。
「私も目玉焼き食べたかったなーって思って」
「食べる?」
「や、そうなんだけどそうじゃない」
 でもちょっとほしい。
 さらりと言ってくれるところが、瑞穂のイケメン成分でもある。
 きっと、里逸も同じようにしてくれるんだろうな。
 ってまぁ、後悔はメニューについてではないのですけども。
「どんな後悔?」
「んー。高校のころかな」
「いつのこと?」
「里逸の授業、すっぽかすって決めたあたり」
 高校1年の最初の授業で、すっごいぶっきらぼうで、ぜんっぜん笑わない里逸を見て、なんだこの人って思った。
 にこりともしないし、逆に叱ることもない。
 無感情なんじゃないかって思うくらい、いつも平静で冷静で声のトーンも変わらなくて、毎日何が楽しくて生きてるんだろうって思うようになった。
 単純に人に興味がないんだろうなっていうのもわかったし、ついでに、必要以上のコミュニケーションも欲しがってないんだってことはわかった。
 でも、別に冷たいわけじゃなくて、からかいではなく、本気で学びたいって子たちの質問に対しては、どんなものであっても誠実に対応していて、案外人間くさいんだなって思った。
 そうやって毎日のように里逸のことを考えてたら、なんかいつの間にか好きになってたんだよね。
 たまに見かけたとき、ブラックコーヒーじゃなくてキャラメルマキアートのラテを持ってたり、購買で菓子パンじゃなくがっつりしたカツサンド持ってたりするのを見かけるたび、意外すぎて目が離せなくなった。
 授業中、私たちに見せる顔とは全然違う顔で生きてるってわかって、面白くもあった。
 惹かれた、んだよね。まさに。
 公私が間違いなくくっきりわかれてる人だってわかるからこそ、じゃあプライべートではどんな顔してるんだろうって想像すると、たまらなくなって。
「もっと早く、里逸の授業でちゃんとしてたら、とっとと付き合えてたのかなーって」
 今、満たされてないわけじゃない。
 でも、もしもがあったらもっとたくさんの時間を一緒に過ごせたのかなって、ほんの少しだけ物足りなく感じただけ。
 3年間のうち、一緒に過ごせた学校のイベントはほんのわずか。
 担任は持ってないから、修学旅行も体育祭も一緒に過ごせないだろうけど、それでも、限られた時間の中で一緒に何かできたのかなと思うと、それははっきりとした後悔として残っている。
 高校生、楽しかった。
 学校も、友達も、勉強も、行事も、全部楽しかった。
 だから、そこに里逸が一緒だったら、もっと絶対楽しかったよねっていう希望的観測なだけ。
 実際はそんなこと全然関係ないかもしれないけれど、ただ単純に"もしも”を想像してしまった。
 自分の人生に自信あったし、後悔なんてないって思ってた。
 でも、今日久しぶりに昔の写真を見返していたら、直近のものだけ里逸がちゃんと映っていて、遡るにつれて隠し撮りしたのばっかりで、なんか寂しかったんだよね。
「聞いてみたらいいんじゃない? 高鷲先生に」
「えー? そんなの絶対呆れるに決まってるじゃん」
「高鷲先生は、そんな反応しそう?」
「んー……わかんないけど」
 やったことないし、できるわけないから、想像上の里逸で試してみるしかない。
 でも、私が思うような展開にはならないと思うんだよね。
 あ、じゃあもう答え出てるんじゃん。やるまでもなかった。
「穂澄って、本当に高鷲先生のことが好きなんだね」
「そーなんだよね。なんでだろ?」
 なんでここまで好きになったんだろう。それは自分でもよくわからない。
 気づいたら好きになってて、目で追ってて。
 だから、隣同士とはいえものすごく距離が近くなったあの日のことを、何度も夢に見るほど今でも鮮明に覚えている。

「何がだ」

「ん?」
 目の前に、仕事帰りそのもののいでたちの、里逸がいる。
 え、なんで?
 いや、里逸のことじゃなくて、このシチュエーションよ。
 なんで私が"私の家”にいて、里逸が訪ねてきてるの?
 え、ちょっと待ってそれ、菓子折りってやつじゃない?
 あれ。この展開って、私記憶にあるんだけど。
 もしかしてあれ? 引っ越してきた挨拶的な?
 あのときとおんなじだとしたら、それ、市内でも有名な和菓子屋さんのアレだよね。
 里逸ってほんと、そういうトコ真面目でマメだよね。
 この菓子折り、小さいのにいろんな種類が入ってて、どれもすっごいおいしかった。
「んー……」
 おっかしーな。さっきまで、瑞穂としゃべってたんだけど。
 あの子、ひょっとして私の無意識に潜入とかなんかそういうことしてる?
 や、心理学とかよくわかんないから、いつどこでそんなことを仕掛けられたか、わかんないけど。
 だって、これが白昼夢とかだったら、私相当やばいじゃん。
「……宮崎?」
「あ、やっぱり?」
「何?」
「や、なんでもないでーす」
 名前じゃなく、苗字呼びってある意味斬新。
 てか、すっごい懐かしい。
 そういうころもあったよねー。今じゃまったく呼ばれなくなったから、ちょっぴりどころかめちゃくちゃ懐かしいし、今では考えられない距離感だから、なんかこううずうずする。
 今この人に手を出したら、どんな顔するんだろうって。
「ねぇ、ちょっと上がってかない?」
「な……にを言ってるんだお前は」
「いいじゃん。ほら、これすっごいおいしいお菓子屋さんでしょ? 私、ここの大福好きなんだよねー」
 普段、和菓子を自ら好んで買うことはまずない。
 理由は、いいお値段だから。
 おいしいのは知ってるけど、私みたいなのが制服着て入れるようなお店じゃないんだよね。
 だから、和菓子とか食べたいなって思っても、せいぜいスーパーかコンビニで買うくらい。
 ちゃんとしたお着物で接待くださるお店なんて、入っちゃいけない気がしてる。
 ってまぁ、それがそもそも偏見なんだろうけど。
「大丈夫だってば。学校には黙っててあげるから」
「ちょっと待て。なぜ俺が加害者側にいるんだ」
「全然加害者じゃないってば。ちょっと話したいだけ。てか、こんなトコで長話してたら、逆に目立つでしょ? いいの? どう見たって女子高生の家に、サラリーマン風のお兄さんが押しかけたりして」
「なっ……別におしかけてなど!」
 慌てふためく様は、いつもと同じ。
 なのに、なんだろうねこの初々しさってば。
 やだ、ちょー楽しい。里逸ってこんなに素直な人だったっけ。
 って別に忘れてるわけじゃないんだけど、当時の姿をもう一度今日はできると思わなかったから、すっごい楽しいんだけど。
 やばい。にやける。
 どうやら里逸にはそれが面白くなかったらしく、すんごい嫌そうな顔をすると、箱を押し付けてからすぐきびすをかえそうとした。
「ちょっと待ってってばーなんで? いいじゃん、暇でしょ? ひとりで」
「宮崎に言われる筋合いはない。どうせお前もひとりなんだろう?」
「ひとりだから、怖いの?」
「……なんのことだ?」
「いや、ほら。私とサシで向き合ったら、負けるのが嫌なのかなって思って」
「そんなわけないだろう! 馬鹿馬鹿しい」
 あらやだ、ひっさしぶりに聞いたそのセリフ。
 だからこそ、うずうずしちゃうんだよね。
 思わずにっこり笑って腕をつかんだ瞬間、里逸は当然のように目を丸くした。
「み、やざきお前……!」

「Don't talk nonsense, just go inside」

「ッ……」
 あーゆーおーけー?
 目を合わせたまま、最後ははっきりゆっくりと。
 ああ、そういえばこの時期ってまだ、全然私は優等生じゃなかったもんね。
 やっばい、ちょー楽しい。
「最初に謝っとくね、ごめん」
「な、にを……」

「私、里逸のこと好きなの」

 にこりともせず口にすると、まったくなんにも知らない里逸は、気絶するんじゃないかというある意味戦慄のまっただ中の顔をした。


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