「せんせー、まーくんとちーくんがケンカして、まーくん泣いてるー」
「まじか」
うっかり普段の口調が漏れ、慌てて口を押える。
晴れた空にもよく映える、パステルグリーンのスモッグを身に着けた女の子は、俺の手を引くと“はやくはやく”と急き立てるように声を上げた。
まーくんと、ちーくん。
子どもたちはいともたやすく愛称を浮かべるんだな、とたくましさも覚えた。
「どうし……あ」
「そっか、まろん君はちろる君の一輪車を貸してほしかったのねー。じゃあ、なんていえばよかったと思う?」
手を引かれるまま校庭のすみへ向かうと、しゃがんで目線を合わせた女性がすでに仲裁していた。
泣いている、と言われたことで勝手に“やられた”側だと思っていたが、どうやら反対のようで。
こういうのは、気を付けていても勝手な無意識が影響するから、厄介だな。
自分の先入観の強さに、改めて辟易する。
「そうだよねー。貸してってお願いしたけど、だーめーよーって言われたら、悲しくなっちゃうよねぇ」
「ゆっこせんせー、ねえねえ、ゆっこせんせぇー!」
仲裁に入っていた女性の腕をつかみながら、別の男の子が俺を指さす。
ああ、違うんだ。ごめん。
普段見かけない“大人”がいることで、先生に用があると察してくれたらしい。
子どもって、小さいころから十分周りのこと考えようとしてるんだよな。
ずいぶんと昔になるが、自分とてそうだったなとほんの少し勝手に重ねていた。
「……すごいですね」
「あら、何もすごいことしてないわよ。私なんかより、よっぽどすごいのは祐恭君」
ふふ、と笑った彼女が立ち上がり、俺に体ごと向き直る。
笑顔がどうしても“彼女”を彷彿とさせるから、親子ってすごいなと感じるとともに、ということは自分もあの親に似ている部分があるんだなと思いをはせ、なんともいえない気持ちになる。
「あんなふうに“おたまじゃくし”作れるのねー。驚いちゃった」
「意外と難しくて浮かべられない子もいるんですけれど、この園の子たちは手先が器用ですね。慣れてるっていうか」
「それはあるかもねー。なんせ、自分のことはまず自分でやってもらうが精神だから」
小さくても、十分がんばれる子たちなのよ。
そう言った彼女は、とても誇らしげだった。
「瀬尋せんせー。マーカーの予備ってありますか?」
「黒いバッグにまとめてあるよ」
「あ、わかりました」
うちのゼミの学生も、今日は普段と違ってキャラクターのついているエプロンを着用している。
……あれいいな。
普段は、だぼだぼのトレーナーとよれよれのズボンが常で、俺だけでなくいろんな先生や学生たちも“とにかく違う服も着ろ”とすすめていたが、彼は頑として聞かなかった。
にもかかわらず、さすがに非日常にもなると郷に入らず過ごすわけにもいかず、すんなりとエプロンを着用しているわけで。
今度からは、あの方法でいくか。
くるりと背を向けたその背中にも、でかでかとかわいらしいキャラクターがプリントされていて、雰囲気が大幅に和むのを感じた。
「ホワイトボードマーカーで描いた絵が水に浮くなんて、びっくりだわー。あれ、できたときの“やった”感がすごいわよね。それこそ、子どもだけじゃなくて私たちまで楽しくなっちゃった」
「そう言ってもらえたら、自分も嬉しいです。先生方は特に器用ですよね。もののデフォルメがうまくて、こっちこそいいアイディアをもらいました」
原理を説明すればチープでしかないが、油分の入ったものが水に浮くだけのこと。
それでも、子どもにとってはまるで魔法みたいに感じるものもあるんだろう。
『すげー、まほーだ』と、やんちゃそうな男の子が目をキラキラさせて水面を泳ぐ魚を見ていた姿がとても嬉しかった。
「ゆっこせんせぇえぇぇぇええおおおぉぉ」
「あらまー。元気だわー」
「うわ、すご」
ただのブランコではなく、バケット型の座席にすっぽり座るタイプのもの。
なんなら、ハーネスも取り付けられるようになっており、安全性はかなり高い様子。
だからってまさか、そんな角度になるほど揺さぶられるとは。
風切り音が、聞いたことないレベルなんですけど。
「すっげぇぇええ!! なんだあれ!! 俺もおれもー!」
「だめぇー、次はわたしのばんー!」
「はっはっはっは」
高らかに笑いながら男の子の背中を押し続ける彼を見ながら、改めてすごい人だと感じた。
ついさっきは、当たり前のようにトイレ介助に入り、かとおもえば肩車だけでなく宙へ放るような高さの“たかいたかい”を披露し、その前には見事なまでの積み木の町を作り上げていた。
……スキルの高さが尋常じゃない。
エグすぎるだろ。ああ、もちろん誉め言葉で。
「田代先生、甥っ子さんがいるんですってねー。どうりでお子さんの扱いに長けてるわー」
そう話す雪江さんの目は、明らかに“保育士”として欲しがっているようにも見え、思わずこくりと喉が鳴る。
確かに、あれだけ遊んでくれるうえにマルチタスクで子どもの対応してくれたら、助かるだろうな。
自分とて甥っ子姪っ子はいるが、1日ぐったりせず対応できるかと言われたら、そんな自信はない。
だがしかし、純也さんは今朝からどころかここ一週間くらいずっと、ハイスペックなままで。
“飽きさせないように段取りを組む”ことを目標に計画を立ててきたが、都度“集中切れないように、手遊びを”とか“この作業の前にこうしたほうがいい”など、具体的な子ども対応をもらえていたことは、本当に助かった。
「別の仕事をしている自分、想像できる?」
楽しそうに子どもたちと遊ぶ姿を見ていたら、ふいに今朝見た夢を思い出した。
聞いたことはない声なのに、懐かしい人に会ったような気になる。
想像できるかと問われたら、できるような気もするし、できないような気にもなる。
幼いころからパイロットになりたかった。車にかかわる仕事もしたかった。
なのになぜ、教員の道を選んだのか。
人とかかわることが好きじゃなくて、自分さえよければそれでいいとさえ思っていて、そうさせてくれない周りの環境がよかったというか、友人らに恵まれたから今の自分があることは重々承知している。
人が人と生きる意味は、こういうところにあるのかもなとガラにもなく感じもしたほど。
面倒を見る気はさらさらないが、それでも、人を育てる、導くという響きにも似た行為を生業としているわけで。
よく、高校よりも中学、中学よりも小学校、さらには幼稚園……いや、赤ちゃんのころにもっと違うかかわりをしていたら、その子は違う人生を歩んでいるんじゃないかと言いながら、その現場を去る人々を見かける。
高校じゃ手遅れだと話す人からすれば、大学なんてもっと遅いと感じるんだろう。
だが、何に対して遅いのか。早いというのはどういう部分からくることなのか。
自分はあまのじゃくで、素直さなんて微塵もないとわかっているからこそ、より崇高なものを求めて現場を離れる人を送りながら、どこまで行けば満足できるのかと眺めてしまう部分もある。
自分は素晴らしくて、自分が導けばよりよい方向に進ませてあげることができる。
そう感じることは悪いことではないのかもしれないが、果たしてそう望む彼らを求める人々はどれほどいるのだろう。
今ここで、日々かかわることだって十分な“変化”だろうに。
じりじりと遅く、目に見える変化がないからといえ“何もない”わけじゃない。
当たり前の日々の中に、当たり前の時間をともにする人が、“あたりまえ”にいることは、世界の安定を意味する。
変化を嫌うわけじゃない。それでも、人は日々過ごすことで絶対に昨日までとは違う。
「……え?」
「むつかしい顔しちゃってまあ。孝之とは大違い」
「すみません、つい考え事してました」
「いいのいいの。そういう祐恭君だから、うちの子たちはあなたを好きになったんでしょ?」
「っ……だと、いいんですが」
満面の笑みで母上にそんなことを振られ、どう答えればいいかわからなかった。
が、“うちの子たち”と表現するあたりさすがだと思うが、アイツがそう思っているかは不明だけど。
こんなふうに笑いかけてもらえるのも、こんな気持ちになることも、彼女と出会ってかかわれたからこそ、得られたもの。
ああ、きっとまた自分は、思いもよらなかった方向に導かれていくんだろうよ。
自分でも意図しないことばかりがちりばめられている、この世界で。
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