「…私の気持ち伝えるには、どうしたら良いかな…」
ゴンっ。
ぽつりと呟いた途端に、そんな音が極々近くで聞こえた。
………何よ、その顔。
眉を寄せて軽く睨んでやると、手から落としたグラスを持ち直してから、無言で純也がテレビに向かった。
…何か言う事は無いわけ?
それが、なんとなく腹立たしい。
人の呟きに、何もレスポンス返さないつもりかっ!
「ちょっと!返事は!?」
「……お前、熱でもあるのか?」
「んなもん、無いわよ!!」
「…あ、そう」
…くそぅ。
一向に合わせようとしない視線にも、腹が立つ。
絶対こっち見ないつもりで居るのが分かったので、マグカップを置いてから純也に身体を向けた。
「こらっ!人が真面目に話してるんだから、聞きなさいよ!」
「だっ。俺は今、ニュースを――」
「うるさいっ!」
毎日の締めくくりであるニュースチェックに励んでるのはいいと思うけどさぁ…。
せめて人が話してる時はこっちを向いて欲しいもんだわ。
「…ったく、何だよ」
ぎゅっと腕を掴んでやると、さすがに諦めたらしくグラスを置いた。
そうよ。
最初からそうしてくれれば、何も問題なんて無いのに。
「…だから。気持ちを伝えるにはどうしたらいい?」
「……何の」
「私の!」
「……あのな、絵里」
「何よ」
はぁ、とため息をつかれて思わず眉が寄る。
だって、そうでしょ?
何なのよ、その不要なため息は。
今のシーンに必要なのは、そんなモンじゃない。
「…何の受け売りだ?」
「別に。ちょっとドラマ見てて、思っただけ」
「……ドラマかよ…」
「あ。今呆れたでしょ。あのねぇ、これって結構重要な問題なのよ?」
「どの辺が?」
「………だ…だから、色々と」
そんなにあっさり切り返されると、言葉に詰まるじゃない。
しかも、なんか…楽しんでない?この人。
…その何か楽しそうな顔は、見てて腹が立つわね。
「俺にその答えを求めるのは、お門違いってヤツなんじゃないのか?」
う。
…そ、そりゃあそうだけど。
でも……つい、出たんだもん。口から。
「そういうのは、お前自身で答えを出して俺に言うモンだろ?」
「……うん」
純也の諭すような口調で、つい素直になってしまった。
昔から、彼のこういう態度にはどうしても弱い。
純也は、いつもそうだ。
私が喧々囂々とまくしたてていて、いかにも優勢かと思いきや……あっさりと逆転される。
私の方が主導権を握っているように見えて、実はそんなんじゃなくて。
…周りには、よく勘違いされるんだけどね。
でも、純也はそれに対して別に何も言わない。
彼だけが、本当の私を知っているから――…なんだと思う。
ソファに座り直して、そっと顔を伺ってみる。
『強気、勝気、生意気』
そういう私の印象が、どうも一人歩きしている気がする。
学校でも、下級生達からそんな風に見られてるし。
確かに、別にそれが嫌とかってワケじゃないんだけどね。
頼られるのは悪い気はしないし、それに対して頑張って応えてあげたいとも思うから。
でも――…
そういう目で私を見るのは、何も、生徒達ばかりじゃない。
教師の中にもやっぱり居るわけで…。
しかもしかも、やたらと目の敵にされているとかっていう噂も聞いた。
私、そんなに評判悪い生徒なのかしら。
まぁ、それはある意味今までの自分には無かった事。
だから、ちょっとだけ面白いし、楽しいと思う。
今までの私は、必ず『優等生』というレッテルを貼られていたから。
それが、一変した現在の状況は、なかなか面白い。
……まぁ、純也の従兄弟って事になってるからっていうのも、理由の1つにはあると思うけど。
んー……
でも、ぶっちゃけて言うと、純也の方が色々と言われてるみたい。
私のせいで。
嫌味っぽく、『皆瀬は怖いもの知らずですね』なんて言われた、って前に聞いた事あるし。
だけど。
……だけど……。
純也は、それに対して何も言わなかった。
『こんな事言われたんだぞ』
って言う割には、その顔は大抵笑っている。
まるで、一緒に純也も面白がっているように。
本当の私を知っていて、一番理解してくれているから…出る笑顔なんだと思う。
これはまぁ、純也だけじゃなくて、羽織も、祐恭先生も――…あー、あの人はどうなんだろ。
まぁ、一応分かってくれてるみたいだし、数に入れておいてあげよう。
今、私の傍に居てくれている人達は、同じように笑ってくれると思う。
…これって、凄く幸せだよね。
普段、満たされている時には分からない事。
人間って、幸せを実感できる時間をどれ位持っているんだろう。
どんな時に、幸せを実感するんだろう。
……でも、きっと……
「…絵里?」
「……へへ」
隣に座ったままの純也に、ちょっとだけもたれてみた。
温かくて、なんか…笑みが出てくる。
幸せって――…こういう何気ない事なんだよね。
人間は欲張りだから。
満たされていれば、より満たされたいと願う。
それで、相手に過度の期待をして……裏切られた、なんて勝手に考える。
そういう時は、大抵、自分が優しさを忘れてるんだなぁって思うんだけど……。
でも、残念な事に、『満たされていない』って不満を一杯抱えてる時に、そんな事に気付ける人って少ないんだよね。
だから人は、また新たに思いを抱くんだと思う。
明日は、今日と違う自分を見つける為に。
「…会えて良かった」
彼に腕を絡め、そっとその手を握ってみる。
自分よりずっと大きくて、しっかりしてて……男だなぁって感じる。
にぎにぎしながら純也の顔を見ると――…
「純也?」
「……んだよ…急に」
「何?ほっぺた赤い?」
「違う」
「違わないでしょ!ほらっ!ちょっと!」
「しつこいぞっ!!」
「あはは、なんか可愛いぞー」
「ばっ…!絵里!やめろって!」
「やーだー」
『自分で答え出すもんだ』とか言ったくせに、何よ。
こうして自分で考えて行動してみると、意外にもうろたえるじゃないのよー。
でも、そんな純也の姿がちょっと可愛かった。
普段人の事をからかって、余裕見せてる彼には思えない。
…たまーに、こうして照れてる所見ると、物凄く可愛いっていうか…愛しい。
母性本能くすぐるタイプよね、こいつー。
「……ンだよ」
「よしよし。初いヤツめ」
「お前はどこの悪代官だ」
「あはは。この台詞、結構好き」
「…お前なぁ」
頭を撫でてやりながら笑うと、おかしそうに彼も笑みを浮かべた。
なんか、いいよね。
こういうやり取りって。
学校ではこんな風に出来ないから、余計にそう思える。
ベタベタしないって思われてるだろうけど…意外とそうでもないよね。私たちって。
そりゃまぁ、祐恭先生や羽織に比べればドライだと思うけど。
「……え…」
一人でそんな事を考えながら笑っていたら、いきなり抱きしめられた。
頬が、丁度純也の胸元に当たる。
…温かいなぁ、もー。
なんか、ずるくない?こうされるのって。
しかも、いきなりだし。
「…気持ち、伝わった?」
「まぁ、ぼちぼち」
「何よ、ぼちぼちって。どっちつかずじゃない?」
「そう言うなって」
こうしてくっついたままで笑い合えるのは、いいよね。
身体の奥が、温かくなる。
…だから、もっとこうして居たくなるんだけど。
そっと私も腕を伸ばし、彼を精一杯抱きしめてみる。
自分が良く知ってる、匂い。
それがあるのは、凄く凄くほっとするし――…自然に笑みが漏れる。
「…ねぇ」
「ん?」
しばらくそんな時間を堪能してからそっと身体を離し、彼の顔を覗き込んでみる。
優しい顔。
なんか、雰囲気が甘いぞっ。
「……ちゅーして」
「………は。…はぁ?」
「だから、ちゅーして」
「なっ…!おまっ、ばっ……!?何言ってんだよ!」
おー、慌ててる慌ててる。
…でも笑わない。
ほら、ちょっと昔にあったじゃない?こういうCM。
観覧車の中で、女の子が『ちゅーして?』ってねだるヤツ。
あれ、一度でいいから彼氏が出来たらやってみたかったのよね。
…今考えると、随分マセたお子様だったんだなぁ。
「純也」
「……何だよ」
「イヤなわけ?」
「…そう言う訳じゃ――」
「じゃあ、いいでしょ。私は頑張って自分で考えて、答え見つけたんだよ?伝わったんでしょ?」
「だから、それは――」
「ぼちぼちでも、いいから。…ほらっ。ちゅーは?」
困ったような顔をしながらも、ちょっとだけ頬が赤い。
それもそうだ。
普段、こんな風に自分からキスをねだる事なんてないし。
そんなまどろっこしくて恥ずかしい事する前に、自分からするわよ。
だけど、なんとなくこうしたい気分だった。
きっと、久しぶりに『幸せ』について考えたからだと思うけど。
じぃーっと彼を見つめたままで居ると、小さくため息をついてから彼が頬に手を当ててきた。
軽く、上を向かされる。
「……ったく」
視線を外して彼が小さく呟いた次には…そっと笑って口づけをくれた。
この瞬間、結構幸せ。
だって、キスしてくれる時の顔って…結構良くない?
「…へへ」
「しょーがねぇな」
「もっと」
「はぁ!?」
「だから、もっと欲しい」
普通の顔で、袖を引いてやる。
すると、うっすら唇を開いてからおかしそうに笑った。
「…ちょっと。笑う所じゃないでしょ」
「いや、なんか…お前、面白いな」
「面白くないっ!!」
最初は小さかった笑い声が、徐々に大きくなったのが…なんか気に入らない。
何よ。
そんなに笑わなくてもいいと思わない?酷いわよねー。
眉を寄せて彼から視線を外すと、ため息が漏れた。
もー、いいわよ。
そんなにおかしいなら、一人で笑って――…
「っ…」
「キスだけじゃ、済まないぞ?」
「……バカ」
「お前が悪いんだろうが」
柔らかく抱きしめられ、そのまま首筋で囁かれる。
…うー。
そんな場所で呟くのは、反則だ。
ふにゃん、と身体から力が抜けるのを見計らっていたように、純也が私を抱きとめる。
「…えっち」
「お互い様」
眉を寄せて呟いた私の頬も、ちょっと紅かったと思う。
だけど、それ以上に純也がイイ顔見せてくれたから……まぁ、今回は素直に黙っていてあげるけど。
「…ね、純也」
「ん?」
立ち上がりながら、彼に向き直る。
そっと、その胸に手を当てて。
「……幸せ?」
軽く首をかしげて呟くと、一瞬瞳を丸くしてから――…嬉しそうに笑って頷いた。
ああ、やっぱり私は幸せ者だ。
こんな風に笑って、私の事を受け入れてくれる人が傍に居るんだもん。
そんな彼にもう一度腕を回すと、こちらも自然に笑みが漏れた。


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