甘く香るいい匂い。
バニラビーンズの入った甘いカスタードを目の前に、ご機嫌で練っていると声がかかる。
 
「はぁい」
 
語尾に「♪」をつけるようにくるりと振り向いた先には、にやにや笑ってる真姫ちゃんの顔。
 
「……な、なによ…」
「なにもどーしたも。別に?」
「だったら、にやにやしてないで手伝ってよっ!」
 
顔をすぐに背け、銀色のボールを抱きかかえるように恥ずかしい気持ちを堪える。
 
「手伝ってよ、って言われましてもねー?これ、私が教えてあげたからなー」
「…ぅ」
 
それを言われると、弱い…。
 
「お嬢様っぽいのに、本当は料理てんで駄目だなんて、詐欺よね」
「そういう事言わないで!」
「そういう風に怒るところがまた、可愛いんだよねー」
「………やっぱり稔さんに似てきたって…」
 
くすん。
泣いてる私に、楽しそうに笑う真姫ちゃん。
そして、ここは真姫ちゃんの家。
今、私が住んでいるところよりも狭いキッチンだけど、音羽家よりも暖かさを感じる台所で、
私は真姫ちゃん特製「シュークリーム」を伝授してもらっているところ。
 
「尋未の最近の口癖だよ?それ」
 
くすくす笑いながら、同じ色違いのエプロンを身に着けて自分の作業に移る真姫ちゃん。
銀のボールの中で優しく練られているカスタードを指で掬って小ぶりな唇に持っていった。
 
「…んー…、ま、甘すぎず、って感じかしら」
「ありがとうございます」
「よし。ちょうどいい具合にカスタードも出来たことだから、シューに詰めていきますか」
 
ふぅ、と一息ついて気合を入れ直した真姫ちゃんは、私に笑顔を向けた。
             




「―――ん。やっぱり美味しい」
 
先ほど作ったシュークリームを二つの頬に頬張って、甘味が広がる口をあけた。
今私が食べてるのは真姫ちゃんが作ってくれた方。
自分の作ったシュークリームは、上手にシューが作れなくて、形がいびつになってて見た目が可愛くなかった。
それでも真姫ちゃんは「カスタードが上手に出来てるから、大丈夫」って言って食べてくれたけど、
彼女が作ったものを食べて、その言葉はただのフォローにしか聞こえなかった。
 
「でも、カスタードは尋未の方が美味しい」
「…同情はいりません」
「フォローじゃないってー。ちゃんと、美味しいです!」
「……本当?」
「ホント」
「これなら、パーティーに持って行ける…?」
 
おずおずと聞いた私の言葉に、真姫ちゃんはにんまり笑って、
     


「それは、練習次第」
   


  と、アメを使うことなく、ムチを打ってきた。
彼女はアメとムチの使い分けがかなり上手だってこと、今更ながらに実感。
 
「…真姫ちゃんの馬鹿ぁ…」
「同情はいらないって、言ったじゃない」
「…意地悪ぅ…」
 
くぅ。
唇を噛み締めるように、再びシュークリームを口に頬張る。
丁度良い甘みのあるカスタードに、心が幸せになりながらも紅茶を飲む。
 
「…ん。やっぱり尋未が淹れてくれた紅茶が、一番美味しい」
「それ、シュークリームについてのフォロー?」
「まっさかー。シュークリームの件は、ただちょっと苛めてみたかっただけよー?」
 
見える…。
頭と、お尻から耳と悪魔の尻尾が見える…!
 
「ど、どうして苛めるのー?」
「どうしてって…、可愛いじゃない」
「…はいぃ?」
「好きな人のためにお菓子を作る尋未が、あんまりにも雅都さんラブに見えてすっごく悔しかっただけよ」
「…え?」
 
さらりと言われて思わず聞き流してしまうところだった、実は重大発言。
真姫ちゃんは普通に私をからかうような顔で、更に「尋未をとられたみたいで、少し、ほんのすこぉしだけ、嫌だ」って言った。
たったそれだけの一言なのに、心地良い独占欲が伝わってきて心がほんわか温かくなる。
こんなに人に好かれた事がなかったから、真姫ちゃんの素直な気持ちを聞くと、本当に自分が救われた気分だ。
 
「……ありがとー」
 
えへへ。
嬉しいから、少しだけ、抱きついちゃえ。
 
「ちょ、尋未…!」
「だってだってーっ」
「こらこら、私に甘えないで帰って雅都さんに甘えなさーっい!」
「嬉しいときは誰にでも甘えるのーっ」
 
きゃぁきゃぁ、カスタードクリームの甘い香りが残るリビングで、二人でじゃれ合ってたら―――――――
       


「―――あま…っ」
       


体に染み付いていたらしく、家に帰って雅都のお出迎えで抱きしめられたら耳元で速攻囁かれた。
 
「あ、やっぱり…」
「…これ、なんの匂い?」
「カスタード」
「カスタード?」
「今日ね、真姫ちゃんの家でシュークリーム作ったの」
「…へぇ、それで?」
「続きはお部屋行ってから。とりあえず、離して?」
 
それだけ言うと、雅都はすんなり私をその腕から解き放った。
 
「離した」
「ありがとう」
 
にっこり微笑んでやると、二人で長くて広い音羽家の廊下を歩く。
 
「シュークリームってことは、あれか?」
「そ。パーティーのお菓子交換に使うものー」
「尋未はシュークリームか」
「駄目だった?」
「駄目じゃないよ。…でも、俺も食べたかった」
「そういうと思ったから、一つだけ持ってきたの」
「どうして一つ?」
「当日のお楽しみにとっておいてもらいたくて」
「……相変わらず、可愛いことをしてくれるな…」
 
優しく微笑まれると、こっちが赤面してしまう。
私の場合、言われたことに赤面するのではなくて、雅都のその憂いを帯びた笑みに赤面してしまう。
彼の微笑みはあまりにも艶っぽくて、あまりにも切なそうに笑うのですぐにでも抱きしめたくなる。
 
「……部屋だったら良かったのに」
 
そう思うのは何度目か。
ココが廊下じゃなければいつだって彼に引っ付いていたいし、二人で抱き合っていたい。
それが出来ないのがたまらなく寂しいのだ。
 
「…尋未?」
「ん?」
「…どした?」
 
繋いだ掌から伝わるのは雅都の体温。
この体温に出会わなければ、今の私はなかっただろう。
両親が死んだときに、心まで死んでいただろう。
 
愛して病まない貴方を、早くこの腕に抱きしめたい。
 
願うことはただそれだけだ。
 
「…早く、部屋行こうよ…」
「部屋?」
「寝室…」
「………俺も、そうしようかと思ってたところだよ」
 
二人の気持ちが同じだってことが解って、幾分心の中に残っていた寂しさが解消される。
それでも早く抱き合わないことには、雅都への愛しい気持ちが溢れてしまう。
   

「早く、抱きしめてもらいたい」
 
 
素直に口から出てきた言葉は、素直に雅都を喜ばせた。
返事の変わりににっこり微笑まれると余計に抱きしめたくなる。
なにがあったのか知らないけれど、せめて私の腕の中で安らかに眠らせてあげたい。と思った。
愛しい気持ちをこの腕に託して、抱きしめてあげたかった。
 
「……尋未?」
「すき」
 
抱きしめる代わりに、繋いでいる手を抱きしめる。
彼の優しい指先にちょっと唇をつけると雅都が困ったように笑う。
 
「もう少しで寝室だから…」
「……雅都」
「なんだ?」
「…私の気持ち伝えるには、どうしたら良いかな…」
 
ぎゅぅ。
抱きしめる腕を離したくなくて、見上げる。
すると、上から優しい雅都の唇が降ってきた。
廊下で交わした小さなキス。
触れ合った唇に、安らぎを感じながら抱き上げられると、程なくして寝室を開けるドアの音が聞こえた。
  

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