真冬の夜の宴


1.鍋を囲む協奏曲(コンチェルト)

 年の瀬が近づくと、夕方にはもうあたりは真っ暗になってしまう。
 赤のRX−8がエンジンを止めた場所は、おなじみの瀬那家の前。
 指定された手土産を持って車外に出ると早速の寒波が二人を突き刺した。
「くしゅん」
 彼女、瀬那羽織がくしゃみをするのも無理もない。いくらストッキングをはいてるとはいえスカートじゃあなぁ……女の子は大変だ。
 漫然と思いながら、隣に並んだ彼女の手をとって、彼、瀬尋祐恭は歩き出す。その手は思いのほか暖かかった。
「行こうか」
「……うん」
 門のところで反対側の道からやってきた一団に気づき、声をかける。
「ちわっす」
「こんばんわ」
「ばんわー。羽織」
「こ、この度はお招きに預かりまして……」
「いや。招いたのは俺じゃないし。とりあえず寒いですから中入りましょう」
 ぴんぽーん。
『孝之ー、俺だ、みんなも来たぞー』
『おう、ま、あがれやー』
 玄関を開けるとリビングから顔だけ出して瀬那孝之が出迎える――と思いきや、流れ込む寒さにすぐに引っ込んでしまった。
「もーっ! お兄ちゃんったら」
 結局、来客であるはずの羽織がスリッパを勧めて、一行を奥へと促した。
「あ、みなさん。ようこそいらっしゃいました」
 リビングに入ると会場の準備をしていた瀬那葉月が頭を下げた。
「やっほー、葉月ちゃん」
「こんばんわ、葉月さん」
「絵里ちゃんも詩織ちゃんもこんばんわ〜」
 彼女たちは共通の友人羽織を通しての面識があったので気軽に声を掛け合う。
「ども、孝之くん。今夜はお誘いありと」
「そ、そうです。僕らまで呼んでいただいて恐縮です」
 田代純也と山中昭はこたつでぬくんでいた孝之の方に挨拶をしている。
「二人とも気にする必要はないですよ。こいつの場合、酒の飲める口実が欲しかっただけですから」
 そう。事の発端は、一本の電話からであった。

「は? 鍋パーティー? 今夜ってまた急だな」
 彼女と自宅でまったりと過ごしていた祐恭の携帯にかかってきた電話。
「いや、こっちにだっていろいろと都合が……。は? みんな呼んだ!? みんなっておい、孝之!」
 答える声はなく、耳に届くのはツーツー音。唖然としているところに羽織がくる。
「お兄ちゃんが、どうかしたんですか?」
「ああ。家で鍋やるから羽織ちゃん連れて来いって。しかも俺たちだけじゃなくみんなにも招集をかけているらしい」
「みんなって……」

 二人の予想が当たった結果が、この大所帯である。
 祐恭に羽織、純也に絵里、昭に詩織、そして孝之に葉月。
「すいません、純也さん。せっかくの週末に呼び出しちゃって」
「はは、気にしないでよ。それに、鍋と聞いちゃ黙っていられないさ!」
「……純也。そのセリフ、ちょっと恥ずかしいわよ」
 さすがは鍋奉行。
「なぁ。鍋なら純也さんはわかるとして、なぜに山中先生まで?」
 確かに面識はあるとは思うが、ここまで親しかったとは知らなかった。
「フ……何いってんだ。こういうのは人がいたほうが盛り上がるだろ」
 そこへ、その人が声をかけてきた。
「あの、孝之さん。お酒ってこれくらいでよかったんですかね」
「ををっ、庶民の味方「大五郎」にビールだよ、ビール! その他の雑酒じゃない。純然たるビール!」
「ああ、よかった。それじゃとりあえず冷蔵庫に入れておきますね」
「……そういう事かい」
 笑顔で昭を、というより酒を見送る孝之に祐恭は脱力した。いつの間にやら上下関係が出来上がっていたらしい。

「あれ? そういえばお父さんとお母さんは?」
 確かにこれだけリビングで盛り上がっているのに瀬那夫妻は姿を見せていない。
「おじさんとおばさんは何でも友達の身内に不幸があったからって夕方出かけていったの。運が悪いと泊り込みになるかもって」
「なるほど。だからこんな宴会がおおっぴらにやれる訳な」
「はい。お酒関係の自由はたーくん、おばさんに握られてますから」
「うくっ……いいだろ。大体これなら夕飯の心配も葉月いらないだろう?」
「……鍋くらいなら別に二人っきりだって……」
 もそもそいう声が無論、彼の耳に届くはずもなく。
 代わりに隣の羽織が彼女をぎゅーっと抱きしめてやる。
「葉月ー、負けるなーっ」
「う〜、羽織ぃ……」
「何やってんだ、あいつら?」
「……」
 無言で、祐恭は孝之の肩を叩いた。気持ちを込めてちょっと強めに。

「それじゃあ、各々グラスはいきわたりましたか? それではー、乾杯!」
『かんぱーい!!』
 テーブルやこたつなどを運び込んですっかり宴会仕様なリビングで、かにすきとチゲ鍋を囲む一同。
「なんで、かにすきとチゲ鍋なの?」
「彼曰く、味の対照的な物の方が飽きが来なくていいんだって」
「ほらほら、魚介類は足が速いんだ。食べた食べた!」
『はーい』
 奉行純也に促され、早速鍋に取り掛かる。
「……」
「……」
「……どーして、かにを食べる時、人って無口になるんだろうね」
 料理の最高の調味料とは、人との会話である――
 と言ったかどうかは定かではないが、わいわいにぎやかな食卓は明らかに彼らの食を進めていった。
 人数より多めの食材を揃えた二つの鍋はもちろん、軽くつまめるものをと別に用意されたおにぎりやらオードブルの類も皿の上はきれいに平らげてられていた。
 食後の片づけを台所で食後もかしましい彼女らに任せ、男性陣は本格的に飲みモードに入る。
「――で、あそこのメーカーの秋の新車が……んん? もうビール打ち止めか」
 気がつくと、すでにテーブルの上にも下にもかなりの空き缶が並んでいた。
 お呼ばれされた三組がそれぞれ酒類を持ち寄ってきたのだが、どうやら話し込む内にかなりのペースで飲んでいたようだ。
「うわ、結構飲んだねー」
「僕、近くのコンビにまで行って買ってきましょうか?」
「いいですよ、山中先生。そろそろ止め時」
「ふっふっふっ……まぁそう慌てなさんな、みなさん」
 ゆらりと立ち上がった孝之が隣のダイニングを抜け、台所の棚をごそごそし出す。
 やがて、引っ張り出したのは――
「あー! たーくん、それおばさんが大事にとってあるプレミアム黒ビール!! 勝手に飲んだら怒られるよっ」
「固い事言うなって。あとで買いなおしておけば大丈夫だって」
 葉月が注意するが、ほろ酔いの孝之はどこ吹く風だ。
「でも、これ冷えてませんよ。生温いビールほど不味いものは」
「それも心配無用! この専用の機械に氷を敷き詰めて……祐恭、氷をじゃんじゃか持って来い」
「へいへい」
 嬉々としてビールを運ぶ孝之と入れ替わり、祐恭が台所に入ってくる。
「ごめんね、羽織ちゃん、みんな。片付けまかせっきりで」
「ううん、気にしないで。それよりも先生、大丈夫ですか? 量飲んでますけど」
「はは……さすがにこれだけ飲んだのは久しぶりかな。ちょっとペースダウン」
 ロックアイスを取り出すついでに、祐恭は冷蔵庫を探す。
「あれ? 確かフルーツのサワーを1ケース買って置いたんだけど……」
『え』
 途端に変な声が上がる。見るとあからさまに彼女たちの視線が散った。
「ほほぉう」
 近くの羽織に狙いを定める。それはまさに蛇に睨まれた蛙、彼女は逃げる事すらかなわない。
 手を伸ばし捕まえると、柔らかな頬をふにーんと横へ。
「嘘をついているのは、どの口かな〜」
「ひたいひたひっ」
「ご、ごめんなさい、瀬尋先生。リンゴとかの絵が描いてあったからジュースだと思って私が食事の時みんなに配っちゃたんです」
 たまらず詩織が頭を下げた。
「あたしたちも飲んだ時、口当たりがよくて甘かったから気がつかなくて」
「そういう種類のお酒なんだって」
 なるほど、さっきまでのかしましさは単に女性が集まっただけの理由ではなかったようだ。
 確かに手を離して、彼女の顔をまじまじと見つめてみれば、アルコールによってほんのりと桜色に上気した顔色に潤んだ瞳はしらふの時とはまた違った表情に――って、俺は何を考えているんだ。……もう酔いが回ったか?
 邪な考えを押し込めるように一つ深呼吸。改めて彼女らに向き直る。
「飲んでしまったと言う事で今日のところは不問にします。が、今後こういう事はないように!」
『は〜い』
「おい、祐恭! 氷はどうなってるんだ!?」
「今行くよっ」
 戻ってみると、ビールを前に大はしゃぎしているいい大人たち。
「な? こうやってぐるぐる回してるとすぐに冷えるわけ」
「はははっ。すごいっすね〜、裏技ですか、家庭の知恵ですかね?」
 どうやら酔いが回ってるのは祐恭だけではないようだ。

 そんな秘蔵の黒ビールも結局すぐに底をつき、最後の一本をちびちびとあけつつ、孝之が感慨深げに呟く。
「はぁ……これでしばらく麦酒ともお別れか」
「何言ってんだ。ビールなんて居酒屋とかでもすぐに飲めるだろ」
「わかってねぇな〜。休日の昼間、TV見ながらだらだら飲むあれが最高なんだよ」

「うわ、聞いた今の? おやじくさ〜」
「リストラされちゃった人みたいだね」
「たーくんって意外とおじんくさいところあるよね」
「そうそう、お兄ちゃんって実は――」

「……」
 隣室からもれてくる外野の声に渋面になりつつ、彼は続ける。
「とにかく! 酒はくつろいで飲むのが一番なんだっ」
「やけくそですね……」
「そうだ、孝之。居酒屋で思い出したけど、この間飲み会で貸した金返せよ、五千円」
「うえ、やぶへび。俺明日ガソリン入れようと思ってたんだよな〜。最近高いだろハイオクは特に」
「どこかのぷーたろーじゃあるまいし、五千円くらいすぱっと払えよ、社会人!」
 支払いを迫る祐恭にしばらく唸っていた孝之がやがてひらめいたように口に出す。
「じゃあ勝負で決めようぜ。お前が勝ったら払う。俺が勝ったら月末まで待ってくれ」
「勝負? じゃんけんか何かか?」
「おいおい、こうして面子がそろってるんだから、俺らならもちろん……コレだろ?」
 孝之が手で示すジェスチャー。それは――
「麻雀……お前、好きだな〜」
「純也さんも山中センセも出来ますよね」
「たしなむ程度なら」
「ルールならわかりますけど」
「よっしゃ、なら決まりー。五分で準備するぜ」
 こうなると残りの三人はもはや苦笑を浮かべるしかない。
 だが、立ち上がった孝之の笑みの真の意味を理解したものはまだ誰もいなかった。
「……そうだよな、やっぱりオッズはでかい方が、ゲームも盛り上がるってもんだ」


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