2.猫も踊る狂想曲(ラプソディ)

 こたつの天板をひっくり返すと現れる緑の芝生。
 使い古されところどころ剥げかかっているそこにこれまた年季の入った雀牌が広げられる。
 物音に、絵里達もリビングに戻ってくる。
「なぁに? 彼女放っておいて麻雀なんてやる気?」
「うーん、成り行きというかなんと言うか」
 詩織は物珍しげに牌を見比べている。
「昭先生、麻雀出来るんですか?」
「学生時代、先輩に付き合わされて。四人打ちはその時以来かな」
「四人打ち以外の麻雀って?」
「あ、え、えと……それはほら」
「??」
 昭が答えに窮していると孝之がごろごろとキャスターを響かせて衣装ケースを運び込んでくる。
 それに一抱えあるダンボールを持った祐恭が続いてくる。
「おい、孝之。ホントにこれやんのか?」
「なんですか、それ?」
「う……」
 羽織の問いに今度は祐恭が言葉に詰まっていると、孝之が高らかに宣言する。
「それではこれより『コスプレ脱着麻雀』を開始しまーす!」
『ええええっ!?』
 抗議のどよめきをよそに、彼はさらに続ける。
「ルールは簡単だ。負けた奴がくじ引いて指定のコスに着替える。
 男がやっても気持ち悪いだけなんで、着替えるのは各人のパートナー。
 俺の場合は人がいないんで葉月が担当」
「ちょっ、ひど! 何よその言い草」
「それよりか、なんでこんなものがあるのかが疑問なんですけど……」
「そうそう、しーちゃんの言う通りよ! まさかお兄ちゃん、こういう趣味が」
「いや〜、まさか優人が昔置いていったこいつらが日の目を見るとはな」
「て事はあいつも罰ゲーム目当てでこれを? これだけの量をそのためだけに……ようやる」
 少なく見積もっても二十着以上はあるからクローゼットはすぐに満杯だろう。
 まさか孝之の部屋が日頃散らかって狭く感じたりするのは、こういう無用なものがあるからでは……。
「さすがに実際やろうとした時に、メンバーが全員引いたんで着る事はなかったんだが。
 女性陣が着るなら問題ないだろ? ま、百聞は一見にしかず。やってみれ」
 言うだけ言って、強引に麻雀を始めてしまう孝之。
 だが、意外にも羽織たちからはそれ以上の抗議の声は上がらない。すでに興味は衣装の方に向いているようだ。
「わ〜、結構いろいろあるんだ」
「すご、これ小道具もセットでついてるわよ」
「(やっぱり興味とかはあるんだな……)」
「おい、祐恭の番だぞ」
 楽しげな彼女を横目で見ていたら、孝之にせっつかれる。
 牌をツモって、端のいらないところを捨てる。と――
「はい、それ。当たり」
「うえ?」
 にやりと孝之。晒した手札には「中」と「東」の字牌が三つずつ。
「中、風牌の東。役牌二」
「お前、揃えただけで出来るセコい役を、初っ端から」
「油断大敵、ぼーっとしてるお前が悪い。ほれ、とっととくじを引け」
 即興で作られた紙くじの入った菓子皿をずいと突きつけられる。
「せ、せんせぇ……」
 困り顔の羽織に目で謝って一つ取り、広げる。
 中身は「5」と書かれた番号。
「5?」
「ハンガーとか袋に番号が書いてあるだろ」
「ええっと、ああこれだ……ね?」
 出てきたのはセーラー服だった。
「こ、これ着るの? わたし」
「ちっ、意外と普通だったな。羽織早く着替えてこいよ」
 怖い事を口走る孝之。妹とて容赦がない。
 彼女はうなだれたまま、簡易更衣室として仕切られた隣のダイニングに消える。
「うう……恥ずかしい」
 待つ事しばし。すごすごと出てきた羽織の姿はまさにセーラー服女子高生。
 ご丁寧にルーズソックスまで履いていて、普段と全く違う服装がとても新鮮に映った。
「ほぉ〜」
「先生、あんまり見ないでくださいぃ」
「恥ずかしがる事ないって。すごく似合ってるし」
「素直に喜べない〜」
 さすがに苦笑いしか返せない彼女に対し、これならセーラー服も悪くないと思った彼はやはり現金なのであろうか。

「リーチっと」
 第二ゲームは一転、祐恭が攻勢に出る。ぱしりと横に向けられた牌に自信がみなぎる。
「うう……」
 昭が悩んだ末に、一枚捨てる。
「通し」
「ふはぁ」
「祐恭くん、これも通して」
「……ダメっす。ロン」
 にっこり笑って、上がりを宣言。ルールは良く分からないが、負けた事に反応して絵里が声を荒げる。
「何やってんのよ、純也っ」
「メンタンピン……と裏ドラが二枚乗って、満貫だね」
「うは〜、裏乗るか。……えーと、11番」
「じゅう……」
「いち……」
 衣装を探していた詩織と葉月の手がぴたりと止まった。
「なに、どうしたのよ二人と……も」
 その理由は絵里にもすぐに分かった。ハンガーにかけられていたのは学園指定の紺色の水着。
「な、なななななんでこんな物があるのよっ」
「いやぁ、だって。こういうのは定番だろう?」
 視線を合わせないように孝之が呟いた。
「絵里、それはさすがに無理しなくてもいいぞ」
 普通は室内では着ない。二人っきりなら着る事もあるかも知れないが多分着ない。
 だがその場独特の空気が、なにか彼女を駆り立てた。
「……着るわ。着てやろうじゃないのよう!」
「え、絵里ぃ!?」
 果たして、彼女はスクール水着で再登場。
「どーよ、これで!」
「なんていうか、なぁ……」
「えーと」
 ぱちぱちぱち――
 彼女には満場一致で拍手が送られていた。惜しみない優しさが一層の涙を誘った。
「くうう……こうなったらみんな敵よ! 純也、徹底的にやっておしまいっ!」
「絵里、お前そんなキャラだったか?」
 さすがに室内、暖房ガンガンとはいえ、水着一枚ではあんまりなので、バスローブの着用を許可される絵里。
 ……まぁ、それはそれで、その格好はどうなのかという突っ込みは怖くて誰も出来なかったが。
 とにかく第三ゲーム。
 今度は互いに譲らず、孝之、純也、祐恭の三人がリーチでツモ勝負となる熱い戦い。
 それを制したのは彼女の思いの力か、純也だった。
「おし、ツモッた。リーヅモ三色〜」
「あれ? ツモ上がりの場合、誰が罰ゲームなんですか?」
「そういえば、決めてなかったな。んじゃ、上がった人が選べる事に」
 会心の勝利に気をよくしていた純也が途端に複雑な顔になる。
「うわ、また。そんな殺生な役を。あー、なら言いだしっぺの孝之くんが引いて」
「ほい。8番だぞ、葉月」
「あっさりと引くし……実際罰ゲームなのは私なのよ」
 着替えてきた葉月はチャイナドレスを身に着けていた。
 スレンダーなライン、スリットから覗く白い太もも、髪もアップにまとめられ、ぐっと大人びた印象になっていた。
「葉月、綺麗〜」
「やっぱりスタイルいいですよね、葉月さん」
「あはは、うん。やっぱり恥ずかしいね」
 小道具の羽つき扇子で照れた顔を隠す葉月。
「馬子にも……」
「たーくんは黙っているように」
「純也〜!」
「な、なに? 俺が悪いのか!?」
 完全に八つ当たりである。

 続く第四ゲームは、やはり初心者の感を否めない昭が孝之に狙い撃ちされて負け。
 盤上に頭を擦り付けて平謝りする彼。
「ご、ごめん。詩織ちゃん」
「大丈夫ですよ、先生。みんな着てますからわたしもちゃんとします」
 気丈にもそう言って衣装を手に着替えに行く詩織。
 そして、出てきた彼女の姿に一同が言葉を失っていた。
『……』
「えっと、これでいいんでしょうか?」
 それはいわゆるメイド服。だが、特筆すべきはそのオプション。
 ちりん。
 首のチョーカーに鈴。髪飾りに猫耳。お尻のリボンからは尻尾。
 誰からともなく呟きがもれた。
「ね、ネコミミメイド……」
「詩織」
「絵里ちゃん。これ何か変かな?」
 首をかしげ聞いてくる彼女の質問を無視して真剣に絵里が要求する。
「『にゃあ』って言ってみて」
「え?」
「いいから」
「……にゃあ」
『っっっっ!!』
 これがのけぞらざるにいられようか。
『か、かわい〜ぃ♪』
「え、え?」
 完全に目じりを下げっぱなしで、絵里達がかわるがわるにネコミミ詩織を抱きしめる。
「詩織っ、あんたこの後「にゃあ」以外禁止!」
「や〜、思わず撫で撫でしたくなるほど似合ってる〜」
「ね、ね。携帯で撮っておいていい?」
「に、にゃあ……」
 女の子たちは一様に大興奮だ。まるでアイドル扱い。
 男たちも多分彼女の目がなかったなら似たような事になっていた……かもしれない。
「えっと、後で僕にも画像データ、くれるかな」
 大っぴらに羽織に交渉していた昭が少しうらやまく思えた。

 一時間後、半荘東場が終わった。区切りのいい所で、休憩と相成る。
「うわあ、絵里がとてもこの先着るような事のない格好になってる……」
「くうう、屈辱だわ。こんな辱めを人前でっ」
「にゃあにゃあ」
「……もういいのよ。詩織ちゃん」
 彼女たちは次々と衣装を変えていった。その様子はさながら着せ替え人形。
 羽織はセーラー服、ファミレスのウエイトレスからナース服に。
 葉月はチャイナ、警察官と経て、今は体操服。
 詩織は全員たっての希望でネコ耳をつけたままシスターから巫女の格好。
 そして絵里が、水着の上にエプロンを付け、さらにバニーの耳と、尻尾。
「こうして並ばれると何かのイベント会場のようだな」
「……いやイベントでもここまでマニアックじゃないだろ」
 しみじみと語られ、絵里の怒りの炎が再燃する。
「誰のせいよ、誰の!」
「俺のせいじゃないだろっ。中途からお前がくじを引いてんだから」
「まぁまぁ、今から俺らが近くのコンビニに買出しに行ってきてやるから。それで機嫌直してくれい」
 勝手な事ばかり言って、男どもは出かけてしまう。すると困るのはそんな格好で取り残された方。
「どうしようか、着替えちゃう?」
「ねえ、そういえばこっちのダンボールの方はまだ開けられてないよね」
 言われれば、確かに手付かずの大きなダンボール箱が部屋の隅にあった。
「……今の内に、あんまりなコスチュームは外しておきましょ」
 絵里の意見に全員異存はなかった。ガムテープをはがし、中を見る。
「……」
「……これってば」
「ふっふ〜ん。これはこれは面白そうじゃないかしらぁ」
 その笑みは図らずも孝之の時のそれに非常に近いものになっていた。

「うー、さみさみ」
「とか何とか言って、また酒を買い込んでくるし。明日に残っても知らんぞ」
「どうしてコンビニのおでんって時々無性に食べたくなるだろうか」
「店によってダシの味が微妙に違うんですよね」
 祐恭たちが帰ってくるとリビングに人の姿はなかった。
「む。逃げたか?」
「でも、靴はありましたよ」
 耳をそばだてているとダイニングの方から話し声が漏れ聞こえてくる。
「なんだ、隣にいたのか」
 間仕切りからのぞいた彼らの目に一瞬、すごい光景が飛び込んできた。
 小さなテーブルを囲む――
「ナースと体操服とネコとウサギ……」
「わーい、ドンジャラ〜」
「葉月、強ぉ」
「誰よっ、あたしのドラちゃんを止めているのは〜」
「ごめん。私……」
「うぐっ。ドラへもん一色待ち……やるわね、詩織。伊達にネコミミついてないわね」
 いち早く我に返った純也が声をかける。
「な、何、やってんだ? お前ら」
「あ、お帰り〜」
「見てわかんない? ドンジャラよ」
「押入れの奥のほうにあったのを引っ張り出してきたんだよ」
「いや、それは見て分かるんだが。なぜ今ドンジャラ――」
 孝之はそこで何かに気が付いたようだ。絵里は喜色満面で彼らの見慣れたものを取り出す。
「さーて、勝ったのは葉月ちゃんだったよね。くじをどうぞ♪」
「え、それってまさか……」
「わーい、えーと、12番〜」
「負けたのは私だよね。ごめんなさい、先生」
 ぺろっと舌を出して頭を下げる羽織。だがその目はまったく悪びれておらず。
「それでは罰ゲーム執行といきましょうか、みなさん」
『はーいっ』
 立ち上がった彼女らのそれぞれの手にはハンガーやら袋やら。
「待て! 女装とかさせたら場が盛り下がる事請け合いだぞ、止めておけ」
「大丈夫よ。こっちのダンボールは男性用衣服だったから」
「男性用衣類? そんなものがあったなんて俺は知らんぞ」
「まぁまぁ、たーくん。着てみれば分かるって」
 じりじりと包囲網が迫ってくる。
「まさか、彼女にここまでさせておいて、今更言い逃れが聞くとは思ってないわよねぇぇ?」

 結局――
「コスプレするにしても、せめて人の格好にさせてくれ。
 なんで着ぐるみ……しかもブームが去ったレッサーパンダってどーよ!?」
「あははははっ。かわいーよ、たーくん。あはっ、あはははは!」
 孝之の格好がよほどツボにはまったらしく、身もだえして笑い転げる葉月。
「確かに、これなら性別は関係ないわな」
「何よ、愛想のないエリマキトカゲねぇ〜。本物はもう少し華があったわよ?」
「ほう、例えば?」
「こうやって、エリマキを広げて、バタバタと部屋中を駆け回る。とか」
「できるかぁ!」
 即答する純也に絵里は肩をすくめる。
「だらしないわね。山中先生を見習ったどう?」
 言われて、彼は床のすまきに目を向ける。
「……」
 もとい、アザラシの着ぐるみで転がっている昭だった。
「お、起きれない。誰か、助けて下さい……」
「大丈夫ですか。今、私が」
 詩織が加勢するが、如何せん男女の体格さ。彼の体は右に左に転がるばかり。
「あああうあ〜。目が、目がー」
「待ってくださいぃ」
 にぎやかに騒ぐ面々を横に祐恭は静かに立っていた。
「あ、先生は普通の犬なんですね。可愛いですよ、ふふっ」
 てっきり憎まれ口の一つでも言われるものだと思った羽織の言葉だったが、彼の返事は淡々としていた。
「……そう見えるなら、いい」
「?」
 多くは語らぬ祐恭。
 皆、自分の事で精一杯だから突っ込まれることがないのが救いだった。
 彼は気づいていた。この着ぐるみのカテゴリー。
 『昔、ブームを築いた動物の着ぐるみ』
 かかっていたハンガーの付箋にはこうあった。――人面犬
 『着ぐるみなんだから、人面なのは当然だろっ』
 これを考えたのは、おそらく優人だろう。が、なんてオチだ。恥ずかしくてとても言えない。
 こんなのが墓までもっていく秘密の一つになるんだろうなぁ。と彼は少し物悲しく思うのだった。


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