3.彼らに送る鎮魂歌
  
「ちいぃっ、このまま笑われっぱなしで済ますかよ! 野郎ども、ゲーム再開だ。 
 コスプレの真の恐ろしさを小娘どもに味あわせてくれる」 
「こっちもやるわよ! 女の子が大人しくされるがままでいると思ったら大間違いなんだから!!」 
 一度、ある一線――理性というタガが外れてしまった彼らはもう止まらない。 
 若者たちの迷走はやがて暴走へと狂っていく。 
 衣装が飛び交い、悲鳴がこだまする。パリコレでもこんな事にはならないだろう、いやならない確実に。 
 夜は更け、そして明け――東の空がゆっくりと白み始める頃、男たちはまだ戦い続けていた。 
「つ、ついに、ここまできたな。オーラスゲーム」 
「かれこれ五時間ぶっとおし……なんだかなー」 
「徹マンなんて、いつ以来かねぇ」 
「うう……差し込む光がまぶしい」 
 そこへ、先に根負けして隣の部屋で仮眠をとっていた羽織たちが入ってくる。 
「わ、先生たち、まだやってたんだ」 
「好きだねー、たーくん」 
「まぁ、止めるきっかけがなー。 
 だが、これがラストゲーム、くじも残り一つ。各パートナーも起きてきたんで、最後はきっちり衣装を着替えて締めてもらうからな」 
 彼女らが寝てしまった後は、ただの麻雀大会となっていたのだ。絵里が肩をすくめて頷いた。 
「はぁ、しょうがない。付き合ってあげますか」 
「でも、最後の衣装って……衣装ケースの中にはもうなにもありませんよ」 
「何? そんな馬鹿な。ダンボールの奥でも入ってるんじゃないか?」 
 言われて振ってみれば、なにやらがさごろという音。祐恭が箱ごとひっくり返してみる。 
 じゃらん。 
 鈍い音とともに目の前に現れたのは、鈍い光沢を放つ鉄の鎖と首輪。さらにそれにつながっている荒縄。 
『なあっ――!?』 
 寝ぼけ眼が一気に覚醒する。 
 男性陣はすぐにそれらの小道具の意味を察した。女性側では絵里だけが理解する。 
「え? 何、どゆ事??」 
 止せばいいのに、把握できない三人に耳打ちで説明をしてしまう。 
「っっっ!?」 
 伝言ゲームで、見事に赤面が伝播していった。 
「おいおい、さすがにこれはヤバイだろ。笑いを通り越して悪趣味だぞ」 
「くっくっくっ……面白いじゃないか。これこそまさにデッドオアアライブ。最後の勝負に相応しい展開だ」 
「あほかっ、俺はやらんぞ。彼女にそんな格好させられるか!」 
「おっと、いいのか? 敵前逃亡は不戦敗とみなし、無条件で貴様の負けにするぞ」 
「お前っ、妹を何だと思ってやがる」 
 二人の間に緊迫した空気が流れる。全身の血が沸騰し、頭を駆け巡る。 
「……真剣勝負に親兄弟も関係無ぇ。殺るか殺られるかの世界、踏み込んだからにはきっちりけじめはつけてもらうぜ」 
「後悔、するなよ」 
 そして、禁断のゲームが始まった。 
 
 牌を混ぜ、山が詰まれる。賽が振られ、各自に手札が配られる。 
「うっ」 
 祐恭が思わずうめきをもらす。――ものの見事にばらばらだった。 
 申し訳程度に一つが数続きで揃っているだけで他はてんでいただけない。これで勝ち目があろうはずは無い。 
「な、なあ……やっぱりこんな馬鹿げた事止め――!?」 
 にこやかに対戦相手に和平を申し込んだその表情が凍りつく。 
 
 純也の手。 
 大三元――役満。当たるとデカイ。 
 昭の手。 
 国士無双、十三面待ち――役満。当たるとやはりデカイ。 
 孝之の手。 
 四暗刻、単騎待ち――役満。当たるととてもデカイ。 
 
 三人の目は願ってもない大物手にらんらんと輝いていた。 
 無理だ……この状況で下手な和平案を口走ってみろ。 
 自らの劣勢をばらすような自殺行為だ。 
「(やむを得ん……この技だけは使いたくはなかったが)」 
 祐恭自身、学生時代に一度だけ使い、そのあまりの凶悪さに自ら封印した最終奥義。 
 その名も――必殺、ちゃぶ台返し。 
 読んで字のごとく、雀卓をひっくり返して、全てをなかった事にする、暴力的反則技。 
 牌をぶちまけた混乱に乗じて、人質の危険性があるため羽織を連れ、彼女の部屋に立てこもる。 
 すでに彼の頭にはそこまでの計画が出来上がっていた。 
 幸いテーブルは備え付けではない。彼の力なら十分返せる。 
 視線をめぐらし、退路を確認する。タイミングを図って――今だ! 
「俺ちょっと用を――あっと、手が引っかかったー」 
 立ち上がると見せかけ、渾身の力でテーブルを―― 
 だが、彼の思いとは裏腹にそれは微かに机を震わせただけで終わった。 
「なっ!?」 
「甘いな、祐恭……。お前の考えが読めない俺だと思ったか?」 
 右隣の孝之が静かに呟く。 
「例えそうだとしても、あの角度を一人で完璧に押さえ込むなど……まさかっ!?」 
 祐恭は愕然とした表情で、同僚の二人を見やる。 
 今まで仲間と、教職に携わる同士と、信じていた二人を。 
「すまない、祐恭くん」 
「……純也さん」 
 視線を合わせない、いや合わせられない純也が重い口を開く。 
「許してくれとは言わない。だが、俺には彼女を、絵里を護る義務がある」 
「純也……」 
「瀬尋先生……本当にすいません」 
「山中先生」 
 昭もまた頭を低くして祐恭を向いた。 
「それでも僕は詩織ちゃんが一番なんです。あなたにどんなそしりを受けようとも!」 
「昭さん」 
「それは誰もが同じ思いなはずだ……嫁入り前の女を、傷物にするわけにはいかねぇからな」 
「……たーくん」 
 誰もが孝之と同じ考えだった――ただ、大切な人を護りたいだけ―― 
 
 万事休す。これで祐恭は全ての手を失った。 
 力なく腰を下ろす彼の背に羽織がそっと身を寄せる。 
「先生、ありがとう。私なら大丈夫だから、どんな目にあってもきっと」 
「君だけを辛い目には合わせない。その時は俺も一緒に」 
「祐恭さん……」 
 その手が強く、強く握られる。 
「さぁ、祐恭! 牌を捨てな。俺が潔く引導を渡してやるぜ!!」 
「俺は最後まであきらめない!」 
 折れかけた心を奮い立たせ、祐恭は手札を前に知恵を絞る。 
 あの三人の感じからして、かなりの大物手が入ってるはずだ。下手したら役満一発だ。 
 となると字牌は捨てられない。一九端牌も危険だ。 
 なら相手が一番持っていなさそうなこの揃っている五萬を中抜きして切る! 
 パシーン。 
 叩きつけるように、捨てられた牌。部屋がしばし沈黙に包まれる。 
 ゆっくりと息を吐き、手牌が蛍光灯の光にさらされた。 
「……それだ。ロン、四暗刻単騎。役満だ」 
「!!」 
 その宣告は全てを終わらせ―― 
『なんだ? 早朝からにぎやかだな』 
『若いっていいわね〜。おばさんも混ぜてもらうかしら?』 
 世界をも凍り付かせていた。 
 
「そ、それじゃあ僕らはこの辺で!」 
「ちょっと、あたしまだ服着替えて!?」 
「借りている服はちゃんと後日クリーニングして返すから。皆さんまた来週学校で!」 
「僕らも行こうか、し、詩織ちゃん」 
「え、あ、その……さよなら。服お借りします」 
 純也たちはほとんど着の身着のままに、この状況から逃げ出した。 
「なら俺らも帰ろうか、羽織ちゃん」 
「祐恭くん、まさか飲酒運転に我が娘を同乗させるつもりかね?」 
「うぐ」 
 しまったぁ!? こんな事になるなら寒くても歩いて来るべきだった……。 
 最悪飲んでも、孝之の部屋に寝かせてもらえるなという甘い考えが、後の祭り。 
「さて、部屋を片付ける前に祐恭くん、それに孝之。隣の部屋でじっくり事の顛末を聞かせてもらおうかな」 
「あ、あああ」 
「ま、待て。親父! これは酒の席での無礼講というか勢いというか」 
「安心しろ、弁護の機会はくれてやる。ただ未成年者に酒を飲ませてどうこうするという明確な正論があるのならな」 
 見抜かれている……。雄介の圧倒的な存在感にもはや逃れるすべはない。 
「せんせぇ……」 
 羽織の心配げな声にも力なく苦笑を返しただけ。 
 絞首台にも続くグリーンベルトを歩むような気持ちで二人は彼の後に続いた。 
 見送る羽織と葉月の肩に雪江の手が添えられる。 
「さ、二人はこっちよ〜。いくら室内とはいえ、年頃の娘たちがなんて格好をしているのかしら〜?」 
「おかーさん?」 
「おばさまっ?」 
 口調だけはいつもと変わらない。だがその笑顔の目が笑っていない。 
「羽織の部屋でいいかしら〜。お母さん、じっくり話したいわ〜」 
『ああうあう〜』 
 
 その日の午後、たまらず絵里は羽織の携帯に電話をかけていた。 
「も……もしもし」 
「ごめん、羽織。その、大丈夫だった? なんだか押し付けて逃げちゃったようになったけど」 
「うん、気にしないで。誰が悪いって事でもなかったんたんだし。わざわざありがとう」 
 表面上はそう言うけれど、言葉の端々にこもる落ち着かなさが、絵里にはひっかかった。 
「今、表出れる? せめてものお詫びに駅前でなんか奢るから。葉月ちゃんも一緒に」 
「う。それがそのぅ……出るに出られないというか、出たくないというか」 
「! まさか外出禁止令とか出されたの? 全然大丈夫じゃないじゃない。今から詩織も呼んで、一緒に謝りに行くから!!」 
「あ、ちょっと絵里――」 
 親友に対し、罪悪感が一杯で、絵里はすぐに家を飛び出した。 
 十分後、絵里と詩織は瀬那家前で落ち合う。 
「ホントなの? 絵里ちゃん。外出禁止令って」 
「うん……とりあえず一生懸命謝って、それだけは取り消してもらわなくっちゃ」 
 多少の説教は覚悟の上で、呼び鈴を押す。 
「はい……」 
「羽織? 絵里だけど入れてくれる?」 
「やっぱり、来ちゃったんだ……詩織ちゃんも?」 
「うん。ごめんね」 
 扉の向こうで、思案した後、ほんの少しだけ開いた。 
「笑ったり……声を出したらダメだからね」 
「え?」 
 隙間から羽織の手が伸び、絵里と詩織を強引に中へと引っ張りこんで、すぐに門戸は固く閉じられる。 
『――っ!?』 
 忠告が功を奏したか、二人は何とか口を押さえるのに成功していた。 
 羽織の格好は、まだ白衣の天使、ナースだった。 
「うう〜、足元スースーするよー。おばさまー、体操着なんだからせめてジャージは許可してぇ。 
 はうっ!? 絵里ちゃんに詩織ちゃん、どうしてここに!?」 
 葉月は家なのに体操服。二人の姿に思わず物陰に身を隠す。 
「……ね? 出るに出られないでしょ」 
「ど、どうして――」 
「お母さんからのお仕置きなの。『そんな格好がお好きなら。今日一日ずっとそうしてらっしゃい♪』って……」 
「じゃあまさか?」 
 話し声に気づいたか、わざとらしく雄介がリビングから出てきて声をかける。 
「おぉい。レッサー孝之にドッグ祐恭くん。お茶が入ったそうだぞ」 
「だーっ、その呼び方はやめろよ! くそ、こういう時に限って優人の奴、つかまりゃしねぇ!! 
 あいつ次会ったらただじゃすまさねぇぞー!」 
「……ふふふ。今日って後何分で終わるのかなぁ」 
 二階の部屋から降りてきた着ぐるみが彼女たちには目もくれず通過していった。 
『っっっ!!』 
 その後すぐ、純也、昭を加えた一同は、雄介と雪江に延々と謝り続けたのだった。 
 
「どうかね、母さん。みんなも反省しているようだし」 
「しょうがないわね。今回だけは許してあげます。ただし、孝之は年内禁酒ね」 
「なっ、なんで俺だけ?」 
「あら、分からない? じゃあこれは何か分かるかしら」 
 雪江が取り出したのはビールの空き缶。ラベルに金で輝くプレミアムの文字。 
「ううっ、それは――」 
「お母さんとしては、一生禁酒してもらっても、一向に構わないんだけど〜」 
「謹んで年内禁酒令を承らせていただきます……」 
 完敗の孝之はそう言わざるを得ず。 
 今回の勝者――瀬那雄介、雪江夫妻。 
 やはりどこの家でも年長者が一番強いというお話。 
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