後悔先に立たず。
あの言葉は、本当だなー…なんて今になって実感。
あの日、あの時聞いた言葉。
あれのせいで、あれ以来彼と会うのが気まずくなっていた。
でも、彼が来る時間は巡ってくる。
どうすればいいか。
それを考えてみたんだけど……思いつく手段はたった1つ。
「澪ー。いい加減、隼人君に勉強教えて貰いなさいよー?」
「今日は風邪って言っておいて!」
階下から聞こえた母の声にドアを閉めたままの部屋から、声を出してみる。
とりあえず反論も無いようなので、今日もこのまま過ごす事にしよう。
そう。
単純で昔からある方法だけど、私はこういう措置を取った。
だって、あの日家に帰ってきてから気付いたんだもん。
くしくも、彼の一番聞きたくなかった言葉によって。
家に帰る途中泣きそうになって、それで疑問に思った。
『どうして、泣きたいんだろう』って。
そして、『どうして、彼のあの言葉がショックだったんだろう』って。
家に帰ってきて、階段を上がっていたその途中で、気付いたの。
『…ああ、私は彼の事を好きなんだ』って。
だから、彼の言葉がショックだったんだって……ね。
今日で、彼の授業って言うのかな。
それを受けなくなって、もう三週間が経つ。
最初の週は、風邪を理由に。
二週目である先週は、定期演奏会で忙しかったからと言うのが理由。
でも、それは本当の事だ。
先週は、本当にそれがあったから大変だったんだもん。
――…で。
先日の理由が、法事。
これまでずっと週に一度の約束だったんだけど、この前の火曜に彼が勉強を見ると電話してきてくれたのだ。
でも、ね。
折角のご好意だけど、今の私にとっては困る事この上ない。
というわけで、前回を丁重にお断りして迎えた、スケジュール通りの今日。
本日の理由は、無難に風邪にしておいた。
色々忙しかったから風邪を引いた、と言えば疑わないだろう。
…多分。
ころんっとベッドに横になると、自然に瞼が下りてくる。
もう、あと少しで後期の高校入試が始まる。
本当だったら、こんな風に家庭教師を遠ざけていていい時期じゃないのに。
…それは、分かってるよ?
でも、今八城さんの顔は見たくない。
彼の事を好きだって気付いちゃったから、余計に。
手の甲を瞼に当てていると、随分部屋が静かなのが分かった。
聞こえるのは、カチカチという時計の音だけ。
こう静かだと、眠たくなってくるよね。
「澪、ちょっといい?」
「…なーに?」
コンコンという控え目なノックの後、母がドア越しに声を掛けてきた。
寝転んだままで返事をすると、ドアが開く音。
…どうせ、勉強してるかどうか見に来たんでしょ。
お母さんが心配なのは分かるけど、でも――……
「っわぁ!!?」
「……ほー。随分元気な病人だな」
「や…ややや八城さん!?」
だるかった身体が、いきなりシャキっとなった。
でも、なんで!?
慌てて姿勢を直してドアに向き直ると、いかにも『怒ってます』と顔に書いてありそうな彼と、苦笑を浮かべている母の姿。
「ちょ…!お母さん!どういう事!?」
「あのねぇ、電話するまえに隼人君が家に来てくれたのよ。心配してくれてるんだからね?ありがたいと思いなさい!」
「そういう問題じゃないでしょ!!」
立ち上がって彼女に歩み寄ると、相変わらず苦笑を浮かべたままで小さく『ごめん』と呟いた。
いやいやいや。
謝るなら、しないで!!
だが、無情にもドアが閉められた。
――……八城さんの手によって。
「ありがたいと思えよ?」
「……ぅ…」
こ…恐い。
なんですか?この顔は。
恐い顔で見下ろされ、思わず何も言えなくなる。
どうしよう。
っていうか、どうしてこんな状況になっちゃってるわけ!?
詰め寄られて後ずさりしながら下がっていくと、ベッドに膝が当たった。
そのまま、かっくんっと座ってしまう。
「随分元気そうだな。え?っつーか、何。余裕?」
「…そ…そうじゃないです…けど」
「けど、何だ」
「……あの…風邪を……」
腕組みをされて見下ろされ、まるで叱られている子供の気分だ。
何もそんなに恐い顔しなくてもいいじゃないっ。
「この前は法事。今日は風邪。…てっきり、今日の理由は結婚式だと思ってたんだけどな」
「………」
「…何か言う事あるんじゃないのか?」
手繰り寄せた椅子に足を組んで座り、相変わらずこちらに向けているのは鋭い視線。
…言う事は、ある。
謝らなくちゃいけないのも、そうだけど……。
でも、それよりも何よりも先に口をついて出たのは、この状況になっている理由だった。
「…どうして来たんですか?」
ぽつりと呟くも、彼の表情は変わらない。
背もたれに身体を預けてから、こちらを真っ直ぐ見つめて口を開く。
「仕事だからな」
その言葉が、正直……悔しかった。
仕事だから、ココに来た。
…この仕事が、義務だから。
分かってる。
自分の考えている事は、エゴだって事。
でも、嘘でもいいから、私の事を案じてる言葉が欲しかった。
……心配して、会いに来てくれたと思ったのに。
彼から返ってきたのは、義務を示す言葉。
それが、やっぱりこの前のファミレスの事が事実なんだと改めて認識する材料になった。
「……もう、結構です」
彼の瞳から目を外した途端、そんな言葉が出た。
「…何?」
「もう、一人でも勉強出来ます。…部活終わったし」
ぎゅっと膝に置いた手を握ると、彼が小さくため息を漏らす。
でも、呆れられてもこれはもう決めた事。
……正直、もう彼と会いたくない。
「今、どういう時期か分かってるのか?もうすぐ受験なんだぞ?」
「分かってます。だから、もういいって言ってるんじゃないですか」
「……あのなぁ。お前、おかしいぞ?急になんだよ。え?俺が何かしたか?」
そっと顔を上げると、椅子から立ち上がってこちらに彼が歩いてきた。
目の前に来て、見下ろす彼。
その目は、色んな感情が見えた。
呆れていて、怒っていて……そして、私を非難するような目。
「…………私、八城さんの事嫌いです」
その目を見ていたら、ぽろっと出た。
途端に、彼の瞳が少し丸くなる。
だけどそれは一瞬の事で、すぐにいつもの彼へと戻っていった。
「…嫌いでも何でもいいけどな、別に」
ため息交じりの、その言葉。
………イヤだった。
その雰囲気が、いかにも『別にお前にどうこう言われようと関係無い』と言っているようだったから。
「でも、ここまで勉強見てきたんだ。もうすぐ受験で終わりだろ?そうすりゃ、俺とも会わなくて済む。
だから、我慢しろとは言わないが……まぁ、もう少し付き合えよ」
「……ヤダ」
「…あのなぁ。感情でどうこう言うなとは言わないが、もう少し真剣に考えろ。いいか?受験ってのはそんなに甘い物じゃねぇんだぞ?」
「分かってるもん。…だけど、八城さんはヤダ。だったら、他の人に頼む」
次第に、私も態度が彼につられていくのが分かる。
売り言葉に買い言葉、って言うのかな。
…だって、なんか悔しいんだもん。
中学生は、子供じゃないんだからね!
「……だから。俺がここまで教えてきたのにいきなり別のヤツに頼んだって、無駄だっつってんだろ!わかんねーヤツだな」
「分かってますよ!!でも、これ以上八城さんと居るのはヤなの!!」
「あーもー…!だから、ガキは困るんだよ!」
「ガ…ガキ!?酷い!!私、子供じゃないもん!」
「子供だろ!いつまでも我侭言ってんじゃねぇよ!!」
「我侭じゃない!人を好きか嫌いか判断するのは、我侭じゃないでしょ!」
「だから!そういう事じゃねぇっつってんだろ!!」
いつの間にか、私は立ち上がって彼と対峙していた。
お互い、言葉をやめない。
だってだって、彼に言いたい事は本当に山ほどあるんだから。
「大体なぁ、いちいちそうやって突っかかってくる所が、子供だっつーんだよ!」
その瞬間。
思わず、瞳が開いた。
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