「もー、何を言い出すのかと思ったら…。どうしたの?澪」
「あはは、ごめんね」
というわけで、席を変わって貰いました。
半分本当、半分嘘の『煙草の煙』を理由にして。
さっきまでとは位置が違い、ここだと本当にすぐそこに八城さんが座っている形。
だから……こっそり耳を立てれば、しっかりと言葉が拾えるだろうと思ったのだ。
盗み聞きなんて良くない事は、分かってる。
だけど、こんな風に家に来る時以外で彼を見かける事がこれまでなかったので、ついつい興味があるんですよ。
…気になる……でしょ?
少しの罪悪感を心の中で神様に謝って、そしてそして嘘をついてまで席を変わって貰った友人らにも謝ってから
ソファに軽くもたれる格好で、お隣の席へと集中をし始める。
すると、案の定すぐに声が聞こえてきた。
「でも、八城さん最近暇そうですね」
最初に聞こえたあっけらかんとした声に対して、八城さんが声色を変える。
「お前なぁ…俺が暇そうに見えるのか?」
「見えますよ。だってほら、バイトしてるんでしょ?まだ」
「あ、そうそう!俺も聞いたー。なんでも、家庭教師やってるって話ですけど」
どくん。
…家庭教師って……きっと、私の話だよね。
以前、一度聞いた事があるのだ。
ほら、私も彼らと同じように八城さんに暇なのかって聞いた事があったでしょ?
あの時に、続けて聞いてみたの。
『他にもバイトしてるんですか?』って。
そうしたら、『これ以外にやってる時間は無い』って言ってたんだよね。
………うわぁ。
まさかこんなにもナイスタイミングで、しかも自分に関する話が聞けるとは思わなかった。
これは、まさに神様がくれた絶好の機会ってヤツだわ。
「どんな子教えてるんすか?女子高生?」
「…お前、女子高生好きだな。なんだ?そういう趣味があるワケ?」
「まさか!でも、響きがいいじゃないですか。女子高生って」
「なんだそりゃ。それを言ったら、女子大生も一緒じゃねぇか」
「あはは。まぁ、そうなんすけどね」
そこに『女子中学生』って名前が出てこないのは、なんとも複雑な気分だ。
いや、まぁ、別に期待してたって言うわけじゃないんだけどね。
だって、自覚あるもん。
大学生と中学生なんて、ありえないって。
……って、あれ?
ちょっと待って。
…なんでそんな風に思うの?私。
それって、まるで――…
「でも、八城さんが教えてるのって中学生ですよね」
静かな低い声。
それが指しているのは、私だ。
だから、目の前に友人らが居るにもかかわらず、つい反応してしまった。
「お前良く知ってるなー。何?誰情報だ?」
「いや、祖父なんすけど…」
「あー!そうか。そっから来たかー」
「って、ちょっと待って下さいよ。八城さんが、中学生教えてんの!?」
事情を知っているらしい男の人に続いて声を上げた人は、少し驚いているようだった。
でも、家庭教師ってそういうものじゃないの?
中学生だろうと、小学生だろうと…別に驚く事じゃないと思うんだけど。
「…何だよ。いいだろ?別に。俺が誰教えようと」
「いや、そりゃそうっすけど…。でも、八城さんが……ねぇ。中学生を?へぇー」
「しつこいよ、お前は」
不思議に思ったんだけど、どうやら八城さんが教えてるって事に彼は驚いたようだ。
なんでだろ。
…中学生嫌いとか?
それとも、中学時代に嫌な思い出でもあるのかな。
テーブルに頬杖を付きながらそんな事を考えていると、思わず耳を疑う事になった。
「八城さん、手ぇ出してないんですか?」
まるでからかっているような、その声。
だけど、手を出す出さないって……やっぱり…そういう事だよね。
すると、少し怒ったように八城さんが返事を返した。
「お前さー、俺の事何だと思ってんの?聖人君子のごとき、八城サマを掴まえて」
「あっはっはーって笑えますね。へぇー、どの辺が聖人君子なんすか?表向きだけ?」
「表向きとか言うな」
「だって、そうでしょ?これまで、可愛い生徒達をどれだけその毒牙に掛けたんすか?」
あはは、と笑いながらのやり取り。
その中に八城さんの笑い声が無かったのだけが救われた。
…だけど、彼が否定しないと言う事は、これは事実なんだ。
これまで毒牙に掛けたって事は、八城さんがその子達に手を出したって事だよね?
そんな風に見えなかったのに。
……八城さん、そういう人だったわけ?
「ダメっすよー?未来ある中学生に手を出しちゃ」
「そうそう!可愛いからって、手ぇ出したらバチ当たりますって」
この店に入ったの、やっぱり間違いだったかな。
おかしそうに笑いながら話されるのは、どれも八城さんの事について。
だけど、私が聞きたかったような話じゃないものばかり。
…席、変わって欲しいなんて言うんじゃなかったな。
運ばれて来てから随分と経って崩れ始めてきたパフェを見ながら、深いため息が漏れた。
「ぶぁーか。決まってんだろ?中学生はダメ。っつーか、アウト」
一際大きく響いた声は、紛れも無く八城さん本人の物だった。
アウト。
…って、やっぱり……いわゆる『守備範囲外』って事だよね。
なんて思っていたら、その考えを確実なものにする言葉が続いた。
「大体、中学生なんてまだまだ小学生にケが生えたようなもんだろ?興味ねぇって」
「まぁそうっすけどねー」
「っていうか、お前らはそうだろーよ。じゃなきゃ、問題」
「問題以前に、興味無いっすよ。ンなお子様…」
お子様って言葉は、八城さんが言ったものじゃない。
それは、分かってる。
だけど、八城さん本人も中学生を否定する言葉を言った。
それは……間違いない。
「あれ?どこ行くんすか?」
「トイレだよ、トーイーレー。連れてかないからな」
「どーぞごゆっくり」
彼が立ち上がるのが分かると、自然に身体が動いた。
顔を見られないように、と俯いた顔も逆へ向く。
「…澪?食べないの?」
その声で顔を上げると、目の前の二人はとっくに食べ終わっていた。
彼女らの前に置かれていた皿は、今は片付けられて形も無い。
「……ごめん…。ちょっと…用事思い出した」
「用事?用事って、何の――…あ、ちょっ!澪!?」
ぽつりとそれだけ呟く事が出来た。
本当ならば、何も言わずに出て行ってしまいたい気分だったから、私にしては上出来だ。
隣においていた鞄とマフラー、そしてコートを掴んで店の入り口へと小走りで向かう。
その時大きく呼ばれた名前も、トイレに行っている彼には聞こえなかっただろう。
それが……神様の計らいだったんだ。
彼を家庭教師としての姿以外で見る事が出来た今日は、決して神様の計らいなんかじゃない。
運命の悪戯。
そう思わなくちゃ……今度の家庭教師の日、彼に向ける顔なんて無い。
飛び出すように店を後にして、店から遠ざかるようにそのまま暫く俯いて小走りに道を進んだ。
横断歩道を渡って、角を曲がって。
……それでようやく、歩幅とスピードが小さくなった。


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