「座らないの?」

 

まだ解凍しきれてないのか、いつもの顔に戻っても一言も喋ってない。

手を握って、「とりあえず落ち着こうよ」って言うと、雅都はまるで機械仕掛けのロボットのように人を呼び止め、個室を用意させた。

個室も綺麗に青一色に染め上げられていて、まるで海の底にいるようなイメージだった。

 

「……」

 

黙って私の隣りに腰を下ろした雅都。

「いつも」とはかけ離れた対応に、私もどうしていいか解らず、無言の時間だけが続いた。

 

「………」

 

ただ座っているだけの雅都の手に、自分の手を重ねる。

ぴくり、と動いた指先。

私が触れたことで反応してくれるのが嬉しくて、思わず顔がにやけた。

 

「……ね、……私、お客さんなんだけど…?」

「…ああ」

 

今日初めて聞いた彼の声。

けれど、強ばっていて、ほんの少し冷たい。

 

「…接客、してくれないの…?」

「……ああ」

「………雅都」

「ん?」

「こっち、向いて」

 

上の空で返事を二回された。

それが気にくわなかった。

そう思うと、段々腹が立ってきた。

「いつも」みたいに構ってくれなくても良いけど、今、構ってくれないのが、淋しかった。

 

「───ん? ……ん…」

 

両頬に両手を添えて、こちらに顔を向かせると無理矢理唇を合わせた。

いつも雅都が私にしてくれるキスを、自分なりに思い出しながら、ちゅ、ちゅ、と音を立てて彼の唇を舐めとっていく。

 

「は…、んっ」

 

雅都から、声が漏れた。

今度は、深く口付けるように舌を差し入れる。

 

「んぅ…」

 

びくり、と体を震わせた。

咥内を舐めるように舌を出し入れし、彼の舌を絡めながら唾液を吸っていく。

自分でもイヤらしいキスの仕方に戸惑ったが、高本さんの意気揚々と語ろうとした「小悪魔メイク」を思い出した。

 

そうだ、これは小悪魔メイク。

こうしてイヤらしいキスをしてるのは、このメイクのせいだ、と。

 

そう、自分に言い聞かせながら、私は雅都とのキスをやめようとはしなかった。

 

「───ん、…はぁ…」

 

数分ほど、唇を重ねてただろう。

私も途中からはキスに夢中になってしまったせいもあって、なにがどうなってこうなっているのか解らなかったが、私と雅都には珍しい体勢になっていた。

 

「……ご、ごめんなさい…!!」

 

うっとりとした表情を見せながらも、目だけが驚いたような顔をしている雅都を、私が見下ろしていた。

今までにない体勢に、自分でも驚きを隠せなかった。

とりあえず雅都の上から退いて、起き上がった彼の唇からうっすら残ってる口紅を拭い取った。

 

「……ま、雅都がいけないんだから…。なんにも言ってくれないし、構ってもくれないし…、それに、いつも以上に格好良いし…」

「……」

 

彼を直視できずに、膝の上に視線を落としながら言いたいことだけ並べると、なんだか拗ねてるような言葉の羅列になっていた。

いや、拗ねてることに違いはないのだが、それよりも雅都からの反応がないのがとても怖い。

 

「…私、課題残ってるし、雅都の仕事の邪魔したくないから、もう帰るね…?」

 

と、ハンドバックから携帯を取り出して、時間を確認した。

割と駅から近い場所にこのお店も位置しているし、今の時間帯なら雅都に迷惑かけなくても全然一人で帰れる。

携帯をハンドバックに入れてその場に立ち上がると、手首を掴まれた。

 

「ひゃっ…!」

「…ごめん」

 

掴まれた方を見ると、そこには神妙な顔して私を見上げる彼がいて、「いつも」の雅都の表情だった。

 

「……雅都?」

「…あの…」

「うん?」

「………俺も、帰る」

「え…?」

「一緒に帰ろう」

「ちょ、ちょっと、お仕事の最中なんじゃ…」

「稔がいる」

「で、でも、雅都…?」

「尋未一人で帰さない」

 

そう言って、雅都は私の言うことも聞かずに、店の外に連れだした。

 

「───ま、雅都、ねぇったら…!」

 

外に出ると、夜だけあって風はひんやりとしていた。

無言で私の腕を掴んだまま愛車のセリカに乗せた。

 

「きゃ」

 

助手席に放り込むように私を座らせると、ドアを閉め、運転席に回り込む。

車に乗り込んだ雅都は、すぐにキーを差し込んで暖房を入れた。

 

「……ね、どうしちゃったの…? 飲み過ぎ?」

「違う」

「でも、なんか雅都おかしいよ?」

「……そんなこと、ない」

「…嘘つきぃ…」

「嘘じゃないさ」

「………じゃぁ、キスして?」

 

助手席から少し身を乗り出して運転席にいる雅都を見つめる。

いつもなら「しょうがないなぁ」という笑顔でキスを落とすか、顔を真っ赤にして私の名前を呼ぶはずなのに、今日は「駄目」と一言呟いて顔を背けてしまった。

 

「…頼むから、煽らないでくれ…」

 

うっすらと滲んだ視界から、「参った」と自己申告してるような声を出した雅都が見える。

 

「え…?」

「…参った」

「なにが…?」

「………解らないの?」

 

窓から外を見るようにしていた雅都が、そう言ってこちらに振り返った。

真剣な瞳に射抜かれそうになりながら、しどろもどろで返事を返す。

 

「うん」

 

 

 

「尋未に参ってるんだよ────」

 

 

 

それが聞こえたと同時に雅都が覆い被さって、あっという間にシートを倒された。

普通に押し倒されてるような状況。

見上げると、熱っぽい瞳に浮かされてる雅都の顔があり、空いてる手は熱く、私の頬を撫でていた。

 

「…まさ、と…?」

「家に帰るまで我慢しようと思ったけど、…無理だよ、尋未…」

 

縋り付くような声で名前を呼ばれると、ただ降りてくる唇を受け入れることしか出来ない。

熱くなってる彼の手は確かに私を欲していたし、本人は優しく唇をなぞってるつもりだが、性急に咥内に入り込もうと蠢いた。

 

「…ん、っ、まさ、と…ぉ」

 

車の中。

運転席から体を乗り出し、私を抱こうとする姿は妖艶で、冷静に物事の判断を下していた雅都にとって場所も構わずこんなに性急に迫ってくるのは初めての事だった。

 

「んぅ…っ」

 

狭い室内で濃厚なキスをされると、すぐに体が火照った。

私も彼が欲しくなかったわけではない、濃厚なキスをしたがために体に火がついていた状態であるのは認めていたし、こういう体にしたのは目の前にいる雅都のせいだ、と思っていたからだ。

 

「……雅都、やめ…」

「…嫌だ」

「だ、…って…」

「…さっき、尋未が言ったよな? 俺が格好良いのが悪いって」

「う、ん…」

 

ゆっくりと、ボレロを脱がして、ワンピースの肩紐を滑り落としながら、雅都は切なげに眉を潜めて口を動かした。

 

「同じ言葉、そっくりそのまま返すよ。…すぐに欲情したよ。いきなり綺麗な大人の女みたいな、俺の知らない尋未の顔して。そんな尋未を誰にも見せたくなかった。黙ってればやり過ごせると思ったのに…、尋未のキスで吹っ飛んだ」

「……」

「俺を、こんなにも狂わしたのは、尋未のせいだ…!!」

 

脱がせようとしたその手を、忌々しげに車のドアに叩き付けた。

窓ガラスを狙わずに、しっかりとドアの方に叩き付けたから、ガラスは割れなかったが雅都の手は相当痛いと思う。

それを機に離れた私と雅都の体。

半分脱がされた服をボレロで隠すように胸元にかけた。

それから、まるで自分を責めるように両手を組んで唇を噛み締めてる雅都へ向き直る。

 

「…雅都…?」

「……駄目だ。…尋未は、こんな俺に近付いちゃいけない…」

「どうして?」

「触れてしまったら、もう止められない」

 

ふっと顔を上げた雅都の顔は、母親に捨てられそうになってる子供のような顔をしていた。

嫌われるのを怖がるような、自分の醜い部分をさらけ出したのが初めてで、どう対処して良いのか解らないような。

自分に戸惑ってる様子だった。

 

「……雅都、私平気だよ?」

「俺が平気じゃないよ、尋未を傷つけるなんて」

「傷なんてつかない。…私、雅都に抱かれたいもの」

 

ゆっくりと、運転席に体を移動させる。

このまま雅都の膝の上に乗ったら絶対に狭いのは解ってる、だから、見よう見まねで私もシートを後ろに倒した。

驚いてる雅都なんて完全無視して、ちょこん、と上に乗った。

 

「ね? 私が綺麗で、欲情しちゃった?」

「………ああ。尋未だけど、別人みたいに見えて、…尋未じゃない女に欲情した気がして、俺が許せなかった」

 

いつも言わない言葉を言ってしまうのも、やっぱり高本さんの小悪魔メイクのせいだ。

こんなに体が熱いのも。

 

「あのね、今日のメイク小悪魔メイクって言うんだって」

「……あ、ああ」

「なんかね、私も、いつもの私と違うみたい…」

「え…?」

「…うん。だからね? 割り切ってみよ?」

「…割り切る…?」

「そ。…私は私で、雅都は雅都だけど、…雅都はホストで、私はお客さん。今日一日、私は雅都を買ったの。だから、今日一日だけ違う自分で過ごそうよ」

「…違う自分…?」

「で、明日からはいつもの私たちに戻ってれば、浮気じゃないでしょ? 雅都が自分を責めることなんて、ないんだよ?」

「尋未…」

「……ね? イイコト、しよ」

 

自分がこんなにも大胆なことが出きる人間だなんて思わなかった。

息を飲む音が聞こえてきたが、そんなことお構いなしに彼の首筋に唇を落とす。いつも彼が私にやってくれること。

それからボタンを外しながら程良く筋肉がついた胸板をさすってやる。

ぴくん、と体が反応して、気持ちよさそうな吐息が聞こえた。

 

「……気持ち、…良いの…?」

 

ちゅ、ちゅ、と露わになった胸にキスを落としていくと、まだ踏ん切りのつかない雅都が苦しげに吐息をもらす。

こんなんじゃ足りない。

乱れるなら、とことんまで乱れさせたかった。

 

「…尋未…、ま、……待って…」

「いや。待ちたくない」

「で、も…」

「雅都らしくないよ? ……それとも、……気持ち良くない…?」

 

一度体を起こして、雅都を見下ろす形で瞳を覗き込むと、否定の色は示さなかった。

むしろ、肯定ともとれる瞳の揺らぎ方に嬉しくなる。

 

「…それとも、もう、入れたいの…?」

 

自然に唇の端が上がった。

ああ、きっと今すごく意地悪な顔してるんだろうな、と、冷静な自分が声をかけてきた。

 

「…尋、未…」

 

切なく呻く雅都に、体がもっと熱くなった。

 

「なぁに?」

 

極力、いつもの「尋未」が言うような声音で返事をして、ベルトに手を掛ける。

 

「ちょ、待て…って…」

「待たないって、言ったでしょ?」

 

私の下で自己主張している雅都自身に手を触れると、大きく体が弓なる。

 

「…えへ、可愛い…」

 

うっとりしながら雅都の気持ち良い顔を見つめると、雅都が全身の力を振り絞ったのか、体を起こしてそのまま私を抱きしめた。

 

「ひろみ…」

「……雅都…?」

「尋未…」

「………なーに?」

 

たまらなく淫らにスーツを着崩してる雅都を見上げると、ごしごし、と唇をYシャツで拭われた。

 

「ん、んんーっ…ぷはぁ…っ。…あ、Yシャツ汚れちゃったよ…!?」

「…良いんだ…」

「良くないよ!メイドさん達大変なんだよ? あーもー…、私が高本さんになにか言われるのにぃ…」

「…………そうか、そのメイク、高本がしたのか」

「ふぇ? うん、そうだけど?」

「……ほぉ…」

「なにか、まずいの…?」

「いーや。別に」

「ちょ、ちょっと、痛い、痛いってばー! Yシャツで顔擦らないでー!」

「尋未、我慢」

「え、や、…せっか、く、高本さ、が、…してくれた、メイク…」

「尋未には、まだ必要ない」

 

ぴしゃりと、言い切られてしまい、大人しくなる。

メイクが大分落ちたからなのか、Yシャツで擦られて、相当酷い顔にはなってるが、さっきまで私を取り巻いていたあの妖艶な空気は消えていた。

 

「………酷い顔してるから、見ないで」

「なにが?」

「なにが、じゃなくて、雅都がYシャツなんかで擦ったりするから、見れたもんじゃないの!!」

「そうかそうか。それじゃぁ早く家に帰らないとな」

「……なんか、ご機嫌だね…」

「尋未は不機嫌だな」

「…別にっ」

 

気付けばいつもの関係に戻っていて、やっぱり私は雅都に意地悪されながら、帰路に着いた。

雅都のセリカに乗せてもらって、運転席で上機嫌な雅都と、メイクをぼろぼろにされて不機嫌な私。

その日の夜は、嫌だ、っていうのに、車の中の復讐なのか、無理矢理一緒にお風呂に入れられて、気絶するまでやられました。

 

後日。

 

高本さんは、こってり雅都に叱られたそうです。

理由は誰も教えてくれなかったけど、それって、高本さんのご先祖様が魔術師だったことと関わりでもあるんだろうか…?

そんなことを考えながら、高本さんは「小悪魔メイク」の使用を禁止されたようです。

 

 

やっぱり強弱関係は変わらない方が良いってことなのかな。



戻る  トップへ