別れが嫌ならば、最初から出会わなければいい。
…そう簡単に思い、実行する事が出来たなら――……どれだけラクだっただろう。
「……あと二日」
カレンダーなんて見るまでも無く、頭にへばりついて取れない日付。
曜日の感覚はしっかりしているが、この一ヶ月はそれが更に酷かったような気がする。
…一日は、どう頑張っても分け隔てなく万人に同じ時間。
だからこそ、どんな時間の使い方をしている人間でも、一ヶ月は同じ一ヶ月。
その中身が悦び溢れる毎日だろうと、苦汁と後悔で満ちている毎日だろうと。
…平等なんて言葉が、本当は一番不平等じゃないんじゃないか。
ふと夕食の支度をしながら手が止まり、視線が落ちた。
「…何かあったの?」
「……あれ?」
「あれ、じゃないわよ。…ったく。何回ぴんぽん鳴らしたと思ってんの?」
聞きなれた声の方向を見ると、そこにはやっぱり見慣れた人物が呆れたような顔をして立っていた。
時計を見ると、確かにもうそんな時間。
…どうやら、ちょっとした考え事が尾を引きまくってあらゆる事に影響を及ぼしていたらしい。
「いや、悪い。…ちょっと、考え事」
「…考え事ぉ?」
「……何だよ」
「別に。……ただ、珍しいなって思って」
眉を寄せて絵里を見ると、普段と違って……何やら少しだけ心配そうな顔を見せた。
…あー。
まさかコイツにこんな顔をされると思わなかったからこそ、ほんの少しの罪悪感が生まれる。
「別に何でもねーよ。今夜の夕飯はどーするかなーって事」
「…考え事じゃないじゃない」
「考え事だろ」
「……ったく。心配させないでよね」
「…ほー。心配してくれたのか?」
「そう言うでしょ?売り言葉に買い言葉、みたいな感じで」
「………あっそ」
聞きなれていない、言葉。
そして、出来る事なら――…あまり、見たくない顔。
…今だけの優しさが欲しいワケじゃない。
だったら、どんなモノも最初から分け与えないでくれた方がマシだ。
「飯、もうちょっと待てよ」
「んー、分かった」
寝室へ向かった絵里の背に声を掛けながら、包丁を再び動かす。
「…ねぇー。純也ー」
「あー?」
遠くから聞こえてきた声に、こちらも声だけを返す。
…どうせ、あの服が無いだのハンガーはどこにあるだの言うんだろ。
毎日毎日言われてれば、次の言葉くらい予想できる。
「一緒にお風呂入んない?」
がちゃがっちゃん!
「な……なっ…!はぁ!?」
「何よー、そんな動揺して。…あ。ちょっと、お皿割らなかったでしょうね」
「ばっ…馬鹿かお前は!!」
「馬鹿じゃないわよ、失礼な!」
包丁ごとまな板をシンクへ落とし、派手に色んな物が音を立てた。
…な……何を言うかと思いきや。
っつーか、しかもなんか笑ってるし!
「ばっ…かやろ…!!とっとと入って来い!」
「はいはーい」
くすくす笑いながら浴室へ向かった絵里を思い切り睨んでやってから、改めて大きなため息をつく。
…馬鹿だ。
しっかりと『嘘』だと分かっているのに、反応してしまった自分が。
「……ったく…」
赤くなった頬をぺちぺちと軽く叩いて気合を入れ直し、あちこちに散らばった野菜を拾う。
危うく手を切る所だった包丁も、当然。
「……………馬鹿か」
ため息をついて呟いた言葉は、誰に宛てたものでもなく、当然自分へのもの。
…何を血迷ってるんだよ。
アイツにとって、俺は何でもないただの幼馴染なのに。
恋愛感情より、まるで姉弟みたいなそんな間柄なのに。
……期待したって、無理なんだぞ。
カチカチと針の音が小さく聞こえる時計を見ながら、瞳が閉じた。
…あと、二日。
二日後の明後日には、全てが終わる。
色んなカタが、つく。
「……………」
そう思うと、また独りでにため息が漏れた。
「おおー。美味しそーう」
テーブルに皿を並べ終えると同時に、タイミング良く絵里が椅子へ座った。
シャワーを浴びた直後のお陰か、ほんのりと頬が色づいている。
…ついでに、やけに甘いシャンプーの匂いも鼻につくワケで。
「…………」
「ん?」
「…別に」
自然と胸元へ向かった目線を無理矢理に明後日の方向へ向け、ビールの缶を2つ持ってから席へ戻る。
すると、絵里がプルタブを起こして俺に渡した。
「…珍しいな」
「まぁ、タマにはね」
「そりゃどーも」
互いに缶を手にして、当然の如く軽く持ち上げる。
「乾杯」
グラスのようにイイ音はしないが、それでも、これはこれで味があると思えるから不思議だ。
…飲む相手が、コイツだから。
だから、そんな風に思えるのかもしれない。
「頂きまーす」
「おー」
相変わらず、コイツは俺の飯を美味そうに食うと思う。
それは、この部屋で初めて料理を出した時も思った事だが、今も、そしてこれからも――…きっと変わりはしないんだろう。
…一ヶ月経った、んだな。
見てるこっちが気持ちいい位の食べっぷりを見せる絵里を眺めたまま、ふと箸が止まる。
これからは、ここで、違う男と飯を食うんだろ?
お前が料理をするなんて思えないが、だとしたら……ヨソの男が作るモノを美味そうに食べるんだろうな。
…俺の時と、何1つ変わらない顔で、声で、そいつにも言うんだろう。
『美味しい』と。
「…純也?」
「……あ…?ああ、何だ?」
「それはこっちの台詞。…どうしたの?どっか具合悪いの?」
「…別に。俺が出てった後、飯はどーすんのかと思って」
まばたきを見せた絵里にわざと肩をすくめて見せてから、視線を皿へ落とす。
…何してんだよ。
情けなくも、明後日と言う日が近づくに連れて、ガラにもなく独り物思いにふける時間ばかりが増えていた。
その度に、絵里は『どうしたの?』と言い、その回数が増せば増すほど……僅かながらに心配そうな顔を見せる。
その色が、今ではかなり濃くなってきた。
……バレるのも時間の問題、かもな。
サラダをつまみながら、自嘲気味な笑いが漏れる。
「食事の心配なら、ご無用」
「…ほー?」
「だって私、これでも料理出来るもん」
「……へぇ?『一人じゃ何にも出来ないもん』のクセして?」
「うるさい!私は、出来ないんじゃなくて、やらないだけなの!」
にや、と笑って頬杖を付くと、心外とばかりに眉を寄せた絵里が、カチャンと音を立ててフォークを皿に置いた。
…かと思いきや、途端に悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「…何なら、今度作ってあげようか?」
「いーや、結構。遠慮しとく」
「ちょっ…!?何でよ!食べなさいよ!!」
「いらん。ぜってー、腹壊すからやめとく」
「何ぃ!?」
茶碗へ視線を落として飯を食い、ふん、と鼻で笑ってやる。
暫く経ってから絵里を見ると、相変わらず不満そうにぶちぶちと文句を言っていた。
……面白いヤツ。
思わず吹き出しそうになりながらも、敢えて我慢。
我慢はするが――……何とも形容しがたい気持ちが大きくなった。
こんなやり取りが出来るのも、あと、僅か。
「……………」
こんな思いするなら、やっぱり最初に断っておいた方が良かったんじゃないのか?
誰に言うでも言われるでもなく続く、自問自答。
……くそったれ。
ぎゅっと箸を握ったまま、鈍く奥歯が軋んだ。
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