「すごいねぇ〜。もう就職の内々定もらったんだぁ」
「へへへん。…ま、一応それなりの努力はしたもんねっ」
「じゃあ、あとは単位とって無事卒業するだけだね」

夏も終わり、秋の気配を感じるようになったある日。
私は久しぶりに高校時代の友人二人と会って、お茶しながらいろいろと近況報告などを話し合っていた。
私は短大だったけど、二人は4大だから来年卒業かぁ。
話を聞いていると、就職活動って結構大変そうなんだよね。
私は今父の許で助手として働いているっていうか…まぁ修行しているようなもんだけど。
だから…そーゆーことしなかったからなぁ。
恵まれているっていえばそうなのかも…。
二人の会話を聞いていて、そう思った。

「それなのよ…。単位はともかくとしてねぇ…」
「何?何か問題アリ?」
「卒論がねぇ…」
「へー、もう論文のこと考えているんだぁ」
「今から準備しておけば、4年生は遊べるワケでしょ?…なんだけど、やっかいなテーマ選んじゃったかなって…。ちょっと後悔」
「どんなテーマ?」
「えー『平安末期における武士の台頭について』。ほら、資料も多そうだし」
「…わー、すごいテーマだねぇ」
目を丸くする私たちに、彼女は手を振って苦笑いを浮かべながらこう言った。
「あー、大したことないのよ。ぶっちゃけ源氏と平家のことがテーマだから」
「それでもすごいよ。私そーいうのよく分かんないもん」
「私、歴史物結構好きだからね。だからこの題材を選んだんだけど…。色々資料調べているうちに、別の方に目がいっちゃってさー。肝心の論文が全然進まないのよ」
「何よ、別の方って」
「鎌倉幕府開いた頼朝の娘の話なんだけどねー。これがロミオとジュリエットも真っ青なほどのかわいそーなお話でさー」
「…ていうことは悲恋話?」
ふむ。
あの“いいくにつくろー鎌倉幕府”の源頼朝ですか。
そんな時代の日本にもそういうお話…しかも実話があったのねぇ。
ちょっと興味深々。
私はもう一人の友人と、話の先を促すように彼女を見つめた。
「そうだねー。えっとおおまかに話すと…」
彼女は話を整理するためか、しばらく沈黙していたけどやがて口を開いた。
「頼朝の娘に許婚がいたのね。ところがその許婚の父親が頼朝に殺されちゃって、そんで『父親を殺したことを恨みに思って、いずれ自分へ復讐するに違いない』と思った頼朝は彼のもとへ追手を差し向けて殺しちゃうわけ」
「ムスメの彼氏を?」
「そ。んでそのことを知った娘は親を恨んで、そして許婚を慕うあまりにその出来事以降抜け殻のようになって、しかも病気がちになってしまって。…結局20歳くらいの若さで死んじゃうの」
「20歳でって…、いまのウチらと同じくらいじゃない。うわー頼朝って酷い人だったんだ。さいってーな父親!」
あちゃー、彼女自分のことのようにすんごく憤慨しているよ。
…でも、確かに酷い話だよねー。
「…でも頼朝夫婦もそんな状態の娘をただ見ていただけじゃないんだけどね。彼女が死ぬ直前には帝への輿入れも考えられていたそうだから。せめて女として、帝の后という最高の栄誉を与えてやろうってね」
最高の栄誉…かぁ。
でも帝だろうと大臣だろうと、好きな人の傍にいられないことには変わりないじゃない。
そんなの、ちっとも幸せじゃない。
…あ、そーいえば。
「…ね、その許婚っていくつくらいだったの?」
私は友人に尋ねてみた。
「んー?たしか、鎌倉に来たのがかぞえで11歳くらい?二人が一緒にいたのは…一年ほどだから、12歳で殺されたわけね」
そこまで聞いて、もう一人の友人が驚いたように身を乗り出してきた。
「は!?…じゃあ、頼朝の娘ってその時いくつ!?」
「えっと…。諸説あるけど…、出逢った時が6歳でー。彼を喪ったのは…7歳くらいっていわれてる」
「えー。じゃあ死んじゃうまで数年間ずっと、その人のことだけを想い続けていたワケ〜?そんなことあるかなぁ。大体、7歳なんてまだまだコドモじゃない?許婚を慕い続けていたっていうよりか…どっちかというと、父親がそんな酷いことしたショックの方が大きかったんじゃないのー?」
何気なく言ったんだろうけど、彼女のその言葉に、私の心の奥にあった何かが反応した。

コドモ?
…子供だから、好きだというその気持ちはいつまでも持っているわけがないってこと…なのかな。
でもね。
ずっと、ずっと小さい頃から慕い続けた人がいる気持ち、私は良く分かるよ。
だってさ―――。

「もぅ、そんな気分ブチ壊すようなこと言わないの。いいじゃない、たとえ7歳であろうと人を好きになる気持は大人と変わらないと思うよ?」
そう、私は知っているから―――。
「わー、優菜ったらかっこいいこと言っちゃってぇ。でも7歳だよ?しかもかぞえ歳ならもっと幼かったわけでしょ?好きっていうよりは…お兄さんっていう感じでいたんじゃないの?相手の年齢からいっても、許婚同士っていうより…おままごとごっこやっているみたいな二人だったんだろうし」
「…そうだけど…」 もっともな反論を受けて、ちょっと私は口ごもった。
確かに年齢的にはそういう関係だったんだろうと思う。
…でも―――。
「まぁまぁ。もう何百年と昔の話なんだし、当の二人が実際はお互いをどう想っていたのかなんて分かんないけどさ。でもずっと一人の人を想い続けていくって一途さがいいなぁと私は思っているから」
頼朝の娘の悲恋話をしてくれた友人が、なだめるようにそう言ってコーヒーカップを傾けた。
「ま、そうだね。歴史上の人物なんて人それぞれ解釈が異なって当たり前だしね」
「そういうわけで今この二人にはまっちゃってて、その資料ばっかり集めてて、論文そのものがちっとも進まないから悩んでいる最中なの」
「就活中の私にはうらやましい悩みだよー」
「あはは。大丈夫、きっとその内決まるって」
「その内っていつよー」
二人の言い合いを聞きながら、私はまださっきのことを考えていた。

子供だから…人を本気で好きになることが有り得ないなんて、そんなことない。
だって…現に私が―――。

「ちょっと、優菜!」
「はい!?」
「何考え込んでるの。人の話聞いてる!?」
「…あー」
あははは…とごまかすように笑ってみせたけど…、冷たい視線が突き刺さるわー。
「もー。優菜ってば相変わらずコンパの話も乗ってこないし、彼氏つくろうって気ないの?」
「えー。優菜、まだ彼氏いないの!?」
「べ、別にいいじゃない」
もー、いつの間にそういう話に変わっているんだろ。
そんなに長いこと、一人の世界に入り込んでいたのかしら…。
実感ないんだけどね。
あわててすでに氷があらかた溶けたアイスティーを吸い上げた…けど、ごまかせなかったみたい。
「優菜ってばさ、きれーなんだからその気になれば彼氏の一人や二人くらいつくれるはずなのにぃ…。ひょっとして…高校の時に付き合った例の彼が忘れられないとか?」
「つ、付き合ったって…。ほんのちょっとだよ。…それにどっかで会ってももう彼だって分かんない、多分」
「薄情モノー」
そう言われながらこづかれたけど、だって本当のことだもの。
たしかに高校時代、告白されてちょこっとだけ付き合ったような人はいたし…キスされそうになったこともあった。
けど、いざとなったらどーしても彼とキスすることを受け入れられなくって。
…結局それ以来気まずくなって、自然消滅みたいな形になったわけだし。
しかも高校卒業してから一度も会ったことないし。
…やっぱりダメだな、私。
あの人のことが忘れられない限り、彼氏なんてできないような気がしてきた。

―――ずっと、ずっと、好きだったあの人―――。

…でも悲しいことに彼は私を受け入れてはくれず、私の気持ちを置き去りにしたまま、遠い異国の地へ行ってしまった。
それでも…彼のことを忘れられない私は、よっぽど未練がましい女なのかなぁ。
「今の私はもっと夢中になっているものがあるから、いーんだもーん」
ちょっと悲しくなってしまった気分を振り払うかのように、明るく言ってみせた。
本当のことだしね。
「優菜ってば、もしかしてファザコン!?」
「はぁっ!?…なっ…なにそれっ!?」
急に投げかけられた言葉に戸惑ってしまった。
確かに今夢中になっていることって、父親に大いに関連していることだけどさ…。
でもでも“ファザコン”はないんじゃない、“ファザコン”はっ!!
そんな私をよそに、二人は勝手に盛り上がってくれちゃって。
「あはは…。冗談だってば。だけど優菜ってお父さんっ子って感じがするからさー」
「あーそうかもー。もしかして『お父さんみたいな人じゃないとイヤだ』とか思っているんじゃないのー」
うりうりとまたつつかれ、私は顔をぶんぶんと激しく振った。
有り得ない!ずぇったぃに有り得ない!
だってだって、私がずっと好きだった彼は全然父に似てないもんっ!
というより、あんな男滅多にいないと思うし。
不器用で、怖くて、ぶっきらぼうで…。
でも思いがけない時に優しくて、ヴァイオリンが凄く上手くて…。

―――そんなふうに考えていたら、本当に涙が出そうになってきた。

結局、散々友人二人に弄られて(でもあーいうふうに話せたの久しぶりだったから楽しかったけどね)私は家へ帰った。
あーお父さん、撮影旅行で今日は帰ってこないんだっけ。
お母さんも遅くなるっていってたし…。
むー…。
一人っ子のくせして、私結構独りぽっちってダメなんだよねー。
何でだろ?
取りあえず、部屋へ入ってバックを置いて…あ、音ないと寂しいからテレビでもつけよっと。
―――と、その時何かがポトっと机から落ちた。
…?何だろ。
何気なく、ふと足元に転がったそれに目をやると…一瞬心臓が大きく鼓動したような気がした。

“SO SERIZAWA”

はじっこに黒いマジックでかかれた文字―――。
手に入れた時からすでにちょっと汚れてはいたけれど、それに加えてほこりをかぶって本当に汚くなっている、それ。
…忘れもしない。
小学三年生――確か9歳の時、私がもらった“彼”のはちまきだ。
大好きな人が身につけていたものだから、どうしても欲しくてやっと手に入れたもの―――。
懐かしい思い出と同時に、あの時の痛みが甦ったような気がして、私は思わずヒザを抑えて座り込んだ。
「そぉ……」
久しぶりに―――本当に久しぶりに、彼の名前を呼んでみる。
―――でもそれに応える人は、もう…ここにはいない。
もう…二度と逢うこともない。
気づいたら涙が頬に溢れてきていて、私は顔を覆った…。


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