痛い。 
もんのすごーくひざが痛い。 
転んだ時はひじの方がすこしすりむいて血が出ているようだったけど、実はひざの怪我の方がひどかったみたい。 
見ると走れなくなっちゃうような気がして、あえて下を見ていないから怪我の様子は分からないけど。 
…なんか、流れているような感じがする。 
これって…血、かなぁ。やっぱり。 
足を動かすごとにズキン、って痛みが増してくるような気もする。 
ううん、気がするんじゃなくって本当に痛みがひどくなってきている。 
 
「痛いよぉ…」 
 
我慢できなくなって、声を出した。 
でも足は止めない。 
絶対、“かんそー”してやるんだから。 
そして、彼のはちまきをもらうんだから。 
…だけど痛い…。 
今気づいたけど、私泣いているんだ…。 
 
涙と汗でかなりひどい顔をしていたと思う。 
おまけに、ひざからは流血していたんだから。 
やっと学校のグラウンドへ戻ってきた時、走り終えて戻ってきた子たちはみんなぎょっとしてそんな様子の私を見ていたらしい。 
でもそんな周りの様子なんか、その時は全然目に入らなかった。 
私が探していたのは、ただ一人―――彼だけだったから。 
 
綜、どこにいるんだろう…。 
ねぇ、見てる? 
私、ちゃんと最後まで走ったよ。 
だから…約束守ってよ。 
嘘ついたら絶対許さないんだから! 
 
「佐伯!!」 
横から声が聞こえた。 
と同時に腕をつかまれた。 
「佐伯!走るの止めろ。お前ひどい怪我してるじゃないか!!」 
…ああ、杉浦君か…。 
心配してくれて、ありがとう。 
…でも私、最後まで走るから。 
走らなきゃいけないの。 
―――だって、約束したから。 
「佐伯っ!」 
あくまでも足を止めようとしない私を、無理矢理彼が引っ張ってトラックから連れ去ろうとした。 
「やだっ!」 
後でごめんねって彼に謝ったけど、その時はゴールすること以外頭にはなかったから。 
だから、その手を力いっぱい払いのけた。 
「!!」 
「ちゃんとゴールするのっ。だって…約束したから…っ」 
涙声でそう杉浦君に言い放って、私は痛む足を動かした。 
 
「優菜!!」 
 
…綜!?…じゃないや。 
はちまきの色が違う…。 
あれは…宗ちゃんだ。 
なんかすごい必死って顔して首を振ってる。 
もう走るなってことかな? 
でも…ごめんね、大丈夫だから。 
――ああ、ゴールまでもうちょっとだ。 
…綜は?綜はどこにいるの。 
宗ちゃんがいるんだから、もう戻ってきていると思うのに…。 
涙と汗で顔がべたべたで、前がよく見えないや。 
 
――綜…見ていてくれているのかなぁ。 
 
よろよろと走り…というより、もう半ば歩いている状態でゴールと思しき白いラインを抜け、私は顔をぐしぐしっと拭って…そして気が抜けたのかよろけた。 
と―――。 
そのまま、地面に座り込むはずの身体がふわりと浮いていた。 
 
「なにやってんだ、お前は」 
「綜!?」 
 
頭の上から聞こえてきたその声にびっくりした。 
綜…ゴールのとこにいてくれたんだ。 
一番会いたかった人に会えて、もう涙が止まらなかった。
「そ…ぉ…」 
「んな怪我で走ってくるバカがいるかよ。お前、みんなの注目の的だったぞ」 
「ふぇ…。痛い〜、いにゃいーっ…!」 
安心したら、ちょっとの間忘れていたひざの痛みがまた甦ってきた。 
「暴れんじゃねぇよ、血がつくだろーが」 
彼は相変わらず憎まれ口をたたいていたけど、私はそれすらも嬉しくて、そして痛くて、ただひたすら泣きじゃくっていた。 
綜に、お姫様抱っこされながら…。 
 
「い、痛いー!しみるよ〜〜!!」 
「我慢しろ、これくらい」 
「だってだって…!うぎゃぁ!」 
あの後、綜はグラウンドの端っこに設けられた救護所へ私を運んでくれた。 
けど、何だか怪我人がすごく多くて、保険の先生もとっても忙しそうですぐに私の手当をしてもらえそうにないと判断したのか、彼はそのまま保健室へ連れて行ってくれた。 
で、泥や血を洗ってもらって…今消毒液で消毒してもらっているんだけど―――。 
「〜〜〜〜っ!綜っ…もっと優しくやってよぉ…!」 
「がたがた言うな。手当してやってるだけでもありがたいと思え」 
綜ったら乱暴だよぉ。 
私が「痛い」って言ってるのに、消毒液をたーっぷりつけた綿を、怪我が一番ひどいとこへこすりつけるんだものっ! 
絶対、わざとだ。 
「うーっ!綜のバカぁっ!痛いってばぁ」 
「ここまで連れて来てやったのにバカとは何だ、え!?」 
「なによっ!この怪我だって、綜のせいなんだから…っ!いたーいっ!!」 
「人のせいにするな、お前がとろいから転んで怪我したんだろ。…おまけに血ぃ流しながらひっでぇ顔で走ってきやがって。何か怖い映画でも見てるのかと思った」 
「なっ…!だって、だって綜が言ったから…っ。だから私、最後まで走ったんだもん!!」 
「はぁ!?」 
「綜が…綜が『最後まできちんと走ったらはちまきやる』って言ったじゃないっ。…だから…だから…っ!!」 
「お前なぁ…」 
呆れたように綜が私をまじまじと見つめた。 
その頭にははちまきが。 
約束は約束だよ。 
…忘れたとは言わせないんだからっ。 
そう思いながら、私も綜を睨んだ。 
―――と。 
綜がくすくすと笑い出したのだ。 
「!?綜…?」 
「…お前さ…」 
綜が笑いながらまた私へ視線を戻した。 
「ほんと、変なとこで頑固っていうか…。根性あるっていうか…」 
「な、なによっ」 
「…言い出したら聞かねぇとこはあるけど…ここまでするとはな…」 
…なによ、バカにしてるの? 
いいじゃない。 
綜には分からないだろうけど、私はどうしても手に入れたかったのっ。 
…それに嬉しかったんだよ? 
杉浦君みたいに私が走ることを止めようとはせずに、ゴールで待っていてくれたこと。 
―――綜だけは私が何を望んでいるのか、分かってくれているような気がして―――。 
 
「ほら」 
「?」 
いつの間にか目の前に細長いモノが差し出されていた。 
「いらねぇのかよ」 
「!!」 
慌てて私はそれをひったくるかのように手に取った。 
――綜の、はちまきだぁ…。 
やった、ついにもらえたんだ。私。 
嬉しさがこみ上げて来て、にへらっとしまりのない笑いを浮かべ、まだ彼の温もりが残っているそれをぎゅっと握りしめた。 
「…なんでそんなにしてまで欲しがるのか、分からん」 
そうぼそっとつぶやくと、綜はまた私の足の消毒をし始めた。 
「…っ!だから、痛いってばぁ!!」 
「…これ以上文句言うとそれ取り上げるぞ」 
「!!やだっ!!」 
綜なら本当にやりそーだ。 
私は急いではちまきを後ろに隠した。 
 
――そして、そのはちまきはあれから十数年経った今でも、ずぅっと持ち続けている。 
うまくはちまきを丸められないで半べそをかいていた私に、綜が「相変わらず不器用だよな。こんなこともできねぇのかよ」とか散々文句言いながらも、きれいにたたんでくれた、あの時の状態のままで――。 
 
それから三年後、綜がパリへ留学すると聞いた12歳の私は…彼が旅立つ前日、思い切ってずっと抱いていた想いを打ち明けたけど。 
結果は無残なものだった―――。 
あれからいくつもの季節が過ぎたけど…私の想いは散ることもできず、未だに心の奥底で燻り続けている。 
いつか、いい想い出に変わる時が来るんだろうか。 
そして彼と一緒にいられたあの時が、真実幸せだったと笑って言える日が来るんだろうか。 
今はまだ、そんなことは出来ないでいるけど…。 
けれど、これだけは断言できる。 
頼朝の娘が幼くとも、たった一人の人のことだけを想い続けたように。 
あの時わずか9歳の私もただ一人、芹沢綜という男性(ひと)だけを、真剣に想っていた。 
そう…いくら時を経ようとも、もう二度と逢うことはないと分かっていても、決して忘れられないほどに―――。 
 
「!?」 
ふと回想から我に返った私は、テレビから聞こえてきた音声に耳を傾けた。 
「―――日本人ヴァイオリニストの中でも、海外で最も高い評価を受けている彼ですが―――」 
ヴァイオリンを弾いている綜の姿が、画面に映し出されていた。 
…どうして!? 
なんてタイミングなのよ!! 
再び涙が溢れ出し、私は逃げるように下へ降りていった。 
――どうしてももうこれ以上、彼の姿を見ていることができなかったから…。 
 
洗面所で顔を洗って、私はいくらかさっぱりした気分でまた部屋に戻った。 
もう画面に綜は映っていなかったし、別の話題に変わっていた。 
ちょっとほっとしたような…がっかりしたような複雑な気持ちだったけど。 
――でも、これでいいんだ。 
彼のことはこうして徐々に遠ざけていけばいい。 
そうすれば―――いつかは…懐かしく想い出せる時が来るだろうから。 
ううん、そうしなければいけないんだから。 
そう思いながら、私ははちまきのほこりをはたいて、また元あった場所にそっと戻した。 
「さ、カメラのお手入れでもしよっと!」 
わざと元気よく声に出してそう言うと、私はテレビを消してまた階下へ降りて行った。 
 
―――知らなかった。 
あのテレビで、彼が近々日本へ帰国する予定だと言っていたことなんか。 
そして…その通り帰ってきた彼が、やがて私の前に現われるなんて。 
そこから私の人生が、180度変わることになろうとは。 
 
この時の私は、想像すらしていなかった―――。 
 
  まんてん畑さんから頂いた、初のGenuine話! 
そうです!そうなんです!! 
なんとなんと、クセのありまくり冷酷小説というあの『Genuone』が! 
ついについに、頂き物としていただける事になりました!! 
しかしながら、綜も優菜もすごくすごく自然体で。 
「すげー!すげー!」をひたすら連呼してました(笑 
優菜がどれもこれもやりそうで、「あ、そうそう!そうやってやる!」と、独りで言いつつ(怪 
しかも、綜だけじゃなく、宗や、杉浦君までもが!!(笑 
本当に本当にありがとうございました♪ 
綜って、やっぱ意地悪いんだか優しいんだか分からない人なんですよ。 
だからこそ、ここまで表現して下さって、本望でございます(*´▽`*) 
まんてん畑さん、本当にありがとうございましたv
   
  
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