「なんで嘘ついた?」
どうせ勝手に重苦しくはなるだろうから、と先に頼んだのがある意味失敗か。
季節限定のタルトとドリンクのセットが目の前に運ばれてきたが、店員はそれこそ痴話喧嘩か何かと勘違いしたらしく、そそくさと店の奥へ戻っていった。
「何個か聞きたいことがあんだけどよ……まずは、それ。電源入れてみ」
持ってるが使えない。
どういうつもりか知らないが、コイツはスマフォの電源を落としたままここまで来たらしく、ちらりと俺を見てから手を伸ばすと、素直に電源ボタンを押した。
「っ……わ」
振動音のあと聞こえたのは、いくつもの通知を知らせる特有の音。
けたたましい数が聞こえ、ああなるほどなとため息をつく。
「お前、恭介さんに黙ってきたのか」
「ちがっ……それは、違うの。ただ……ちょっとうまく伝わってなかった、かもしれないけれど……」
「そもそも、お前が日本に来てることは知ってるのか?」
「……そのはずなんだけれど……」
「はー……」
自分じゃ意識してないつもりでも、どんどん表情は険しくなるし声も低くなる。
一応断っておくが、これでも責めているつもりはない。
ただ、羽織なら間違いなく嫌そうにどころか、下手したら席を立って逃げるであろう俺の態度にもかかわらず、葉月は肩を落としはしたものの、まっすぐに俺を見たままでいた。
「お前な」
「……ごめんなさい」
これじゃまるで、門限破った娘に正座させて説教こいてる親父みてぇじゃねーか。
……つってもま、ある意味性分なんだろ。
はたまた、血か?
『まぁいいか。とにかく食おうぜ』などと言い出すことはできない。
そもそもの問題は、どうしてコイツがンなことをしたのかってとこ。
それこそ、羽織あたりが何をしようと構わねーし、『馬鹿なヤツ』とため息ひとつで終えられる。
……が、相手はそうじゃない。
葉月がやったんだ。
昔から、律儀で真面目で人の嫌がることはしないと断言できるようなヤツが、よりにもよって絶対的存在であろう、父親の恭介さんにやらかしたってのが、とにかく考えられなかった。
内心、『違う』という思いと『どうしてコイツが』という思いが交差して、ぐちゃぐちゃと不安定な感じだ。
「……でも、お父さんに嘘はついてないよ」
小さな、だけどハッキリ耳に届く声。
しばらくうつむいたままだった葉月が、まっすぐに俺の目を見て告げた。
「それに私、たーくんにも嘘は言ってない」
「じゃあ、どうして何も言わずにここへ来た」
「だから、その……黙って来たわけじゃないの。だって、七ヶ瀬の入試を受けることは前にお父さんへ言ったし……」
「前は言ったけど、今日は言ってないんだな? わざわざスマフォの電源切ってまで日本にきたってことは、悪質な計画でしかねーぞ」
「それは……」
逸らせないし、逸らすつもりもない。
とはいえ、俺だって別に葉月を責めるつもりもなければ、謝らせたいワケでもなくて。
「…………」
ごめんなさい、と言わせたい相手は俺じゃない。
そしてきっと、その謝罪の陰には大きな何かがまだ隠れているであろうことも想像がつく。
なんだ。どうしてコイツは黙って来た。
その理由はなんだ?
がしがしと頭をかき、テーブルに頬杖をつく。
正直、こんなときになって初めて気づいた。
俺にとって葉月は、妹であり従妹であり、そして娘みたいな存在だってことに。
それこそ昔、恭介さんが夜遅くまで仕事で帰れないときは、俺が代わりに本を読んで寝かしつけてやったこともあった。
もし、コイツが本や文章なんてモンを好きになった要因に微塵でも俺の影響が入ってるとしたら、それは誇りであり自慢だ。
メシだって食わせてやったこともある。
たった6歳。
されど6歳。
幼稚園児と小学生のガキとじゃ、できることも何もかもが違いすぎる。
俺が自分を大人とタメ張れるくらい負けないと思っていたのも、恐らくそれが根底にあるんだろう。
恭介さんと同じようなことを、俺だって葉月にしてやれた。
所詮はガキの自己満足でしかなかったが、当然その当時は気付くはずもなく。
何より、葉月が『ありがとう』と言って喜んでくれたから、それが嬉しくて。
迷いも何もなく、葉月が喜んでくれるのが素直に嬉しくて、笑顔にあと押しされていろんなことをしてきた。
「……手紙を書いてきたの」
「手紙? 恭介さんに?」
「その……ちょっと日本へ行ってきます、って……」
「は? それだけか?」
「……うん」
「あのな。もう少し言い方ってモンがあるだろ」
つーか、その前にちゃんと話せよ。
立派に喋れる口がついてんだから、ンなことくらい朝メシ前だろが。
「ノリが軽すぎだろ。そのへんに散歩行くんじゃねーんだからよ。想像してみ? ンな書き置きだけされたあげく、連絡一切取れない状況って、恐怖でしかねぇぞ」
「う……だって……あの、本当はね、もっといろいろ書いたの。だけど……なんだか纏まらなくなっちゃって」
「なんで」
「伝えたいことが多すぎて……あとは、ちょっと考えすぎなのかもしれないけど、なんだか、お父さんが本当のことを話してくれてない気がして……」
これまでまっすぐに俺を見ていたクセに、ここにきて急に意気消沈。
しどろもどろのあやふやな返事と同じく、視線もよろよろと泳ぎだした。
……しまいには、完全にうつむいたな。お前。
「はー……」
コイツのことだ。
間違いなく悪いことをしたとはわかっているだろうが、それ以上に……まだ何かを隠してる気がする。
それが、今得た情報からの推測。
つーか、そのへんの不安はちゃんと恭介さんにぶつけてこいよ。
それこそ……あー、ったく。
「……ごめんなさい……」
「俺じゃないだろ?」
「それは……そう、だけど……」
頬杖をついたまま何度目かのため息をついたら、おずおずと視線を上げてから頭を下げた。
おそらく、まだすべてを語ってはいない。
が、これ以上この場で聞いても、コイツは答えないだろうな。
つか、お前がそういう手段で来たのであれば、ぶっちゃけ俺が恭介さんに聞いてみてもいい。
……ま、しねーけど。
この親子に必要なのは、そういう面倒くせぇながらも必要なストレートのやりとりなんだから。
「家に帰ったらまず、恭介さんに電話しろ。いいな?」
「ん……わかった」
「じゃあよし。……とりあえず食って出ようぜ。視線が痛い」
「え? あ……ごめんね、たーくん」
「俺はいいけど」
腕を組んだまま話し込んでいたせいか、おそらくは別れ話かなんかだと思われてンだろうな。
まるで耳をそばだてているかのようにしずかーに話している周りの連中やら、物陰からドリンクのおかわりとおぼしきポットを持ったままの店員が見え、ひらひらと手を振り姿勢を戻す。
すると、葉月が小さいながらも笑みを浮かべたおかげでか、周りの音が少しずつ戻ったような気がした。
「…………」
間違いなく、俺にも話しづらいことを抱えてるのは確か。
無理矢理こじ開けようとは思わないし、かといってほったらかす気もさらさらない。
……でもま、強く言ったって困るだけだろうし。
「お父さん、怒ってる……かな」
「怒ってンだろ、この文面。すっげぇ丁寧語じゃん」
言いながら葉月は、スマフォのメッセージアプリを立ち上げ、文面を俺へ向けた。
つか、恭介さんからの長文とか恐くねーか。
『お前』とか『〜しろ』のような文面ではなく、敢えて『瀬那葉月、返事をしなさい』ってフルネーム呼びなのが、もはや戦慄でしかない。
こっわ。
俺、恭介さんにフルネーム呼びされたら、背筋凍る。間違いなく。
あーあ、今ごろすべてのメッセージが開封されたこと届いてんだろーな。
てことは、今が仕事中であろうと葉月が電話しなかろうと、あっちからコンタクトが来るのは時間の問題か。
…………。
待った。
ひょっとして今、俺が一緒にいるってバレたら、『なぜ俺に報告をしてこなかった』とかって飛び火不可避じゃねーか?
うわ。それは困る。
なんつっても恭介さんは、真剣の持ち主。
へたしたら、切込隊長よろしく俺の元へまさに真剣を向けてこないともいえない。
真剣。つまり、ホンモノの日本刀ってこと。
居合道範士の名は向こうでも錆び付いちゃいないらしく、昔もらった手紙には『BUSHIDO』と墨で書かれた看板を持ってる若者数人と映っている写真があった。
なぜか、みんなして甲冑着てたけどな。
アレは、笑えた。
「……はは」
一瞬、紋付袴にたすきがけのいでたちで家に乗り込んでくる姿が頭に浮かび、引きつった笑いが漏れる。
さすがに、いくら恭介さんとはいえ、事件沙汰まがいをかわいいであろう甥っ子に起こしたりしないと思うが。
…………。
それでも、背筋も凍る展開は薄々見え隠れしているから怖い。
……あー、やめやめ。
今はとりあえず、季節と数量限定のこのタルトを平らげることに専念だな。
「…………」
しかしながら、やっぱり気になるのは――葉月のこと。
どうして黙って来た。
コイツに限ってという絶対的な先入観があったからこそ、なぜかという理由の部分がかなり気になる。
葉月の性格上、人に迷惑をかけるようなことはこれまで一度もしなかった。
それは、“約束”という言葉に人一倍敏感だったからと言ってもいい。
なのに、今回はそれが通用しなかった。
オーストラリアからこの日本まで、きちんとした事情を話さず、まるで何かから逃げるかのように突然やって来たのだ。
「…………」
ひどく気になるのは、そこ。
また何かあったんじゃないか。
『逃げたい』と思うようになるまで、思いつめてるんじゃないのか。
……不安というか、心配というか。
自分がそう思ってるせいかどうかはわからないが、目の前の葉月は相変わらず、どこか浮かない顔をしているような気がする。
だから、余計に気がかりというか……まったく拭えない。
が、あれこれと勝手に想像を巡らせていても、結論は出ない。
本人の口から、事実を述べてもらうしか方法はゼロ。
……ともかく。
まずは家に戻って恭介さんに電話させること。
それが葉月のためであり、俺の首のためにも1番だと思った。
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