「…………」
 土曜にもかかわらず混雑を見せるのは、冬瀬駅の構内。
 JRの改札前まで向かうと、ちょうど電車が着いたらしく多くの人間が行き交っていた。
 ……さて。
 迎えに来たのはいいが、そもそも俺が最後に葉月を見たのは6年前。
 小学校に上がる前にオーストラリアへ行ったアイツが、最後にウチへ遊びに来たのが確か……俺が高校卒業前だったはず。
 そのとき、あいつは12歳。
 で、今18だろ?
 あの羽織ですら、あんだけ容貌が変わった。
 …………女ってのはコロコロ変わるからな。
 それが、ちょっと厄介。
「…………」
 ……やべ、わかんねーかも。
 迎えに来たのはいいが、肝心の本人がわからないとなると本末転倒。
 だがしかし、厄介なことに葉月の携帯番号はわからないまま。
 あー……会えねぇんじゃねーの。
 そりゃ、高校のころとそんなに大きく変わってないと仮定しても、俺のこと見てわかんねーかもしんねぇじゃん。
 つか、お袋もお袋だ。
 携帯番号くらい聞いとけよ!
 相変わらず、ガキの使いのほうがよっぽど使える。
「……はー」
 降りてくる若い女連中に目を向けてはいたものの、当然のようにどれが葉月かなんてわかるわけもなく。
 向こうの学校の制服でも着ててくれりゃいいが、そんなモン着てくるはずねーし。
 つーかそもそも、海外の高校に制服があるのかどうかすら、俺は知らない。
「…………わかんねぇ」
 ピークがすぎて人がまばらになった改札を見ていたものの、それらしい影が見えず、思わずため息をつきながらその場へしゃがむ。
 我ながら、とんでもねぇ役を引き受けたなと後悔。
 電話がないのなら、せめて身体的特徴を。
 ふつー聞くだろ?
 どんな髪型で、どんな服かってことくらい。
 ……。
 ……ま、ンなもん聞いてたら、ふつーは伝えてくるよな。
 いっぺん家に電話してみてもいいが……はたして、どうだ。
 まあ念のため、聞くだけ聞いてもいいけど。
「……はー……」
 仕方なく、スマフォを取り出して履歴をたどる。
 あー、使えねぇお袋だな。
 ち、と小さく舌打ちしてから、立ち上がるべく膝に手を当て――た、とき。
 目の前に、女物の靴が揃った。
「……あ?」
 顔を上げると、そこには見慣れない女がひとり。
 こじんまりしたボストンバッグを両手で持ち、大きめのバレッタで髪を留めた、なかなかかわいい――。

「えっと……たーくん?」

 電話と同じ、どこか抜けてるような甘い声。
 声はまったく記憶にないが、アイツ以外にそう呼ばれることがなかったせいか、思わず目が丸くなった。
「葉月か?」
「あ……よかった。違ってたら、どうしようかと思ったの」
 まさに、言葉通り。
 ほんの少しだけ強張っていた表情が、ひとこととともにふにゃんと緩む。
「ほら、最近の日本って物騒なんでしょう? だから……違ったら怖いなぁ、って」
「……あのな。少なくとも、人違いで連れ去られねぇって」
「それもそうだね」
 相変わらず、屈託なく笑う顔は……ああ、昔と同じかもな。
 とはいえ、俺が最後に見た葉月と比べればずっと背も高くなってるし、声も外見も大人っぽくはなっている。
 が、それでも雰囲気ってのはそんなに大きく変わらないんだな。
 ゆっくり立ち上がって見おろすと、思っていたよりも背が低いことに気づいた。
 ひょっとして、羽織より低いか。
 見上げていたときにはそこまで感じなかった違和感が、こうしてみるとやけに目立つ。
「わ……しばらく見ない間に、たーくん、おっきくなったね」
「お前は、相変わらず小せぇな」
「っ……もう。そんなふうに言わないで」
「あー、悪い悪い」
 ぐりぐりと頭を撫でた手をそのままに眉を寄せたのを見ながら、つい笑みが漏れる。
 とはいえ、まったく悪いと思ってなかったのは通じたらしく、ため息をつくと『もう』と言いながら小さく笑った。
「……え?」
 一度離した手を、もう一度頭へ。
 高さがちょうどいいってのも理由のひとつだが、今はそうじゃない。
「たーくん?」
 不思議そうに俺を見上げた葉月を見たまま、がらにもなく笑みが浮かぶ。

「おかえり」

「っ……」
 ただでさえ丸い瞳が、さらに丸くなった。
 そして、嬉しそうに柔らかく微笑む。
「ん。……ただいま」
 あのとき散々、泣いてくれるなと心底願ったやつの安心するような笑みそのもので、ひどくほっとしたのに気づいたのは少しあと。
 コイツだけは、護ってやらなきゃいけない。
 ガラにもなく幼心にそう思ったことは、ぶっちゃけ今でもはっきりと覚えている。
「……にしてもお前、荷物少なくねーか?」
「え? そうかな」
 トランクに入れるまでもなく、後部座席で足りた荷物。
 それこそ、1泊2日の国内小旅行程度の量でしかない。
 ……とてもじゃないが、オーストラリアから日本への入国者には見えないぞ。
「来たばっかりでナンだが。いつ帰るんだ?」
「んー……2日後……あたり?」
「……は? ずいぶん曖昧だな」
「え? そうかな?」
 助手席へ座った葉月は、シートベルトをしながらもどこかわざとらしく、まるで敢えて視線を合わせないかのようにも見えた。
 ……まさかとは思うが、こいつ。
「っ……!」
「お前、ちゃんと恭介さんに言って来たのか?」
「た、たーくんっ……! 大丈夫、だからっ。お父さんにはちゃんと……もう、びっくりさせないで!」
 顔を覗きこむようにすると、ひどく驚いた顔をしながらもしっかりと首を縦に振った。
 ……が、またそそくさと視線を外す。
 怪しい。
 こいつに限って馬鹿な真似はしないと思うが、それでも……。
「ねぇ、たーくん。そんなことより、久しぶりの冬瀬でしょう? ずっと来てなかったし……きっと、いろいろ変わったんだろうなぁって思ってたの。もしよかったら、案内してくれる?」
「そりゃ……まぁ、多少変わっちゃいるけどよ」
 エンジンをかけてギアを入れ、構内のロータリーをぐるりと回る。
 ……と。
 葉月は、両手を口に当てて驚いたような声を上げた。
「あ?」

「たーくんが、運転してる……!」

「ぐえっ」
 がっくん、と車が揺れ、同時にベルトが首へかかった。
 いきなり何を言い出すのかと思えば……お前。
「……あのな……」
「だって私、バイクに乗ってたころしか知らないんだもん。すごいね。たーくん、大人になったんだね」
「俺をいくつだと思ってんだお前。もう24だぞ? 24!」
「そうだけど……。なんだか、すごいなぁと思って」
 ふふ、とまるで感心するかのように笑われ、呆れとは違うため息が漏れる。
 相変わらず、俺よりずっと年下なのに、世話を焼きたがると言うか、ときどき年上みたいにふるまうっつーか。
 あー、久しぶりだ。こんなふうに思うこと自体。
「こんな街並みだったかな……覚えてない」
「…………」
 ぽつりとまるで独りごとのように囁いた葉月を、出てすぐの信号が赤になったのと同時に見つめる。
 昔と変わらないと言えばウソになる。
 ひとことで言えば『ちっこい』。
 つーか、細い。
 髪はだいぶ伸びたようだが、ハーフアップにしているので全体の長さはつかめない。
 外見は、よく外国の10代の連中がやけに大人びて見えるように、やっぱりコイツも大人びて見えた。
 とてもじゃないが、その辺を歩いてる女子高生どころか、同い年の羽織と同じには見えない。
 ……大人、ね。
 6年前に比べて外見はかなり変わっているが、きっと中身はそこまで変わってないんだろうな。
 さっきの反応なんて、小さいころそのもの。
 久しぶりに会ったとはいえ、やっぱり従兄妹ってあたりそんなに関係性は変わらないモンなんだな。
「…………」
 小さいころから葉月は、人の世話を焼いていた。
 人が何を求めているかを言われずとも察知し、相手よりも先に動く。
 まるでそういう能力でもあるんじゃないかと思うくらい、的確で気が利いて。
 だから、しょっちゅう動き回っていた。
 いわゆる“きちんとして”いたんだ。
 それがまるで、俺の同級生の女子連中と大差なく見え、当時はそれで錯覚した。
 本来はそうでないのが普通にもかかわらず、あのころの俺は気づけなかった。
 一緒に暮らしていた2年間の間も、まだ幼稚園生だったにもかかわらず、あれこれとお袋について一緒に何かしていた姿しか記憶にない。
 遊んでやった覚えもあるが、それよりも、小さい手で『どーぞ』と世話を焼かれていた印象のほうが強い。
 ハンカチとティッシュは持って行けとか、寝る前に明日の準備をしろだとか。
 ……そういや、羽織に対しても世話焼いてたな。
「あ?」
「青だよ?」
 袖を引っ張られて何かと思いきや、信号が変わっていた。
 後ろに車がついていなくて、正直ほっとする。
「……なんだよ」
 慌ててギアを入れて大通りに出ると、葉月が小さく笑った。
「もう。しっかりしてね?」
「考えごとだ」
「今じゃなきゃいけないこと?」
「しょうがねぇだろ。タイミング」
 くすくす笑いながら肩をすくめた姿が昔とダブって見え、つい自分も笑みが浮かんだ。
 何年も会ってなかったとか、そういうのは関係ねぇんだな。
 ブランクなんてまるでなかったかのように話せることが、正直どこかほっとしてもいた。
 ――今朝見た夢と違い、柔らかな笑顔があることも。
「あ。そうだ」
「え?」
「お前、スマフォは?」
「えっと……あるにはあるんだけど、使えないの」
「は? 壊れたのか?」
「あ……ううん、ちょっと……今は、だめっていうか……」
「なんだよ。充電切れか?」
「んー……そんなところ、かな」
「……お前、何か隠してねぇ?」
「えっ」
 信号が黄色に変わったのを見て、シフトダウンしながら葉月を見ると、困ったように眉を寄せてから視線を逸らした。
 ……わかりやす。
 お前今、できることならこれ以上つっこまないでくれって思ってンだろ。
「はー……」
 どこから聞けばいい。
 つーか、どうやって切り出せばいい。
 別に、叱りつけるわけじゃないが、なぜかがわからない。
 コイツがここまで頑なに自我を貫こうとしてる理由は、なんだ。
 ……やっぱ、聴きだすしかねぇな。
「え?」
「ウチに電話して、俺と会えたことと、寄り道するっつっとけ」
「え……借りちゃっていいの?」
「言っとかねーとめんどくせぇことになりそうだから、そっちが先だ」
 ロックを外したスマフォを渡すと、葉月はそれと俺とを見比べたものの素直に指を当てた。
 言いたいことも聞きたいこともいろいろあるが、行き先を変えるためまさに進路変更。
 どっか、こじんまりした店で話を……つったら、ついたてのあるカフェってのが妥当か。
 そーいや、こないだリニューアルして喫茶コーナー付け足したケーキ屋があったな。
 っし、そこで決まり。
 右折レーンへ入り、ウィンカーを出す。
 ちょうどそのとき、家にいたお袋と繋がったらしく、俺のスマフォを耳に当てる葉月が見えた。
「……伝えたよ?」
「で?」
「え?」
「お前のスマフォはどうした?」
「っ……」
 ちょうど左手に見えた、赤い看板の目的地。
 葉月の顔は見ず、目標を定めたままハンドルを切ると、ほどなくしてからバッグの中を漁っているらしき音がした。
「…………」
「ま、話は中でゆっくり聞く」
 いいな?
 そう言ったつもりはなかったが、困ったような顔で葉月はうなずいた。
 手には、俺と同じこのシリーズではひとつ前の機種。
 色違いの柔らかなピンクゴールドがきらりと光を返し、握りしめた葉月の手に力がこもったのはわかった。


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