朝っぱらから、羽織と喧嘩した。
喧嘩の内容は、些細なこと。
『アイツのプリンを食った』から。
……あー、相変わらず馬鹿な内容だよな。
なんか、昔っから俺たちはそういう喧嘩が多く、ほとんどが食い物関係だったような……。
しかしまぁなんつーか、アレだよ。
食い物の恨みは恐ろしい、ってことは身をもって毎回感じる。
普段あそこまで怒らない羽織が、こんだけ怒るんだからな。
……ま、俺も同じことされたら怒るだろうが。
「……………」
そういえば、と思い返してみると……喧嘩をしていないころもあった。
それは、まだ葉月が一緒に暮らしていたころ。
あのころは、俺と羽織が喧嘩しても、大抵アイツが間に入ってうまーく取り持ってくれた。
6つも下のクセに、何かとうまいんだよな。アイツ。
だから、今回みたいに食べ物のように分け合える物は、必ずアイツが羽織に『半分こ』をしてやっていた。
それで羽織の機嫌は直るし、そうなった羽織を見て葉月も嬉しそうに笑う。
あのころはまだ、その光景を普通のものとして見てしまっていた。
俺が何かしなくても、なんとかなるって。
…………今考えれば、いつも損してたのは葉月なんだよな。
だが、『自分が損してる』と考えなかったアイツは、昔から人一倍他人を思いやって、自分を犠牲にすることを覚えてしまったんだろう。
あー……。
アイツが今みたいになったのは、俺のせいでもあるかもしれない。
再び新聞を広げてトーストをかじると、先ほどまでは甘く感じられたそれが、なんとなく味気ないように思えた。
「あ、そうそう。孝之、今晩から母さんたちいないから」
「………は?」
「お父さんとね、箱根に泊まりに行くのよ」
「……何言ってんだよ。今日は俺の誕生日だろ? ケーキは? つーか、メシは?」
「もー、あんたいくつになるの? 彼女のひとりやふたりいるんでしょ?」
「馬鹿か! いたら、ンな心配してねぇよ!」
お袋に首を振って否定するものの、そ知らぬ顔をされて余計カチンと来る。
急に何言い出すんだ、こいつ。
「去年までは羽織もいたから家でクリスマスしたけど……今年はもう祐恭君がいるんだし。夫婦水入らずでクリスマスすごしたいじゃない? ねぇ、お父さん」
「孝之ももう24なんだし、親がいなくても寂しくはないだろう?」
「……親父まで何言ってんだよ。あのな。そーゆー問題じゃねぇっつの」
相変わらず、ウチの両親の突発的計画にため息しか出てこない。
そりゃあな?
そりゃ、クリスマスイヴなんてモンは、どーだっていいぞ。俺だって。
でもな、今日は俺の誕生日。
年に1回しかない日を迎える息子をほったらかして、夫婦揃っての旅行ってなんだよそれ。
だったら、せめて金置いてってくれ。
今月、ただでさえあれこれ文句つけて俺から巻き上げたんだから。
…………。
まさか、この旅行のためにやったんじゃねーだろな。
だとしたら、立派な犯罪だぞ。犯罪。
こちとらケーキすら食えない事実を突きつけられて頭に来てるっつーのに、さらにンな事が発覚しやがったら、ただじゃおけねぇ。
どーしてくれよう。この両親。
「じゃあ、行ってきます」
「あ。気をつけてね」
「うんっ」
……は。
玄関から聞こえた羽織の声で壁時計を見ると、すでにリミット。
「っく……!」
まだ半分以上残っているトーストとコーヒーを見比べてから、仕方なくぬるいコーヒーを選ぶ。
ちくしょう。あーー最悪。
こんなんじゃ、ぜってー昼まで腹持たねぇ。
だいたい、こんな時間にあんな話すんからワリーんだからな!
くそ!
せめて、ケーキぐれー予約しといてくれても、いいじゃん!
……く。
あの店のケーキ、予約なしで買えるワケねぇのに。
こんな、クリスマス真っ只中の今。
「ごっさん」
「あら、何よ。残してるじゃない」
「もういい」
「はあ!? 何! 残すの!? 馬鹿じゃないの!! だったら、食べながら行けばいいでしょ!」
「うわ!? だから、片手とか無理だっつの! ねぇだろ!」
「片手でよし!」
「よし、じゃねぇ!」
相変わらず、無茶苦茶なことを言いながらトーストを押し付けた挙句、深くうなずいてからビッと親指を立てる。
ちょっと待て。
それは、お前がやるようなポーズじゃない。
「……くそ!」
「気をつけてねー」
「できるか!」
食い物を粗末にするなってのは、小さなころから身体に叩き込まれたようなモンで。
捨てるなんて、よほど物理的に食えないモンでもなけりゃしない。
とはいえ、片手で運転しながらトースト食うって、どんなだ。どんな。
……バターがギアに付くのだけは、避けたい。
いや、ハンドルに付くのも勘弁してほしい。
となると、なんだ。
この量を口だけで食えっつーのか。
「っく……」
仕方なくくわえたまま靴を履き、ドアを開ける。
途端、極寒の冷たさが全身に来た。
……うわ。最悪。
パン騒動のお陰で、コート着ることすら忘れてた。
「そこにコートねぇ?」
「えー? 知らないわよー?」
「くっ……」
あーくそ。なんだその呑気な返事。
つーか、ぜってー見てねぇ。
ソファの上すら、確認してねぇな。アイツ。
「……何よ、そんな馬鹿みたいな格好で行くの?」
「誰が馬鹿だ! しょーがねぇだろ! 時間ねぇし!」
「あら、大変ね。……あ、そうそう。今日だけど――」
「ッ……行ってくる!!」
「あ、ちょっと!」
何か言いかけたお袋へぶっきらぼうに言い放ち、仕方なく何も羽織らず外に出る。
……うわ。持っちゃったよ、パン。
指先にバターのぬるっとした感触があって、思い切りため息が漏れた。
ヤバイ。死にそう。
ショックじゃなくて、この寒さで。
「……っく……」
階段を駆け下りながら恐ろしく白い息が漏れ、意識せずとも歯が震えた。
「ッ……さむ!!」
シャッターを開け、車に乗り込んだ途端。
冷房でもガンガンで入ってたんじゃねーかと思う異常な冷さに、身が縮んだ。
……キツい。
あーーー。
もっと早くエンジンかけとくんだった……! ちくしょう!
猛烈に反省はするが、先に立たないから後悔。
「っくそ!」
エンジンをかけ、アクセルをフカす。
せめてもの、ウォーミングアップ。
……には、間違いなくならないが。
「あーーくっそ!」
ギアを乱暴に入れ、再度パンをくわえる。
……というか、突っ込んだっつーか。
とにかく、邪魔。
手がかじかんで動かないせいか、イライラしてどうしようもなかった。
くそ。
なんか、ツイてねぇぞ。今日。
朝からこんなだと1日そうなんじゃないかと嫌な予感がし、さらに気が滅入る。
ちくしょう。俺の誕生日なのに、なんか扱いひどくねぇか。
「…………」
仕方なくパンをなんとかするべく、結局は手にして食う始末。
……そういえば、お袋何か言いかけてたな。
信号で止まったとき、ようやく思い出しはしたが、まぁどーせ大したことじゃねーだろ。
なんつったって、突発的だからな。
『お酒買って来て』とかなんとかってとこだろ。
どーしても言わなきゃなんねーほど大事なことなら、スマフォのメッセージにつっこんでくんだろ。
……ま、ねぇだろうけど。
「…………は」
信号が変わったのを見て、口を歪める。
まったく暖まらない車内。
この状況は、俺を凍死に追いやろうとする見えない何かが働いているような気がしてならなかった。
……なんて、な。
お袋の言葉の意味を知らなかった俺は、悠長に構えていた。
このあと起きるであろうことなんて、まったく予想できていなかったから。
「おはようございまーす」
「……はよっす」
「あら? 随分疲れてますね、朝から。……あ、やだーもー。瀬那さんってば、元気なんですから」
「何が」
図書館前の階段を一気に駆け上がるってのは、さすがにキツい。
着いた途端バクバク心臓が鳴って、倒れるんじゃないかと思った。
まさに、老骨に鞭打つ。
そう思ってしまう自分が情けないが、そう感じるほどの運動不足は否めない。
……はー。しんど。
危なげなくカウンターについている同僚の野上優子に眉を寄せてから、名札に付いているバーコードを先に読み込ませる。
……ほ。
遅刻ぎりぎり。
それでも、セーフはセーフ。
よし。
画面に『おはようございます』と出たのを見て、ため息が漏れた。
「……はー」
思いきりため息をつきながら椅子にもたれ、名札を胸ポケットにつける。
手にするのは、昨日自分が積んだままの状態で何も変わっていない、本の山。
……ちったぁ『やっておきましたよ』なんて言っても、バチは当たらないと思うぞ。
呑気に新刊のPOPを作っている彼女を見ながら、またもやため息が漏れる。
それでも、最近の学生は結構真面目に本を返してくれるお陰で、滞納ハガキなんてモンを書かないで済むのは非常に助かっていた。
ま、今じゃパソコンでじゃんじゃか印刷できる上に、どっちかというとメールでの督促のほうを優先されるから、手作業からは程遠い仕事に変わったが。
「…………」
にしても、朝から結構学生が来るもんだな。
……暖かいからか?
眉を寄せながら時計を見ると、すでに1時限目の講義はすでに始まっている時間。
そういえば先日も自習室のそばで暖を取って寝ている学生がいたのを思い出し、やれやれだぜとばかりにため息が漏れた。
「あ」
雑誌コーナーにたむろってる、学生が手にしていたスポーツ新聞を見て、そういえば今度は有馬記念だったことを思い出す。
最近、馬券は専らネットで買っているので、いちいちメモを取るようなことがなくなっていた。
新聞は、買わずともここで読めるし。タダで。
図書館ってのは、いい施設だぜ。ホント。
1冊1冊汚れや落書きなどがないか確かめながらも、ふとそんなことを思い浮かべる。
……そういや、今回はアイツ何買うんだろ。
祐恭の予想は、何かと結構当たっていて。
お陰で、それなりに稼がせてもらった節もある。
…………。
メッセージ送っといても、損はねーかもな。
なんて考えつつ、野上さんにバレないようスーツの内ポケットを探る。
――が。
「あ?」
ない。
肝心のスマフォが、いつもの場所にない。
「あれ?」
思わず口に出し、あちこちのポケットを叩く。
……うわ。
うっわ。マジかよ。
コートのみならず、スマフォも忘れたのか。俺は。
いや、もしかしたら鞄に入れたかも。
「…………」
と思いながら立ち上がり、ロッカーを一応確認。
…………。
……ない。
「はー……」
別に、スマフォがないと生きていけないとかほざくようなヤツとは違うが、なければないで不便。
メモ代わりに使っているのもあるからか、アレがないと予定のひとつも確認できない。
……あー、しくった。
テンションがさらに落ちる。
つってもま、ないモンは仕方がねぇけど。
どうせ仕事中は一切見ねぇし。
「裏行ってくる」
「あ、はーいお願いします」
チェックを終えた本を手に、気持ちを切り替えるべくエレベーターホールへ足を向ける。
『裏』というのは、蔵書庫のこと。
普通は地下にあることが多いが、ウチの場合は最上階になっていた。
学生のときには立ち入ることのできない場所だっただけに、司書となった今でも割とドキドキする。
……なんてことを言うと、かなりの人間から笑われそうだけどな。
でも、いいモンだぜ?
自分以外の人間がいない、本だけが並ぶ広い場所。
物音ひとつせず、あるのは古い本の匂いだけ。
どこを見ても、高い棚にぎっしりと詰め込まれた、本、本、本。
……あー、たまんねぇ。
うっかり野上さんの前でニヤニヤしないよう気をつけながらも、どうしたってつい笑みが出てくるあたりやっぱり俺は馬鹿だなとは思う。
今日はほぼ1日そこでの作業に決まっていたから、まぁどっちみちスマフォは関係ねぇけどな。
ちなみに、あそこだけはなぜか圏外。
そういう妙に不思議な部分も、図書館という建物の持つ魔力っぽくて俺は結構好きだ。
「…………」
エレベーターで4階まで上がり、“STAFF ONLY“とかかっている札を乗り越えてさらに階段で上を目指す。
コツコツと響く自分だけの足音が、階段の独特の空間に響くのが、少し楽しい。
ほどなくして見えてきた、重厚かつ、厳重に施錠されている扉。
建物こそ新しいはずなのに、なんとなく古めかしくすら思える。
……南京錠がかかってるせいだよな、絶対。
キーリングにある幾つもの鍵の束から選んだ鍵を差し込むと、ガチャリ、と大きく音が響いた。
「……さて」
できることなら、昼前には終わらせたいところ。
……別に、ここにいるのは嫌いじゃねぇけど。
とはいえ、朝メシをしっかり食ってないせいか、若干頭がぼーっとしているような気もして。
「やるか」
小さくため息をついてから後ろ手にドアを閉め、まず目指す棚に足を向けた。
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