「……お前さ」
「え?」
カチ、とシートベルトをした葉月へ声をかけると、葉月が真っ直ぐに俺を見た。
何を言われるかわかってないようで、いつものように柔らかな笑みがある。
「祐恭のこと、お前どう思ってんの?」
前を向きながら漏れた、俺らしからぬひとこと。
……そして、しばしの沈黙。
我ながら、何やってんだろうなとはぶっちゃけ思う。
「どうしたの? 急に」
「いや……なんつーか……だから、ほら。いろいろあんだろ? 好きとか……嫌い、とか」
あのとき俺が聞いたのは、間接的なモノ。
コイツに面と向かって言われたモノじゃないから、せめてそこをはっきりさせたかった。
聞き間違いなら、それでいい。
だが、もし違うなら……それはそれで一緒に考えてやるから、教えてくれ。
「瀬尋先生のことは、好きだよ」
「っ……」
ストレートすぎる言葉のせいか、自分が感じていたショックなんてモンはまったくなかった。
「……本気で?」
「うん」
目が合った途端、にっこりと笑う。
その顔を見る限りでは、嘘をついているなど……到底思えない。
「……好き、か」
思わず、声が掠れる。
……まるで、ガキみてぇだな。
じわじわと事実が浸透し始めたらしく、直接聞いたことを今になってがっかりした自分もいた。
「瀬尋先生、優しいでしょう? お兄さんみたいな安心感があるし」
「……ちょっと待て。じゃあ、何か? 俺はお前にとっての兄貴じゃないってことか?」
「当たり前でしょう? たーくんのこと、一度だってそんなふうに思ったことはないよ」
「……あーそーかよ。悪かったな、不甲斐ない従兄で」
「もう。そんなふうに言ってないでしょう?」
「そう聞こえるんだよ!」
どうせ、俺は兄貴として失格だよ。
悪かったな、頼りない上にどーしよーもないヤツで。
でも、たとえそうでももっと早く教えてもらいたかったんだよ。
アイツを好きになった時点で、すぐ相談してくれればよかったんだ。
せめて、直接アイツに言う前に。
「……どうして好きになったんだよ」
「えっ……」
駐車場から国道まで進んでから、ウィンカーを左に出す。
すぐ流れには乗ったものの、信号に掴まってしまい、俺を見ている葉月の視線に嫌でも気づく。
「…………」
「…………」
車内は、相変わらずラジオがついてるのに。
同じように、クリスマスの特集をやってるのに。
……なぜか、沈黙がやけに大きくて。
正直、この手の話はできるだけ気まずくならないように進めたかった。
だから、わざわざ帰り道まで引き伸ばしたのに……何から何までツイてねぇな。
こんなことなら、せめて場所選ぶんだった。
ふたりきりになってしまわないような場所を。
「たーくん……どうして……」
「…………」
「だってあのとき……気づいてなかった、じゃない」
小さく喉を鳴らしてから、葉月がぽつりと呟いた。
その声を聞き、自然と身体がシートにもたれる。
……やっぱり、本当なのか。
さっきの反応といい、今のものといい。
どうして、祐恭じゃなきゃダメなんだ?
アイツじゃなくても、いいだろうに。
……羽織と付き合っている、アイツじゃなくても。
「聞いたんだよ。この前」
信号が青に変わると同時にギアを入れ、アクセルを踏み込む。
いつもはそれほど大きく聞こえないエンジンの音が、やけに今日は響いて聞こえた。
……それもこれも、妙な沈黙のせいだ。絶対。
「そ……っか。たーくん、知ってたんだ」
葉月は、俺が知ってることを知らなかったんだろう。
……俺だって、むしろ聞きたくなかった。
祐恭を好きだと言ったあのときの葉月の声と表情は、頭から離れない。
それほど、俺にとっては衝撃そのものだった。
「……俺が言うのもなんだが、お前が思ってるほど性格よくねぇぞ? 昔からいい加減だし、適当だし、それに――」
「知ってるよ」
「何?」
「ちゃんと、わかってる」
あまりにもハッキリとした声で、思わず顔がそっちへ向いた。
シートにもたれてこっちを見ているその顔は、真剣そのもの。
……知ってる、だと?
あまりにも自信に溢れていて、揺ぎない何かがあるような顔で、眉が寄る。
なんでだよ。
お前、そんなにアイツのこと知ってたか?
初めて会ったのは、ついこの前のはずなのに。
いつ? どうして? 誰から?
ありきたりな質問が次から次へ出て、言葉に詰まる。
だが、葉月の顔からはまったく嘘くささなど感じられない。
……そこまで、好きってことなのか。
「っ……たーくん!」
「あ」
葉月を見ていたのはほんの一瞬だが、慌てたように前を指さされ、視線を戻す。
……お前があんな顔するからだぞ。
それが、なんとも言えず悔しい。
「ちゃんと知ってるよ。だって……小さいころからずっと、見てきたんだから」
「は? なんで」
「なんでって……だって、好きなんだもん。仕方ないでしょう?」
小さいころから、なんて聞いたことない。
え、お前祐恭とそんな昔から知り合いだったのか?
つーかそもそも、お前が言う『小さいころ』っていつのことだよ。
「…………」
だが、言葉の意味よりも、葉月の声に含まれていた嬉しそうな響きにたまらず眉が寄る。
今、葉月がどんな顔をしているのかが、わかって悔しい気持ちもあった。
と同時に、なんでだという思いも浮かぶ。
なんで、アイツをそこまで知ってんだ。
俺ならまだしも、どうしてアイツを、と。
「いい加減で、自分じゃなんにもできなくて、世話が焼けて……女の人とも簡単に付き合っちゃう、本当にいけない人だと思う」
「っ……お前……」
そこまで言うか? フツー。
仮にも、好きな男のことだろ?
いくらなんでも、けなしすぎじゃねーか?
……確かに、どれもこれも祐恭に当てはまるとは思うが。
「いけない人だよね。……本当に」
「…………」
だが、葉月の声はまるで楽しんでいるかのようだった。
ひとつひとつ確かめるように口にして、だがすべてをきちんと受け入れている証拠のように。
呆れているような声色ながらも、どこか……ああ、やっぱりコイツはアイツを相当好きなんだなと思える言い方だ。
……なんか、な。
告白を聞いているかのようで、居心地がすこぶる悪い。
なんて思っていたら、葉月が小さく笑った。
「……でも、仕方ないの」
ちょうどまた信号に掴まったので、スピードを落としながらそちらへと顔が向く。
大人びて見える、横顔。
そこには、本当に好きなヤツのことを話しているという顔があった。
「好きなの……全部。……ずっと、ずっと……大好きなの」
ひとことひとことを噛み締めるように呟いた葉月と目が合いそうになり、慌てて正面へと顔が向いた。
……過剰に、反応してしまいそうだった。
それくらい、顔にはいかにもってくらい愛しさが見えた。
クソ。
そこまで想いを馳せているらしい、葉月の気持ちはわかった。
けど。……だけど、アイツには――。
「……でも、彼女いるのはお前だって知ってるだろ?」
「っ……え……!」
長い赤信号を見たまま呟くと、途端に葉月が声を上げた。
「ンだよ」
「嘘……え? だ、だって……! 別れた、って……!!」
「は? ンなワケねーだろ! だいたい、それはお前も知ってるじゃねーか」
心底驚いた顔をした葉月に、逆にこっちがものすごく驚く。
何言い出すんだ、お前。
だいたい、昨日だってその目で見たばっかだろ?
だから……まるで、今まで知らなかったみたいな顔すんな。
……ひどく傷ついたような顔も。
「そ……なんだ。そっか……。ちゃんと付き合ってる人、いるんだ」
「……は?」
「知らなかったの。……そっか。失礼なこと言って、ごめんね」
なぜか葉月は、そこで俺へ謝罪した。
いや、別に謝ることじゃねーし、いいんじゃねーの?
つか、むしろなんで別れたなんて思ったよ。
そう尋ねたかったが信号が変わり、前の車が動き始めたのを見てギアを入れる。
「……葉月?」
「っ……え?」
「平気か? お前」
「……ん。大丈夫」
大丈夫だから。
これほど、絶対的に大丈夫でなさそうな言葉はない。
口調と、そして声と。
事実を今初めて知って、驚きに溢れ崩れてしまいそうな印象が漂っている。
……なんだ?
どうも、俺が思っていたことと噛み合わない点が多くある気がするんだが……この温度差は、なんだ。
何がそうさせた。
とは思うものの、さすがにつっこんだことまで言えるはずなく。
せいぜい、葉月の頭に手を伸ばして、励ますくらいしか俺にはできなかった。
「……ごめんね、たーくん。変なこと言って」
前が渋滞してるのもあって減速すると、両手を重ねたまま葉月がつぶやいた。
「これからも……従妹としては変わらず見てくれる?」
「は? なんでそんなレベルまで落ちんだよ。お前はなんも変わんねぇじゃん」
「……たーくん、優しいよね」
「どうした、お前。そんなか? ……ショック受けすぎだろ」
それこそ、今にも泣きそうな顔で見つめられ、ぎょっとした。まさに。
うわ、泣かれるのは勘弁してほしい。
俺にはどうしてやることもできない事柄な以上、単純に慰めてやることさえできない。
「ンな顔すんなって。クリスマスだぞ?」
「それは……」
「元気出せ。な? ほら。ケーキ食いたいんだろ? 古月の」
「……うん」
ぐりぐりと頭を撫でると、いつもなら『もう!』なんて怒り出すクセに、珍しく俯いたままでいた。
それが、つらい。
そーじゃねーだろ、と思わず言ってしまいそうになる。
「もっと、イイヤツ紹介してやるよ」
「……いらないよ?」
「そーゆーなって。な? 男なんて世の中にいくらでもいるんだぞ?」
「っ……そういう問題じゃないの! ……そういうわけに……いかないんだから……」
心なしか、声が潤んでいるように聞こえた。
ただ、それをどうしても気のせいだと思いたくて、わざと自分でも明るい声を出す。
「メシ、食って帰るか」
「え……ケーキだけ買って帰ろう?」
「いや、メシどーすんだよ」
「お茶漬けとか……」
「クリスマスに?」
「だって、食欲ないもん」
「いや、ヘコみすぎだろ。お前」
「だって……」
ぽんぽん、と頭を撫でるものの、葉月の口調はなかなか戻らなかった。
……はー。
なんで俺がアイツの代わりに葉月の機嫌とってやらなきゃなんねーんだよ。
悪いのはアイツだろ?
怒られんのも、全部アイツじゃなきゃワリに合わねーっつのに。
……くそ。
とんでもねー、クリスマスになったな。
「今年はプレゼント、もらえなかったな……」
「っ……」
小さく、小さく。
葉月の独り言がラジオの合間に聞こえたような気がして、喉が鳴った。
……どうしてやればよかったんだ。
やっぱり、間違ってたのか。俺のやり方は。
もっとほかに方法があったのか?
だとしたら、俺は――。
「……はー……」
ようやく見えてきた、冬瀬を示す案内標識。
それを目の端で捉えると、深めのため息が漏れた。
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