「…………」
 休みの日の定刻に起き、階下へおりる。
 が、そこにはここ数日の定番と化していたヤツの姿はなかった。
「……珍しいな。葉月、まだ寝てんのか」
 いつも、俺よりずっと早く起きてキッチンに立っているアイツ。
 だからこそ、俺よりもまだ寝ているというのは、どうも想像がつかない。
 時計を見ると、すでに11時を回ったところ。
 ……珍しい。
 昨日もとっとと早く寝たクセに、風邪でも引いたのか?
「あら。やっと起きたの?」
「メシは?」
「……アンタね。もうお昼よ? 休みの日くらい早く起きなさいよ」
「あのな。休みの日だから遅くまで寝てるんだろ」
 ソファにもたれながら新聞を開くと、お袋がキッチンから歩いてきた。
 その手には、湯のみ。
 どうやら、くつろいでいる親父へ持って来た物らしい。
 土日、大抵羽織は家にいない。
 というのも、祐恭と付き合うようになってから、だけど。
 だから、俺が見る目の前のこの風景に、違和感なんて今さらない。
 ……ない……んだが。
 葉月がここにいないと、しっくりこない気がするのはなんでだ。
 確かに、葉月が家に来てまだ2日しか経っていない。
 なのに、なんとなく……な。
 やっぱり、もう溶け込んでるっつーかなんつーか。
 まるで、ずっと昔から一緒に暮らしてたような気分ですらいる。
「まったく。アンタも、ルナちゃんみたいにとっとと起きればいいのに」
「うるせーな。いいだろ? 休みの日くら――あ?」
 思わず、新聞をめくっていた手が止まる。
「アイツ、まだ寝てんじゃないのか?」
「何言ってるの? ルナちゃんなら、とっくに起きてもう出かけたわよ」
「は? 出かけた? アイツが?」
 予想しなかった返事に、思わず身体を起こす。
 まだ寝てるんだとばかり思っていたので、予想とあまりにも違いすぎて眠気が吹き飛んだ。
 ……つーか、ちょっと待て。
 じゃあ、何か?
 アイツひとりで出かけたのか?
「ルナちゃん、ここに住む前に少し見ておきたいんですって」
「何を」
「だから、街のことよ。私たちが連れてってあげるって言ったんだけどね、ひとりであちこち見たいから、って」
「……ば……」
「ば?」
「馬鹿じゃねーの!? アイツひとりで行ったら、迷子になるに決まってんじゃん!! なんで行かせたんだよ!! だいた……っあて!」
 新聞を広げたままソファに放ってお袋を見た瞬間、いきなり物を投げられた。
 見れば、先日土産にと買ってきた饅頭の箱。
 しかもまだ中身が入っているらしく、若干の重さがある。
「親に向かって、馬鹿とは何! 馬鹿とは!!」
「だ、だからそれは……」
「だいたいね、アンタがもっと早く起きればいいことでしょ! そうすれば、ルナちゃんだってひとりで行かなかったわよ!! それを何? 元はといえば、アンタが悪い! いつまでも、ぐーたら寝てるんじゃないの! お馬鹿!!」
 ものすごい言いようだとは思うが、まぁ大方間違ってもいないので、それ以上は何も言えない。
 どうやら、それがお袋にもわかったらしく、ふん、と鼻で笑ったかと思いきやテレビに向き直った。
 ……つーか、葉月も葉月だ。
 なんでひとりで行ったりした。
 せいぜい、この近所くらいしかわかんねークセに。
 無謀だぞ、マジで。
 いくら、そう広くない街っつっても、いろいろあんだからよ。
「葉月、いつ出てった?」
「んー……そうね。確か9時少し前じゃなかったかしら?」
「そんなに早く出てったのか?」
 今から、2時間も前。
 なのに未だに音沙汰もなく、帰ってくる気配すらない。
 ……また、どっかで迷子になってんじゃねーのか、アイツ。
 まぁ、地図アプリもあんだろーし、見方さえ間違わなきゃ帰ってくるとは思うけどよ。
「…………」
 そう考えながらも、やはり心配なものは心配。
 壁時計ばかり見ながら、ため息が漏れる。
 ……しょーがねーな。
 とりあえず、探しに行ってみるか。
 ひとりで行ったなら、そう遠くまで行ってないだろ。
 バスに乗ったとしても、行き先は限られる。
 ……とりあえず、まず電話だな。
 着替えるべく部屋に戻りながら、スマフォを取り出して電話をかける。
 すると、すぐに呼び出し音が耳に届いた。

「……あ」
 鳴り響いた、音。
 バッグを見ると、スマフォが振動とともに着信を知らせている。
「すみません」
 一緒にいる相手に断ってから手に取ると、電話の相手はたーくんだった。
 こんなふうに電話をかけてきてくれることは、少し前じゃ考えられなかったこと。
 だからこそ嬉しくもあり……でも、ちょっぴり複雑な気持ちになる。
 電話に出たら、怒られちゃうかな。もしかして。
 出かけてくるねと伝えるために起こそうかとは思ったけれど、あまりにも気持ちよさそうに寝ていたから、できなくて。
 でも、今になってあのときそうしていればよかった、と後悔する。
 あくまでも、後悔にすぎないけれど。
「もしもし」
『お前、今どこにいるんだ?』
「どこって……」
 自然と、身体が周囲を見渡すように動く。
 と、隣にいた彼と目が合った。
「えっと……ちょっと、お出かけ……かな」
 苦笑を浮かべ、彼に背を向けてお返事。
 ――が。
『お前、俺のことおちょくってんの?』
「え? そんなことしてないよ? だって、実際に出かけて――」
『だから! どこにいんのか聞いてんだろ!』
「っ……」
 いきなりの大声で電話を耳から離したのに、それでもしっかりと聞こえて来た。
 ……何も、そんなに大きい声で言わなくてもいいじゃない。
 ただでさえ怒られているのに、余計萎縮してしまう。
「……っ」
「彼氏?」
「え……違います、けれど……」
 いきなりスマフォを掴まれ、反射的に彼を見上げる。
 すると、にこやかに笑みを浮かべてからいきなり通話を終えてしまった。
「あっ」
「今はだめ。せっかくのデートなんだし、邪魔されたら面白くないでしょ?」
「……え……」
「だいじょーぶだって。彼氏じゃないんだし、彼が怒る理由はないっしょ」
「そ、れは……」
 彼氏じゃない。
 そこを強調され、思わず俯く。
 ……確かにそう。
 彼は、ただの従兄。
 だけど……だけど、それだけじゃない。
 私にとっては、やっぱり――。
「じゃ、行こうか」
 にこやかながらも有無を言わせないような雰囲気に、何も言えなかった。
 ……たーくん、怒るよね。きっと。
 …………。
 それとも……怒らないかな。
 どっちかと言われれば、怒ってもらえたら嬉しいと思う。
 だって、それはつまり少なからず私のことを気にかけてもらえている証拠だから。
 ……なんて、言えないけれど。
 『馬鹿か!』なんて彼の怒った顔が浮かんで、苦笑が浮かんだ。

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