「……なんだ?」
 ぷつりと途絶えた画面を見ながら、眉が寄る。
 いきなり切れた、電話……もそうだが、その前に。
「……男?」
 電話の向こうから聞こえた、葉月ではない低い声。
 あれは、紛れもなく俺の知らない男の声だった。
 祐恭かとも思ったが、アイツが俺の声をわからないはずはないし、あんな口調でもない。
 ……となると。
「アイツ、ふらふらしてナンパされたな……」
 まぁ、わからないでもねーけど。
 きょろきょろしながら歩いてたら、慣れてないのが丸わかり。
 あーだこーだ理由をつけて話かけりゃ、アイツは馬鹿丁寧だから対応すんだろ。
 となれば、格好の餌食。
 そのまま連れ去られ――って、だめだろ。
 さすがにそうはされねーと思うけど、万が一の展開があったら、間違いなく俺のクビが飛ぶ。
「く……」
 何してんだアイツ。
 つか、知らねぇ男にふらふら付いて行くなよ。
 わけもなくイラっとして、鍵という鍵がつけているキーリングを手に取る。
 家、車、職場、と自分に関する鍵はそれに付けてあるので、一見するとわかりやすい。
 ま、これ失くしたら一発アウトなんだけど。
「……さて」
 まずは、どこへ行くべきか。
 目を閉じ、アイツが行きそうな所を思い浮かべてみる。
 ……大学?
 いや、あそこはすでに行っているし、何より今日は俺が休み。
 そんな所へ、ひとりきりで行くようなヤツじゃない。
 となると……やっぱ、商店とかだろうな。
 そーすんと、駅前か。
 それとも、モールか。
 時間的にはどちらも営業しているので、入れることは入れる。
「…………」
 靴を履きながらもう1度スマフォを取り出し、リダイヤル。
 玄関を開けて鍵を閉めたところですぐに繋がり、遠慮がちな葉月の声が聞こえた。
「お前、だからどこにいんだよ」
 自分でも口調が少し荒くなるのがわかった。
 理由なんて、ひとつしかない。
 アイツが、俺も知らない誰かと一緒にいることだけは確かだからだ。

「……はぁ」
 いったい何度目だろう。
 彼から電話があって、そのたびに言葉を濁して……怒られるのは。
 両手でスマフォを握った格好で、またため息が漏れた。
 私だって、本当のことを話したい。
 でも、口止めされているから、言うに言えない。
 ……もどかしいなぁ。
 というか、どうしてこんなことになってしまったのか。
「…………」
 CDが並んでいる棚を見ながらも、一向に興味が湧いてこない。
 ここに来たかったことは、来たかったんだけれど。
「意味深な曲設定してるんだね。彼氏?」
「……っ……」
 いきなり聴こえた声で弾かれるようにそちらを見ると、笑みを浮かべた彼が立っていた。
「さっきから散々電話してきてる相手、彼氏じゃないんだよね?」
「…………」
「ヤダな、そんな顔しないでよ。別にほら、葉月ちゃんのこと苛めるつもりじゃないし」
 まるで見透かされたかのような彼のひとことに、何も言えなかった。
 ……やっぱりいけないのかな、この歌じゃ。
 “Please be my last Love”。
 タイトルにもなっているこの言葉が、サビでも繰り返し使われている。
 たーくんにお付き合いしている人がいると知ってから、本当はこの曲じゃいけないとも思ったし、変えようとも思った。
 だけど……どうしても変えられなかった、なんて私の言い訳でしかないけれど。
 たーくんは、知らない。
 私が、この曲を設定していることを。
 だからこそ、知られたときが……少しだけ怖い。
 私がこのアーティストを好きだと言えば、それで納得してもらえるかもしれないけれど……でも。

 『まだ、俺のことそんなふうに見てるのか?』

 そう言って、彼の表情が変わってしまうんじゃないかと思うと、やっぱりつらかった。
「好きなの? そのアーティスト」
「……あ。はい」
「いい声だよね、彼女。結構前にも流行った曲だし」
「そう……なんですか? ごめんなさい。私、ずっと日本にいなかったので」
 これまでの、12年間。
 私は、日本ではなくオーストラリアで暮らしていた。
 だから、日本で流行ったものはまったくと言っていいほどわからない。
 羽織とメッセージをするようになってだいぶ経つけれど、流行ってるもののことまでやりとりはしなかった。
 ……だから、たーくんと距離があるなって、たまに感じることもある。
 彼だけでなく、日本という最も大きな分野での会話が成り立たなかったりするから。
 埋められない時間の穴だけは、どうしようもないからこそ余計に悔しい。
「あっ……」
「ほらほら、そんな顔しない。せっかくのかわいい顔が台なしだよ?」
「あ、あの……」
「そのアーティストが好きなら、オススメの曲があるんだよね。最近出たアルバムでさ、結構いい声の女性アーティスト」
 ぐいっと右手を引かれて、そちらへ身体が動いた。
 落としそうになったスマフォを慌ててバッグに入れるものの……そっと手をほどく。
 だって、嫌なの。
 私に対して特別な想いなんてないってわかってはいたけれど、たーくんが当たり前のように手を差し出してくれるのが、たまらなく嬉しかった。
 まるで小さい子にするみたいだとしても、手を引いてもらえたのは特別でしかなかった。
 たーくんが握ってくれた手のひらの感触がまだ消えなくて、もう二度とそうならないとわかっているけれど、すがっていたい気持ちもあって。
 いくら理由があるとはいえ、この状況は……正直嫌だ。
 彼じゃない、から。
 そうしてほしい人は、この人じゃない。
「あ、これこれ。知ってる? 彼女」
「え? ええ、知ってます」
「じゃあ、これも聞いたことあるかな?」
「……いえ、まだこれは……っ!」
「早速、試聴してみよっか」
「あ、あのっ!」
「だーいじょうぶだって。ね?」
 CDをもらおうと手を出した途端、手を引かれて両肩に後ろから手を置かれた。
 一瞬何が起きたのかよくわからなかったけれど、今になってようやく理解する。
 ヘッドフォンを渡されるとき、そばに彼の顔があって思わず眉が寄った。
 ……近い。
 これまで、こんなに近くで話をされたことなんてほとんどなかった。
 少なくとも、初対面の男の人になんて……初めて。
「……あ」
 ぼそっと耳元で聞こえた、彼の声。
 普通の声量で話しているときは少し高いのに、こうして囁かれると低い声で不思議。
 ……でも、それがやっぱり彼を髣髴とさせる。
 たーくんも、そう。
 大きな声で話しているときと、そうでないときとでは、声が違った。
 彼は意識してないみたいだけれど、聞いている私には大きな差だ。
「ね? あと少しだけだからさ」
「…………わかりました」
 小さくうなずいて、返事をする。
 今までしてきたことが無駄にならないように、精一杯の振る舞いをする。
 ……そう。
 どうしても、とお願いされたんだもん。
 だけど、こんなことをたーくんに話したら、やっぱり怒られるかもしれない。
 どれだけ人がいいんだ、と。
 安易に信じるな、と。
 ……でも……やっぱり、目の前で困っている人を放ってはおけなかったから。
 そう言ったら、彼はわかってくれるだろうか。

 ひとつ戻る   目次へ   次へ