「たーくん!!」
「お」
 壁にもたれていると、よーやく見覚えのあるヤツが走ってきた。
 少し顔が赤くて、どことなく怒っているように見える以外は、いつもと同じだ。
「お前、いっぺん放送かけたらすぐこいよ」
「もう! そーじゃないでしょう!?」
「お前が迷子になるから悪いんだろ」
「なってません!」
「なってた」
「っ……なってないもん……!」
 食いついてくる葉月をあしらいながらエレベーターに向かい、ひらひら手を振る。
 それでも、さっきとは違って大人しくあとを着いてきた。
「もう。あんなに、具体的な放送しなくてもいいでしょう?」
「お前が悪いんだろ?」
「それは……」
「何回電話したと思ってんだ? それに出ないお前が、悪い」
「……だって……」
 葉月の違反を強調すると、案の定大人しくなった。
 人がどれだけ探したと思ってんだ。
 ひとりにしておけば、迷子になる。
 きょろきょろ周りを見てれば、格好のナンパ対象。
 ……ったく。
 よく知りもしねー場所でひとりになるな。
 つーか、いっぺんで学習しろよ。
「で? なんであんなことしたんだ?」
「あんなこと?」
「…………」
「いっ……もう。おでこ赤くなっちゃうでしょう?」
 ぱちん、といい音がして軽めのデコピンがヒット。
 そこをさすりながら眉を寄せた葉月へ、あからさまにため息をつく。
「エレベーターで俺を捲くとか、いい度胸だな」
「あれは……だって……」
 エレベーターへ乗り込み、立体駐車場の4階を押す。
 さすがに2度も同じ真似をしようとは考えてないようで、当たり前だが葉月も隣へ立った。
「だって……」
「相当な理由がなきゃ、やんねーぞあんなこと」
「……それは……」
 4階に着いて開いたドアから先に降り、とっとと車まで足を向ける。
 すると、葉月が小走りで横へ並んだ。
「……たーくんがいけないんだよ?」
「なんで俺のせいなんだよ」
「だって……付き合ってる、なんて嘘……」
「……あー……アレか」
 もう! と俺を見上げたかと思いきや、視線を逸らして小さな声で呟いた。
 すぐそこに停めておいた車の鍵を開け、運転席に乗り込む。
 ……まあなんだ。
 アレは、売り言葉に買い言葉っつーかだな。
「どうして?」
「っ……しつこいぞ」
「だって!」
 それ以上何も言わないだろうと思いきや、助手席に乗った葉月が眉を寄せて俺を見た。
 いつもより、ずっと近い距離。
 逸らすに逸らせず、ため息が漏れる。
「アレは、だから……あーゆー場面じゃ、ああ言うのが1番なんだよ。わかるか?」
「わかりません」
「…………」
 言うと思った。
 けど何もそこまで怒らなくたってよくねーか? と思うのは俺の我侭なのか。
「悪かったよ、あんなふうに言って」
「……ん」
 小さく、小さく。
 俯いたままうなずいたのを見て、ため息が漏れた。
 ……相当気に食わなかったと見える。
 なんで?
 そんなに俺のこと嫌いなのか?
 だとしたら、それなりにショックなんだけどな。これでも。
「…………」
 たとえそうでも、わざわざ口に出してまでは聞くなどもちろんできず。
 エンジンをかけてギアを入れると、いつもと同じCDの曲がすぐに聞こえた。

「……は?」
「そう言われたから、ずっと一緒にいたの」
 ちょうど、切らした煙草を買うために寄ったコンビ二。
 その駐車場でルーフ越しに目が合った葉月に眉を寄せると、本人も困ったかのようにため息をついた。
「なんだソレ。つーか、そこまでして追い払う必要があるのか?」
「だってそう言うんだもん。……現に、あのお店入ったとき、あの人を見てる女の人ふたりいたよ?」
「そりゃ、見る人間なんていくらでもいんだろ。だいたい、たまたま見てただけかも知んねーじゃねーか」
「それはそうだけど……」
「なんで怪しいって思わなかったんだ? 『狙われてるから、彼女のフリしてくれ』なんて言われて。……お前、馬鹿なの?」
「っ……もう! だって、捕まったら殺されるなんて言うんだよ? だもんっ……怖いじゃない、そんなの」
「だから、嘘くせーんじゃねーか。映画かっつの」
「……だって……」
 コンビニに入ってまず雑誌コーナーからぐるりと回り、缶コーヒーを手に取る。
 新商品、なんてPOPが付いてるとついつい買いたくなるのは、購買者として正解なんじゃないだろうか。
「あのな、葉月」
「え?」
「そーゆーの、結構前のナンパの常套手段だぞ」
「……そうなの?」
「そ」
 『追っ手に追われてるから、かくまってくれ』なんて、非現実的。
 だからこそ、言われた側としては本気かどうか判断がつかない。
 ウソだろうとは思うが、もしかしたらとも思う。
 だから、あれこれと都合よく扱うことができる。
 『追っ手が来てるから、彼女のフリしてくれ』とか、『追っ手が来てるから、この店に入ろう』とか。
 ……そういや昔、そんな映画があったな。
「たーくん? どうしたの?」
「あ? ……いや、だからな? お前、そうやって変な男にホイホイついて行くな」
「……ん。そうします」
「よし」
 レジにコーヒーを出してから、店員の後ろにある煙草を指差す。
「ピースライト。ふたつ」
 ポケットから財布を取り出し、札を1枚抜く。
 ……と、横にいた葉月が声をあげた。
「たーくん……まだそのお財布使ってるの?」
「あ?」
 釣銭を受け取ってしまおうとしたとき、葉月が少し驚いたように手元を見た。
 長年愛用しているキャメル色の本皮の財布。
 ……まぁ、葉月がそう言うのも無理はない。
 なんせ、これは恭介さんからもらった『高校入学祝』だからな。
「物持ちイイいいだろ」
「もう、結構経つよね?」
「そーだな。俺が高校入るときだから……8年か?」
 高校の入学式を間近に控えた4月のある日。
 俺宛てに届いたのは、ひとつの航空便だった。
 手紙ならば、それなりに見たことはある。
 だが、届いたのは葉書や封筒ではなく、いかにも『小包』という感じのする箱。
 しかも、俺宛てに。
 だからこそ、驚いたと同時に嬉しかったのを今でも覚えている。
「なんつっても、やっぱり恭介さんは俺の目標っつーか……憧れ、っつーか」
 本当に小さいときから彼を見てきたので、今でもある意味尊敬している。
 背が高くて、愛想よくて、マメで人付き合いがいい。
 だからこそ常に評判だってよかったし、いい叔父貴を持ったモンだと嬉しかった。
 ……まぁ、いい点だけじゃなく、彼にいろいろ吹き込まれたからこそ今の俺があるワケだが。
 特に、俺が本気で惚れ込むほどの女ができないという点に関しては、絶対に彼のせいだろう。
 俺がまだ幼稚園児だったころから、いろいろ言ってたような気もするし。
 小学生のときは、父兄参観で親父の代わりに来た彼のことをやけに先生がしつこく聞いてきたのが、幼い俺には不思議だったものだ。
 ……しばらくして、理由知ったけど。
 あの人のせいで、俺がこんなふうになっちゃったんだよ。絶対。
 そういう意味では、俺も被害者だな。
 とか言ったら、恐ろしい目に遭いそうだから言えねーけど。
「それを聞いたら、きっとお父さん喜ぶよ」
「さーな。逆に、鬱陶しがられるんじゃねーか?」
「そんなことないったら」
 煙草と缶コーヒーを片手で持ち、駐車場へ向かう。
 ……が。
「あ」
「あ」
 入り口のドアを挟む格好で、今1番会いたくないヤツに遭遇した。
「……なんでお前が……」
 それはもう、よく知ってる顔。
 思わず、葉月からコイツが見えないよう、身体が動く。
「……なんだよ」
「何じゃねーよ。ほら。どけって!」
「は? なんでそんなに機嫌悪いんだ? お前」
「いーから! ほら、とっとと――」
「あ。……瀬尋先生」
「え?」
 無理矢理どかそうと一歩踏み込んだものの、何も知らなさすぎる祐恭は眉を寄せて動こうとしなかった。
 ……ほらみろ。
 コイツに、いらんこと思い出させるハメになったじゃねーか。
 くそ。
「こんにちは」
「こんにちは。葉月ちゃんも一緒だったんだね」
 声で振り返ると、一瞬驚いた顔を見せたものの、すぐに笑みを浮かべた葉月がいた。
 ……なんだその顔。
 よくもまぁ、フツーの顔して会えるな。コイツに。
「……? どうしたの? たーくん」
「別に」
 きょとんとした葉月に眉を寄せ、そっぽを向く。
 ……ったく。
 俺の気持ちも知らないで、呑気なモンだな。
 せっかく、昨日の今日で会いたくないだろうからって気を遣ってやったのに。
「お買い物ですか?」
「うん。ほら、ウチすぐそこだから」
「えっ、そうなんですか?」
「今は、羽織ちゃんも勉強中」
 何もなかったような顔で話している葉月を見ていたら、ため息が漏れた。
 悠長なモンだな。
 昨日は、それこそ今にも泣きそうな顔してたクセに。
 ……よくもまぁ、そんな笑顔が出るモンだぜ。
 昨日、失恋した相手に対して。
「それじゃ、失礼します」
「またね」
「……じゃーな」
「……? なんでお前、そんなに機嫌悪いんだよ」
「別に」
 ツンツンと棘のある態度のまま背を向け、とっとと車に乗り込む。
 すると、同じように助手席に座ってから、葉月が眉を寄せた。
「もう。たーくん、よくないよ? あんなふうに、ずっと恐い顔して」
 なんで俺が怒られなきゃなんねーんだ。
 理不尽にも程がある。
「あのな。俺は、お前のためを思って言ってやったんだぞ? なのに、無理に笑顔で話さなくてもいいだろ」
「え? ……どうして?」
「だから! 祐恭だよ、祐恭!!」
「……瀬尋先生……?」
 俺の気苦労も知らずに、それどころか首をかしげる始末。
 フツーに話してんじゃねーよ。……ったく。
 俺の苦労が水の泡じゃねーか。
「瀬尋先生がどうかしたの?」
「……あのな」
「ん?」
 ぺちん。
「ぃた!」
「全然気にしてない、みてーな顔してんじゃねぇよ」
「っ……もう! どうして叩くの?」
「叩いてねーだろ! でこピンで許されただけ、ありがたいと思え!」
「だってっ……今、すごい音したよ?」
「あんなモン、手加減もイイとこだ」
 はん、と短く鼻で笑い、エンジンをかけてとっとと車を出す。
 だが、葉月はいつまでもそのことを言っていた。
「…………」
 しばらく額を撫でていた葉月を横目で見ながらも、謎は深まるばかり。
 昨日あんだけヘコんだくせに、やけに立ち直りが早いな……。
 コイツ、こんなに楽観的だったっけ?
 何ひとつ変わらない笑顔で話していた葉月の顔がふと浮かび、ついつい眉が寄る。
 ……やっぱ、女ってヤツはわからん。
 赤信号が見えてスピードを緩めると、再び眉を寄せて『?』なんて顔してる葉月に視線が向かった。

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