「あと少しだろ? ちゃんと起きてろ」
「……ん……」
大きく欠伸をしてテーブルに両腕を載せた葉月に声をかけるものの、こちらを見ずに軽くうなずいてからテーブルに伏せてしまった。
この状況なら、すぐ寝る。
……って、待て。
「ほら! あと1分だぞ」
「うー……眠たい……」
「お前な、せめて今日くらいは起きてろ」
再び欠伸を見せた葉月に笑うと、同じように小さく笑みを見せた。
この近所には寺がないので除夜の鐘は聞こえてこないが、テレビの音だけでも十分だろ。
昔は鐘つきに行ったんだけどな。
あのころは若かった。
「……あ」
ひときわ大きな鐘の音がテレビから聞こえると、ようやく眠そうなままながらも葉月が顔を上げた。
ゆっくりとした口調で告げられる、新年の挨拶。
ようやく、1年が締めくくられた。
「あ?」
今までテーブルに伏せていた葉月が身体を起こし、こちらに向き直った。
しかも、正座までして。
「あけまして、おめでとうございます」
「おー」
「今年もよろしくね」
「こっちこそ。今年はいろいろあんだろーけど、まあ楽しいぞ。きっと」
「ふふ。きっとそうだね」
入学、そして学生生活の始まり……と同時に、久しぶりの日本での生活ってところか。
こいつにとっちゃ、今年は本当に挑戦であり変化の年なんだろうな。
そういや、女の19歳って厄年じゃなかったか?
いろんな意味で、転換期ってところか。
「あ?」
「こうして、たーくんとお正月を迎えることになるなんて思わなかった」
「俺だって考えなかった」
「やっぱり、そうだよね」
先月帰ってきたときでさえ、ものすごく驚いたんだ。
それが、まさかクリスマスに再び帰ってくるなど……誰も思わないだろ?
葉月のことだから、また何かあったのかと思ったくらいだ。
「ねぇ、たーくん」
「ん?」
「これ、どういう意味?」
「は?」
テレビから視線を戻すと、葉月がこちらへスマフォを差し出していた。
「……あー」
受け取った瞬間、思わず画面から葉月へ視線が向く。
先ほどまでの眠そうな顔ではなく、いつもと同じで……いや、それ以上に真剣な顔。
危うく見入ってしまいそうになって、スマフォを葉月のほうへ押す。
「……これは、なんつーか……ほら、アレだよ」
「どれ?」
「っ……だから……」
テーブルに頬杖をついてから、顔をテレビへ向ける。
この角度ならばギリギリ葉月の姿が視界に入ってこないので、それは助かった。
……しかし。
まさか今ごろになってそんなことを聞かれるとは思いもしなかったワケで。
あー、しくったな。
どう答えれば正解だ?
「…………」
葉月が見せたのは、先月俺がメールで送った返歌。
例の、三条右大臣の歌だ。
『名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで 来るよしもがな』
そのまま訳せばすぐにわかるだろうが、これは思いっきり恋愛の歌だ。
俺ではなく、祐恭ならば躊躇することなくさらりと言ってのけるだろう。
……しかし。
今になって、この歌を葉月に返したことをものすごく後悔した。
あのときは、まさかこんなことになるなど思ってもおらず、半分シャレのような気持ちだった。
きっと葉月がこの歌を読んだらビビるだろうな、と思って。
……それがどうだ。
葉月が、俺を好きだと知った今。
コイツはいったいどんな気持ちでこの歌を読んだのかと思うと、申し訳ない気持ちがあった。
またいつもの冗談を……と笑ったのだろうか。
それとも……。
「……そういうお前こそ、どうしてあんな歌を送った?」
「…………」
テレビを向いたまま小さく呟くが、返事がなかった。
……はー。
こんなこと、面と向かって聞けるワケねーだろ。
それとも何か?
俺がそっち向かないと言わないつもりか?
葉月が送ってきた歌の意味なんて、もちろんわかってる。
だが、どうしてそれを俺に送ったのかを考えると、やっぱり行き着くのは……そもそもの葉月の気持ち。
「つーか、お前が先に送って――って、寝てるし!」
意を決して振り返った途端、机に伏せて目を閉じている葉月がいた。
く……こいつ……。
俺がどんだけ緊張したと思ってんだよ。
心臓、すげーばくばく言ってんのに!
……まぁ、別に緊張からじゃねーけど。
それでも、それなりに気を遣ってだな。
「……幸せそうな顔しやがって」
こちらに顔を向けて伏せているため、表情は隠れることなく見えている。
なんの夢を見てるんだか知らないが、それはそれは楽しそうに葉月が笑った。
……いいよな、呑気で。
頬杖を付いたまま見ると、自然にため息が漏れる。
人の気も知らねーで。
つーか、寝るの早すぎ。
安らかに寝息を立てている葉月を見ていたら、なんだか俺まで眠くなってきた。
「……ったく。男の前ですんなり寝るなよ」
ため息混じりに呟いた言葉で、ふと我に返った。
今、俺は自分で自分をそう言った。
ということは、やっぱり葉月の立場は俺の中で『女』へと変わっているということ……なのか。
「…………」
ふ、と葉月の唇に目が行く。
いかにも、女らしさが漂う……そこ。
……く。
つーか、本当に寝てるのか?
もしかして、実は起きてて人のことおちょくってるんじゃ……。
葉月はそんなことしないとは思うが、一応用心のため。
って、なんの用心だか。
「……簡単にキスくらいできんだぞ」
両腕をテーブルに組み、その上に顎を乗せて低い位置から見てみる。
それほど大きくない声ながらも、もし起きているのであれば耳に届いているであろう。
「………………」
「………………」
じぃーっと見ながら反応を待つが、動きはない。
「……何言ってんだ俺は」
もっとほかに言うことあるだろ?
何も、よりにもよってこんなこと口走んなよ。
軽く頭をかいてから大きくため息をつき、気を取り直して葉月を起こすべく肩に手をかける。
「おい、こんな場所で寝るな」
「ん……」
「風邪引くだろ?」
「もう少し……」
「馬鹿か! 起きろ!」
肩を揺さぶって声をかけると、ようやく眠そうにしながらも顔を上げた。
非常に迷惑そうな顔を向けられ、こっちも眉が寄る。
「ンな顔すんな」
「だって……眠い……」
「だから、部屋で寝ろ。部屋で!」
「……寒いもん」
「寝てりゃあったまる!」
「……うー」
腕を取って立ち上がらせ、そのまま肩を押して階段へ。
――と、廊下へ出たところでお袋と目が合った。
「っな……!」
瞳を丸くしてからおかしそうに腹を抱えられ、たまらず眉が寄る。
……って、ちょっと待て。
もしかして、お前――!
「ずっとここにいたのか!?」
「ほっほっほ。大丈夫よ、言わないから」
「ちっが……! アレはそーゆーんじゃねぇよ!!」
「いいから、早く部屋まで連れてってあげなさい。……やーねぇ、くっさいこと言っちゃって」
「っ……! 馬鹿か!! だァら違うっつってんだろ!!」
ぷくく、と視線を外して笑ったお袋に抗議してから一歩踏み出したところで、葉月が顔だけこちらに向けた。
「なぁに?」
「ッ、なんでもねぇよ! ほら、行くぞ!!」
「あ……!」
っくそ。
まさかお袋があんな場所にいるとは思わなかった。
つーか、いつからいたんだアイツ!!
なおもおかしそうに笑っているお袋を軽く睨んでから階段を上がり、とっとと2階へ引っ込む。
アイツ、余計なこと言わねーだろな……!
お袋ならば有り得なくもないから、内心冷や汗がたれる。
……ちくしょう。
妙なこと言うんじゃなかった。
まさに、後悔先に立たず。
「っくそ……!」
新年早々、嫌なスタートを切ったことを激しく後悔した。
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