「相変わらず、しょーがねぇな」
スポーツ新聞を片手にトーストをかじれば、いつもなら飛んでくる声。
羽織がいない冬休みながらも、今は葉月がいるワケで。
やれ屑が落ちただの、やれ行儀悪いだの、すぐに指摘するからな。
たまの休みくらい、俺の好きなようにすごさせろ。
「……へぇ」
コーヒーを飲み、再び新聞へ。
すると、目の前に人影が現れた。
「……お前な、今日なんの日か知ってる? 元旦だぞ? 元旦」
「知ってるっつーの。あ、コーヒーお代わりな」
「ったく。知ってるなら、正月早々来るなよ」
「いいだろ? 別に。ここだけが身の寄せ場」
「お前はどこの締め出されたオッサンだ」
「うるせぇな」
おかしそうに笑ったヤツに眉を寄せ、目玉焼きをフォークでつつく。
俺の好みをよく理解しているだけあって、ほどよく半熟。
メシならばほぼ生が好ましいが、さすがにトーストには、な。
いや、別にゆで卵でもいいんだけど。
「しかし、人いねぇな。経営大丈夫か?」
「いないのは当たり前だろ。うちは三が日休み」
「そうなのか?」
「……今気付いた、みたいな言い方すんな」
コーヒーを飲みながらあたりを見回すと、当然のことながら俺以外に客がいなかった。
ま、元旦早々家以外でメシ食うヤツもいねぇよな。
……コイツが言うように、家に居場所がないヤツくらいのモンだ。
ここは、国道からひとつ道を入った住宅街――つまり、俺の家の近所にある洋食屋。
で、今目の前で新聞を読んでいるのは、ガキのころからの付き合いが続いている神代麻斗。
元々、この洋食屋をやっていたのは親父さんだが、今は引退してコイツが店を継いでいる。
こう見えても、キャリアはもう随分なもの。
つーか、コイツが『店長』とやらに就任してから結構経ってるし。
この年で店長なんて肩書きを得てるって時点で、すげーと素直に思う。
「しかし、正月もお前は暇そうだな」
「……悪かったな」
「彼女のひとりやふたり、いないわけ?」
「お前に言われたくない」
カウンターに頬杖をついて椅子に座った麻斗に瞳を細めると、苦笑を浮かべてからコーヒーを飲んだ。
「そろそろ、パフェでも食うか」
「……人遣い荒いよ、お前」
「いーだろ? 客なんだから」
「そんな客はお断り。ていうか、何回も言うけど正月早々店に来るな」
「そーゆーお前こそ、正月くらい家に帰れよ」
「……うるさいな」
「すぐそこじゃねぇか。店で寝泊りする必要ないだろ?」
「俺だっていろいろあるんだよ」
「なんだそりゃ」
遠い目をしてからようやく立ち上がった麻斗を見送り、再び新聞へ。
……いろいろ、ね。
ま、俺もいろいろあるからここに来たんだけど。
昨日は朝から晩まで……それはもう、日付が変わるまでいろいろあったせいで、あまりよく眠れなかった。
うっかり5時には目が覚めてしまい、それ以上眠れないまま時間が過ぎ……普段ならば起きることのないこんな朝早くにここへと来た。
正月早々、かわいそうな俺。
間違いなく、変な時間に眠くなるな。
「ほらよ」
「お」
読み終えた新聞を畳み、トーストの続きを食べ終えると、ちょうど厨房から出てきた麻斗と目があった。
「さすが。相変わらず、ウマそうだな」
「そりゃどうも」
目の前に置かれた、チューリップグラス。
やっぱ、パフェはここに限るな。
持つべきものは友人。
この店は元々11時からしか開かないので、モーニングはやっていない。
だが、昔からなんだかんだと変な時間に顔を出しているせいか、俺には当たり前のようにその日あるもので提供してくれている。
付け加えるなら、このパフェもそう。
この店にはパフェこそあるものの、こんなパフェはメニューに載っていない。
……言うなれば、裏メニューか?
そのとき店にある物で作ってくれる、あり合わせならではらしいが、これがまた結構うまいんだよな。
「へー。珍しいな、イチゴがあるなんて」
「クリスマスの残り」
「ほぉ」
ロングスプーンですくって食べ――。
「……ちょっと待て」
「ん?」
「今日は元旦だろ? 随分前のイチゴを客に出すんだなこの店は」
「お前は客じゃないから」
「はァ?」
「大丈夫だって。食えるから」
「そういう問題じゃねぇだろ!」
おま、今日はもう年越してんだぞ?
どう考えたって、出しちゃダメなヤツだろ。
昨日の大掃除で、ナマモノくらい処分しとけよ!
舌打ちしてから、さらりと言った麻斗に食いかかろうとしたとき、ちょうどカウベルの音が響いた。
「あれ?」
「ほら、客だ客」
不思議そうにしながらも、立ち上がってそちらへ向かうヤツを見ながら、一応恐る恐るイチゴを口に運ぶ。
……うん、まぁ確かにまだ大丈夫な気がする。
丈夫だな、俺。
このカウンターは入り口から見えない場所にあるので、俺は来客なんぞ気にすることなくいることができる。
いつもひとりなのかと言われれば、答えは『YES』。
……いや、普段ここになんてひとりでしか来ねーし。
「…………」
どうやら客が来たらしく、あれこれ話し込んでいる麻斗の声が聞こえてきた。
大変だな、客商売も。
とはいえ、今日はドアに『Close』の札がかかってたはず。てことは、知り合いか何かか?
「たーくん!」
「ぶ!?」
アイスを食ったところでいきなり声をかけられ、塊をまるごと飲み込む。
途端に、冷たいのと苦しいのとで息が詰まった。
「葉月! おまっ……なんでここに!」
「それは私のセリフでしょう? もう。今何時だと思ってるの? 瀬尋先生たちいらっしゃったよ?」
「は? もう来たのか? アイツら。……暇だな」
「そういう問題じゃないでしょう? もう。早く帰ってきて」
「あ、ちょっ……! ちょっと待て! まだ俺、コレ食って――」
「いいから!」
そばに来るなり腕を引かれ、椅子が倒れそうになった。
とはいえ、まだモーニングすら食べ終えてない今、帰れるわけがない。
「もう。今日はお店お休みなんでしょう? なのに、こんな朝早くから……。すみません、ご迷惑おかけして」
「あー、いえいえ。大丈夫。もう慣れてるから」
「申し訳ないです」
カウンターに戻ってきた麻斗に眉を寄せて葉月が頭を下げると、それに対してヤツはにこやかな笑みを見せた。
つか、なんだその顔。
さも面白そうにニヤニヤ俺を見る麻斗へ眉を寄せると、顎に手をやってからおかしそうに笑う。
「なんだよ、ずいぶんかわいい彼女がいるんじゃんお前」
「ちげぇよ、馬鹿! お前までンなこというな!」
「いいっていいって、そんなに照れなくても」
「だから、違うっつってんだろ!!」
どうして俺の周りにいる人間は、こうも葉月を彼女扱いしたがるんだよ。
この微妙な時期に、そんなことを口にするな!
「……あ」
「? なんだ」
「溶けちゃうよ?」
「うわ!」
ふいに俺の後ろへ視線を向けた葉月につられると、溶けたアイスがグラスから溢れそうになっていた。
慌てて席に着き、とっとと続きを食う。
すると、同じように葉月が隣へ座った。
「もう。ダメだよ? 食べ物粗末にしたら」
「誰のせいだ、誰の! お前がいきなり手を引いたんだろ!?」
「……あ」
「たく」
まるで俺が悪いみたいな言い方をされ、たまらず眉が寄る。
自分が何をしたのかわかってんのか? こいつは。
……ったく。
「紅茶とコーヒー、どっちがいい?」
「あ、私は……」
「いいよ、コイツの奢り」
「ちょっと待て!」
「それじゃあ、紅茶をお願いします」
「ちょっと待ってね」
「おい、麻斗!」
にこやかに交わされる俺抜きの話だが、葉月もやっぱり苦笑を浮かべただけで何も言わなかった。
……こいつら……俺をなんだと思ってやがる。
「はい、どうぞ」
「いただきます」
「コイツじゃなくて、俺に言え」
「ふふ。いただきます」
口を挟んだら、カップを両手で持った葉月が小さくうなずいた。
まぁ、それならよし。
……つーかお前、俺のことを呼びに来たんじゃなかったのか?
ふとそんなことが頭に浮かんだが、まぁ、あえて言ったりはしない。
忘れてるみたいだし。
「ん、いい香りですね」
「ならよかった。バラの紅茶なんだよ」
「香りが柔らかくて……とってもおいしいです」
「はは。よかった」
カップへもう片手を添えながら、葉月が麻斗へ話しかけた。
その横顔は、昨日の夜俺へあの短歌の意味を聞きたがったときとは……違うように見える。
いつもと同じ、柔らかい表情。
つか、あの話はどこまで覚えてんだろうな。
俺が答えたところまで記憶にあるのか。それとも、半分寝ていてまったく覚えてないのか。
気にはなるが、問いただせば……間違いなく墓穴は掘る。
今のこの関係を崩さないためにも、しないことが吉か。
………………。
ん? なんだよ、この関係って。
友達でも家族とも違う、立ち位置。
とはいえ、もう葉月の気持ちは俺に向いてない……んだよな?
「…………」
昨日の夜、彼女がどうのという話を否定したとき、葉月はどんな顔をしていたのか。
思い出せるようで思い出したくないような、そんなライン。
……別に関係ねぇだろ。
たとえコイツがどんな顔をしようと、俺にとって葉月は――……葉月、は……?
「たーくん?」
「っ……なんだよ」
「アイス溶けちゃうよ?」
「…………わかってるっつの」
まじまじ見つめていたつもりはないのに、くるりと葉月が俺を振り返り、首をかしげた。
いつも見ている、きっとクセのようなもの。
「……はー」
にもかかわらず、さらりと髪が流れたのを見て……不覚にもどきりとした。
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