「あー、やっぱり若い子は違うわねぇ。いいわこの手触りー」
「……わ、ほんと。すごいつやつや! ねえねえ、なんのシャンプー使ってるの?」
「え? 羽織と同じだよ」
「なになに? 教えて?」
従姉妹とはいえ、それこそ葉月にとっては数年ぶりの相手。
だが、小さいころ遊んだ記憶はどちらにも残っているのか、なんの違和感もなく普通に目の前で会話が繰り広げられている。
「きれいな長い髪って、イイよねー」
「さらさらでクセがないっていうのがミソよね。羨ましい」
「ふふ。ありがとう」
ちなみに、羽織はここにはきていない。
ま、そーだろーよ。どうせ祐恭ンとこだろ?
アイツもまぁ好きだよな、っとに。
年がら年中一緒にいるくせに、こんなときまで一緒にいたがるとか俺にはさっぱりわかんねぇ。
つか、アイツならそれこそあっちの実家へ連れて帰ってそうだけどな。そういや。
ま、別になんでもいいけど。
「オイコラ」
「あた」
「人が話してんだから、ちゃんと聞けよ」
「……ってぇな」
ゴン、と拳で小突かれた頭を押さえ、曹介さんを睨む。
だが、まったく気にしない様子で俺に向かって煙を吐いた。
「そんなに葉月が気になんなら、誘ってくりゃいーじゃねぇか」
「いや、別に気にしてねーし」
「嘘つけ」
あーーぶっちゃけ居心地が悪い。
つか、ほんともうこの人苦手っつーか、何もかも見通してるっつーか、なんかやなんだよ。
くっくと喉で笑いながら、また……あのすべてを見透かしたような目を向ける。
……いや違うし。別に何もねーし。
誰に何かを言われたわけでもないのに、胸の中でそんな言い訳をしている時点でどうかしてるんだろうけど。
「…………」
仏頂面のまま烏龍茶を飲み、改めて煙草を取り出す。
すると、目の前へごつい手が現れた。
「……なんだよ」
「んー? たまには、火くれぇ点けてやろーかと」
「ホストじゃん」
「この界隈じゃ有名だぜ?」
「いや、こんなゴツい髭生やしたホストがどこにいんだよ」
断りを入れてから火を受け、深く吸い込む。
……あー。
いつもと同じ味のはずなのに、なんでこうも違って思えるのか。
我ながら、単純な人間だな。
「いーんじゃねーの? 手ぇ出しても」
「は……ァ?」
「普段、そーゆーこと考えねぇだろ? 女引っかけンのに、縦とか横の繋がりなんて」
後ろに手をついて身体を支えた彼が、歯を見せた。
にやっと口元だけで作った、いたずらっぽいモノ。
だからこそ、こっちは眉が寄る。
「いや……なんでそうなった。つか、葉月に手ぇ出したらいろんな意味で終わりじゃん」
「はっはっは! 照れ隠しはいらんぞ、小僧」
「照れじゃなくて、ガチの話で」
つか、俺は別にそういう意味でアイツを見てたわけじゃない。
どっちかっつーと確かに悩んではいるが、そっち方面じゃねぇから勘弁してくれ。
あー、こっち見んな。お前の話だけど違う。
不思議そうな顔で俺たちを見た葉月を手で払い、烏龍茶をひとくち。
だが、曹介さんはデカい声で笑い、灰を落としてすぐ煙草をひねり潰した。
「欲しけりゃ欲しい、つったらどーだ?」
「……だから、別に俺は――」
「ガキならガキらしく。……ガキにしかできねぇやり方ってモンが、あんだろ?」
『本当はわかってんだろ?』
まるでそう言われた気がして、喉が鳴る。
「いーじゃねぇか、周りなんて」
「…………」
「どーせ、お前が欲しがってるような答えなんて、誰からもハナっから返ってこねぇぞ?」
「…………」
「掴んでもぎ取りゃいいだろ。てめぇの人生なんだから」
トクトク、といい音を立ててビールを注いだ彼を見るものの、今度は俺を見ようとしていなかった。
……相変わらず、何がなんだか掴めない人だ。
どこまでが本気で、どこからが冗談なのか。
それすらも、これまでの24年間では到底わかりそうにないらしい。
「今、一緒に住んでんだべ? 葉月に手ぇ出しちまえばいいじゃん」
「……いや、だからそういうことじゃな――」
「したら殺すぞ、お前」
「…………は……?」
やけにドスの利いた、突拍子もない声で背中が凍りつく。
え、まじ、ちょ、な……にが起きた。
振り返る――ことなどできるはずもなく、目の前の曹介さんが『ひっさしぶりだなぁ』と手を挙げたのを見て、なおのことそっちは見たくない。
「……な…………っは!? ちょ、なっ……!? き、恭介さん!」
「どういうことだ孝之。お前……どういうつもりの会話だ」
「いや、ちっが! 違うし!」
「いったいなんの話をしているのかと思えば……誰が手を出していいと言った。指先1本触れてみろ。戸籍ごと消すぞ」
「っ……」
ひ、と小さく声が漏れた気がしたが、慌てて煙草を消し両手を振る。
つか、恭介さんも今日ここに来るなんて聞いてねーし!
だいたい、葉月の話じゃしばらく忙しいっつってなかったか!?
まさかの本人登場で、俺以上に叔母や従姉妹がぎゃあぎゃあ声を上げはじめた。
「あのな、よく聞け」
「っ……何」
両手を腰に当て、恭介さんは立ったまま俺を見下ろす。
うわ、なんだよこのハンパねぇ存在感。
つか、いつの間にか正座しちゃってんし。
何か。俺は説教受ける準備万端じゃねーか。
「お前がいればほかのヤツらは寄ってこないだろう? 人払いさせるために居候という形で預けたのに、張本人のお前がとんでもない行動を考えすらするんじゃない」
「いや、しないって。ったり前じゃん!」
「本当だな? 天地神明に誓うな?」
「誓う」
こくこく。
無意識で何度もうなずき、ついでに宣誓よろしく片手を挙げる。
あーーーーこっわ!
恭介さんのあんな顔、っと久しぶりに見た。
「いいか? ただでさえ、今の日本は意識もモラルも下がっているんだ。それこそ躾のなってないガキどもがうじゃうじゃしていて……あー虫唾が走る」
「っ……」
「大事なひとり娘がそいつらの視界に入るなんて、考えただけで反吐が出そうだ」
「いや……恭介さ……」
「なんだ」
「いや別に」
まごうことなき盛大な舌打ちとともに、恭介さんは普段の温厚そうな顔つきと180度違い、それはそれは嫌そうなどころかすべてを薙ぎ払う10秒前くらいの顔をした。
あーーその顔、まっとうな職務中の曹介さんにすげぇ似てる。
学生時代、何かの会見で記者の質問を論破した彼をまさかの学食のテレビで見たときの光景が蘇り、改めてふたりを見比べていた。
「……たーくん、どうしたの?」
「別に」
「孝之。誰が葉月の隣に座っていいと言った」
「っ……いや、座るくらいよくね? 手ぇ出してねーし」
「当然だ。箸を握れなくなるぞ」
「……勘弁してくれよ」
「もう。お父さん、お正月からなんてことを言うの? よくないよ?」
「仕方ないだろう。思ったことを言ったまでだ」
退散とばかりにぐるりと回って葉月の横へ行くと、たちまち恭介さんが檄を飛ばした。
いや、なんもしねーって。つか、信じてくれてもよくね?
両手を挙げ、いつしか『降参』ポーズを取っていた自分をある意味褒めてやりたい。
「あっ」
「……あー。うま」
「もう。どうして飲んじゃうの?」
「あ? あー、これお前のか」
「たーくんのはあっちでしょう?」
「っ……やべ」
手近にあった湯飲みに口づけた瞬間やらかしたことに気づき、恐る恐る恭介さんを見――るが、幸いなことに気づいていなかった。
何やら真面目な顔で曹介さんと書類のようなものを見ながら話しこんでおり、ふたりそろってさっきまでのはどこ吹く風。
よし。バレてないなら、いい。
「つかお前、なんだその頭。誰にやられた」
「ふふ。伯母さん上手だよね」
ついさっきまでとは違い、いつものハーフアップではなく高い位置でだんごに結ばれていた。
細い首すじからうなじまでがよく見え、いつも見えない部分だけに思わず視線が張りつく。
……っていやだから。
見てたら絶対言われるっつの。
「…………」
わずかに首をかしげた途端、ひとふさ髪の毛が落ちた。
くるりと緩くカーブを描いた毛先が、襟ぐりの開いたセーターのちょうど胸のあたりに影を作る。
……ごく。
「っぐぇほっ!?」
「わっ! たーくん、大丈夫?」
「……っ……げほげほ」
一瞬あらぬ方向へ考えが及びそうになり、慌てて飲んだのが悪かったらしい。
だが、さすがの恭介さんも俺の脳内まではおもんばからないらしく、『大丈夫か?』と表情を緩めていた。
ガキならガキらしく。ガキにしかできねぇやり方ってモンが、あんだろ?
先ほど曹介さんに言われた言葉が、変な響きを含んで頭の中に蘇る。
……わかってるからこそ、どーすりゃいいか悩んでんだろ。
肝心な部分まで見抜いているのか、それともまったくのあてずっぽうなのか、イマイチ判断はつかない。
「……はー」
ガキみてーにできりゃ、どんだけラクか。
それは自分が1番わかってるからこそ、どうしようもなくてもどかしいってのに。
「なぁに?」
「別に」
「もう。別にって顔じゃないでしょう?」
「なんでもねーよ」
俺の気持ちなんてこれっぽっちもわかってないような葉月と、先ほどから変わらない周りの喧騒。
そんな中で小さく毒づきながら、自分の今後を案じるほかなかった。
あーあ、何してんだかな。
つか、俺もそれ聞いてみてーよ。
どうやら話し終わったらしく、目の前で繰り広げられ始めた宴会第二部を見ながら、ひとり取り違えた湯飲みのまま茶をすするしかなかった。
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