「…………」
 何年経っても変わらない深い色のテーブルへ頬杖をついたまま、目の前にある皿へ箸を伸ばす。
 今日は、新しい年になったその日。
 つまり元日の夜。
 ……なのに。
「わははははは!!」
「ああもう、葉月ってば本当に素直ねぇ。恭介を褒めてやらなきゃなんないわ」
「よし、かわいいから小遣いやる!」
 ……なんだ、この目の前で繰り広げられているアホみたいな光景は。
 あ、いや。
 アホどころじゃねぇな。
 なんつーか、馬鹿の集まり。
 あー、まさしく。その言葉がすげぇしっくり。
「もう……伯父さんも伯母さんも、お酒飲みすぎだと思うよ?」
「だって久しぶりに会ったらこんなにかわいい子になってるとか、もう、おばちゃん泣けてくる……」
「うわ、母さんまじで泣いてるし。ちょ、孝兄、なんとかしてくんない?」
「無理」
 遠くから声がかかったが知らないふりして手を振ると、たちまち数人の従弟妹連中がブーイングした。
 が、我関せず数の子を食う。
 親父が一番上ってこともあって、従弟妹連中はみんな俺より年下。
 優人は母方の従弟だからここには当然いない。
 つか、長男の親父はどこ行ってんだよ。
 てっきりここに居るもんだと思ったのに、いるのはなぜかお袋だけで、しかもかなり酔っていると見た。
 あー、最悪。近寄らねぇようにしよ。
「ああもぉルナちゃんってばかわいぃい……ウチにお嫁にきてよぉぉ」
「わっ!」
「ごふっ!!」
 とんでもない声が聞こえ、数の子が丸ごと喉へ落ちた。
 塊というよりもう少しデカいそれが、なんとか通過……ってマジで死ぬかと思った。
 新年早々こんなことになるなんて、ちょ、神様身内に厳しくねぇ?
「孝之の性格じゃダメなのはわかるけど、お金だけはなんとかするからぁぁ!!」
「お、伯母さん、酔ってます……?」
「いいえっ! 酔ってないわ! シラフよ!!」
「どこがだ!!」
 盛大に絡んでいるお袋へつっこみを入れるものの、葉月へしなだれかかったままこちらには目もくれなかった。
 うわ、やべぇぞアイツ。
 早いとこ引き離さないと……と思ったところに、タイミングよくあっちのふすまから親父が登場。
 葉月が困ったように笑っているのを見てすべて察知したらしく、回収へ向かった。
「…………」
 あー、頭いてぇ。
 酔っ払い連中から目をそむけ、ついたままのテレビへ視線を移す。
 が、そんな群の中で、意外にも葉月は嫌そうな顔ひとつせずどころか、むしろ楽しんでるように笑っていた。
 人ごみから林道を抜け、奥まったところにある本家であるじーちゃんちに入った途端、馬鹿デカい声とともに、葉月は俺の隣から奪取されていった。
 まさに字の如く、『奪取』。
 あの光景はきっと、しばらく忘れようと思っても忘れられないだろう。
「ねえねえ、お酒新しいのないのー?」
「おーい。グラス足りないぞー」
「あ! チャンネル変えていい? ちょっと、見たい番組あるんだよねー」
 相変わらず途切れることのない、酒と煙草の強烈な匂いとやかましい声。
 でもまぁ、どいつもこいつも好き勝手なことをやっているお陰で、俺はこうしてたらふく手酌ができるんだけど。
「いよっ! 飲んでるか? 馬鹿者!」
「うわ!?」
「あ? 違うな。若者か! あはははは!」
「……いってぇな」
 ひたすら飲み食いだけしてたにもかかわらず、いきなり背中を叩かれた。
 ジンジンする痛みと、嫌でも鼻につく煙草と酒の匂い。
 ……で、この声。
 こんなの振り返るまでもなく、ひとりしか思い当たらない。
「出たなクソオヤジ」
「はっはーん? 相変わらず口がワリーな、クソガキ」
「あ!? なんで人の勝手に飲むんだよ。向こうにあんじゃん」
「いーじゃねぇか、お前の腹が痛むわけでもなし」
「そーゆー問題じゃねーって」
 どすっとデカい音を立てて空いている隣の座布団へ座り、俺の徳利(とっくり)を奪った彼に手を伸ばす。
 が、当然奪い返せるワケがなかった。
「ぶふーー!」
「うっわ最悪!! きったねぇ」
「なんじゃこりゃ! えぇ? 酒じゃねぇのかよ!」
「ったりまえじゃん。車で来てんだから」
 わざと俺へ向かって吹きやがった彼の顔をあっちへ向かせ、テーブルに置かれていた布巾を放る。
 が、途端あっちにいたお袋やら叔母やらがやいのやいの俺を責め、なんで張本人じゃねぇのに俺が叱られなきゃなんねぇのかと若干腹が立った。
 俺じゃなくて、悪いのはこの叔父貴じゃねーか。
「ったく、つまんねーな。酒飲めよ酒。今日は無礼講ってやつだろ? あん?」
「あのな。仮にもアンタ本職だろ? そーやって犯罪へ向かわすなって」
「いーんだって。今はほらなんだ。プライベート? ってやつじゃん」
「……いや、公私関係なくね?」
「うっせーガキだなー。ムダにパクんぞ」
「それこそ犯罪じゃん。つーか犯罪を勧めるのも、何か罪じゃなかったっけ? なんたら幇助(ほうじょ)とかっつって」
「まあなんだ。ほら、今は職務外に起きたことだしな」
「いや、待ておっさん」
「誰がおっさんだ。曹介(そうすけ)さぁんだろ?」
「一度でもンな呼び方してなくね?」
 ひったくられた徳利を奪い返し、湯飲みへホット烏龍を注ぐ。
 俺だってそりゃ飲みたかったよ。当然な。ビールだし、日本酒だし。
 って、机の端っこに置かれてるあの黒い瓶、ばーちゃんちの生造りの新酒じゃん。
 てっきり、持って帰ってきたお袋がどこかへしまいこんだんだと思っていたが、まさかここ用だったとは。
 宮本酒造。
 市内にある老舗酒造は、もちろん酒だけじゃなく味噌やら麹やらといった発酵食品も扱っている。
 ……で。
 今あそこですっかり酔っ払ってヤバい顔してる、お袋の実家なんだけどな。
 あーー絶対残んねぇヤツ。
 俺だって飲みたかったのに……くそ。
 こーなったら泊まるか、いっそ。
 んで酒が抜けた明日の昼ごろ帰るっつーのはどうだ。
「はー……」
 何してんだ俺は。ああカワイソー。
 目の端で叔母が瓶を開けたのを見ながら、盛大なため息が漏れた。
「なんだなんだ。正月からずいぶんシケてるじゃねーか。どうした? パチンコですったか?」
「違う」
「真面目か!」
「そうでもねーけど」
 彼は、親父の弟……つかさ、親父ああ見えて5人兄弟の長男なんだよ。
 今どき聞かない家族構成だが、俺にとってはこれが事実なんだか仕方ない。
 ばーちゃんもうまく生んだなと感心するが、親父と恭介さんの間には2人の叔母に挟まれる形で曹介さんがいる。
 さっきも言ったが、こんなナリにもかかわらず現職の警察官で、今ではそこそこ上の階級まで進んだらしい。
 『偉くならなきゃ、できないことがある』を口癖のように昔は言っていたが、偉くなった今はそれを言わなくなった。
 警察官ってよか、むしろパクられる側の人間みてーなツラしてるからこそ、世の中わかんねぇなと素直に思う。
「で? どーよ。最近」
「何が?」
「んんー? 相変わらず、恭介に仕込まれたことばっかしてんだろ?」
「別に」
「えーい、このマセガキが!」
「マセてねーし。つか、ガキじゃねーから」
「んだよー。つめてーなぁー、たぁくーん」
「ぶ!! 馬鹿じゃねーの!」
「馬鹿だァ? あー? ンなこと言ってんと情報やらないよ?」
「だ――……から、それは困る」
「ならンな口利けないねぇ?」
「……っち。相変わらず、妙なところで細かいな」
 急に真顔になった彼へ瞳を細めると、けらけら笑いながらビールを手繰り寄せた。
 ある種の弱みを握られてるのが、やっぱり痛い。
 まぁ、そうは言っても新しいアレの設置場所とかをこと細かにマップつきで受け取ってる身としては、文句も言えねーし。
 お陰で、フェイクまでしっかりわかるようになったから、いろいろと便利になった。
「イイ顔するようになったなー」
「……は?」
 ビールをグラスに注ぎながら、曹介さんがくっくと喉で笑った。
 だが、そうは言いながらも誰も見ていない。
 ……俺? じゃないよな。まさか。
 となると――……。
「あー、葉月か」
「いやー、見ねぇうちにいい女になったわ」
「……は?」
「つーか、えろいな」
「ッ……おっさん」
「お? どうした?」
 にやりと笑った横顔を見て、自分でも驚くほど低い声が出た。
 それはダメだろ。アウトだろ。
 そっち対象に見たら、それこそ犯罪だからな。
 だが、曹介さんは俺をちらりと見たものの、にやにや笑ってまた葉月へ視線を戻した。
「あれは相当いい女に育つぞ。所作といい、雰囲気といい……化けるね」
「…………」
「コトの最中とか、相当艶っぽいだろーな」
「オッサン正気か? 姪っ子相手にンなセリフ吐くとか」
「今のうちにツバつけとかなくていいのか?」
「なんで俺が」
「仕込むの得意だろ?」
「ばっ……あのな。なんで身内に手出すんだよ。それこそアウトじゃねーか」
 とんでもない発言をされ、思わず烏龍茶を吹きだすところだった。
 手を出していい対象とは違う。
 ……そう。
 アイツへ俺が手を出したら、それこそアウトなんじゃねぇのか。
「…………」
 こんなところでそんな話になっているとは露ほども知らない顔で、葉月は笑っている。
 そう。知らなくていい。
 アイツは、こんなゲスい話に巻き込まれなくていいだろ。
「いいのか? 知らねぇ男にかっさわれても」
「いや、だから……」
「羽織そっちのけで、昔っから人一倍大事にしてたくせに。いーのかなー?」
「……うるせぇな。ンなことしてねーよ」
「いーや、あるね。ガキのことくれぇ、周りの大人がわからねーでどうする」
 昔から変わらないセブンスターを1本くわえた彼が、意味ありげに俺を見た。
 ……くそ。
 その瞳は、相変わらず苦手だ。
 顔は笑っていても、目だけはそうじゃなくて。
 冗談ばかり言っていても、酒を飲んで酔いつぶれていようとも、その瞳だけは変わることがなかった。
 ……どれがホンモノで、どれがフェイクか。
 彼の場合は、それがよくわからない。
 あー……そういや、恭介さんもそういう部分があったな。
 やっぱり、曹介さんの周りへの影響力っつーのは、底知れないモノかも。
「僕ちゃんとっても悩んでますって顔してんぞ?」
「別に悩んでねーし」
「いやーいいねー若者。あ、馬鹿者か」
「くどい」
 顎を撫でるように手のひらを当てた彼が、そう言ってまた笑う。
 ……まぁ、確かにソレに関しては否定しない。
 否定はしないが――……やっぱり、『うん』とは言えないモノで。
「つか、悩まないヤツなんていなくね?」
「そーか? お前みたいにわかりやすかったら、世の中もちっと生きやすくなると思うけどね」
「うわ、ひでぇ。おっさん」
「何言ってんだ。お前だって、もうイイおっさんじゃねーか」
「誰が」
「男なんて20歳過ぎりゃ立派なオヤジだよ」
「いや、さすがにそれはなくね?」
「同じ穴のむじな」
 いやいやいや、違うって絶対。
 そうは思うが、相手は瓶ビール数本空けてる酔っ払い。
 今さら絡んだところで、どうせ覚えちゃいないだろう。
 ため息にも似たものを吐き、箸を握りなおしてチャーシューをつまむ。
 ……と、ちょうど対角にいる葉月が目に入った。

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