「お邪魔します」
「どーぞー。あ、好きな所座ってね」
「ん。ありがとう」
3月も、いよいよ数えるほどになってきた本日。
初めて絵里ちゃんのお家にお招きいただいて、今日は羽織と3人でお茶会をすることになっていた。
絵里ちゃんのお家ということは、もちろん田代先生の家で。
瀬尋先生のマンションと、似てるように感じたのは一瞬。
玄関から中に入ってすぐ、やっぱりインテリアが全然違って、いかにも絵里ちゃんらしい部屋になっていた。
キッチンなんかも広々としていて、使い勝手がよさそう。
……なんて言ったら、『ここが1番落ち着くとかって純也も言ってた』と絵里ちゃんは笑った。
「これ、少しだけど……」
「え? なになに?」
「ティラミス。作ってみたの」
「えー! ホントに!? やだ、私ちょー好き!」
「よかった」
カフェオレを淹れてくれた絵里ちゃんに、紙袋から取り出したタッパーの蓋を開ける。
まだ寒さが残るとはいえ一応保冷剤を入れてきたお陰か、家で支度をしたときと寸分違わぬ姿でココットがきちんと並んでいて、内心ほっとする。
「すごーい! ティラミスって、作れるの?」
「うん。私もね、教えてもらったんだけど……本当に、お店みたいな味になるよ」
「へぇえー」
「私にも教えてー」
「ん。もちろん」
きらきら目を輝かせながらふたり揃って見つめられ、少し照れくさくなる。
自分でも、ティラミスを作れるなんて思いもしなかった。
だけど、随分前に友人が教えてくれたのだ。
そのとき、『手間がかからないのにウケがいい』と笑って言っていたけれど、こうして作ってみると実感する。
「それじゃ、定例会始めましょ」
「はぁい」
いつしか、定期的に開かれるようになっていた、3人だけのお茶会。
同い年でかつ、彼同士の交流もあり、それでいて彼らを共通の知人として持っている間柄だからこそ、できること。
それが、私には実はとても嬉しかった。
だって、なかなか恋愛の話ができる相手なんて、そうはいない。
しかも同い年でなんて……もってのほか。
……やっぱり、なかなか人には言えないような悩みだったりという話題を口にできる関係は、そう容易くできるものじゃないから。
それもこれも、きっと目の前で幸せそうにティラミスを食べてくれている、絵里ちゃんのあっけらかんとした物事の切り出し方のお陰なんだろうけれど。
「……はー……うまし」
「よかった。絵里ちゃんも、作ってみてね」
ほう、と頬に手を当てて満面の笑みを浮かべた彼女に笑うと、まばたきを見せてからひらひらと手を横に振った。
「やー、無理よ。無理。……あ、でもレシピは教えてもらおうかな。ウチのパティシエに作らせるから」
「すごーい。パティシエもおかかえでいるの? おばあちゃんのお家」
「……あのね」
ぱちん。
「あいた!」
「わたしゃ、貴族か何かか。違うでしょ! ウチのっつったら、純也しかいないじゃない!」
「……あ、そっか」
「ったく」
「もー……でも、だからっておでこ叩かなくてもいいのに……」
「イイ音したわねー、アンタ」
「絵里がやったんでしょ!」
「あはは」
ちょいちょい、と羽織を手招きして何をするのかと思いきや、まるで蚊でも叩くかのように、彼女の額を指先で叩いた。
途端に響いた音は、確かにいい音だったと思う。
……でも、赤くなってるんだよね。
眉を寄せてさすっている羽織を見ながら、苦笑が浮かぶ。
「で?」
まるで、お茶でも飲むかのようにカップの縁を上からつまむように持ち上げてカフェオレをひと口飲んだ絵里ちゃんが、おもむろに私に向き直った。
「たっきゅんとは、もうえっちした?」
「っ! ごほっ……けほけほ!」
「わ、大丈夫?」
「……ん、だいじょうぶ」
実はあんまり大丈夫じゃない。
唐突すぎるというか、脈絡がなさすぎるというか。
目を見て何を言われるのかと思いきや、まったく想像してなかったことすぎて、とんとんと胸を叩きながら呼吸を整える。
かぁっと顔が熱くなったのは、もちろんそれだけのせいじゃないけれど。
「いや、だってさ。いくらなんでも、もう3月でしょ? てことは、ちゅーのひとつやふたつやみっつだけに留まらず、あのたっきゅんのことだから、もうツバくらいはつけたんじゃないかなぁと」
「……絵里、おじさんみたい」
「うるさいわね。こういうのは、単刀直入に聞くのが1番いいのよ」
眉を寄せて彼女を見るものの、まったく気にする様子もなく、袖を引いた羽織を振り払っていた。
……さすがというべきか、なんというべきか……。
「…………」
こくん、とカフェオレをひと口飲み、目の前の絵里ちゃん……ではなく羽織をちらりと見る。
別に、この手の話ができないわけじゃない。
これまで、ふたりのことはいろいろ聞いてはいるし、私も別に話さないつもりでいるわけじゃないんだけど……でも、やっぱり。
彼の立ち位置で絡む、問題のような部分もあって。
「あまり、いい気持ちじゃないでしょう?」
「……え? 私?」
羽織を見て言ったつもりだったんだけど、当の本人は目を合わせたままなのにしばらく反応がなかった。
そのとき、カフェオレを飲んでいたからというのもあるかもしれないけれど。
「なんで? ……私、何かした?」
「ううん、そういうんじゃなくて。だって、ほら……たーくんは、羽織のお兄さんなんだし」
「そう……だけど」
「だから、自分が1番良く知ってる人のそういう話って……嫌じゃない?」
1番気になっていたのは、そこ。
自分の身内の秘めごとの話は、聞きたくないと思うのが普通だ。
だから、まず彼女に聞くことが大切だと思った。
許可をもらうのとは違うと思うけれど、わざわざ嫌な思いをさせるようなことはしたくない。
「んー……確かに、聞いてて『え、そうなの?』とか『意外!』とか思うことはあるかもしれないけれど、でも別に……」
「そう?」
「うん。だってほら、それを言ったら……私たちだって、同じようなものでしょ?」
「え?」
「そうよ。葉月ちゃんは、十分ウチらの彼氏のこと知ってるんだから。『こんな顔してあんなことするんだ』とか想像するのは、みんな一緒でしょ?」
「っ……絵里!」
「え、だってそういうことじゃないの?」
「そう……じゃないんじゃないの?」
「そお?」
「だよね?」
「えっ? あ……うん、ええと……そうね。かもしれない」
さらりとすごいことを口にされ、またカフェオレでむせるところだった。
でも、改めて思う。
あぁ、やっぱりこの2人なら大丈夫なんだ、と。
……そっか。
私、変に気を遣おうとばかりしていたのかもしれない。
だって、ふたりは私を迎え入れてくれた。
ひとりの、同い年の友達として。
……ううん。
それ以上の存在として。
「ちなみに。羽織は?」
「え?」
「最近えっちしたのいつ?」
「えぇ!?」
ティラミスをすくった彼女へ、絵里ちゃんがくりっとしたまなざしを向けた。
直接的どころか……もう、なんて言ったらいいんだろう。
あまりにもな話で、羽織は顔を赤くした。
「うぅ、そんな……え、どうして?」
「だって、葉月ちゃんのその話聞くんだもん。フェアじゃないでしょ? あ、ちなみにうちは一昨日ね」
絵里ちゃんは、表情を変えることなくさらりと答えた。
えっと……そんな、あの、具体的に教えてくれちゃうことなの?
でも、そうね。確かに、彼女がそう言ってくれるのは理由があるんだろう。
絵里ちゃんとはまだここ数ヶ月のお付き合いだけれど、表裏のないはっきりした人だということは十分わかっている。
「で?」
「ぅ……昨日」
「へえ」
「……もぉ、そんな顔しないでよ」
羽織は、真っ赤な顔で緩く首を振ると、視線を外した。
……ふふ。本当に、ふたりとも秘めごとでさえ共有しようとしてくれるのね。
でも、ふたりの話を聞きながらつい自分のことも思い浮かべた途端、身体は反応しそうになった。
「ふふ。絵里ちゃんらしくて、とってもすてきね」
「え? 何が?」
「フェアって思ってくれるところ。そんなふうに言ってもらえて、嬉しい」
カフェオレを飲んだ彼女に微笑み、両手でマグを包む。
まだ熱い感触のおかげか、どきどきはごまかせそうだった。
「……えっと、さっきの返事だけど……」
「え?」
ココットに残っていた最後のティラミスをスプーン山盛りにして頬張った絵里ちゃんを見つめ、それからゆっくり羽織を見る。
「……うん、って言えるかな」
両手でマグカップを包みながら呟いた言葉は、予想以上に自分の心と身体を熱くさせた。
まっすぐにはふたりの顔を見れなくて、どきどきしてしまう。
「っ……え?」
「おめでとうー! よかったね、葉月!」
「ついに、オトナの階段のぼったのね!! ぃよっし!」
「あはは。ふたりとも、ありがとう」
なぜか、ふたり揃って拍手をくれた。
絵里ちゃんにいたっては、『今日はお赤飯ね!』なんて口にするほど。
ちょっぴり恥ずかしいけれど、とても嬉しくなる。
言うならば、共通の秘密を持った仲間というところかな。
そんな気分だ。
「…………」
「……? なぁに?」
頬杖を付いてまじまじ私を見つめた絵里ちゃんに軽く首をかしげる。
だけど、その姿勢と真顔を崩さないまま彼女はしばらく私を見つめた。
「でも、そうよね。わかる」
「え?」
「だって、相手は葉月ちゃんよ? 葉月ちゃん」
「……私?」
「私、多分自分の彼女が葉月ちゃんだったら、会ったその日に拝み倒してベッド行かしてくださいって感じだもの」
「ええっ?」
真顔ですごいことを言われ、目が丸くなる。
「絵里ってば……また、すごいことを……」
羽織が手を顔に当てて、小さくため息をついた。
どうやら、『また』というあたり以前にもあったらしい。
「葉月ちゃん、きれいよね。すごく」
「っ、そんなこと……!」
「ううん、謙遜ナシね。ホントに。本気と書いてマジで思うから。私」
まるで何か名推理をしている探偵のように顎に拳を当てた彼女が、何度もうなずく。
面と向かってそんなふうに言われたのは、初めて。
びっくりして、言葉が出ない。
「だって、髪とかつやっつやのさらっさらじゃない? 肌だって、毛穴なんてないんでしょ? ってくらい、すーべすべだし。まさに、陶器の肌のお手本みたいな」
「肌は、ほら。お化粧してるし……」
「どこを?」
「……えっと……眉……とか、唇とか……」
「素肌でしょ?」
「薄くおしろいは使ってるけど……」
「ファンデなしなんでしょ?」
「…………うん」
ずずい、と顔を近づけた彼女が、ぺたりと頬に触れた。
顔は、先ほどよりも真剣。
すごく近い場所で何度もファンデーションを使っているのかどうか聞かれ、最後にはうなずくしかできなかった。
「でも、肌なら絵里ちゃんだって……」
「いーえっ。コレは、アレよ。ファンデ塗ってるもの」
「いくらファンデーション使っていても、しっかりお手入れしてなきゃきれいには仕上がらないでしょう?」
「……それは……」
「絵里ちゃんだって、私と一緒だよ」
私よりも、彼女のほうがキメ細やかで色が白い。
どんなにカバーできる化粧品を使ったとしても、基礎がしっかりしてなければ、うまく覆うことはできない。
それが、お化粧だから。
「ねぇ、そのつやっつやのぷるんぷるんの唇は、どうしたらできるの?」
「あ、これはね。唇の美容液を最後の仕上げに使うと、グロスよりも持ちがいいし、きれいに見えるんだよ」
「へぇー! そうなの? 葉月ちゃんは、何使ってる?」
「私はほら、ショッピングモールにも入ってるお店の。よかったら、今度持ってくるね」
「ホントに? ありがとー!」
「……あ、私も見たい」
「ん。もちろん」
「ありがとうー!」
ちょんちょん、と肩を叩いた羽織に微笑み、うなずく。
私が知っていることでよければ、いくらでも。
いい物をみんなでいいと思えれば、これ以上すてきなことはない。
「……でも、アレよね」
「え?」
「こうして見ると、かわいいって思うときもあるかしら……」
どうやら、先ほどの話題に戻ってしまったらしい。
面と向かって褒められることがほとんどなかったので、慣れておらずたとえお世辞であっても正直恥ずかしくなってしまう。
だけど、今回はすぐに自分を取り戻せた。
「たっきゅんには、どっちって言われる?」
「え?」
「きれい? それとも、かわいい?」
マグカップを手にした彼女が、私をまっすぐに見つめた。
期待に応えられるよう、これまでのことを少しばかり思い返してみる。
だけど、まばたきを数度してから浮かんだのは苦笑だった。
「えっと……どっちもあまり言われないけれど……2回くらいは、かわいいって言われたかな?」
「…………」
「…………」
「……?」
一瞬、あたりを静寂が支配したのち。
「「えぇええぇぇぇええ!!?」」
訪れたのは、部屋をも震わすふたりの見事な大絶叫だった。
「うっそ!! 本当に!?」
「えっと……うん。覚えてる限りは、だけど……」
「えぇえー! ひどい! お兄ちゃん、ひどーい!!」
「ホントよ! いくらたっきゅんでも、それはないでしょ! ないわよ! ありえない!!」
がばっとふたり揃って私を向き、『それはダメ!』と口々に言う。
だけど、どうしてそこまで言うのか、ちょっとだけわからない。
別に、そんな言葉をもらえなくても、ほかのことを言ってもらえれば、それだけで十分な気がするから。
「どうして怒らないの!?」
「え? だって、別に怒るようなことじゃ……」
「いやいやいや、優しすぎるわよ葉月ちゃん! 怒っていい! そこは怒っていいわ! むしろ怒るべきよ!! だってね、相手はあのたっきゅんよ? たっきゅん! 言わないような人じゃないでしょ! 現に、気が利かない男の殿堂入りした純也でさえ、わりと言ってくれるもの!!」
両肩を掴んだ彼女が、ひと息でまくし立てた。
だけど、1番最後。
その言葉に、顔が綻ぶ。
「すてきな彼ね」
「…………いやいやいや、そうじゃないでしょ!」
一瞬、私が言ったことがわからないかのように目を丸くして固まった絵里ちゃんが、ぶんぶんと首を横に振って私を前後に揺らした。
視界がくらくらと動き、少しだけ酔いそうになる。
「ねぇ葉月、本当にお兄ちゃんでいいの?」
「どうして?」
「だって! ひどいでしょ!! もう少し、こう……もうっ! 私、今度怒るから!」
「えっ! いいよ、そんなことしないで」
「ダメ! そういうわけにはいかないの! だって祐恭さんが聞いたら、代わりに怒ってくれると思うよ?」
「……そうかな?」
眉を寄せて何度もうなずく羽織を見ながら、まばたきをする。
……うーん。
どうやら、私の感覚とみんなの感覚とは大きな誤差があるのかもしれない。
私、そこまで気にしなかったんだけど……。
もちろん、言ってもらえればそれはとても嬉しい。
だけど普段の彼の口から、たとえ生き物や花に対してであっても『かわいい』とか『きれい』なんて単語が出ることすらほとんどないから、たーくんはそういうことを言わない人なんだって認識もある。
「…………」
目の前で私の代わりに怒ってくれているらしいふたりを見ながら、ぬるくなってしまったカフェオレを飲む。
きっと今ごろ、彼は大きなくしゃみをひとつしているに違いない。
……ふふ。こんなに噂されてるなんて、ちっとも知らないんだろうな。
想像しまったせいか、少しだけ笑みが浮かんだ。
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