「……よし。ここはひとつ、葉月ちゃん激カワ計画を発動するわよ」
「うん。そうだね」
「え?」
こぶしを握って立ち上がった絵里ちゃんに、賛成と言いながら羽織も続く。
真剣そのものの表情を浮かべるふたりに見下ろされても、今なおこれから何が始まるのか検討がつかない。
……計画、らしい。
どうやら、私のための。
「まずは、その髪よ!」
びしっと指差した絵里ちゃんが、かがんで髪を触った。
「……うぅっ。なんていい手触りなの……! キューティクル抜群って感じじゃないのもう!」
「そんなことないよ?」
「そんなことあるの! だってほら! 見て! このツヤ! 何!? シャンプーのCM!? みたいな!」
ぶんぶん首を振った彼女に苦笑を浮かべ、トップをまとめていたかんざしを外す。
途端に、襟足付近に残していた髪よりも長い髪が、すとんと背中に落ちた。
それを見てふたりは声をあげる。
「すごーい! 長い!」
「えぇえ、こんなに長かったの?」
「うん」
背中の中ほど。
普段は、耳よりも上の髪をまとめてかんざしを挿し、ハーフアップにしている。
ふたりの前で全部下ろしたことは最近そういえばなかったから、この長さを見るのは初めてなのかもしれない。
「……うっわ。すごい。ここ、ちょーかわいい」
「うわぁ、ホントだー!」
「え? どこ?」
「ほら! かんざしがあったところが、くるんくるんになってるの」
ふたり揃って、目を輝かせながら髪に触れた。
幾つもの、手。
髪を弄られるのは嫌いじゃないけれど、気持ちよくてちょっと眠たくなってしまう。
「うん!! コレよ、羽織!」
「え? どれ?」
「だから、普段ストレートの葉月ちゃんを、くりんくりんの縦巻きにするの!」
「あー! それ、かわいいかもしれない!」
「でしょ!?」
楽しそうな彼女たちを見ているのは、それだけで楽しい。
しかも、私のために何かをしようとしてくれているからこそ。
「ちょっと待ってて! 今、コテ持って来るから!」
「うんっ」
ぱたぱたと奥の部屋に行った絵里ちゃんを見送ると、羽織が私を見てにんまりした。
「えへへ。絶対かわいくなると思うなぁ」
「……そうかな?」
「うん! 楽しみにしててね」
「ん。わかった」
にこにこ満面の笑みでうなずかれ、こちらにも笑みが浮かぶ。
『かわいくなる』
その言葉は、やっぱり嬉しいから。
「……んっふっふー」
しばらくして、ドアから絵里ちゃんがひょっこり顔だけ覗かせた。
何かを後ろ手に隠しているらしい。
それはわかったんだけれど、浮かべている何やら楽しげな表情が少しだけ気になった。
「じゃじゃーん!! ワタクシ、こんな物も発見してしまいました!」
「それ……」
「っそう!! 何を隠そう、冬女の制服でーっす!」
ぴらりっ
彼女が片手に持っていたのは、先日までふたりが袖を通して通っていた高校の制服。
もちろん、私にも覚えがある。
そのデザインを見て、ちょっぴり羨ましくなったのはまだ記憶に新しい。
「かわいい制服だよね。日本の女子高生って、本当に羨ましい」
「でしょ!? 確か、葉月ちゃん前にもそう言ってたなーって思って!! だったら、いっそのことコレ着ちゃう!? みたいな!」
「えっ。でも、いいの?」
「いいのいいの! モチのロンよ!!」
目の前に持って来てくれた制服を触っていたら、彼女が笑みを浮かべて何度もうなずいた。
しかも、ふたつ返事で了承してくれたことに、ぱっと自分でも目が輝くのがわかる。
「ありがとう、絵里ちゃん」
「わっ!? やーんもう、ちょーかわいいんだけど!」
思わず抱きしめ、顔を覗く。
だけど、それよりも前に絵里ちゃんは頭と背中を交互に撫でた。
「っさ! そうと決まったら、善は急げよ! いいわね、羽織!」
「うんっ! わかった!」
がしっと握手を交わしたふたりが、改めて私に向き直った。
どうやら、これから何かが始まるらしい。
「葉月ちゃん。私たちが、とびっきりかわいくしてあげるから」
「ん、ありがとう。楽しみにし……え?」
こほん、と咳払いした絵里ちゃんが、ひたりと私の頬に手を当てた。
……だけど。
気のせいじゃないと思う。
わきわきと動いた彼女の両手が、服にかかってきたのは。
「じゃあ、まずは脱いでみよっか」
「っ……え……!?」
そのときの絵里ちゃんの顔は、なんだか一瞬男の子のように見えた気がした。
「やぁあああだぁああ!! ちょっ! ちょーっとぉ! 犯罪でしょコレ! 何このかわいさ! ていうか、似合いすぎだし!」
「……変じゃない?」
「ずぇんっぜん!! びったんこよ、びったんこ! めちゃめちゃかわいい!! ……うん、ヤバイわ。これは超絶ヤバす。姫ね、姫。間違いない!!」
「っ……言いすぎだよ、絵里ちゃん」
「とぉんでもございませんことよ!!」
あれから、1時間位は経っただろうか。
『でーきたっ』とふたりが声を揃えた途端、大きな声で絵里ちゃんが両手を頬に当てて目を輝かせた。
「まあまあまあまあ、まぁああっ! いやっぱり、私の目に狂いはなかった。かーぅあーいーいーっ!」
「……なんか、恥ずかしい……」
「そんなことないってば! ホントに! ねっ、羽織!?」
「うんうんっ!! 葉月、すごいよ! かわいいのっ、すーごく!」
ほんの少しだけ、彼女の頬が紅潮しているように見えるのは、気のせいだろうか。
そんな顔で見られると、こっちまでどきどきしてしまう。
「えっと……なぁに?」
絵里ちゃんが、座ったままの私を上から下までしっかり見たあと、両手を腰に当てて満足げに何度もうなずいた。
その瞳が、何かを物語っているように見える。
……というか……胸を主に見られているような気が……というか……。
「それにしても、このふくよかすぎる胸は……くぅっ! たっきゅん、なんて果報者なのっ!!」
「っ……どうしてそこで、たーくんが……」
「いや、だって! この胸に触れるのは、彼だけなのよ!? 好きなようにできるのよ!?」
「え、絵里ちゃん……っ」
「私も大きいと思ってたけど……うむぅ。そのブラウスの張り方は、ハンパないわ。苦しくない? 大丈夫?」
「……ん、大丈夫」
1番上のボタンを外しているからか、苦しくはない。
……でも、ちょっと恥ずかしいかな。
上着を着ていないと胸の形がはっきりと出てしまって、今の状況では外に出られない。
「いいなぁふたりとも、大きくて……」
ぽつりと呟いた羽織に、揃って目が行く。
途端、絵里ちゃんは大きなため息をついた。
「何言ってんのよ。アンタだって、ずいぶん育ったクセに!」
「っひゃぁ!? やっ……え、絵里! えっち!」
「いいのよ、女同士なんだから。ていうか、そのセリフは祐恭先生に言ってやんなさい! 私よかよっぽどエロいことし――はぶっ」
「もうっ! 絵里!!」
顔を真っ赤にした羽織が、絵里ちゃんの口を押さえた。
……うーん。
もしかしなくても、絵里ちゃんは胸を触ることに戸惑いを感じてはいないらしい。
私に続いて羽織まで両手に収めたのを目の当たりにして、思わず苦笑が浮かんだ。
「さっ! それじゃあ、いよいよお披露目しましょ」
「あ、そうだね!」
手を引いて立ち上がらせてくれた彼女が、そのまま廊下のほうに歩き始めた。
どうやら、洗面所に連れて行ってくれるらしい。
……なんだか、どきどきする。
実はまだ、鏡を一切見ていない。
途中でお願いしたんだけれど、最後のお楽しみと言っておあずけにされたのだ。
だから、自分がどんな格好をしているかはなんとなくわかるんだけれど、どんな髪型にされたのかはほとんどわからなくて。
そのふたつが合わさった今の自分がどうなっているのか、実はとても楽しみだった。
「さ、目を閉じて」
「……ん」
入り口でそう言われ、素直に従う。
1歩、1歩。
両肩を支えられて進むと、ほどなくして足が止まった。
……変、じゃないといいな。
せめて少しでも……かわいいと、嬉しい。
ううん、きっと大丈夫。
だって、私のためにふたりが一生懸命してくれたんだから。
「…………」
目を閉じれば浮かぶのは、たーくんの姿。
彼に、そう言ってもらえたら何よりも嬉しい。
ふと笑ったときの彼が浮かんで、ほんの少しだけ頬が緩んだ。
「さ、目を開けていいわよ」
そっと。
ゆっくり瞳を開け、足元から徐々に視線を上げる。
「っ……!」
目の前にある、大きな鏡。
そこに映っていたのは、嬉しそうな顔をしているふたりと、ゆるやかな内巻きの髪型の子がひとり。
……そう。
制服を着ている、私だ。
「……私……」
「ね、ねっ? かわいいでしょ? ヤバいでしょ!?」
思わず鏡に近づき、まじまじと見入ってしまう。
だって……だって、こんな髪形をしたのも初めてならば、この制服を着たのも初めて。
……どうしよう。
いつも鏡で見ている自分の姿とはまるで違って、それが妙に嬉しい。
こんな姿、初めて。
これが私なんて自分でも信じられないんだから、お父さんが見たらきっととても驚くだろう。
「どう?」
「とっても嬉しい……! ふたりとも、本当にありがとう!」
「よかったぁ」
にこにこしながら私を見た羽織に、満面の笑みでうなずく。
満足げに笑って顔を見合わせたふたりが、揃って『ピース』したのを見てまた嬉しくなった。
「私の学校ね、制服がワンピースだったの。だから、こんなふうにセパレートの制服を着たのは初めて」
「えっ!?」
「ワンピース!?」
大きなリボンと、幅の広いプリーツのスカート。
嬉しくてそっと触りながら呟いた途端、ふたりは大きな反応を見せた。
「うん。白地に紺のラインが入ってるんだけど……この辺の丈でね」
「うっそ! そっちのほうが、絶対かわいいよ!」
「うんうん!」
「……そう、かな?」
「そうだよ!!」
「絶対!」
まさかこんな反応をされるとは思わなかったので、正直驚いた。
でも、そういうものなのかもしれない。
この服だって、そう。
ふたりにしてみれば当たり前で、特別な思いを抱くようなものでもないかもしれない。
でも、私にとっては目新しくて。
自分が知っている物とはまるで違うから、特別に思う。
それと同じように、きっとシニア時代に着ていた制服は、ふたりにとって目新しく映るんだろう。
「処分はできなくて結局持って帰ってきたから、よかったら今度見てね」
「そうなの!? え、見たい! すっごい見たい!」
「私も! あ、ねぇ。今度葉月ちゃんのあっちでの写真とか見に行きたいんだけど、いい?」
「もちろん。おやつも用意するね」
「やったっ!」
あちらでの暮らしぶりは、羽織にこそ写真でやり取りしていたけれど、絵里ちゃんにはまだ見せたことがなかった。
でも、羽織も見てないもののほうが多いんじゃないかな。
唯一、写真という媒体ではなく、“現実”という何よりのものでほんの少しだけ体験してくれたのは、たーくん。
もう1ヶ月前になる、あの、オーストラリアでの時間。
彼だけが、ほんの少しとはいえ、向こうでの私を知っている。
家であり、友人であり、近所であり。
通りを歩きながら、ずっと昔のことから最近のことまで、話しながら歩いた。
とはいえ、すべて話せたわけでもなければ、見てもらえたわけでもないから、彼でさえきっと知らないことはまだ多いはず。
別に知られて困ることがあるわけではないけれど、特に知られなくても支障がないならば、それはそれで……なんて言ったらまるで秘密を抱えている人みたいね。
……秘密がないかと言われれば、困るのも事実だけれど。
「さぁーて、それじゃあ決行しましょうか」
「え?」
「何を?」
私の姿を見て、まるでひと仕事終えたとばかりにうなずいた絵里ちゃんが、パンパンと手を叩いた。
でも、そこまではどうやら羽織もわからなかったらしく、私と顔を見合わせる。
一瞬、絵里ちゃんがにやりと笑ったような気がしたのは、どうやら気のせいじゃなかったらしい。
「私たちも、最後の『女子高生』やるわよーっ!」
びしっと天井に人差し指を向けた彼女が、高らかに宣言した。
女子高生を、する。
それがどういう意味かわかったのは、この数分後のことだった。
|