「……お前、ほぼほぼウチにいねーか?」
昼下がりのリビング。
今日は平日だが、先日の土曜の代休で休みを取った。
お袋と親父は当たり前のように朝から仕事。
羽織は10時ごろ起きたが、昼を絵里ちゃんと食べる約束があるとかで出かけて行った。
おかげで今、我が家はほかに人はいない。
……ま、葉月はいるけど。
天気がいいこともあり、リビングの掃き出し窓を開けての片付けと称したある意味趣味の一部へ時間を費やしていたら、すぐそこへ黒猫が姿を見せた。
毛ツヤのいいコイツは、アキのところの飼い猫。
まぁ飼い猫っつっても出入り自由の気まま猫だから、こうしてウチにはよく姿を見せる。
年末に洗車をしていたときも水を嫌がらずそばに寄ってきたし、今日だって……。
「なんも食いモンねーぞ」
下ろしていた足へ擦り寄ってきたところを抱き上げると、ぐるぐると喉を鳴らして目を閉じた。
納戸へしまいっぱなしだった工具類と最近使っていなかった車のチェーンに、いつ買ったのか不明のオイルや添加剤。
いつか片付けると言いながら年単位で過ぎ去っていたのを、お袋が突然部屋へ一式持ってきやがったのは昨日の夜。
っとに、片付けスイッチが入った途端平日でもやりやがるから、周りは迷惑なんだっつの。
どうせなら週末にやれよ。そんで、俺のとこへもそンとき持ってこいっつの。
残業でぐったりしてたところに持ってこられ、さすがにカチンときた。
「……お前はいいな、自由気ままで」
ひとこと、ふたこと、みことくらい言ったところで『じゃあ全部不燃の日にまとめて捨てるから』宣言され、口をつぐんだ俺は偉いんじゃねーの?
仕方なく休日に時間を割くことになり、まあ……いいけど。掘り出し物もあったし。
どうやら初任給のころウハウハで買ったらしい値段の張るワックスと新品のミニツールボックスが出てきて、いわゆる掘り出しモンには出会えたから。
「たーくん、猫になりたいの?」
「……どこを聞いたらそーなんだよ」
「だって、とっても羨ましそうに話しかけてるんだもん」
すぐ隣へしゃがんだ葉月が、くすくす笑いながら俺の膝にいる猫を撫でた。
サンサンとした日差しを受けて、きらりと光る毛並。
はー、あったけ。
春も終わりだというのに風が冷たいせいか、日差しをめいっぱい受けているコイツはカイロ並み。
「あ」
「ふふ、かわいい」
今日の昼飯はがっつり中華のかた焼きそばだったこともあり、どうせならコイツと昼寝を……と思ったら、葉月のひざへとすんなり移っていった。
重さもないが、ぬくもりもない。
あるのは、一瞬俺と目が合ったものの、知らんふり全開で丸くなったコイツの抜け毛だけ。
「……ンだよ。やっぱお前もオスってことか」
「え? どういうこと?」
「どうせ触られるなら、男より女のほうがいいってことだろ」
「……たーくんも?」
「なんで俺に話が飛ぶんだよ。俺は男女問わず触られるのは好きじゃない」
「そうなの?」
「ッ……食いつきすぎだろ」
肩をすくめた瞬間反射とも呼べる勢いで顔を覗かれ、逆にのけぞる。
別にそーゆーんじゃねーけどっつーか、お前そこか? 食いつくとこ。
「っ……」
「お前は触られたいわけ?」
「……ん。嬉しい」
「…………」
「え?」
「……別に」
全然別にじゃねーけど、これ以上話を膨らませないことにする。
ひたりと頬へ触れると、それこそ擦り寄るように嬉しそうな顔をされ、ぞくりと背中が反応しそうになった。
そーゆー顔すんなよ。こんな昼間から。
気を遣う相手は皆無だからこそ、別にここで押し倒してやっても問題はない。
……が、俺はアイツと違う。
ところかまわず手を出すような、不良教師じゃない。
理性ってもんがある。
現実検討能力はきっと高いはず。
「……ンだよ」
「触ったらだめかな?」
「別に」
「顔はそう言ってないよ?」
「生まれつきだ」
悪かったな。
同じように頬へ触れた葉月へ小さく舌打ちをし、スカートの上ですっかり丸くなった猫の背を撫でる。
あー、あったけ。
……って、尻尾で人の手払うとかお前、ガチじゃねぇか。
さっき俺に擦り寄ってきたくせに。
これでも、動物には割と好かれるタチ。
ただまあ……ぶっちゃけ犬はそんなに好きじゃないっつーか、得意じゃない。
かわいいとは思うし、触れるには触れる。
だが、小さいころ近所で飼われていた割と大型の犬に追いかけられた覚えがあり、若干ひくつく程度。
恐いわけじゃない。ただ、得意じゃないだけ。
大事だから、二度言っとく。
「お前、動物好きだっけ?」
「うん。家で飼ったことはないけど、よく遊んだから」
「へぇ」
じーちゃんちではずっと犬を飼っていたこともあり、恭介さんも動物は嫌いじゃなかったはず。
犬をはじめ、うさぎ、猫、文鳥、インコ、ハムスターにカメ。
俺が知ってる彼は、まるで猛獣つかいよろしくさまざまな生き物を手なずけていた。
葉月はひとりっこだったし、てっきり向こうでは何かペットを飼っていたんだとばかり思っていたから、意外だ。
それこそ、土地はいくらでもあるだろうに。
「一度犬を飼いたいってお願いしたことがあるんだけどね、お父さん……すごく悲しい別れをした経験があるから飼いたくないんだって言われたの」
「……あー」
「そのときの話を聞いたら、それだけで私も悲しくなっちゃって。ああ、人って長生きするんだなぁって思ったの覚えてるよ」
それは果たして、いいのか悪いのか。
恭介さんも飼うことがダメだと言うつもりはなかっただろうが、まあ確かに、別れを経験した人間は『次』を予想する。
だから、の話だったんだろうが、その経験だけでも葉月にとっては貴重な命の授業に値するんじゃないか。
「こっちだと、小型犬を飼ってる人が多いけど、向こうは逆なの。大きい子たちと住んでる人が多かったかな」
「へー。まあ、土地もあるしな」
「そういうことかな?」
「さあ。あとはガタイいい連中多いし、大型犬のほうが家族って感じするとか……なんかそんなか?」
「かもしれないね」
葉月が猫の背を撫でると、手が頭の上へきた瞬間、両前足で手を掴んだ。
抱え込むように抱き、ごろりと腹へ当てさせる。
……お前、そんなこと俺にしないくせに。
付き合い長いのに、そりゃねーだろ。
嫉妬でもなんでもないが、なんとなく切ない気はした。
……まあしょうがねぇよな。お前もオスってことだろ。サガなんだろ。そうだよな。そうしといてやる。
「…………」
「ふふ。くすぐったいよ」
つかまれた葉月の右手……の薬指で、きらりと指輪が光る。
いろいろひっくるめて何かやろうと思ってた、モノの結論が出たのは3月の頭。
これまでまず買うことのなかった指輪でも、葉月なら間違いなく喜ぶだろうなとまっさきに思い浮かんだ。
一緒に過ごすようになって、テレビのCMなんかでも流れるたびコイツが視線を向けていたのは知っている。
が、羽織のようにあからさまに欲しそうな顔をするわけではなく、どちらかというと憧れにも似た表情で。
……いいなぁ、って言ってるように見えたんだよ。
揃って買いに行ってもよかったが、あからさますぎてパス。
となればサイズを確かめなきゃいけなかったが、ツテの店ってこともあってかリングゲージを借りることができ、ものの数分で任務完了。
渡すことを戸惑わなかったのは、葉月だからなんだろうよ。
予想外の行動にも出るし、思ってない反応をすることも多い相手。
いい意味で裏切られることは多く、その都度“おもしろい”と思った。
だから、ってことにしとけばいいよな。
所有を意味する指輪をあっさり買う気になったのは、それが理由だろうと。
「なぁに?」
「別に」
葉月ではなくその手元へ視線を落としたまま、手が止まっていたのに気づいたのは声をかけられたあと。
肩をすくめ、分別し終えたブツを改めてコンテナに戻す。
店を訪れたとき、いろんな種類があったのに、ふと目に留まったのはこのティアラのリングだった。
……姫、ね。
つい先日、湯河原で聞いた葉月の愛称がふと頭をかすめ、小さく笑いが漏れた。
いつだって惜しみなく周りに笑顔を振りまき、分け隔てなく優しさを与え、それでいて気安く触れてはいけないような雰囲気を持ち、俗世間をずる賢く生きる術は持たない。
そういう意味では十分、コイツは相応の存在なのかもな。
「あ?」
あ、と小さく声をあげた葉月が、少しだけ姿勢をずらしてテーブルへ置いていたスマフォに手を伸ばした。
体勢が変わったことで猫が一瞬顔を上げたが、葉月が座り直すと同時に元の姿勢へ。
しばらくは寝る気だな、お前。
もはやすっかりお前のテリトリーだな。わーったよ。
しかたなく葉月の代わりに背中を撫でると、いつもとは違って見向きもされなかった。
|