「ハスキー……って、これユキか」
「覚えていてくれたの? きっと、ユキも喜ぶよ」
 差し出したスマフォを見ると、そこには先月会ったシベリアンハスキーがどアップで映っていた。
 俺と同じ、いかにも威嚇してそうな目つき。
 だが、コイツは見た目以上に人懐っこくて、式の最後には俺のこともべろべろ舐めるほどの仲になった。
「あのときも話したけれど、12月の頭に4日くらいうちで預かったの」
 スワイプするも、写真はユキばかり。
 中には恭介さんが撮ったらしく、葉月も映っているのが何枚かあった。
 白い半袖のカットソーに、デニムのショートパンツ。
 ……コイツ、足長いな。
 普段どころか、まだこっちでは見かけていないラフな格好で、つい目の前の姿と見比べるも、葉月は不思議そうに首をかしげた。
「今度、シェインさんもこっちへ来るって言ってたよ」
「へえ。ユキはどうすんの?」
「さすがにお泊りみたいだけど、もしかしたらこっちでのお家を探すかもしれない、って。お父さんが笑ってた」
「……マジか」
 結婚式のあのときも、彼はそんなことを口走っていた。
 が、当然冗談だと思うだろ?
 きっと恭介さんも本気に取り合わなか……いや、どうだろうな。
 長年の付き合いらしいし、ひょっとしたらはあったんじゃねぇの。
 まぁいいけど。別に。
 そういう意味では、大人ってすげぇ自由だな。
「このときはね、シェインさんが夫婦で旅行へ行くことになって、お父さんが預かるって言い出したの」
「なんでまた」
「きっと、私が小さいころ飼いたいって言ったのを覚えていてくれたんじゃないかな」
 ああなるほど。
 恭介さんなら、やりかねない。
 あの人も動物好きだし、ましてやかわいい娘の頼みを無碍にした過去があれば、ずっと後悔してもいたんだろうよ。
 どっちにとってもいい経験、ってやつか。
「いい顔してるな」
「ふふ。とっても賢くて、いい子で……楽しかったなぁ」
 いや、犬じゃねぇって。
 写真に写っている葉月は、こっちで見せる笑顔よりも無邪気に見えた。
 腹のソコからおかしくて笑ってそうな顔で、普段よりもずっと子どもっぽく見えつられる。
 葉月よりも大きな顔に、太い前足。
 白い毛並みは、いかにもきちんと手入れされてます感ある、つやつやでふかふか。
 あー、撫でたとき気持ちよかったもんな。
 しかし、あんだけデカい犬……もし俺がひとりだったら確実に手を出してなかった。
「立ったら、お前の肩くらいまで手届くよな?」
「そうだね。……こんな感じ」
「あー、だよな。やっぱ」
 スワイプさせると、立っている葉月へ飛びつくように前足からダイブ気味の写真があった。
 でかい。
 コイツが小さいのもあるだろうが、やっぱハスキーは迫力あんな。
「そういや、なんで“ユキ”なんだ?」
「シェインさんが引き取ったのは2年前なんだけど、生まれてすぐくらいのころは真っ白だったんだって。それを見てお父さんが『雪みたいだな』って言ったらそのまま名前になったみたい」
「なるほど」
 数枚の写真を見ながらつぶやくと、葉月が小さく笑った。
 成犬であろう今は、一般的なハスキーそのもの。
 顔や胸元は真っ白だが、頭から背中へかけては黒へのグラデーションを負っている。
 それにしても、この目だよ。目。
 グレイともブルーともいえる色味に、キレのある目元。
 はー、オオカミっぽいよな。ほんと。
 太い尻尾といい、毛つやといい顔立ちといい、先祖の血を色濃く残しているように見えてカッコイイと素直に思う。
「大きくなるにつれて黒い毛が出てくるようになったんだけど、お父さんったら『それこそ雪解けのリアルさだ』なんて笑うんだもん」
「あー、言いそう」
 言い得て妙とか思ってそう……だが、まあ言わないでおく。
 うっかり『皮肉も恭介さんらしい』とか口が滑った日には、葉月がどこかで同じように滑らせるかもしれない。
「かわいかったなぁ」
 大きなハスキーと広い庭で遊ぶ葉月の写真は、おそらく恭介さんが撮ってるんだろう。
 背景にはいかにも外国めいた住宅街が映っているから、ここは先日一度だけ行った向こうでの私宅に違いない。
 デカいのにフリスビーを取りに行ったり、ボールを追いかけ……ってふたりで遊んでんじゃん。
 こちらではまだ見ない夏服姿の葉月は、同じくこっちでは履いていないスニーカーでユキと走りまわっている。
 写真だけでなく動画も撮ったようで、ハスキーの鳴き声と一緒に葉月の声も聞こえた。
 ……って、英語か。
 やけに流暢どころか、めっちゃ発音いい英語でのいわゆるしつけ。
『stay』だの『Good boy』だの言っているのが聞こえて、思わず画面に食い入る。
 満面の笑みで頭を撫で、ねだられるままに胸元から背中へ抱きつくかのように撫でる姿は、まるで小さいころから育っているきょうだいのようにも見えた。
 ……しかし、だ。
「お前、舐められすぎじゃね?」
「え?」
 物理的な意味での、舐められている写真が何枚もあり、さすがにどうかと思ったのは俺が男だからなのか。
 それとも、単なる気にしすぎなのか。
 手だけでなく、それこそしゃがんでいるところで首元を舐められ、くすぐったそうにしている写真が出てきて、さすがに眉が寄った。
「そんなに甘える子じゃないって聞いてたんだけど、とっても懐いてくれて、結局毎晩一緒に寝たの」
「マジで」
「ふふ、くすぐったかった」
 思い返すように笑う葉月を見ながらも、そうかそうかとこちらまで笑顔にはならない。
 まじかよ。おま……くすぐったかった、じゃねぇって。
 どれもこれも写真は笑顔だが、これを恭介さんが撮っていたのかと思うとフクザツだったんじゃねーのかと心中察する。
 いや、もちろんこんなふうに変に勘ぐってんのは俺だけかもしんねぇけど。
 そりゃ、動物に舐められるのはある意味当然。
 マーキングもあるだろうし、確かめる行為でもあるだろうし、俺だって動物に舐められた経験はある。
 が、あまりにも写真の量がありすぎだろ。
 普段甘えないってことは、飼い主に対してそんなにしねぇってことだろ?
 なのに、なんでコイツばっかり……って今の状況然り、不思議でしかない。
 つか、なんかしらの動物側からの意図を感じる。
「今でもときどき会うんだけど、私を見つけるとすごく嬉しそうにきてくれるんだよ」
「こないだもそうだったもんな。まあ……だいぶ好かれてんだろうけどよ」
 写真に写っている葉月の服装は違うものの、当然ハスキーは同じ。
 リビングのデカイソファへ横になっている恭介さんの足元で、同じように伸びている写真もあり、思わず吹きそうになった。
「そういや、あンときもお前のこと舐めてたもんな」
「なんだろうね。匂いがするのかな?」
「違うんじゃね?」
 結婚式のときも、ユキは葉月の手ではなく首筋を舐めていた。
 くすぐったそうに笑っていたが、きっと俺だけでなくシェインさんもなんともいえない気持ちで見てたんじゃねーか。
 はー、お前動物に気に入られすぎだろ。
 ふと膝の上を見ると、猫はすっかり葉月の手を抱いたまま、指先をざりざりと舐めていた。
 ……お前もか。
 まったく気にしていない葉月をよそに、その行為が目に入ると一気にそちらへ意識が向きそうになる。
「恭介さん、何も言わなかったか?」
「え?」
「この写真。撮ったの恭介さんじゃねーの?」
 スワイプして数枚後、ユキがのしかかるように葉月を芝生へ倒し、噛みつく勢いで鎖骨のラインを舐めている写真が出てきた。
 えろい。
 思わず口に出しそうになったのをこらえるも、葉月は画面を見ながら苦笑を浮かべる。
「どうしてわかったの?」
「えっろい」
「っ……もう。たーくん!」
 スマフォを握ったまま眉を寄せると、目を丸くしてなぜか眉を寄せた。
 いや、素直な感想だろ。
 つか、くすぐったそうな顔してんじゃねーよ。
 えろいし、ある意味髣髴とさせる。
 いろんなモンをな。
 ついでにいえば、のしかかられている勢いでわき腹が見えており、それもまた……あー、えろいぞお前。
 こんなカッコ、こっちでも見せねぇくせに。
「飼い主にも甘えねぇのに、お前のことこんだけ舐めるって、絶対なんかあるだろ」
「もう。何もないに決まってるでしょう?」
「いや、おかしーだろ。それとも、ボディクリームかなんか塗ってたか? 甘い匂いがするやつ」
「日焼け止めは塗ってたけど……別に匂いはしなかったと思うよ」
「ほらみろ。んじゃ、コイツは明らかにお前のこと舐めにいってるじゃねーか」
「そんなはずないでしょう? 犬なのに、そんな……もう。言い方がなんだかヘンだよ?」
「仮説にもとづく推測だっつの」
 デカいオス犬が18歳の女を舐めるって、それこそ字面がハンパなくヤバい。
 うわ、えっろ。
 それこそ、優人あたりに知れたら騒動になるレベルだぞお前。
「でも、お父さんもユキ相手にお説教してたよ」
「説教?」
「ほら」
 そういってスワイプされた画面には、ユキを座らせたうえで首輪をつかみ、目の前へしゃがんで、こんこんと何かを言い聞かせているような恭介さんが映っていた。
 ある意味、動画じゃないのが残念だな。
 こンとき恭介さんが何言ってたかわかったら、それこそ俺の推測は事実レベルまで信頼度上がっただろうに。
 ただ、俺の予測は8割5分外れてないはず。
 鼻先へ指を突きつけている恭介さんが、こえーくらい真顔なのが根拠。
「恭介さん、なんつってた?」
「そういえば、お父さんもこのときたーくんと同じように『舐めるんじゃない』ってしきりに言ってたよ」
「ほらみろ」
 今の証言で10割確定。
 恭介さんも、間違いなく俺と同じ想像をしたんだろうよ。
 彼にとっちゃ、それこそ大問題であり許すまじ出来事だったはず。
 かわいい愛娘が目の前でくすぐったそうにしてたら、そりゃイラっとするだろうよ。
 あーいや、イラっとじゃ済まなかったからの説教だろうけど。
 きっとこのときの恭介さんには、俺と同じく違う単語が浮かんでいたはず。
 相手が犬とはいえ、ユキがオスならなおのこと許せるはずはないだろうしな。

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