「はー、ねむ」
結局あのあとも葉月のスマフォに入っている写真を見て過ごしたが、持ってきたときと同じように途中で『あ』と取り上げてしまい、強制終了になった。
つか、あれは確実にその先ヤバい写真があるって証拠だろ。
何が映ってンのか、すげー気になる。
そういう眼差しをばっちりぶつけてはみたが、葉月は苦笑するだけで何も言わなかったし譲らなかった。
「たーくん、窓は閉めちゃっていいの?」
「あー……いい。とりあえず、1時間経ったら起こしてくれ」
「ふふ。おやつの時間だね」
「ちょうどいいな」
我ながらベストタイミングに昼寝実行ってあたり、さすがだと思う。
さんさんと降りそそぐ日差しもあたたかく、ついでにいえば、葉月の膝から戻ってきた猫のあたたかさもプラスされ、一気に眠たくなった。
伸びをしてラグへ横になり、手近にあったクッションを枕へ。
はー、快適快適。
大きくあくびをすると、器用にも膝じゃなく猫が腹の上へ乗ってきたが、ちょうどいい重さでそのまま許すことにした。
いつもと違う状況なのもそうなら、普段ほとんどしない昼寝をするってのもそう。
あとになって思い返してみれば、このときは“いつも”と違う非日常すぎてか、当たり前の日常とは大きくかけ離れたのかもしれない。
「…………」
「お。葉月、起きたぞ」
「え? あ、本当だね」
ふと目を覚ますと、すぐそこに恭介さんがいた。
ソファに座って新聞を読んでおり、あちらへ声をかける。
……が、なんとなく妙な違和感。
つーのは……それだよ。それ。
彼が持っているのは英字新聞。
ウチじゃ取ってないから、持ってきた……って、いつ? どこから?
すでに帰国していて、自分で購読しなければ手に入らないだろうブツ。
……なんでそれ?
訝りながら身体を起こし……って、なんか目線低いな。
しかもソファがウチのと違うのに気づいたのは、向こうから歩いてきた葉月を見たときだった。
「ふふ。たくさん遊んで、疲れたでしょう?」
さっきまでと違い、葉月はデニムのミニスカートに肩の出ているカットソーを着ていた。
とてもじゃないが3月に着る服じゃない。
それこそ、ついさっきまでスマフォで見ていたあの季節から抜け出たかのようないでたちに、思わず目が丸くなる。
……が。
当たり前のように顔を覗きこんだ葉月が、躊躇なく両手で頬を撫でた瞬間、さすがに声が出た。
「わふっ」
漏れたのは聞き覚えのない……つーかそもそも、“言葉”じゃない声。
……声?
いや、今のは確実に唸り声に近いもの。
ちょっと待て。なんだ。どういうことだ。
視界に白い毛が見え、視線を落とし……た瞬間、悲鳴にも似た声が漏れた。
「わふっ!?」
「喉乾いちゃったかな?」
「あー、あれだけ走ったしな。だが、その前に風呂が先だろう。拭いたけど、足が真っ黒だ」
「あはは。玄関にも跡がついてたもんね」
いやいやいや、そうじゃねぇって。
今ふたりが話しているとおり、まさに土で汚れた両足が見えた。
しかもこれ……明らかに、今の俺の、だろ?
ちょ……待て。どういうことだ。なんでこうなった。どういうことなんだよ!?
葉月がしきりに撫でているのは“俺”だが、“俺”じゃない。
もふもふと、普段とはまったく違う感触にぶるりと背が震える。
……犬じゃん。
つーか、ユキじゃん俺!
立ち上がっても視線は低く、ソファより少し高い程度。
普段、俺よりもずっと低い葉月でさえ、立ち上がるとかなり高いところに視線があった。
「ユキ、お風呂に入っちゃおっか」
「わふ!?」
「ね。お水苦手じゃないでしょう? 大丈夫。怖くないから」
いやいやいや、怖いとか怖くないとかじゃねぇんだって!
にっこり笑って頭を撫でられるも、一応の抵抗。
風呂って何が? どういうこと?
つか……なんで俺が犬になってんだよ!!
「っ……」
リビングの端に置かれていた姿見にはやはり“ユキ”と葉月が映り、ごくりと喉が鳴った。
……どうしてこうなった。
つかこのリビングも、オーストラリアの家じゃん!
てことは……夢? そうだよな? 夢だよな? 現実じゃねぇよな!?
「ね、ユキ。ごはんの前にきれいにしよう?」
足を向けない俺の前にしゃがんだ葉月は、にっこり笑うと『いい子だから』と頭を撫でた。
「…………」
「ふふ。ユキ、本当におとなしいね。……あ。もしかして、日本語通じないのかな」
「いや? シェインは家でも日本語で話すことあるからな。ユキには、どっちでも話しかけてたし平気だろう」
前回泊まったときに借りた、デカくて広いバスルーム。
ウチと違ってグレーを基調としていて、いかにもよそンち感がはんぱない。
……知ってるよ。そりゃな。
だがしかし、なんの因果で犬になったのか解せないままのシャワーはある意味苦痛だ。
「っわ! ユキ、冷たいよ」
「はは。やられたな」
もっこもこの泡だらけで洗われていたものの、毛の張り付く感触が気持ち悪くぶるりと身体が震えた。
たちまち泡が飛び、バスタブに腰かけたまま俺を洗っていた葉月の服や肌に泡が飛ぶ。
「もう。びしょびしょ」
そうは言いながらも、葉月はくすくす笑いながらシャワーを手にした。
少しぬるいシャワーで泡が流され、ざあっと音を立てて消えていく。
「っ……ユキったら。わざとじゃないよね?」
「そのまま風呂へ入ったらどうだ。いっぺんに済むぞ」
「ん。そうするね」
シャワーが止まったところでもう一度身体を震わせると、先ほどよりもずっとびしょ濡れになった葉月がカットソーの裾を絞った。
多少ながらも水が落ち、ああお前割と濡れたのな。
半分程度すまない気持ちにはなるものの、ちらりと見えた肌や……透けてみえるブラに多少反応しそうになる。
「ユキはもう大丈夫だよ」
「ほら。出なさい」
「っ……」
いや、入るつったのお前じゃん。
行儀正しく“おすわり”の格好で待ってやったにもかかわらず、葉月はくすくす笑うとタオルを手に取った。
間髪いれず恭介さんに首輪を引かれ、移動しないわけにもいかず……っち。どうせなら役得あってもよくねーか。
くしくも今は、人じゃない。
だからこそ、どうせなら一緒に風呂入ったって別になんも問題ねぇじゃん。
「…………」
そうは思うもバスルームから出され、大きなタオルで全身拭かれるはめになった。
背後からはシャワーの音が響き……ってことは、今、アイツ裸ってことだろ?
……はー。
今ならまったく躊躇も羞恥もないだろうからこそ、なのに。
すげぇ残念すぎて、ため息にも似た息は漏れた。
「お前、葉月と風呂に入るなよ」
「っ……」
「わかったな?」
目の前へしゃがんだ恭介さんが、さっきまでとは違って……つーか、普段俺に向ける眼差しをまんま向けた。
いや……いやいやいや。
ちょ、さすがになくね? それ。
今は“俺”じゃない。“犬”。
にもかかわらず忠告するとか、どんだけだよ。
「まったく。さっきも散々注意したが、葉月を舐めるんじゃない。……シェインのやつ、明らかに仕込んだな」
いや、さすがにそれはしねぇと思うけど、否定はできない。
つか、犬にも真顔で説教とか、さすがすぎてもう……はー大人しくしとこ。
ドライヤーを手にしたのを見て、さっきよりもしっかり“おすわり”しながら背は伸びた。
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