夢。
そう、これは紛れもなく単なる夢に違いない。
そうでなければ犬になるはずないし、引き払ったはずのあの家でふたりが過ごしてるわけもない。
……てことは、好き勝手してもいいんだよな? きっと。
曖昧ながらもそう仮定はするが、確証を得られないのが若干もやもやする。
特に……そう。
こうして置かれた、いかにも“ワンコ飯”を前にしたら。
「ユキ、お腹空いてないの?」
いや、腹は減ってる。多分。
が、半生タイプとはいえいわゆるドッグフードを前にして、さすがに食指は動かない。
……食えんの? これ。
いや、そりゃ犬なら食えるだろうし腹も下さないだろうけどな。
だからつって、がつがつ食えるかっつーとまた違う。
見た目は犬。身体も犬。だがしかし、心は人間。
床に置かれたトレイから飯を食うのはまぁ100歩譲って許せるとしても、さすがにコレに食らいつくほどできちゃいない。
「もしかしたら、シェインさんがいなくて寂しいのかな」
「どうだろうな。昼しっかり食べたから、腹が空いてないんじゃないか?」
ふたりの声は、やや高い位置から聞こえる。
そりゃそうか。
俺と違って、椅子に座ってるんだから。
「まぁ、一食抜いても平気だろうが、あとでシェインに聞いておこう」
「そうしてあげて。……あんなに元気だったから、ちょっと心配だね」
目の前のドッグフードではなく、違うほう……それこそテーブルの上からがっつりうまそうな匂いはしてる。
食わないから、せめて見るだけならよくね?
ふたりが座っているのは、4人がけのテーブル。
当然椅子は空いていて、引き出せば……ああ十分じゃん。
身体で押し、ずらした座面へ飛び上がる。
すると、テーブルにはサラダとステーキがあり、ついでに恭介さんの前にはビールの入ったグラスもあった。
「あっ、ユキだめだよ。味が付いてるから」
いや、むしろそっちが食いたいんだっつの。
すぐそこにあったいかにもワイルドな牛ステーキの皿へ鼻を伸ばすと、慌てたように葉月が手を添えた。
「……もしかしたら、自分を人間だと思ってるんじゃないか?」
「え?」
「ああ、ほら。シェインが送ってきた写真、椅子に座って食べてるだろう?」
スマフォを操作した恭介さんが、葉月へ画面を向けた。
……確かに。
そこには“ユキ”がシェインさんと同じテーブルで肉を食ってる様が映っている。
しかも、普通に皿を使って。
あー……なるほど?
てことはそっち路線でオッケーってことか。
「一緒に食べたかったのかな?」
「かもしれないな。ユキ、お前も食べるか?」
「あっ。もう、お父さん。お肉あげていいの?」
「犬は肉食だから、豚じゃなければ平気だよ。……もしかしてお前、相当甘やかされて育ったのか」
「え?」
「シェインのやつ、どうりで食費を置いてくと言い張ったわけだ」
恭介さんは若干酔ってる様子だが、からから笑うと新しい皿へカットしたステーキを置いた。
どうやら味付けはされてないらしく、自分用に切ったものにはそばにあったミルで味をつけている。
……肉。
ああ、こっちのほうがどころかむしろ大歓迎。
クセのようなものか匂いをかぐと、いかにもステーキな香りがしてぺろりと舌で鼻を舐めていた。
「あ……よかった。ユキも一緒にごはん食べたかったんだね」
ひとくちサイズにカットしてくれたこともあり、十分食べられた。
てか、味付けされてないつったけど、すげぇうまいよ?
てことはなんだ。味覚も犬並みってわけ?
それとも、素材がそもそもいいヤツ?
まぁどっちでもいいけどな。
おかげで飯はクリアされたらしいから。
「へえ。卵も食べられるらしいぞ」
「そうなんだ。食べちゃいけないものが多いと思ったけど、そんなことないのかな?」
「いや、野菜とか……ああ米やパンもよくないらしい。あとはネギ類とかチョコとかな。まぁ、人間用に味付けされてるものはアウトだろうが、肉ならいいっていうし、しばらくは一緒に飯を食うか」
スマフォでいろいろ調べていたらしく、恭介さんは俺を見て笑った。
……中身が俺だと知られることはまぁまずねぇだろうけど、気づかれた瞬間即デスだろうな。
バレませんように。
大丈夫だとは思うが、当然そんな不安はつきまとう。
つか、なんでこんな夢見てんだかな。
葉月が置いてくれたステーキ第二弾へ鼻を近づけながら、そもそも論のそこへ考えが及んだ。
「…………」
眠い。
夕食後は早々に恭介さんが風呂へ入ったが、そのあとは各自好きなように時間を過ごすのが習慣らしく、リビングにはいるがしてることはバラバラ。
恭介さんはソファに座ったままノートパソコンを開いており、葉月はあのひとり掛けソファで分厚い本を読んでいる。
つか、恭介さんマルチすぎねぇ?
テレビではずっとニュースが流れており、パソコンを打つ手が止まったと思うと視線はそちらに移っている。
かと思えばスマフォを弄っていたり、はたまた電話がかかってきたり。
格好こそ、普段俺が見るのよりもずっとラフではあるが、仕事してる感は残ったままだった。
もふもふのラグに寝そべったまま、耳では垂れ流されている英語を追う。
半分わかるのと、わかんねぇのと。
ときどき聞こえる虫の羽音で耳は動くが、若干手持ち無沙汰になってきた。
……眠い。
大きくあくびをし、構ってもらいたいわけじゃないが、葉月の足へすり寄ってみる。
すると、すぐに気づいて本を閉じた。
「どうしたの? 眠くなっちゃった?」
つか、つまんねぇ。
てっきり、葉月が読んでる本は日本語だと思ったのに、がっつり英文タイトルでテンションが下がった。
あー……英語じゃねぇやつは?
器用にページをめくれるかどうかは定かじゃないが、暇潰すならそれアリなのに。
「っわ。もう、びっくりするでしょう?」
膝へジャンプよろしく前足をかけると、くすくす笑いながら頭を撫でた。
顎元から耳へかけて細い指が伝い、くすぐったいもののマッサージ的な心地よさはある。
「……ふふ。くすぐったいよ?」
顔が近づいたので、あいさつ代わりにぺろりと舐めると、言うとおり目を細めて緩く首を振った。
何もつけてないだろうに甘い香りがして、元を辿るべく鼻が動く。
「あはは。もう……ユキったら」
首筋から鎖骨。そして、胸元。
鼻先がしっとりしてるせいか肌へ触れると、より香りは強くなった。
「こら」
「っ……」
「だから、舐めるなと言っただろう」
ぐい、と力任せに首輪を引かれ、うっかり舌を噛むところだった。
……さすが恭介さん。
それはそれは怖い顔して引き離され、『stay』と足元へねじ伏せられる。
ち。
残念な気はするが、ここで機嫌を損ねるわけにもいかない。
なんつったって、主だしな。
明日からの俺の飯を握ってる張本人でもあるんだから、逆らわないのがベストだろうよ。
「…………」
くすくす笑いながら葉月が立ち上がり、キッチンへ姿を消した。
空になったマグを持っていたから、きっと代わりの何かを取りに行ったんだろう。
が、あとを追おうと立ち上がったら、またもや恭介さんは首輪に手をかけた。
「お前はここにいなさい。stayは解いてないぞ」
「…………」
「というか、葉月に接しすぎだ。……まったく」
さすが鋭い父親。
つか、人間だけでなく動物にまで勘を働かせるとか、どんだけだよ。
……ああ、夢か。これ。
だとしたら俺の勝手な想像なんだろうが、ありえると思えることばかりでどれもこれもリアル。
ぱさぱさと尻尾をゆるく振りながら彼を見ていたら、小さくため息をついて手を離した。
がしかし。
「お前、葉月で腰振ったら殺すからな」
「ッ……」
ぼそりと呟かれたまさに“命令”はかなりドスが利いていて。
氷点下の眼差しで見つめられ、瞬間的に尻尾は引っ込んだ。
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