「……私は……」
 私がしたかったことは、明確。
 お父さんも通った、七ヶ瀬大学へ通いたかった。
 たーくんの姿をそばで見てみたかった。
 羽織に会いたかった。
 伯父さんや伯母さん、おじいちゃんやおばあちゃんたちにも会いたかった。
 新しい世界を見てみたかった。
 向こうで培ったチカラが、どこまで通じるのか試したかった。
 そして……私がひとり立ちすることで、お父さんにしあわせになってもらいたかった。
 でも……でもね、それだけじゃないの。
 心のどこかでは、ずっと、自分の生い立ちを知りたかったんだと思う。
 11月の試験のあと、オーストラリアの自宅へ戻ってすぐ、お父さんにとても叱られた。
 でも、そのときはたーくんに宿題をもらっていたから、謝ったあと、逆に思いも伝えたの。
 私が七ヶ瀬に通いたかった理由と、そして……お父さんが私へ『会わせたい』と話した人について。想いについて。
 そのとき教えられた“事実”は、私がこれまでずっと信じてきたものと大きく違って、ひどく驚かされた。
 だけどそれと同時に、改めて出自の想いも強くなったの。
 会わせたいと言ってくれた人に、早く会ってみたい。
 そして、話をしてほしい。
 私の知らない、私とお父さんの昔のことを。
「私……知りたかったの。自分のことも、お父さんのことも……たーくんのことも、ずっと、ずっと知りたかった」
 知らないことが多くて、判断のできないことも多い。
 だから、知りたかった。
 自分はどうやって育ったのか。
 どうやってお父さんと出会ったのか。
 そして――私が好きになった人の、今を。
「なら、そのために何ができるか考えればいいんじゃねーの?」
「……でも……でもね? それをしたいと思ったばかりに、こんなことになって……」
「お前の選択は間違ってないし、何より、知る権利がある。自分自身のことなんだから、なおさら。アイツ含め、郷中美和だろうと誰だろうと……それこそ恭介さんや俺だって、障壁になっちゃダメだろ」
 ああ、やっぱり私はずるいのかもしれない。
 だって、こう言ってほしかったんだもん。
 自分では決められないと言いながら、本当はたーくんにこう言ってほしかった。
 そうじゃない、違うと。
 お前の選んだ道は、正しかったんだ、と。
 肯定してほしくて、たまらなかったんだ。
「知りたいから帰ってきたんだろ? 嫌だけど、不安で怖いけど、それでも選んだんだろ? なら、貫いていい。ちゃんと知って、わかったうえで、また新しく選べよ」
 わずかに眉を寄せた彼が、頬へ触れた。
 指先で涙を拭われ、情けなくも口をつぐむ。
 たーくんの手は、とても温かかった。
「戻らなくていい。つか、自分をもっと大事にしろ。あンときも言ったけど、俺も恭介さんも……だけじゃねぇな。曹介さんだって、お前のために動きたがる人間だぞ。親父もお袋も、それこそ羽織や祐恭だってな。お前が困ってたら、みんな手を出す」
「けど……」
「それでいいだろ? お前がいつもほかのヤツらにそうしてやってるように、同じことをみんながしたいって思うのは当然だ。それとも、みんなが手を出すのは邪魔か? 余計なお節介か?」
「……違う」
「なら、答え出たろ?」
 ずっとずっと、たーくんは静かに話してくれた。
 説得とも説諭とも違う、まさに“お話”。
 頬に触れた手が耳元へ移り、まるで……そう。
 この間キスされたあのときのように、たーくんが少しだけ顔を寄せた。
  
「俺がいる」

「っ……」
「お前のそばには、俺がちゃんといてやるから」
 はっきりと耳へ届いた彼の声で、また、涙が溢れた。
「……ふ……」
「っ……おま、泣くなよ」
「だって……もう、たーくん……嬉しい」
 慌てたように眉を寄せたのを見て、ふるふると首を振る。
 選んでしまった。知りたいと思ってしまった。
 だけど……ううん、だから、ごめんなさい。
 選択を繰り返してきた“今”できることを、考えさせてほしい。
 起きてしまった今。
 だけど、だからこそ新しい選択肢が増えた。
 戻ったところで、同じゼロにはならないんだ。
 何度も何度も選択を繰り返した末の今、すべてを白紙に戻したところで“選ばなかった”ときと同じ結末に辿り着かないなら、また新たな選択をするしかない。
「ありがとう」
 頬へ当てられたままの手へ、そっと重ねるように触れる。
 すると不思議なことに、私の手のひらのほうが少しだけ彼よりも温かかった。
「あー、そうそ。さっきの動画、恭介さんにも送ってやろうぜ」
「え?」
 残っていた涙をティッシュで押さえたら、スマフォを取り出したたーくんが小さく笑った。
 かと思いきや、向けられた画面には……そう。
 あの、つい先ほどの彼と私が映っている。
「『メルボルンの建築士』ってお前の告白ンとこだけ切り取って送ってやったら、絶対喜ぶ」
「っ……だめ。ねぇやめて? 恥ずかしいよ」
「なんで。すげぇカッコよかったぞ? 男前」
「もう、たーくん! お願いだからそ――ッ!?」
 スマフォを取ろうと手を伸ばした瞬間、庭へ続く大きな掃き出し窓に、真っ黒い人影が見えた。
 外はすでに暗く、ガラスに照明が反射してはっきりとは見えないけれど、瞬間的に身体が固まる。
 だって、だって……もしも、あの人だったら……?
 私をかなり調べたような口ぶりだった。
 だとしたら、ここへ来たとしても不思議ではない。
「? ……どうした」
「た……く、あれ……」
 表情が変わったのを気づいてか、さっきよりもずっとたーくんの声が低くなった。
 と同時にすぐ立ち上がり、指差した方向へ足を向ける。
「っ……ねぇ待って、ひとりじゃ危ない……!」
「勝手に人ンち入ったら立派な犯罪者だぞ。重ねた罪、全部ひっくるめて懲役食らえばいい」
 カーテンを引いてなかったから、ガラス越しに人影が動くのがわかる。
 だけど、たーくんは窓の鍵を開けると、なぜか開ける前に大きなため息をついた。
「……あのさ。なんで玄関から来ないわけ?」
「うぅう……孝之ぃ、お前、大きくなったなぁ」
「げ。なんで泣いてんだよ」
「ああもう……葉月もこんなに大きくなって……。おっちゃん嬉しいわホント」
「っ……曹介伯父さん!」
 カラカラと乾いた音を立てて窓を開けた途端、すぐそこに伯父さんが立ち尽くしていた。
 この間とは違って、スーツに重たそうなコートを着込んでいる。
 ……でも、この間と違うことがもうひとつ。
 眼鏡を外した彼は、私以上に涙を流していた。
「つーか、どこから聞いてた?」
「え? 割と全部」
「うわ。最悪」
「悪いな、商売柄こーゆーの慣れてんの」
「いや、盗聴は犯罪だろ」
 靴を脱いでそこから上がってきた伯父さんは、大きな音を立ててはなをかむと、改めてにっこり笑った。
 かと思いきや、たーくんの肩をかなり強い力で何度も叩く。
「大丈夫だ。コイツもいるし、俺も守ってやるから」
「……伯父さん……」
「孝之から連絡もらって、所轄にはすぐ連絡を入れた。大学にも伝えたし、もうすでに学内へ捜査が入ってる」
 どっかりとすぐそこへ座った彼は、たーくんを引っ張るように座らせると、やっぱりまた大きく背中を叩く。
 『いてぇっつの』と顔をゆがめてはいたけれど、その話を聞いてから少しだけ安堵したように息をついた。
「大学側も明日センター試験があるからってんで、早急に対応してくれたよ。ある意味都合よかったな」
「っ……試験に変わりないよね?」
「ああ。大丈夫だ。安心しろ」
 不安になったことをすぐ口にすると、伯父さんはにっこり笑って大きくうなずいた。
「本来は所轄の担当がやるんだが、早いほうがいいしな。今日、このまま俺が話を聞いてもいいか?」
「ん。伯父さんが聞いてくれたら、私も嬉しい。それに、知らない人に話すよりも、もっときちんと伝えられると思うから」
「……葉月ぁ。お前、ほんっといい子に育ったなぁ」
「ありがとう。お父さんに伝えたら、とっても喜ぶと思う」
 眉をハの字に下げた彼が、また瞳を潤ませた。
 ああ、たーくんの言うとおりだね。
 こうして守ってもらえることは、こんなにも安心できるんだ。
 もう一度はなをかんだ伯父さんが、懐から手帳よりもひと回り大きなノートを取り出す。
 お父さんよりも筆圧の強い濃い字が見えて、なんだか少しだけ懐かしい気持ちになった。
「嫌だったら答えなくてもいい。それは権利だ。が、正直なところ正確に思い出してできるだけ細かく伝えてほしい。あとは、お前の気持ちもな。関係者からは別途聴取するが、大事なのは被害者であるお前の証言だ。嫌だった気持ち、怖かった気持ち、思い出すのはちとツラいかもしれないが、がんばってくれるか?」
 被害者、という言葉を遣われて、ああそうかと改めて思う。
 あのとき、身体が震えるほど怖かった。
 でもそれは、正当な感情だったんだ。
 被害を受けた。それは間違いないこと。
 ならば、私の周りで同じような思いをする人が出ないためにも、これはとても大切で必要なこと。
「大丈夫。お願いします」
 改めて座り直し、背を正す。
 すると、曹介伯父さんだけでなく、彼のななめ後ろに座っていたたーくんも同じタイミングでうなずいたのが見え、ほんの少しだけ笑みが浮かんだ。

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