「ごめんなさいね、引き止めちゃって」
「いや、むしろ美月さんのおかげで早く上がれたんだと思いますよ」
「……どうせなら泊まればいいだろう」
「だから。着替えを持ってきてないって何度言ったよ」
玄関まででいいと言ったにもかかわらず、美月さんと恭介さんは、わざわざ駐車場まで見送りに出てくれた。
女将はさすがに立ち上がれないほど飲んだらしく、水を2杯ほど飲み干したまま座敷へ大の字になって眠り始めた。
あの年であんだけ飲んで平気なのかと若干不安だが、美月さんが『大丈夫』と言ったので信じるほかない。
「孝之君。今日は、葉月を連れてきてくれて、本当にありがとう」
「っ……いや、こっちこそ。いいもの見れました」
「ふふ。あなたたちのおかげね」
深々と頭を下げられ、慌ててならう。
だが、なぜか恭介さんは不満げで、両手を組むと眉をひそめた。
「お前、葉月をよその男からちゃんと守るんだぞ」
「わかってるって」
「返事が軽い」
「はー……承りました」
葉月がいつものように『お父さん!』とたしなめたが、もはや若干ふらついてるように見える恭介さんに何を言ったところで、確実に覚えてないはず。
てか、目すわってるし。
明日も仕事なら、とっとと寝てくれ。いろんな意味で。
「それじゃあ、気をつけてね」
「ご馳走様でした」
鍵を開けて車へ乗り込み、窓を開ける。
ひんやりどころか、がっつり冷えている車内のせいで、シートさえ冷たかった。
あー。先にエンジンかけとくんだったな。
外にいた時間はさほど長くなかったものの、指先が若干かじかんだ。
「美月さん。お父さんをお願いします」
アクセルをゆっくり踏み込み、ふたりが並んで立つ方向へ助手席の窓が向くよう、フロントを右に切る。
恭介さんとはまた会うだろうが、葉月が美月さんと会うのは直接ここまでこない限り難しいかもな。
とはいえ、同じ県内。
今となっては、いつでも会える距離、か。
「早く寝かせるわね。……ねえ葉月。またゆっくり話しましょ?」
「ん。楽しみにしてるね」
そっと握手したのが見えて、小さく笑みが浮かぶ。
再会できただけじゃない、今日。
明日からは、また新しい時間が流れ始めるんだろうな。
「じゃあ、おやすみなさい」
「ありがとう。気をつけてね」
「おやすみ」
ひらひら手を振る恭介さんが『葉月を見送るのは忍びない』とわけのわからないことを言っていたが、苦笑のみで済ませる。
もはや酔っ払い。
あとの始末は、シラフの美月さんへ任せるほかなかった。
「ちょっとコンビニ寄っていいか?」
「うん。いいよ」
きたときと同じ長い坂道を、今度はゆっくりと下る。
あたりは真っ暗。
これじゃ、海沿いを走っても何も見えないだろうな。
「夜になって、気温が下がったね」
「お前、寒くねーの?」
「昨日より暖かいよ?」
「……そーか?」
すぐ左手にあったコンビニへ寄り、両手をジャケットのポケットへつっこんだまま店内へ。
デカい気温差を感じたが、あーこの瞬間幸せを感じる。
あと5分くらいここにいたい気分だ。
「何か飲むか?」
「ううん、お腹いっぱい」
「……だろうな」
珍しく、今日の葉月は夕食をせっせと食べていた。
俺と一緒の時間に和菓子を食ったにもかかわらず、普段からしたら数倍の量。
やっぱ……今日があったから、食べられたんだろうな。
明日からも、少しずつ量は人並みに増えていくかもしれない。
「あー……さむ」
ホットコーヒーを買って車内へ戻ると、当然のことだが冷えていた。
ついクセのようなもので両手を合わせるも、まあそうすぐにあったまんねーよな。
別に冷え性ってわけじゃないが、外へ出ていた時間のせいか、冷たいままだった。
「っ……あったけーな」
「たーくん、どうしてこんなに冷たいの? 大丈夫?」
「大丈夫じゃねぇからコーヒー買ったんだろ」
「もう。コーヒーは身体冷やすんだよ?」
「そうなのか?」
「うん。紅茶は温まるけど、コーヒーは冷やすの。食べ物によって違うんだよ」
「へぇ」
ふいに葉月が、俺の手を包むように両手で触れた。
自分とはまるで違い、それこそカイロでも握ってたのかってくらいの温かさ。
かじかんでいた手が少しほぐれ、素直に気持ちいいと思う。
「…………」
エンジンをかけていないこともあり、車内は暗い。
唯一、コンビニの眩しいくらいの明かりで、葉月の顔は十分見えた。
「っ……」
温かいのが気持ちいい、だけ。
そうは思いながらも、包まれていたのを解き、片手ずつ握り締める。
よっぽどカイロより効果あるな。
まじまじ見たまま指を絡めると、葉月が何か言いたげに唇を開いたもののすぐに結んだ。
なんなら、あの続きをしてもいい。
が、ンなことしたら家まで辿り着かない可能性は大。
「サンキュ。あったまった」
名残惜しい気持ちがゼロだとは言えない。
視線を外しつつ両手をハンドルへ戻すと、エンジンがかかったときに葉月が小さく笑った。
「My pleasure」
「…………」
「え?」
「いや、そのセリフすげぇお前っぽいな、と思って」
駐車場を抜け、県道へ戻るとき思わず笑みが浮かぶ。
My pleasure、ね。
相手のためそのものであり、葉月が好きこのんで言いそうだ。
来たときとは違い、海沿いではなくあえて一般道のまま真鶴まで抜ける。
この時間は交通量がぐっと減っており、対向車も少なかった。
家に着くまで、1時間弱ってとこか。
てことは……もうすでにいつも寝てる時間を過ぎてる葉月は、家へ着くまでに爆睡していてもおかしくはない。
「寝てていいぞ」
「え? どうして?」
「ただでさえいろいろあったし、今日疲れたんじゃねーか?」
「ん……それはちょっとあるかな」
俺自身も、今日1日がものすごく長く感じた。
まあ、休みなのに珍しく早起きしたってのがデカいんだろうけど。
どうせ車が少ないなら山道ルートをあえて選択してもいいが、さすがに事故ったらシャレにならない。
コーヒー片手に、走りやすい道いくか。
ルート案内の看板を見ながら道なりに走り、来たときも通ったバイパスへウィンカーを出す。
運転は嫌いじゃない。
小さく曲はかけているが、別にあってもなくてもまあ大差ねぇな。
景色が流れていくのを見るのも好きだが、こうしてとっぷり日が暮れたあと、街の明かりを見ながらってのも嫌いじゃない。
ちょうど、真っ暗な海沿いを辿るように街明かりが冬瀬方面へ続いているのを見ながら、少しだけスピードが上がる。
「無理すんな」
「たーくんも、休憩こまめに取ってね?」
「平気だ。どうせすぐ着く」
「じゃあ……私も大丈夫だよ」
「……お前、ほんと律儀だな」
「そうかな?」
「ああ。美月さんそっくりだ」
恭介さんに似てるのは、当然。
だが――美月さんと会ったことで、葉月の中にも彼女に似ている部分があることはよくわかった。
今日からは、あの両親からのこの娘ってとこだな。
お袋たちへは俺がわざわざ伝えるつもりはないが、そのうち恭介さんから話はあるだろう。
それまでは、あえて口にする必要はない、か。
「……ありがとう、たーくん」
「My pleasure」
「っ……ふふ。いい言葉だね」
「そりゃよかったな」
前を見たまま口にすると、葉月が嬉しそうに息を漏らした。
そんな反応してもらえるなら、たまにはこのセリフも悪くないんだろうな。
ガラじゃねーけど、もちネタのひとつに加えてもいいか。
コーヒーのカップへ手を伸ばしながら、らしくもないことをしたせいか、少しだけぬるくなったコーヒーに苦笑が漏れた。
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