「っ……」
ひたり、と頬に触れ、耳元を撫でるように指をかける。
ほんの指先が伸びただけなのに、葉月は言いかけた言葉を飲み込むように唇をつぐんだ。
「俺がほかのヤツへ手を伸ばすって思ったとき、嫌だったわけ?」
「……ん。だって……今の私と同じようにその人が喜んでいたとしたら、悔しいじゃない」
「へぇ」
一瞬見せた、くすぐったそうな表情のまま、葉月が俺を見つめた。
心もち瞳が潤んでいるようにも見え、その様に『もう少し』と欲が芽を出す。
「っ……」
「俺が、こんなふうに触るのはなんでだと思う」
撫でるのとも違い、どちらかというと這わせるような感覚。
指先で耳の裏を撫で、首筋へ手のひらを少し浮かせながら当てる。
どれもこれも、敢えて目を合わせたまますると、葉月はうっすら唇を開いて喉を動かした。
「……は……」
少しずつ位置を変え、鎖骨へのラインを辿る。
さすがに葉月は視線を落とし、まるで声が漏れてしまわないようにするためか手の甲を口元へ当てた。
少しずつ頬へ紅が差す……どころか、首筋のあたりまで色づいているように見える。
「ね、ぇ……たーくん……」
「そんな顔すんな。やめねぇぞ」
「っ……」
もう片手を背中へ回して引き寄せると、力が入らないらしくもたれた。
うなじを指先でなぞり、露わになった首筋へ当たり前のように唇を寄せそうになったのを、ふと制す。
いや、当たり前に触ってどーすんだよ。
今ここでそれやったら、絶対自制きかなくなるだろ。
寸でで踏みとどまれた俺が相当偉いのか、はたまた脳裏にあの恭介さんの顔が強烈に焼きついたかのどっちかだな。
「は……っ……だ、って……ねえ、そんなふうにされたら……困るよ」
「なんで?」
葉月は頬を上気させたまま今にも泣きそうな顔でゆるく首を振った。
息が上がる。
葉月だけじゃなく、こっちもな。
ンな反応されたら、手だけじゃ済まなくなる。
まだ、声は漏らしてない。
ただ、表情が変わっただけ。
……もう少し、って思うだろ。
ぎりぎりンとこで踏みとどまれてるなら、もう少しどうにかしてやりたくなる、妙な欲が顔を出しそうだ。
「俺が触ると、お前はいつもそうだろ? どっちかっつーと、喜んでってよりかは戸惑ったような顔する」
「それはっ……だって……」
「今まで、ンな顔されたことないんだよ。お前が初めてだから、なんか……反応が気になったのかもな」
触り方を変えるだけで、これほどの反応を示すのが面白いとも思った。
と同時に、どう触れば違う反応が得られるのかも見たかった。
試してたんだろうな、どこかで無意識のうちに。
どんな顔するのか、見てみたくて。
「嫌か? こうされるの」
「っ……嫌、じゃない……けど、どうすればいいのか、わからなくて」
「わかる必要ねーんだよ。俺はお前の反応見てんだから」
ゆるく首を振ったのを見て、小さく笑いが漏れた。
頭でわかる必要はない。
それこそ、お前自身はちゃんと反応してわかってるんだから。
「んっ……!」
引き寄せたまま改めて首筋へ触れると、明らかに身体を震わせた。
わずかに漏れた声に、思わず喉が鳴る。
だから。
ンな反応されたら、止まらねぇっつってんじゃん。
くたり、と力が入ってなさそうな身体を支えながら、そっと倒す。
物言いたげな顔は見えたが、畳へ手をつくと、俺の肩口は押すものの力はまったく入ってなかった。
「ぁ……ね、だめ……!」
「すげぇ……ここまで真っ赤だぞ」
「っ、ふ……たーくっ……ぁ」
中指でなぞるように首筋から耳元を辿ると、小さく声を漏らしながら首を振った。
今さら、嫌だとかダメだとか言われても、無理だろ。
ガラにもなく鼓動が速まり、ああなんだ俺も楽しんでんじゃんと我ながら笑えた。
「あ、ぁ……もう、どうしたらいいの……?」
「そのままでいりゃいいだろ」
「だって、も……っ……だ、め……力入らな……」
「お前感じやすいな」
肌ではなく、髪へ触れているにもかかわらず、息遣いが相当荒い。
てことは、もうすでに全身敏感になってるってことか。
これじゃ、着てる服が擦れるだけでも声漏れるんじゃねぇの。
「……かわいい」
「っ……」
我ながら、漏れた言葉に内心驚く。
かわいいなんて単語、それこそ数年ぶりだろ。
会話の中で単純な単語として出ることはあるが、今のはそうじゃなかった。
女の反応に対してンなセリフ吐くのは祐恭くらいだと思ってただけに、素でびっくりしたぜ。
「っ……」
「こんだけ感じてる状態でキスしたら、それだけで――」
イキそうだな。
うっかり漏れそうになったところで、ふと止まれたのはデカい。
唇を寄せようとしたものの、身体の下にある葉月がうっすら涙を浮かべているように見えた、からかもな。もしかしたら。
「……え……?」
「悪い。やりすぎた」
敢えて声色を変え、距離をとる。
すると、やっぱり目元は潤んでいた。
「なんで泣いてんだよ」
「……あ……違うの。身体がぞくぞくして、勝手に……」
「へぇ。ンな気持ちよかったか?」
「ぅ……違、わない……けど……」
「けど?」
「もう。何も言えないでしょう?」
大きく息を吐いたのを見て、腕を引く。
が、当然それだけでは起き上がれず、改めて背中を支えて抱き起こすことにした。
「…………」
困ったように視線を落とし、唇を噛む。
が、息はすぐには整わず、その様を見てまた伸びそうになった手を握るに留める。
「えろい」
「っ……たーくん!」
「お前がンな反応すんからだろ」
「だって……あんなふうに、触られるなんて……んっ」
「髪触っただけでこれとか、ヤバいだろ。おかしくなってる証拠だ」
さて。どうしたら、元に戻せるか。
女将たちが戻ってくるまで、あと2時間……ってところか。
いや、もしかしたら恭介さんは先に戻ってくるかもしんねーけど。
「…………」
「あ?」
「なんでもない」
「いや、思いっきり今なんか言いかけたろ?」
目を合わせて唇を開いたものの、葉月は何も言わなかった。
それどころか、なんでもないってお前……そういう顔じゃねーだろ。
だが、これ以上聞いたところで言うつもりはないんだろうな。
……まあいいけど。
また別の機会に聞くことにでもして、とりあえず今は葉月の感覚元に戻しておかねーとな。
エレベーターのドアが閉まる瞬間の恭介さんを思い出し、違う意味で背中が震えた。
「だから飲めないってさっきから何度も」
「なんで飲めないんだい。私の酌だよ? そこは飲むのが筋ってもんだろう」
「いや、だかっ……あーもー何回目だよこの話」
だいぶ目の据わった女将が、俺に向かって日本酒の入ったグラスを差し出すが、飲まないんじゃなくて飲めないんだっつのを散々繰り返しても堂々巡り。
もはや、何度目か覚えちゃいない。
泊まってもよかったが、帰れない距離でもないのと、元々予定じゃなかったってのがデカいのに……つーか、女将知ってたよな? 俺と葉月は泊りじゃないってのを。
なのに、なんでこうも絡んでくるのか。
「ひとくち飲めばいいだろう」
「なんで曹介さんと同じこと言うわけ?」
「はは。そりゃ兄弟だからな」
手酌でウィスキーを注いだ恭介さんが、氷を入れてから俺へ笑った。
つか、ロックって。
しかもそのウィスキー、度数だいぶ高いやつじゃね?
外国の有名メーカーのもので、こんだけ距離あるにもかかわらず、スモーキーな香りが漂ってきた。
「俺は今日泊まりだからな」
「げ。ずるくね?」
「なんだ。じゃあお前も泊まるか? 俺と同じ部屋でよければ、半額にまけてやる」
「恭介さんがぽんと出せる額と俺が出せる額と絶対違うじゃん。半分でも今月キツくなる気がするからやめとく」
いい音を立ててグラスを揺らした彼が、いたずらっぽく笑う。
てか、女将といい恭介さんといい、絶対酔ってんじゃん。
これ、ヘタしたら明日きれいさっぱり忘れてるパターンじゃねーの?
唯一の救いは、美月さんが飲んでないこと。
彼女は、葉月と同じく温かいほうじ茶を急須で飲んでいた。
「ん……おいしい」
「よかった。ご近所さんにいただいたの。少しあるけど、よかったら持っていく?」
「えっ、嬉しい! ありがとう、美月さん」
「そう言ってもらえたら、私のほうこそ嬉しいわ」
菜の花の和え物を食べた葉月が、それはそれは嬉しそうに笑った。
つーか、やりとりがすげぇ親子。
さっきも、茶碗蒸しの出汁のとり方や、もらった栗の下処理の仕方を話していて、俺には専門用語にしか聞こえなかった。
「てっきり、ふたりも泊まるんだと思ってたから、残念ね。またゆっくり遊びにきてくれる?」
「もちろん。積み立てて泊まりにきます」
「そこは即金だろう」
「いや、なんで女将が入ってくるんすか」
美月さんと3人で話していたのに、今の今まで恭介さんと最近の客層について話してた女将が急に口を挟んだ。
どういう耳してんだろ。
ある意味感心する。
「美月さんって、定休とかあるんすか?」
「一応は私も母も2日ずつお休みはいただいてるけれど、ほら、家もここだしね。気になってしまう部分もあるから、時間単位でしか休んでないかもしれないわ」
苦笑を浮かべた彼女は、思い出すかのようなまなざしを宙へ向けた。
「うちの宿、昔はもっとこじんまりしていたのよ。だけど、おかげさまで少しずつよしみのお客様が増えてくださって、これだけ大きくなったの」
「へえ」
「それも、恭介君のおかげね」
「そうなんすか?」
「ええ。何年も前に大掛かりなリノベーションをしたんだけど、そのおかげだと思うの。当時は母と相当話し合って……どちらも意見を譲らなくてね。……でも、あの女将を説得したんだもの、やっぱりすごい人なんだと思うわ」
葉月が持っていた写真には、宿の外観は写っていない。
これだけネットが普及してるから、もしかしたら昔の写真が転がってるかもな。
『ある意味、敷地すべてが作品だ』
あの夜、恭介さんはとても誇らしげに口にしていた。
彼にとっても、かなり思い入れの強い場所なんだろうな。
まあ……それもそうか。
なんといっても愛娘の育った場所で、かつ……“今日”からは妻の実家でもあるんだから。
「美月もこっちへ来て一緒にお飲みよ」
「もう。お母さん、今日はずいぶん飲んだでしょう? 恭介君もよ。そろそろふたりとも、お茶に切り替えたらどう?」
「いや、今日は祝いの席なんだから、もう少し飲まないと」
「明日もお仕事なんじゃないの?」
「……だった気がする」
「なんだい。自分のスケジュールも把握できてないのかい? 飲みすぎだよ君は」
「お母さんは、9時から寄り合いの打ち合わせが入ってるでしょう? もう。ふたりともおしまいね」
美月さんがため息をついて、それぞれの前にあったグラスを片付けた。
たちまち、悲鳴にも似た情けない声があがり、思わず吹きだす。
あー、やっぱあのふたり似てるな。
葉月を見ると同じように苦笑を浮かべており、『美月さん大変ね』とつぶやいた。
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