「っ……待って」
「……あのな」
「だって、なんだか……場違いじゃないかな? こんな、私みたいな子が……」
「それ言ったら、俺のほうがよっぽど場違いだろ」
「そんなことないでしょう? たーくんはジャケット着てるし、大人だし……」
「ジャケット着てても、ジーンズだぞ? アウトじゃん」
「ぅ……でも……」
「つか、ビビりすぎだろ。お前らしくねーぞ」
 駐車場へ車を停めたまではよかったが、恭介さんに連絡すると『今席を外せないから、中のカフェで待っててほしい』と言われ、ふたりで行動することになった。
 が、正直俺もやなんだよ。この構えが豪奢すぎて。
 もちろん、外資系ホテルと違って和風なのはそうなんだが、すぐそこにあるデカい生け花とか、外観とか、なんかもう全部ひっくるめて全部が高級感溢れまくりで拒絶反応が出そうになる。
 庶民だからな。それこそ生粋の。
 あのときは恭介さんが一緒だったからよかったが、どう考えても今の俺たちじゃ単なるカップル。
 見栄はって泊まりに来ましたに見えなくもないせいで、若干気まずさはある。
 つか、この旅館の最低室料もなかなかだったぜ。
 泊まれなくはないが、迂闊に手を出しちゃいけないレベル。
 そりゃ、俺が月収今の倍もらってりゃ全然余裕だろうけど。
「とりあえず、今ここにいたら明らかに怪しいのはわかるな?」
「……うん」
「何も、俺たちでカタつけろって言われてるわけじゃないんだし、とりあえず入ろうぜ。で、せめてなんか飲んで待ってりゃいいだろ?」
「…………」
「そういう顔をするなって。だから。お前らしくない」
 普段どころか、これまで俺が見てきた葉月はかなり動じないヤツだった。
 即決即断だし、誰かの意見で流れるようなことはまずない。
 が、車内といい今といい、動揺しすぎだ。
 ……そりゃまあ、今までの自分の人生の価値観全部変わっちまうかもしれねぇ状況つったらそうかもしんねーけど。
 だからって……。
「っ……」
「悪かった。俺の緊張が移ったろ」
「え、そんなことないよ。たーくんじゃなくて、私……」
「行こうぜ」
 ビビってんのは、俺のほうじゃん。
 感情が伝染するってのは、よく聞く話。
 コイツが普段以上に戸惑っているのは、俺こそが“らしくない”せい。
 葉月が持ってたボストンを取り、背中に手を添える。
 大丈夫。
 コイツが心配するような展開にはならない。
 間違いなくあのとき俺が見た女将は、そんなふうにコイツを思っていなかった。
 むしろその逆で、コイツをおもんばかっての言葉に違いなかった。
 だから、あとは直接聞くしかない。
 コイツが自分自身をまるごとひっくるめて肯定できるように。

「いらっしゃいませ」
「お荷物お預かりします」
 丁重な迎えを断り、フロントではなく吹き抜けになっている庭を目指す。
 二度目ましての館内は、あのときと違い灯篭ではなく天井からの和やかな光で満ちていた。
 ……って、照明じゃないんだな。
 ロビーの天井を見上げると、柔らかな白い光が溢れている。
「わぁ……空なんだね」
「建築士の腕がいいんだな」
「ふふ。たーくんが建物を褒めるなんて、珍しいね」
「だろ」
 俺は知ってる。
 口ぶりからして、葉月はこの建物を恭介さんが手がけたことを知らないらしい。
 あのときは夜だったこともあって、ロビーの中央にある日本庭園はそこまで際立ってなかったが、今日は日差しを受けて一層目立って見える。
 つか、どういう発想してんだろ。
 そういえばあのとき、構想について恭介さんへ聞かなかったな。
「……? 葉月?」
 あのとき俺は、野点傘が設置されている茶室めいた空間で恭介さんを待っていたから、ここには踏み入っていない。
 スケールの大きな中庭といえば、しっくりくるか。
 カフェのようにもなっているここは、まるで庭の中で行われている茶会のような雰囲気になっている。
「どうした?」
「私……ここ、知ってる気がするの」
 葉月の視線は、中庭へ向いている。
 緩やかに流れているせせらぎに、竹林を髣髴とさせる庭。
 年齢問わず様々な人々がスマフォやカメラを手にしている。
「どうしてだろう……来たことないはずなのに。変だよね、なんだか……懐かしい気がする」
「覚えてるんじゃないのか?」
「でも、私とっても小さかったんだよ? 正直、プライマリーのころもそんなに覚えてないのに……気のせいなのかな」
 葉月が小さいころ暮らしていたのは、この旅館というよりも女将がいたあの本宅のはず。
 だが記憶にあってもおかしくはない……よな?
 ただし、恭介さんの口調だと、彼がリノベーションしたのはここ数年だと聞いている。
 ということは、葉月の記憶とすべてが合致しているわけではないはずだが……俺にもそこはわからない。
「……たーくん、少し見てきてもいい?」
「ああ。付き合う」
「けど……」
「いや、むしろひとりにすんなよ。居心地悪い」
 うっかり本音が漏れたが、葉月は苦笑すると中庭――ではなく、さらに奥のほうへと足を向けた。
 俺は知らなかったが、その先は本物の中庭へ出ることができるようになっており、玉砂利の敷かれている庭園が広がっていた。
「っ……」
「葉月?」
 靴のまま出られる形にはなっているが、なぜか葉月はドアから一歩手前で足を止めた。
 入っちゃいけない場所じゃない。
 子どもから大人まで、それこそ天気がいいこともあって何組もあちら側には人がいる。
 庭のほぼ中央にある大きな池には錦鯉が泳いでおり、その周りを囲むように桜、梅、松といった木々がきれいに剪定されていた。
 本物の蝋梅がかなり強い香りを放っており、これだけ距離があるにもかかわらず匂いが満ちている。
「……あの木はね、ご神木なの」
「ご神木?」
「大きな楠で……両手でも抱えられないような太い幹で……」
 葉月は、言いながら俺の腕に触れた。
 戸惑っているような顔は変わらないが、まるで記憶を辿るかのようにひときわ背の高い木を指さし、ゆっくり一歩踏み出す。
「しめ縄がかかってて、榊と南天が植えられていて……」
 池からは細い水路のように流れが作られており、形の違う石の橋がそれぞれかかっている。
 全部で7つ。
 あえて意図されているように感じるが、恐らく間違いじゃないだろう。
 ゆっくり、ゆっくり。
 何かを確かめるように、葉月が先を歩く。
「そこに、お社があって……いつも、おいなりさんをあげた気がする」
「お前が?」
「違うかもしれないけれど……夢で見たのかな。私もわからなくて……」
 ひどく曖昧な表現にも思えるが、夢なのか過去の記憶なのか俺にはわからない。
 だが、しめ縄のかかった楠の根元には、葉月が先ほど口にしたように榊と南天とで囲まれているような場所があった。
「っ……」
 そこに、ひとり。
 淡い紫の着物を身につけている女性が、しゃがんでいた。
 いや、正確には手を合わせていたんだ。
 石でしつらわれた、小さな稲荷の社に向かって。
「…………」
「っ、ごめんなさいね。お待たせし……」
 俺たちに気づいた彼女が、慌てたように振り返った。
 瞬間、大きな目がさらに見開かれる。
 先週会ったばかりの、この旅館の若女将。
 だが、彼女は俺じゃなく葉月をまっすぐに見つめていた。

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