「しかし、駐車場金高くね?」
「車を使うこと自体が、あまり環境に優しくないからかもしれないね」
「それこそ、適当なトコで下ろしてくれてよかったぜ?」
「もう。それは言わないで?」
 駐車場へ停めてターミナルへ向かいながら歩く、ふたりの時間。
 どうしてもそこは譲れなくて、苦笑が浮かんだ。
 だって……あっさり離れられるはずがない。
 たーくんとはまた、しばらくお別れになるんだから。
「……珍しい」
「え?」
「自分から繋いでくるとか」
「だって……」
 指を絡ませた左手を軽く持ち上げられ、どういえばいいかわからなくて唇を噛む。
 わかってるの。
 この3日間が特別すぎるほど特別だったことは。
 私だって、もうじき日本へ帰国する。
 荷物はまとめたし、親しい人たちへのあいさつも済ませた。
 けれど、一緒に帰れないことがなんとなく寂しくて、短いとはいえまたお別れするのが少しだけ苦しい。
「たーくん、明日もお仕事なんだよね? 本当にありがとう」
「こっちこそ。あー、恭介さんにちゃんと礼言うの忘れたな。代理で伝えといてくれ」
 明日は月曜日。
 チケットが届いた時点で休めないか調整してくれたみたいだけど、急遽だったこともあって難しかったそう。
 早朝に着いて一旦家には帰るとのことだったけれど、大変だよね。きっと疲れは取れない。
 でも、たーくんは一度も文句なんて言わず、むしろ『おもしろかった』と笑ってくれた。
「ンな顔すんな。どうせすぐ会えるだろ」
「……ん」
「こないだも言ったけど、帰ってくンときは連絡しろよ」
「わかった。連絡するね」
 駐車場から国際線ターミナルへ向かうと、数多くの人たちが行き来していて、中には私と同じように見送りにきている人たちもたくさんいた。
 子どもも、大人も、女性も、男性も。
 ともに旅立つ人もいれば、ハンカチを手に見送っている人もいて、さまざまな感情が見える。
 ここから先はセキュリティゾーンになるから、私は一緒には行けない。
 保安検査は混雑しておらず、並んでいる人もいなかった。
 だから……たーくんもすぐ、あちら側へ行ける。
「気をつけてね」
「ああ」
 するりと指先が離れるのが、少しだけ寂しい。
 なんて、そんなことを言ったらきっと笑われるだろうな。
 だってついさっき、手を握ったときもそう言われたしね。
 すぐ会えるの。
 これでさよならじゃない。
 元の生活に戻る、だけなんだから。

「待ってる」

「っ……」
 足を止めた彼が、振り返って笑った。
 ……もう。
 そんな顔されたら、困る。
「……お前な」
「ごめんなさい、だって……」
「ンな顔されたら、帰りづらい」
 そうだよね、本当にごめんなさい。
 だって、あんまり優しい顔なんだもん。
 こみ上げそうになった涙をなかったことにして笑ったのに、たーくんは小さくため息をつくと私へ手を伸ばす。
「つか、お前最近涙もろくなった?」
「……そうかな?」
「まぁ……いいけど」
 片手で引き寄せられ、彼の香りに思わず目を閉じる。
 小さいころはよく泣く子だった。
 でも、言われてみればいつしか泣かなくなって、『いつもよく笑っているね』と言われるようになった。
 なのに……たーくんに指摘されて気づいたけれど、確かに最近涙することが多い気がする。
 嬉しくても、悲しくても。
 気づくと泣きそうになって、まるで小さかったあのころに戻ってしまったかのよう。
「……ごめんね、大丈夫」
「ならいいけど」
 本当はこんなところにいたら、邪魔になる。
 ましてや、周りには当然人がいて。
 大丈夫、大丈夫。
 おまじないをかけるように胸の中で繰り返すと、笑みは浮かんだ。
「……平気か?」
「ん、大丈夫」
 髪を撫でた手が優しい。
 すぐここで、私を気遣ってくれる顔が……愛しい。
 ああ、愛しいなんて言葉、遣えるようになるなんて。
 本当に私は、しあわせな人。

「I love thee」

「何?」
「大好き」
「っ……」
 目を見たまま囁くと、自然と笑みが浮かんだ。
 こんなに幸せな気持ちになるなんて、本当に知らなかった。
 振り向いてもらえることは始まりでしかなく、そばにいられるようになると、想いはさらに育つんだね。
「はー……」
「……たーくん?」
「お前ってさ」
「え?」
 バッグを肩へかけたまま、たーくんが口元に手を当てた。
 ため息をついた顔は、どこか呆れているようにも見える。
 ……でも、素直な気持ちなの。
 きっと、今だから言えたことでもあるから、できることなら許してほしい。
「んっ……!」
 頬を引き寄せられてすぐ、目の前がかげった。
 触れるだけ……より、もう少しだけ深いキス。
 たーくんが離れてすぐ目が合うものの、なぜか不服そうな顔をしていた。
「お前、っとに早く帰って来い」
「たーくん……」
「わかったな」
 鼻先へ人さし指を当てられそうになり、ぱちぱちとまばたく。
 いつもと同じ……よりも、少しだけ感情的なのが珍しい気もする。
 でも、やっぱり嬉しくてくすくす笑っていた。
「……ん。がんばるね」
 くしゃりと髪を撫でた彼が、舌打ちしたものの手を振ってくれた。
 もう。どういうことなの?
 でも、さっきとはあまりに違いすぎて、だけどたーくんらしくて、もう当然涙はない。
「気をつけてね」
「お前もな。恭介さんと美月さんによろしく」
 ゲートのさらに先へ足を向けた彼に手を振ると、一度足を止めそうになったものの、もう振り返らなかった。
 ざわざわとした音が戻り始める。
 これが日常。
 ううん、いつもとは違う、と表現してもいいよね。
 もう姿は見えないけれど、彼が無事に家へ帰り着くことを願い、改めて出口へと足を向ける。
 戻るけれど、明日に繋がるためのこと。
 早く。
 早く、帰りたいな。
 バッグを握りなおすと、来るときに抱いた不安は微塵もなく、今自分がやるべきことがむしろ明確になった気がした。

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