「……なんだこれ」
 当たり前のように出勤してきたら、満面の笑みで野上さんが俺に真っ赤な何かを手渡してきた。
 見ると、執務室にある男性職員すべての席に同じブツが鎮座している。
「やだなーもー。オトメの口から言わせるつもりですか? 瀬那さんてば!」
「いって」
 オトメをとりあえずスルーしたが、さらりと笑顔でまくしたてた野上さんは、いつもより強めに人の肩を叩いた。
 お陰で、手にしていた箱が大きく揺れ、中身をありありと示してくれるような音が響く。
 ああ、箱だよなやっぱこれ。
 真っ赤な不織布でラッピングされてはいるが、四角いモノの感触は十分に伝わってくる。
 本日、2月14日。
 この日は毎年のことながら、職場だけでなく世の中の雰囲気がいつもとほんの少しだけ違う。
 俺にとっては、いつもと同じ仕事のある平日だが、そうじゃない人間も割といるらしい。
 今朝は、それこそ“ど”が着くほどの早朝に羽田へ着き、電車の中で寝ながら帰宅。
 時間的には十分寝たはずだが、ベッドでがっつり寝たわけでないからか、妙にだるさは残っている。
 1時間とはいえ時差があるからか、それとも……ま、どっちかっつーと季節が真逆ってのがデカいんだろうよ。
 それこそ12時間前までは真夏の環境下だったのに、こっちは当然真冬そのもの。
 2月が一番最低気温つけるんだもんな。
 電車から降りた途端、氷点下並みの風を受けて思わず肩が震えたのは記憶に新しい。
「うふふ。安心してくださいねっ! ちゃんとした義理チョコですから」
「いや。ちゃんとしたも何も……俺はまだ何も言ってない」
「やだもー瀬那さんってほら、毎年よく本命貰うみたいだから言っておいてあげたのにー」
「……なんだその顔」
 胸を張った次の瞬間見せたやたらニヤニヤした笑みが、『近所の世話好きなおばちゃん』を連想させる。
 が、俺とて別に毎年本命チョコばかりもらってるわけじゃない。
 むしろ、これまで付き合った上でマメなやつだったり、今も良好な関係を築いてる一部の人間がおすそわけと称したチョコをくれるだけ。
 基本的に手作りはまずなく、市販されているモノばかり。
 そういや、冬瀬駅でも早朝だっつのにチョコ売ってたな。
 今日一日でどれほどのチョコレートが消費されるのかと思うと、なかなかにおぞましいんじゃ。
「つーか、野上さん彼氏いるんだろ? なのに、せっせと見返りチョコを配ってていいわけ?」
「あ、その点は大丈夫ですよ。高いのは望んでませんから」
「……は?」
「そんな、3倍なんて言いませんってば。おいしいお菓子をいただければ十分です」
「あ、そ」
 相変わらずこの人は、よくわからない。
 高い安いの問題じゃなくて、義理って名目でほかの男にチョコを配るってのはどうなんだって意味だったんだけど。
 別にウチの職場に限ったことじゃないが、今のご時勢『バレンタインには職場の男性へチョコレートを』なんて風習廃れきったはずだし。
 そもそも、周りはみんないい大人ばかり。
 バレンタインを明日に控えて、どきどきしながら朝を迎える……なんて子ども染みたことが許されるのは、それこそ学生までの話だろ。
「…………」
 この人が言う『彼氏』とやらを、一度ちゃんと拝んでみたいもんだな。
 年末ちらりと見かけたが、見た目からじゃさっぱり情報がつかめない。
 毎回思うことだが、正直この人のどこに惚れ込んでどこに何を見出したのか、聞いてみたいんだよ。
 無論、失礼なことを言ってる自覚はある。
 ……あーまぁきっと、破天荒な部分に惹かれたというか、半ば押されたってのが回答なんだろうな多分。
「ま、そーゆーわけですから。オトメの恥じらいは、受け取っておいてください」
「なんだそれ」
「あ。ちなみに、ちゃーんとイトコちゃんには説明してくださいね? くれぐれも、誤解されたりしないように!」
「……は?」
 ちちち、と目の前で人さし指を振った彼女が、にんまり笑った。
 またもや葉月のことを言われ、訝るしかない。
 彼女は、俺とアイツが従兄妹同士だとしか情報を持ってないはず。
 羽織でさえやっと最近葉月が俺を好きだと知ったらしく、つい先日『絶対葉月を泣かせないでね』と面と向かって釘を刺された。
 ……いや、アイツに言われる筋合いねぇけどな。
 羽織でさえ葉月が伝えたのが最近ならば、もうずっと図書館へ姿を見せていないアイツが野上さんへわざわざ伝えているとは思えない。
 なのに彼女は、いつもいつも『大丈夫です、従妹ちゃんが一番だってわかってますから!』と意味深なことを俺にわざわざ伝えてくるから、何がなんだかよくわからない。
「これは義理だから何も問題ないってちゃんと伝えてくださいまし!」
「いや……だから」
「ああもう大丈夫ですってば! 従妹ちゃんの本命以外はそりゃあいらないでしょうけど、いいんです。私のは単なるお菓子目当てですので!」
「あー、それぶっちゃけるんだ」
「はい!」
 にっこり笑ってうなずかれ、だったらいっそチョコくれなくてもいいから菓子くらいやるけどな、と思いもする。
 ちなみに今回、職場へはオーストラリア土産を買ってきていない。
 2泊5日なんて強攻スケジュールを伝えた瞬間、たちまち野上さんが各所へ妙な噂を吹き込みそうだし、面倒なことはできるだけ回避したかったから。
 仕方なく家には土産を買ってきたが、お袋はなぜかカンガルーのジャーキーがないことをひどく残念がっていた。
 つかアレ食えんの?
 まぁ……動物である以上、加工されりゃ……まぁいいや。今回俺は食わなかったけどな。
「バレンタインは、女の子にとって年に一度の大切な日ですもん。かわいいイトコちゃんの気持ち、ちゃーんと受け取ってあげなきゃダメですよ? 男たるもの!」
「……いや、だから。どうしてそこにアイツが出てくるわけ?」
「きゃー! 『アイツ』ですって! んもー、瀬那さんってば手が早いんだから!」
「ちょっと待て」
 いろいろと語弊を招きそうなデカい声に、一瞬眩暈がした。
 なんか、今日はいつもの2割増しでとんでもない会話を繰り広げてる気がする。
 お陰で、さすがに普段は慣れているであろうほかの職員たちも、ちらちらとこちらを気にしていた。
 ……あーなんでだよ。俺、何もしてないのに。
 思わずため息をついてから椅子にもたれると、案の定どっと疲れが増した。
「あ、っと。それじゃ私、ほかのみなさんにも配りに行かなきゃいけないんで、このへんで失礼しますね」
「は? ……何? まだどっか行くワケ?」
「当たり前じゃないですか! 私を待っててくださるのは、何もこの図書館内だけじゃないんですから」
「あ、そうすか」
 きらりん、とその場で1回転してからウィンクされ、抑揚のない言葉が漏れた。
 いったい、あのちっこい身体のどこからアレだけパワフルな何かが生み出されるんだ。
 楽しそうな高音ボイスを響かせながら去っていったあとには、さっき半ば強引に押し付けられた異色オーラを放つチョコと思わしき箱が残る。
「……はー」
 朝イチから野上さんに絡まれ、疲れているところへ追い討ちをかけられた気分。
 まだ出勤手続きをしてなかったことに気づいて名札のバーコードを読み取るも、彼女のおかげで時間がだいぶギリギリになってしまった。
 ただでさえ、先週もバタバタしてて遅刻ぎりぎりだったのに。
 数字だけで見たら、十分怠勤なヤツみてぇじゃん。
「…………」
 従妹ちゃん、ね。
 ロッカーへ向かいながら、つい言葉を反芻する。
 つい先日どころか、24時間前までは一緒にいた。
 ここではなく、それこそアイツのテリトリーそのものの場所でな。
 ゲストルームのベッドは思った以上に広く、いつもよりだいぶ早くに目が覚めて。
 せめてなんか飲み物でもと階下へ降りたら、すでに葉月は起きて朝食の支度をしていた。
 あんな時間に俺が起きることは想定外だったようで、何度も時計と顔とを見比べて。
 文句を言おうとしたら、くすくす笑いながら先に『ごめんね』と謝ってきた。
 美月さんと恭介さんが姿を見せたのは、それから30分ほどあとのこと。
 手を動かしている葉月の対面に座り、コーヒーを飲みながら話していたが、あの時間は俺の家で見る姿よりもずっと自然な振る舞いだった。
「……言いたくても、いねーっつの」
 脱いだコートをハンガーへかけながら、ぽつりと漏れる。
 いや、どうせすぐ帰ってくんだろって思いと、具体的に“いつ”って言わなかったなってこととどちらも巡る。
 『年に一度、女の子にとっては大切な日なんですよ』
 野上さんのセリフが響き、らしくなくため息が漏れた。
 俺じゃない。
 きっとアイツのほうが、よっぽど意識してただろうよ。
 たった1ヶ月の間に、ここまで俺との関係性が変わったんだから。
「はー……」
 音を立てて扉を閉め、カウンターへ戻る。
 いつもと同じ、月曜の朝。
 見慣れたはずなのに、まるで違う気にもなる。
 木曜の続きがここにあるが、俺にとっての続きではない。
「……何してんだか」
 単に気が滅入るのは、連休明けだから。
 月曜の朝だから。
 昨日と状況が違いすぎるから。
 ……そう。全部ひっくるめて時差ぼけにしとけば済む話。
 パソコンの前にある椅子へ座ると、またため息が漏れた。

目次へ  次へ