「いかがでしたか?」
「意外と静かで驚いたよ。もっとエンジン音がするんだと思った」
「ありがとうございます。静かですがパワーはきちんとありますので、短距離での加速も十分可能です」
「なるほど。さすが、いい車だね」
「ありがとうございます」
ぐるりと藤沢市内から海沿い、ほんの少しの有料道路までの試乗から店舗へ戻ると、思った以上に印象がよかったらしく、恭介さんはにこやかだった。
いや、確かに乗り心地いいな。
つか、シートすげぇいい。
窓とシートの角度といい、インパネといい、計算付くされてる感じがあるが嫌味じゃないのがすげぇんだな。
目線が高いこともあって、確かに運転しやすいだろうよとも思う。
「少し考えさせてもらって、また次の予約を取らせてもらえるかな」
「かしこまりました。ただいま、ご予約いただける日時を確認いたします」
トントン拍子に話が進んでることもあってか、恭介さんはいつになく機嫌よさそうに見える。
まぁ、楽しいよな。確かに。
俺だって、あの車を買うと決めては行ったものの、ほかの車にも当然試乗させてもらった。
安い買い物じゃない以上、納得して決めたかった。
ましてや、恭介さんの場合はこれから買うわけだろ?
てことは、思い入れが違って当然だ。
まさに新しい生活のため、だろうし。
…………。
……ん?
「そういや、恭介さんてさ。この車買ったら、どうすんの?」
「どうって?」
「いや、車ってあっちへ送れんのかなと思って」
席へ戻ると、すぐに新たなコーヒーが運ばれてきた。
ついでにいわゆる輸入物の菓子までセットされており、あーこういう面は加点だよなとも思う。
「なんだ。この間、美月に言ったのを聞いてなかったのか? 生活自体をこっちへ戻すんだよ」
「……え?」
「葉月が現地の大学でなく七ヶ瀬を選んだからな。前にも確認はしたが、さっき改めてあの子に聞いたら、当時と変わりなくこのまま日本での未来を考えたいと言っていた。それが答えだろう?」
「…………」
「なんだ」
「てことは……恭介さん、ずっとこっちにいるわけ?」
「俺がいたらまずいのか?」
「っ……まさか! ンなことねぇけど!」
ヤバい。
怪訝そうな顔をされて、声が上ずった。
てか、力いっぱい反論しすぎだろ。俺。
慌てて否定するも、訝しげに見られ背中を汗が伝う。
違うって。そういう意味じゃねぇから。
そういう意味じゃ……ねーけど、まじか。
恭介さん、ずっとこっちにいんの?
いや、そりゃ嬉しいぜ?
恐らくは購入するであろう新車にも乗せてはもらえるだろうし、こうやってそこそこの頻度で出かけたり話せたりするのは、俺にとって多分貴重だから。
けど。
なるであろう、葉月との今後の深まりを知ってもなお、こうして俺との時間を笑って過ごしてくれるかどうかは微妙。
いや、もはや未知数。
キスまでは許してもらえたらしいが、その先は……どうなんだ。全然わかんねぇ。
てっきり、葉月は4月からこっちで新生活だけど恭介さんは現地へ戻るんだとばかり思っていたから、ここにきてデカい誤算が生じた。
が、俺と葉月のことを知ってもなおこれだけにこやかに接してくれてるってことは、そういうことなのかもしんねーけどさ。
あー、どうなんだ。
ってまぁ、さすがにシたとしてもそれを言うつもりはねぇけど。
「けど、向こうの家とかどうすんの?」
「どうもこうも。元々、賃貸だったから手離すさ。次のオーナーも決まってる」
「まじ!?」
「ああ。3月末で引渡す予定だ。葉月は年末までにひととおり片付けてはいたが、もう一度くらいどこかで戻るつもりじゃないか。家具も残ってるし。何より、運べてない荷物のほうが多い」
「え、全部? 全部処分するわけ?」
「処分というか……まぁ、運べるものは運ぶつもりだが、どっちが安くつくかは物によるな。といっても、事務所はもう決まってるが、家がまだ決まってないから、送り先に指定できないところが難だ」
さらりと爆弾発言をされ、ばくばくと心臓がうるさい。
葉月だけじゃなく、恭介さんまで一緒とは……。
え、ちょっと待った。
となると、ひょっとして葉月は……ウチに4月以降も住むわけじゃない、のか?
年末に聞いたときはそんなことを言ってなかったが、もしかしたら可能性としてゼロじゃないってことか。
ましてや、美月さんが恭介さんと一緒に暮らすようになったら、それこそ葉月にとってもそこが“実家”になるわけで。
……え、これって聞いていいわけ。
それとも、恭介さんじゃなく、葉月に聞いたほうがいいのか。
とはいえまだ未確定要素も多いし、全部終わってから聞くのがいいのかもしれねぇけど。
「つか、美月さんと結婚したら湯河原に住むんじゃねぇの?」
「美月自身仕事は当然続けるだろうし、女将をひとりにするのは俺も心配だしな。……と、これを言ったら嫌がられたが、事実は事実だ。まぁ、この間女将に同居の話を匂わせたら端の部屋を使えとは言ったが、実際どうするかはまだ詰めきれてない」
「……なるほど」
いや、なるほどじゃねぇけど。
どうすっかな。聞いていいのか。
それとも、葉月自身が決めることなのか。
たとえ湯河原からであっても、七ヶ瀬大学へ電車で通うことは可能な範囲だろう。
が、ウチからなら俺が毎日行くこともあって送迎も可能といえばそれ。
だし、お袋たちもすでにそのつもりでいるわけだから、問題はない。
あと4年。
同じ家で暮らすことを恭介さんがどう捉えているかはわからないが、まぁ、すでに俺とのことは葉月から聞いてるっぽいしな。
そのうえでこの態度ってことは、なんだかんだ言って俺のこと買ってくれてるってことだよな?
散々『葉月に手を出す輩から守れ』と言っていたが、俺がそばにいることを認めてくれたのであれば……まあ、恭介さんが近くにいようがいまいが関係ねぇか。
俺たちのことを知ったうえでおおらかな対応ってことは、葉月にとっての俺であるように彼にとっての美月さんの存在がデカいってことだろう。
「そういえば、女将が言ってたぞ。今度泊まりにこいと」
「あー……あンときも言われた」
「上等の部屋を用意してくれるそうだ。よかったな、デートの最後にあの宿へ誘えばお前の株は上がるだろうよ」
「そうかもしんねぇけどでも、アイツも一緒に聞いてたからどうかな。……まぁ、喜ぶとは思うけど」
「なんだ。相手と一緒にいたのか? なら、早めに連れてってあげたらいい。なかなか泊まれない場所だ」
「じゃあ、女将に連絡してみるよ。つか正直、恭介さんがこんな早々に泊まりを認めてくれるとは思わなかった」
「ん?」
「いやまぁ、もちろん……努力はする」
不思議そうに見られ、後ろめたさが当然あるせいで視線が逸れる。
さすがに面と向かって言えるわけがない。
泊まり=ヤる前提じゃないのはわかってるが、普通に考えたらそーゆーことじゃん。
もちろん、明言しないでおくけど。
「けど、恭介さんにまでふたりで泊まりに来るよう言うってことは、やっぱ女将が葉月に会いたいんだろうな」
「葉月に?」
「ああ。孫だし、あンときはゆっくり話せなかったからさ、もうちょっといろいろ話したいんじゃねーの?」
てっきり女将のリップサービスみたいなモンだと思ったが、恭介さんにまで伝えるってことはガチじゃん。
まぁ、葉月には会いたいだろうよ。そりゃな。
んで、いろいろ聞いてみたいこともあるんじゃないか。
それは女将だけじゃなく、美月さんもだろうけど。
あのときは時間もなかったから、改めてそういう機会を作る必要はあるのかもなと思った。
「ちょっと待て。どういうことだ?」
「何が?」
「お前が連れて行く相手は葉月じゃないだろう?」
「は? なんで? むしろ、葉月しかいねぇじゃん」
「なぜだ」
「いや、この間買い物一緒に行ったけど、それを葉月は『十分デートだよ』って言うんだぜ? なんかこう、ちゃんとした場所連れてってやりたいじゃん」
ふいに眉を寄せた恭介さんを見て、こちらとて同じような表情になる。
ちょっと待てって、それはこっちのセリフでもある。
どういうことだ?
つか、葉月以外の女連れて泊まりに行ったら、それこそアウトじゃねーの。
え、それとも何?
アイツ以外の女で遊んでこいって意味?
ちょ……待ってくれ。よくわかんねぇ。
つか、恭介さんがどういう意味で俺に『泊まりに行け』って言ってンのかもわかんねぇ。
……そもそも、いいわけ?
いや、そりゃいいけどさ。
父親からじきじきに『娘と泊まりに行くのを許される』って展開も、ある意味新しいとは思うし。
「……ちょっと待て。デートだと? 葉月とか?」
「アイツ以外としたら、マズくね?」
「…………」
「恭介さん?」
眉を寄せた彼が、眉間に指を当てた。
目を閉じ、まるで何かを考えこむような仕草を見せる。
本当は、ここで気づかなきゃいけなかったんだ。
次に俺を見たときの彼は、表情が違っていたんだから。
「どういうことだ」
「どうって……恭介さん、葉月に聞いたんだろ? 俺とのこと」
「お前との何を」
「何って…………え」
「なんの話だ。……どういうことだお前」
「っ……」
恭介さんの声が低くなると同時に、口調がキツくなった。
気づけばガチで見下ろされており、ひゅ、と小さく喉が鳴る。
ちょっと待った。待ってくれ。
え、もしかして俺……どこかでミスった?
いや、いやいやいや。
ミスったとしたら、どこで。いつ。
10秒前の穏やかな顔と違い、斬り殺す相手を見るような眼差しを受けてごくりと大きく喉が動く。
「お待たせいたしました。ご希望の日時はございますか?」
タブレットを片手に戻ってきた及川へ、恭介さんが俺から視線を移す。
だが、その瞬間、及川が俺と同じように喉を動かしたのが見えた。
「申し訳ないが、また改めて予約を取らせてもらえるかな。急用ができた」
「……急用、でございますか」
「コイツと一度、じっくり話をする必要があるようだ」
「ッ……」
声のトーンが違う。
表情が違う。
ついでに……纏う雰囲気が、ガラリと変わった。
さすがサービス関係。
客の雰囲気を察する能力は相当高いと見た。
そちらを見ずとも『お前何したんだよ』と言いたげな及川がわかり、内心で小さく謝ってはおく。
が。
今は、絶体絶命な状況。
悪いが、ほかの誰を構ってる場合でもない。
「詳しくは車の中で聞こう」
「……いや……」
「お前は俺に話さなければならないことがあるよな?」
「……恭介さん。あのさ――」
「当然、謝罪は受け入れないからな。覚悟して話せ」
「ッ……」
上から見下ろすように視線を向けられ、乾いた笑いさえ漏れない。
ヤバい。死ぬかも。
すまん及川。
せめて俺の骨拾ってくれ。
「っ……今行く!」
俺より先に立ち上がった恭介さんはさっさと入り口のドアへ向かうと、無言で俺を振り返った。
当然、ただならぬ雰囲気を察したんだろうな。
さっきとはまったく違い、大勢いるにもかかわらずスタッフは誰も俺たちへ声を掛けることはなかったんだから。
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