いつもより少し長めにお風呂に入ってから、パジャマを着て髪を乾かす。
 ……今ごろ、どのあたりだろう。
 30分は経ってるし、結構進んだのかなぁ。
 さすがにいつまでも洗面所へいるわけにはいかないので、深呼吸を2度ほどしてから、リビングへ向かう。
「……あ、れ……?」
 だけど、予想外の展開が待っていた。
 キッチンを抜けてリビングへ入ったら、彼はもう違う番組を見ていたから。
「……もう、見終わったんですか?」
「ん? うん」
 あっけらかんとした表情でうなずかれ、思わず面食らった。
 どうして彼は普通にしていられるんだろう。
 …………。
 ……男の人だから?
「え?」
 なんてことを考えていると、立ち上がった彼がこちらにきた。
 な……何かされる……っ。
「……あれ?」
「ん?」
「い、いえ、何も」
 きゅ、と両手を胸の前で合わせたものの、彼はあっけなく横を通りすぎた。
 普通の顔だ。
 いつも、私にちょっかいを出してくるようなときの表情は、欠片も浮かんでない。
「別に、普通だったけど、どこがおもしろくなかったの? 普通の恋愛物だったじゃない」
「え!? そんな! だ、だって、あれ――」
「確かに演技はまだ拙いと思うけど。でも、内容としてはありふれた物だったし」
「…………そうですか?」
「うん」
 ……なんだか、おかしい。
 あれ? 私……もしかして、違うビデオ渡したのかな?
 アイスティーをグラスへ注いでからソファに座ると、自然にデッキへと目が行く。
 ……うーん。
 正直、自信はない。
 慌ててたし、もしかしたら……もしかする?
「見てみれば? 後半は、おもしろかったよ」
「……そうですか? じゃあ……」
 顎でテレビを指され、うなずいてから素直に従う。
 ……違うビデオだったのかな。
 でも、先生ってドラマとかをDVDに録画してまで見る?
 ……んー。
 もしかして、紗那さんが録ったドラマが、残ってたのかな。
「はい、どうぞ」
「あ。ありがとうございます」
 渡してくれたリモコンを受け取ると、彼が隣へ座った。
 デッキの電源を入れてから、再生ボタンを押してみる。
「…………」
「…………」
 小さな電子音が響いてから、画面に映し出された――……のは。
「!?」
 間違いなく、アレ。
 つい先ほど私が見た、あの、あの……DVD。
 え? ……なんで!?
 これ……やっぱり、アレだよね。
 だって…………えぇ?
 いったい、どういうことなんだろう。
 何が違うのか、さっぱりわからなくなってきた。
「あの……先生? これ、見たんですよね?」
「うん」
 言いながら、彼がビデオのリモコンを私から取ると、テーブルの端に置いた。
 彼が見ているのは、私じゃない。
 テレビに流れている、あの、映像。
 ……ほら。
 もうすぐ、例の場所だ。
 あの、いよいよモザイクがかかってくる、急な展開の。
「……っ……」
 やっぱり、間違いない。
 あのとき見たのと同じ、教室の場面。
 これから男の子が――……。
「ッ……!」
 やっぱりダメ。見ていられない!
 ましてや、彼の隣でなんて絶対に無理だ。
「わぁっ!?」
「……どこに行くのかな?」
 熱くなりつつある頬に手を当てながら立ち上がろうとした途端、彼が腕を引っ張った。
 当然のようにバランスを崩し、ぺたん、と同じ場所に座ってしまう。
「え、あ、あの……あ、アイスティーを取りに――」
「あとにしなさい」
「っ……どうしてですか?」
「見たかったんでしょ? この、ド ラ マ。大人しくここで見る」
「っ! ……せ、んせ……!?」
 ごくり。
 真顔の彼を見ながら、目が丸くなった。
 ぐい、と近づけられた顔は笑っていない。
 むしろ、眼差しはいつもよりずっと鋭いような気さえする。
「俺、ひとことも『ドラマ』なんて言わなかったよね? 普通の『物』とは言ったけど。ドラマとして見るのはどうかと思うけど、ありふれたAVでしょ?」
「う」
 思いっきり、ハメられた。
 言い切った途端に彼が浮かべたのは、それはそれものすごく意地悪な笑み。
 目の前で。
 瞳を細めて。
 わざと……だ。
 今になって、ようやく納得した。
 今の今まで、彼があんなふうに言っていたのも、平静を装っていたのも、すべてが納得できる。
 すべては、私に見せるため。
 もう1度、今度は恐らく――……最後まで。
「っきゃ!」
「大人しく見るんだよ?」
「みっ……見たくないです!」
「遠慮しないでいいから」
「してません!」
「そう? でも、自分でつけたでしょ? だもん、よっぽど見たかったんだよね? ……最後まで責任持って見る」
「やぁっ!」
 強く首を振って否定するものの、彼の目は本気一色。
 まったく入り込む余地がなく見えて、ただただ焦る。
「……やっ!」
「いいから、ここにいる」
「見たくないのっ! やぁっ!」
「いいから!」
 ぎゅっと背中から抱きしめられて、例のごとく彼の膝に座らされた。
 はがいじめされてるみたいに感じるのは、どうしてだろう。
 ……うぅ。やだよぉ。
 こんな状況でAVなんて……み、見れないし、もう見たくないのに。
「音、上げてあげようか?」
「っ!? や、やだっ!」
 思わず俯くと、彼が小さく呟いた。
 だけど、慌てて首を振った途端、両手で頬を包んだ彼が、視線を上へと向けさせる。
 ……そう。
 まっすぐ、テレビが見えるように。
「ちゃんと見てるように」
「……うぅ」
 いじめだと思う。絶対。
 わずかに首を逸らして彼を見てみると、相変わらずにやにやとした楽しそうな笑みを浮かべていた。
 ……すごく楽しそう。
「うー……」
 ――……結局。
 このあとしばらくの間、ずっとこの格好でこのAVを見せられ続ける羽目になった。

「…………」
 はああぁぁ。
 ようやく免れた、ある意味地獄のような時間。
 ひとりでソファに残された今、大きく深いため息をついてから崩れるようにソファへもたれる。
 今もまだ、心臓がばくばくいっている。
 ……でも当然だよね。
 だって、あんなに……すごくえっちなの、初めて見たんだもん。
 AVと呼ばれる物を見たのはこれが2度目。
 だけど、まさか彼と一緒に見るなんて思わなかったから、余計つらかったのかもしれない。
 やっぱり、ああいうのって、ひとりでこっそり見るものなんだよね。
 この数分間の間に、ちょっとだけ男性心理のような物を理解した。
「…………」
 えっちな気分、ってこういうことを言うのかな。
 なんだか、自分がもやもやしていて相変わらず顔が熱くて。
 ……苦しい。
 男の人って、こんな気持ちでいて平気なのかな。
 なんて言ったらいいんだろう。
 なんて言うか、こう……その……言うなれば、キス、したいって言うのかな。
 先生のそばにいたいな、って思う。
 キス、したいな、って。
 邪魔だって思われるかもしれないけれど、ぎゅって……してほしい、って言うか。
「っ……!」
 先ほどまでとは違ってバラエティ番組が流れるテレビを見つめていたら、急に洗面所の戸が開く音がした。
 体育座りをして抱えていた膝を慌てて戻し、正座する。
「ん?」
「えっ。あ、ううん……なんでも」
 もしかしたら、まだ顔が赤いかもしれない。
 髪をタオルで拭きながらリビングに入ってきた彼に慌てて首を振り、えへへと愛想笑いのような笑みを見せる。
 私とは違う。
 いたって普通の顔。
「…………」
 冷蔵庫に行って、普通にアイスティーを飲んで、普通に隣へきてからチャンネルを変えて。
 ニュース見て、爪を切って……と、いつもと変わらない、姿。
 だからこそ、余計に嵐の前の静けさというか……なんていうか。
 だって!
 あ、あんなえっちな物を見せられたのに、彼が何も手を出してこないだなんて考えられない。
 きっと、今に手を出されちゃう……んだ、と思う。
 絶対に。
「…………」
 でも、隣に座っている彼はまったく私を見ようとせず、ただただいつもと同じような顔で過ごしていた。
 微塵もない。
 先ほどまでの、あの、意地悪な表情はどこにも。
「……何?」
「えっ」
 なんてことを思っていると、ふっと視線が合った。
 その顔は、やっぱり変化がない。
 いつもの先生の顔。
「あ……の、ううん。なんでもないです」
 慌てて首を振ると、そう? と一言呟いてからまた何もなかったかのように彼が爪切りへ戻った。
 丁寧にやすりをかけて仕上げ、満足そうに眺めてから片付ける。
 ……几帳面だなぁ。
 なんて、ちょっと思った。
 ――……で、結局。
 その後も彼の態度は変わることなく、普通にニュースを見てスポーツの結果を聞き終えたところで彼が立ち上がった。
 ……本当に、いつもと同じ。
 寸分違わぬどころか、いつもよりずっと大人しい感じがする。
「それじゃ、もう寝ようか」
「あ、はい」
 立ち上がってテレビを消し、電気を消してからそのまま寝室へ。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 ベッドへ入って、間接照明を消す前に、彼がおやすみのキスをくれた。
 ちゅ、と。
 ほんの一瞬触れるだけの、優しいもの。
 …………。
 …………あれ?
 ほ……んとに?
 え? 何もないの?
「…………」
「…………」
 静かな部屋には、暗闇だけが満ちた。
 彼の吐息がかすかに聞こえるような気はするけれど、動きはひとつもない。
 ……なんだぁ。
 やたらどきどきしていただけに、ちょっとだけ肩透かしを食らった感じだ。
 でも、同時に少し安心してもいる。
 あんなふうに強制的に見せられただけあって、絶対に彼が手を出してくるんだとばかり思っていたから。
 こんな日もあるんだなぁ、って。
 じゃあ、いったいあれはなんだったんだろう、とも思うけれど。
「…………」
 ふぅ。
 小さく息を吐いてから、目をしっかりと閉じて寝ることに集中。
 でも、本当に珍しいこともあるんだなぁ。
 ……なんて言ったら、先生に怒られるかもしれないけれど、素直にそう思った。

「…………」
 …………いったい、あれからどのくらいの時間が経っただろうか。
 一向に眠れない、自分だけがいる。
 ……どうしよう。
 なんていうか……余計にドキドキして眠れない。
 彼はこちらに背を向けているけれど、多分寝てるんだとは思う。
 どうして、私だけ眠れないんだろう。
 ……やっぱり、アレのせいなのかな。
 …………うぅ。
 でも、だって先生が見ようなんて言うから。
「……はぁ」
 ほんの小さなため息をついてから、そっとベッドを抜ける。
 なんだか、喉がカラカラ。
 お水を飲むべく、明かりのないキッチンへ。
 手元だけを照らす明かりをつけ、冷蔵庫からアルカリイオン水を取り出してグラスに注ぐ。
「……はあ」
 両手でそれを包むように持ってから口をつけると、身体に染み込むような感じがした。
 ……このまま朝まで寝れないのかな。
 そう考えると、だったらいっそのこと勉強していようかとすら思う。
 ……なんだか、気分が滅入ってきた。
 あぁもう、絵里のせいだから!
「……もぅ」
 せっかくの誕生日なのに、なんだかとっても複雑。
 嬉しいことはもちろんあったんだけど、こんな思いをするなんて。
 再度ため息をついてから水を飲み干し、明かりを消して寝室へと戻る。
 だけど、相変わらず彼は私がベッドを抜けたときと同じ格好で瞳を閉じていた。
 ……やっぱり、眠れないのは私だけなんだ。
「…………」
 枕元に置いておいたスマフォを見ると、間もなく0時になろうとしていた。
 彼と一緒にベッドに入ってから、1時間。
 結局、ひとり眠れないまま過ごしている。
「……はぁ」
 小さくため息をついてからベッドに入り、そのまま横になる。
 だけど、瞳を閉じることはできない。
 ……だって、目を閉じるとさっきの映像が浮かぶんだもん。
 そのたびになんともいえない気持ちが溢れてきそうで、ちょっとだけ恐かった。
 また、落ち着けなくなってしまいそうで。
 ――……彼に、触れたくなってしまいそうで。
 ……どうして、普通に眠れるんだろう。
 あのとき、彼は視線を外して画面を見ていなかったのかもしれないけれど、でも音は出ていたからまったく認識してなかったわけではないはず。
 じゃあ、どうして?
 というか……どうして、私だけがこんなに夜も眠れないほどの思いをしているのかが、不思議だった。
「っ……!」
 何度かごろごろと寝返りを打っていたら、彼がこちらに寝返りを打った。
 自然に向き合う格好になり、思わず喉が鳴る。
 しっかりと、閉じられた瞳。そして、唇。
 ……眠ってるよね、やっぱり。
 私は、こんなふうに眠れなくて困っているのに。
 ……むぅ。
 なんだか悔しくなってきた。
 だって、私が眠れないのは、彼にあんなかたちでAVを見せられたからなんだもん。
「…………」
 つ……、と。
 どこか幼い感じのする寝顔を見ていたら、頬に手が伸びた。
 指先でまず触れて反応がないのを確かめてから、ひたりと手のひらを当てる。
 心地いい、滑らかな感触。
 ……いつも思うんだけれど……すごく、すべすべなんだよね。
 男の人のほうが肌がきれいっていうけれど、あれは本当かもしれない。
 そういえば、学生のときに女装させられたってこともあったんだよね。
 ふと、先日の写真が目に浮かび、小さく笑みが漏れた。
「…………」
 きれいな肌。
 きれいな――……唇。
 まじまじと眺めていたら、つい唇へ指を這わせていた。
 荒れていない、艶っぽさがある唇。
 ……いつも、キスしてくれる。
「っ……」
 ……やだ……。
 変な感じ。
 じわっと胸の奥から妙な感情が湧いたのを感じて、慌てて指を離して口元を押さえる。

 今、キスしそうだった。

 自分から、なんの躊躇もなく。
 でも、さすがにそれをするのはどうだろう。
 いくらなんでも、起きてしまうに決まってる。
 ……だけど――……。
「…………」
 どくん、どくん、と鼓動が大きく聞こえた。
 もしかしたら、起きないかもしれない。
 ……ううん、起きないに決まってる。
 こくん、と小さく喉を鳴らしてから、そっともう彼に顔を近づける。
 きっと、大丈夫。
 だって、さっきからずっと弄っているのに、起きないんだから。
 もう、本当に熟睡してるのかもしれない。
 ……だから。
「……………」
 もう1度唇に視線を向けてから、そっと頬に手を当てる。
 ちょっとなら、平気かもしれない。
 ……なんて、普段だったら考えられないようなことが頭に浮かんだ。
 先ほど見た、あのDVDのせいかもしれない。
 ここまで、大胆になれるのは。
「…………」
 息遣いが感じられる距離。
 すぐ目の前に唇がある場所まで、顔を近づける。
 ……少しだけ。
 ほんの、少しだけだから。
「……っ……」
 ちゅ、と。
 先ほど彼がしてくれた『おやすみ』のキスよりもずっとずっと浅い、一瞬、触れたか触れないか程度のキス。
 それでも、寝ている彼にするのはとても勇気がいって。
 起きてしまうんじゃないかという不安から、慌てて距離をあける。
「…………」
 だけど、反応はなかった。
 ……うー。
 余計、眠れなくなってしまった感じがする。
 逆に、するんじゃなかったという後悔のほうが強くなる。
 ……だって。
 だって、だって……!
 キス、したら……もっと触れたくなっちゃう。
 今度は、自分が何をするかわからない。
 そう思うと、余計心臓がばくばくしてきて苦しくなった。
「……はぁ」
 くるりと寝返りを打つと同時に、漏れるため息。
 ――……だけど。

「いけない子」

「っ……!」
 耳元でぼそりと吐息交じりの声が聞こえ、ぞくりと鳥肌が立った。
「な……! えっ、だって今、寝て……!」
 肩に手をかけられたかと思いきや、そのままベッドへ仰向けにされる。
 顔を覗き込む彼は、とてもじゃないけれど今まで眠っていた人のものじゃなかった。
 だって、いつものあの笑みだったんだから。
「どうし――……っ!」
 問う前に唇を塞がれた。
 いつもの、彼の口づけ。
 だけど、アレを見てずっと眠れなかった自分にとっては、身体の奥でくすぶっていたモノを呼び起こされる引き金になった。
「は……ふぁ……」
 全身に甘い痺れが走る。
 漏れる吐息が熱くて、声が甘くて。
 身体に力が入らず、頬に当てられた彼の手を掴むものの、するりとベッドへ落ちてしまった。
 きっと、ずっとこうしてもらいたかったんだと思う。
 身体が、そう言っていた。
 彼を、ずっと……待っていたんだ、って。
「……は……ぁ」
「……そんな顔して。止まらなくなるだろ」
 優しい瞳を向けた彼に、情けない顔で抱きつく。
 まともに、彼の瞳を見れない。
 ぎゅうっと首に両腕を絡めて彼を引き寄せると、自然に唇が耳元へ寄った。
「……それでもいい」
「え……?」
 囁いた言葉を聞いた彼が、私を離してから瞳を合わせた。
 ……いじわる。
 彼の顔を見た途端、眉が寄る。
 だって、その目が笑っていたから。
 すごくすごく、それは楽しそうに。
「……眠れないんだもん……」
「どうして?」
「…………先生は眠れるんですか?」
「寝てたでしょ?」
「っ、うそ! だって、目が眠そうじゃないもん!」
 そう。
 彼は、いかにも今起きたという感じを装っていたものの、その声も、瞳も、何もかもが今まで眠っていたとは到底思えないモノだった。
 ぼんやりしているのは、むしろずっと私のほうなんだから。
「んっ!」
「……寝れるワケないだろ。あんなモン見せられて」
 ぐいっと抱き寄せられたかと思うと、彼が組み敷くように私の身体の上にいた。
 眉を寄せ、少しだけ苦しそうな顔で。
 大きくついたため息が、ほんの少し熱を帯びているように思える。
「じゃあ、どうして寝たふりなんかしてたんですか?」
「少し、おねだりでもしてもらおうかなと思って」
「おねだり……?」
「うん」
 くす、と笑った彼が人差し指で頬を撫でるように触った。
 つ……とそのまま首へ落ち、鎖骨を撫でるようにしてからボタンに向かう。
「男っていうか……まぁ、俺が我侭だからなんだろうけれど。たまには、羽織ちゃんから誘ってほしいんだよ」
「さそっ……! ……もぅ。えっち」
「羽織ちゃんも一緒でしょ? 寝てる人間にキスしたりして」
「っ……それは! だって、寝てなかったじゃないですかっ」
「それは今起きたから言えることだろ? あのときホントに寝てたら……どうしたのかな」
 眉を寄せた私に対し、彼は依然として意地悪っぽい笑みを絶やさなかった。
 ……もぅ、いじわるなんだから。
 眠るつもりなんて、きっと最初からなかったはずなんだ。
 私が行動に移すのを、恐らくは待っていたはずだから。
 ……はず。
 確かに、すべては想像でしかない。
 でも、彼の顔を見ていたら『かも』じゃ済まされないレベルだったんだろうとは思う。
 だって、本当に楽しそうでしかたないような顔をしているんだから。
「……そのときは……」
「ん?」
 ふっと視線を1度外してから、また彼を見る。
 どくん、と鼓動が大きく鳴った。
 それはいったいどんな理由からなんだろう。
 まっすぐ見つめてきた彼を見ていたら、自然と少しだけいたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「……先生のこと、きっと起こしていたと思います。……眠れない、って」
「眠れないから?」
「…………キス、してもいいですか? って」
 言葉の続きを待つような仕草をした彼に、視線を逸らしてから小さく付け足す。
 すると、驚いたように瞳を丸くしてから、ふっと笑った。
 その顔は、まるで『仕方ない子だな』と言っているようにも見えて。
 目が合った途端、かぁっと頬だけじゃなくて身体も一緒に熱くなった。


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