「さー! いよいよね。みんな、気合入れなさいよー?」
「…………」
「……あら何よ、元気がないわよー? 気合入れて! ほら! 『オー!』って!!」
 楽しいことが待ちうけていると、そこに辿り着くまでの時間が長く感じられてたまらないのに、どうして嫌なことが先にあると……こんなにも早く経ってしまうんだろう。
 いよいよ。
 ……そう。
 今、日永先生が言った通り、まさに『いよいよ』明日明後日はセンター試験が行われる。
 私は今回、自分から決めて――……化学も試験を受けるつもりでいた。
 当然生物は受けるつもりだったから、最初から連日試験を受けることに変わりなかったんだけど……。
 ……でも正直言ってもちろん不安はある。
 だって、自分が苦手な教科だった“化学”の試験を、わざわざ自分で選ぶなんてこれまでだったら考えられもしなかったから。
「………………」
 でもね?
 一生懸命に私たちを励ましてくれている日永先生の、すぐ隣。
 そちらへ視線を向けると、腕を組んで真剣な顔をしている――……彼が見えた。
 ……彼の、お陰だもん。
 今の私があるのももちろんそうだけど、でも……彼が私に与えてくれたたくさんの影響は、出会わなければすべてがありえなかったことで。
 …………だから、私は全部に感謝しなければならない。
 巡り会えたこと。
 彼と付き合えるようになったこと。
 それらは、ほんの些細なことでも違っていたら、絶対に叶わなかったもので。
 きっと、世界で1番幸せなのは……私に違いないんだろうな。
 両手で頬杖をついたまま彼を見つめていたら、なんとも言えない気持ちでいっぱいになった。
「そこで! 実はねー、みんなに大願成就のお守りを渡そうかと思うのよー!」
 これまでにないくらい大きな声で手を叩いた日永先生に、ようやく視線が戻った。
「うっそ、まじでー! 先生、すごいじゃん!」
「ふっふふー。まぁねー。なんせ、かわいい教え子のため! がんばったのよ!」
 ぶい、と両手でVサインを作った日永先生を、みんなが大きな声で『よくやった!』とか『さすがー!』なんて囃し立てた。
 もちろん、それにはなぜかセンターを受けない絵里も混ざっていて。
「もぅ……絵里まで」
「だって、気になるじゃない! っていうか、さすがはウチの担任って感じ? ホント教え子ラブよねー」
 そんな彼女に苦笑を浮かべると、うんうんと大きくうなずいて――……。
「……え?」
 なぜか、にやぁっと笑った。
「誰かさんは誰かちゃんだけを、特別えっらいラブみたいだけどねー」
「う……絵里ぃ……」
「くふふ。ま、誇りに思いなさいって」
「もぉ」
 ひらひらと手を振りながら、もう片方を口に当てながら見せる……その含み笑い。
 なんだかもう、それってばまるで近所のおばさんみたいだ。
「じゃじゃーん」
「おおおっ!」
 もったいぶったような顔とともに日永先生が私たちへ見せたのは、どこから取り出したのか、鉛筆の束だった。
 ……鉛筆。
 もちろん、何も変わった点は見うけられない、本当に、ごくごくありふれているような……。
 ……でも。
 なぜかその姿を見たみんなは、拍手喝采を彼女へと浴びせていた。
「ありがとーありがとー。いやぁ、そこまで乗ってくれると先生嬉しいわぁ」
 それはもう本当に満足げな顔で彼女も笑い、改めて咳払いをする。
 そして、1本を取り出して掲げると、やっぱり満足げにうなずいた。
「実はねー。この鉛筆、何を隠そう! 昨日の晩に、先生が夜なべして削り上げたのよ!!」
「うそー! すっごい!」
「それじゃ、何? 京子ちゃんの愛がこもってるってこと?」
「もっちろん! こもってるどころか、溢れちゃってるわよ!」
 ふふんと笑った彼女に、教室中から笑い声があがった。
 ……でも、誰ひとりとして馬鹿にしたような言葉も、笑い方もなくて。
 みんな、なんだかんだ言いながらも、やっぱり嬉しくてたまらないんじゃないかな。
 もちろんそれは私だって同じ思いだからこそ、ちょっとだけ照れくさくて、同じように手を叩いていた。
「あ。ちなみに瀬尋先生からも、ちゃーんとお守りあるのよー」
「……え……」
 『ね、先生?』と嬉しそうに彼を見つめた日永先生に、思わず瞳が丸くなった。
「お守りだって」
「だね……」
「え? 羽織も知らないの?」
「……うん。聞いてない」
 まさに初耳。
 だから、ちょっとだけ驚いた。
 ――……と同時に。
 なぜか気まずそうに苦笑を浮かべている彼の姿が、なんとなく不思議に思えた。
「えー……。……日永先生、本気で配るんですか……?」
「モチのロン! ささ、ばばーんと配ってください」
「……はぁ」
 こそこそと目の前の教壇で行われているやり取り。
 ……んー……?
 こそこそしてるんだけど、当然私たちにはすべて見えている……ので。
「……何あれ?」
「さあ……?」
 大きくため息をついたあと、小さな紙のような物を取り出した彼を見つめたまま絵里と首をかしげる。
 ――……けれど。
 彼がそうした理由は、次の瞬間日永先生からばっちしと語られた。

「ふっふふー。実はねー。この間瀬尋先生とぉー……“合格プリクラ”撮ってきたの!!」

「えぇえええ!!?」
「しかもしかもー! なんと! ちゃんと、遠足のときの集合写真写しといたから、これで全員一緒に写ってることになるんだからっ」
 そのときの、ぐっと拳を天井に突き上げた彼女の表情と、隣で物的証拠をしっかりと持っている……彼。
 このふたりの表情は、本当に対照的なものだった。
 …………でも、もう冷静にそれらを見ている場合じゃない。
「っアンタたち!?」
 満足げに笑ってから、そのプリクラを彼から日永先生が受け取った瞬間。
 途端に教室が沸き、がたがたと大きな音とともに――……ある意味大パニックになった。
「うっそ! ちょうだい!」
「先生! 私もほしいーー! っていうか、センター受ける子だけなんてズルいよー!!」
「そうそう! お守りとして、ちょうだい!」
「ちょうだいーー!!」
「だーー!? あんたたち、ちょ、ちょっ……! 待ちなさい!」
「欲しいー!」
「え? 何? ちゅープリなの!?」
「だっ……ちがっ……!! ぎゃー!?」
「っわあ!? 先生!」
「せんせーー!?」
 がたがたがったん。
 怒涛という言葉が相応しいほどの、瞬間的に発生したすさまじい出来事。
 それはものの数秒だったけれど、みんなが我先にと急いで詰め寄ったせいで――……日永先生はその集団に飲み込まれて消えた。
「……あーあ」
「先生……大丈夫かな……」
 彼が慌てて日永先生を助け起こそうとする様子を絵里とともに少し離れた場所から眺め、恐る恐る……近づいてみる。
 ……と。
「……っだぁ! 死ぬかと思った!!」
「せんせー! 大丈夫?」
「ったくもう! びっくりしたわよ!!」
 周りにいた子たちも手伝ってようやく立ち上がった先生を見てから、絵里と顔を見合わせると同時に苦笑が浮かんだ。
「……元気ね」
「だね」
 くすくすと笑いあったまま、『1列に並びなさい!』という声に従って私たちも最後尾を目指す。

 ――……ちなみに。
 ようやくもらうことができたそのプリクラは、自分が思っていた以上のモノで。
「……とっとこ」
 どんな千手札やお守りよりも効き目がありそうだからこそ、大事に大事に保管しておこうと心に誓った。


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