「ハートの女王」、もとい、暁稔という私の愛しい恋人は、満足そうに隣りに座っていた。

がちがちに緊張してる私の肩を抱いて。

 

「……真姫?」

「…な、なに…?」

「どした?」

「…ど、どうしたもなにも…」

「緊張してるのか?」

「当たり前…!!」

 

縋るように稔のスーツをがしっと掴みながら見上げると、ヤツは相変わらず余裕な笑みでこちらを見下ろしていた。

 

「…へぇ。気に入らなかった?」

「え?」

「そのドレス」

「…………」

「ん?」

 

私の返答なんて解ってるくせに、わざと私が好きな「稔の顔」をする。

私を甘やかすときの、顔。

そんな顔されるとどうしても素直になってしまうのを、知っててするんだ、この稔という男は。

 

「……むちゃくちゃ気に入った」

 

ささやかな抵抗の意味も込めて、顔を背けて小さな声で呟いてやると、背後で「そっか」と嬉しそうな稔の声が聞こえた。

思わず心にかけた鎖がほどかれる。

本当は文句でも言ってやろうと思った。なにも言わずにドレスと靴とバックだけ郵送してきて、手紙も入ってなければなんにもない。ただ、メッセージカードに今日の日付と時間だけ書かれてただけ。そんな不親切な誘い方があるかー!…と、連日連夜この怒りを愚兄にぶつけていたのだが、その怒りが、鎖が、たったこれだけの事で音を立てて解かれた。

ちらり、と横目で見つめた稔の横顔が愛しくなる。

考えてみれば、今日まで一ヶ月全然会ってなかった。

稔の部屋にも行ってなかったし。

 

「…一ヶ月ぶり…、か?」

 

虚空を眺めながらぼんやりと呟いた稔は、かくれんぼで最後まで見つけられなかった子供のように淋しそうで、存在が儚く見えた。

 

「…うん…」

「テスト、どうだった?」

「……まぁまぁ」

「…そうか」

「うん…」

 

先ほどまで、大きな存在感を誇示していた稔が、一瞬儚く見えてスーツを握ったが、それは一瞬の出来事で、今では相変わらず自分の存在感を誇示していた。

気のせいかな?

と、思いながらもやっぱり握っているスーツだけは放せなくて、なんとなく無言。

それから会話という会話がなくて、稔や私にしては珍しくなにも話さない時間が多かった。

 

「……真姫、今夜は?」

「…バカ兄貴には、泊まるかも、とは言ったけど?」

「外の密室だと、なんとなーく……かしこまるなぁ」

「まぁねぇ…。…ていうか、私未成年…!!!」

「平気平気。俺、お前の歳には酒飲んでたもん」

「平気じゃねぇ…!!」

「いーんだよ。俺がいるんだし」

「………それは、保護者、って意味…?」

「それ以外の何者でもないだろ」

 

そんなこと言わないで欲しかった。

確かに今私は高校生だし、稔は社会的地位もあってお金もあって「大人」だけど、私は稔の彼女であって、稔は私の彼氏なんだか、「保護者」だの「未成年」だのって関係じゃないはずだ。

 

「……稔、出よ」

「はぁ?」

「お店、出るの」

「ちょ、おまえ、なに言ってんの?」

「嫌なの。今すぐ、出ていきたいの」

 

冷静に考えれば、それも私たちに当てはまる一つの関係性だけれど、今、ここで思い知らされるのは嫌だった。この空間が、二人の「恋人同士」という赤い糸を断ち切ってしまう空間なんて、いらない。

私はふかふかのソファから立ち上がって、すぐに稔の腕を持って「行こう」と促した。

 

「おい、おまえ俺の立場解ってるか? 今日、尋未ちゃん来てて雅都だっていなくなる…」

「そんなの関係ないっ。私は、…今すぐにでもここを出たい…、出たいの…」

 

こんな子供みたいなわがままで、彼の仕事の邪魔をしてる。

それは解ってる。

解ってるけど、急に突き出された「保護者」の烙印が嫌だった。

駄目だ、って解ってるけど、私は「稔の彼女」でありたいと強く願っていた。

 

悔しい。

 

背伸びしても、頑張っても、やっぱり私は高校生なんだ。

大人な稔を困らせてしまう存在なんだ。

一生彼の傍にいるために猛勉強して、いろいろなことを我慢して頑張ってるのに、その影の頑張りをこんなことで、自分に踏みにじられた気がして悔しい。

うっすらと滲んでくる涙に、思いがこみ上げる。

 

「……真姫」

「うー…」

 

泣き出した私を、稔はそっと抱きしめてくれた。

涙で滲みだしたマスカラや、溶けだしたファンデーションで、ぼろぼろになってるのに真っ白なYシャツに私の顔を押しつけて涙を吸わせる。

 

「…はぁ」

 

稔が私を抱きしめながら、大きくため息をついたのが聞こえると同時に、体が浮遊感に襲われた。

 

「ひゃ、…っ」

「───顔、スーツに押しつけてて良いから」

「で、も…」

「安心しろ。こんなスーツ安もんだ」

 

そう言うなり、私を抱えて個室から出ると一番近くにいたスタッフの男性に「悪い、後は任せた」とだけ言うと、裏口から外に出た。

そこには稔の愛車である黒いBMWが厳かに主の帰還を待っていた。

手早く助手席に私を乗せ、ドアを閉めると後ろから聞き慣れた声が二つ聞こえてきた。バックミラー越しに伺えるのは、綺麗な尋未とその手を引いている雅都さんの姿。二人ともなんだか妙な雰囲気だったので、少し心配になったけど気付いたら車が出てしまった後。

その後の二人は、二人に任せて、とりあえず運転席にいる王様に謝るために口を開いた。

 

「…稔…?」

「あ?」

「…あの…」

「謝ったりなんかしたら、このまま車の中で犯るからな」

「ええ!?」

「……真姫の気持ち考えれば解ることだったのに、…軽い気持ちで保護者、なんて言ったのが悪い」

「…稔…」

「だから、真姫が謝ることない」

 

前を見ながら、ギアチェンジをする稔の姿は格好良くて、運転している姿に体がじんわり熱くなった。

彼のこういうところが好きだ。

相手が誰だろうが自分の非は認めて、謝る事ができる。

そういう潔い男。

 

「……ありがと」

 

ぽつり、車内で呟く言葉は、いくら小さくてもその声を拾ってちゃんと相手に届けてくれる。

青い幻想的な世界よりも、ちゃんと気持ちが届く小さな車の中が丁度良いみたい。

 

 

 

「───…ん」

 

 

 

向かった先は、稔の部屋。

口調はぶっきらぼうだけど、なんとなく照れてるのかな?

その手は優しく私の腰を抱いて、ドアを開けて中に入った。

二人して靴を脱ぐと、彼が先に部屋の中に入って電気を付ける。

続いて私がポットにお湯を湧かすためにキッチンへ。

吹き抜けのキッチンからは、リビングの様子が丸見えだから彼が今、なにをしているのかが伺えた。

稔は、忌々しげにスーツをソファに脱ぎ捨てると両手で少し伸びた前髪を掻き上げる。

 

「………」

 

仕草一つ一つに対して、丁寧に私の心臓はときめいてくれて嫌になる。

これ以上彼を好きになれ、と言うのだろうか?

頭のてっぺんから、つま先まで、涙の一滴までもが全部稔のものだと思わせてしまう。

───自分自身に。

 

「……真姫?」

 

気付けばこちらを振り返る稔の姿。

慌てて笑顔を取り繕うと、稔は呆れたように後ろのやかんを指さした。

 

「湯、湧いてる」

 

落ち着いた一言に一瞬時が止まる。

それからゆっくりと後ろを振り返り、慌ただしく汽笛を上げるやかんの火を止めた。

手早くポットにお湯を注ぎ込むと、稔がリビングから私を呼んだ。

 

「…どうしたのー?」

 

ぱたぱたとフローリングの上を歩きながら、どっかりとソファに腰を下ろしてる稔の隣りに腰掛けた。

 

「……待ってるんだけど」

 

少し、拗ねた口調。

なにをそんなに拗ねてるんだろうか?

 

「…え? …あ、飲み物…?」

「違う、真姫」

「………え?」

 

再度聞き返してきた私に、稔は尚も拗ねた口調で私の顔を覗き込んだ。

 

 

「───真姫が甘えてくるの、待ってたんだけど?」

 

 

わざわざ、自分の家に連れ込んで。

そう続けると、顎をすくい上げながら稔は私の瞳を覗き込んだ。



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