昔々ある所に、『シンデレラ』が居ました。
シンデレラは毎日継母や義姉に虐げられていたのですが、ある晩、魔法使いが現れて綺麗な姫に変身させたのです。
シンデレラは城の舞踏会へ行き、憧れていた王子と踊り、それはそれは楽しい時間を過ごしました。
――…だけど。
シンデレラに掛かっている魔法は、夜中の0時で解けてしまうのです。
魔法が解ければ王子とは二度と会えず、また、普通の生活に戻るだけ。
永遠ではない事は、最初から分かっていた事。
…だけど、それでもシンデレラは、一時の時間を楽しむ為に魔法使いと約束を交わして城へ向かいました。
――…行けば、後悔する事も分かっていたのに。

「ほら。とっとと行かないと遅刻すんぞ」
「……分かってるわよ」
「じゃ、さっさと支度するんだな」
気まずい朝を迎えた俺は、それでも、いつもと変わらない支度を済ませた。
絵里が好きだと言った、定番のメニュー。
ずっと同じだった、口調と態度。
…強がりだと言われたら、否定はしない。
無理矢理という言葉がぴったりな程、俺は普通を装い続けたから。
昨夜が気まずいのは、きっと絵里だって同じだろう。
だからこそ、何も言って欲しくなかった。
……今夜、どんな事が起ころうとも運命の時間はやってくる。
それは分かっているから、だったらせめてその時間までは、せいぜい夢を見ていたい。
「…………」
愚かだと言われても。
下らないと罵られても。
それでも俺は、その道を選んだ。
「じゃ、気をつけろよ」
「…純也」
「お前、ぼーっと歩いてんと車に轢かれんぞ?」
「…純也ってば」
「あ、そうそう。弁当は――」
「コラ、純也!!」
「……何だよ」
「…ったく。ちゃんと話聞きなさいよ」
無理矢理、頬へ手を当てて視線を合わせられ、ため息が漏れる。
…聞こえてました。
だからこそ、敢えて知らんフリを続けていたのに。
……分かってねぇな。
眉を寄せて何やら機嫌悪そうな絵里を見ながら、こちらも眉が寄った。
「…いい?今日、帰ったら話があるから。ちゃんと家で待ってて」
「……ンだよそれ。別に俺は何も――」
「いーいー?」
「……分かったよ。うるせぇな」
彼女らしからぬ真剣な眼差しから目を逸らし、振り解いてひらひらと手を振ってやる。
すると、小さなため息の後で『いってきます』と絵里が続けた。
……今夜、ね。
話なんて、聞かなくたって分かるっつーの。
なんせ今日は、最後の日。
…約束が終わる、最後の夜。
「…………」
どうせ話なんて、『今までありがとう』とかってモンだろ?
…そんな話、聞きたくも無い。
別れ話なんて、こっちから願い下げだ。
「……はぁ」
瞳を閉じて壁にもたれ、頭をもたげれる。
その時に出たため息は、これまで味わった事も無いような重い重いモノだった。

「で、出てきちゃったわけ」
「…そう言うなよ」
目の前で食後のブラックを飲みながら、友人である長谷川――…もとい。
松本葵は、呆れた表情で俺を見た。
「……まぁ、なんつーか…。色々あるんだよなー?」
「いろいろー」
彼女の向かいに座ってる俺は、葵の息子・夕真を膝の上に乗せてあやしている格好。
子供の扱いは昔から割と慣れてる方だから、別段問題は無い。
葵は、高校の時より少し髪が長くなった感じだ。
本来ならば友人である那樹に会うつもりだったのだが、何でも仕事で忙しいらしく、『家に来れば?』と言われたのだ。
彼が居ない間に新婚家庭へ上がりこむのもどうかとは思うのだが、まあ、今回は特別。
それに、葵も那樹もお互いを心底好きだって事は学生の時から分かっていたから、万が一……いや億が一にも過ちなんて起きないしな。
「…ていうか、色々って何よ」
「夕真ってやっぱり那樹に似てるなー。父親以上に、いい男になれよ?」
ぐりぐりと頬を指でつつくと、くすぐったそうにしながらきゃいきゃいと笑い声を上げた。
…まさか、こんなに早く子供が出来るとは思わなかったが、まぁ、二人らしいと言えばらしいか。
「こらこら、話を逸らさない」
「あー、腹減ったなー」
「目も逸らさない」
「逸らしてないよなー?」
「話す相手も逸らさない!」
ひらりひらりとかわしていたのだが、ここにきて葵が机を叩いた。
「…なんで出て来たの」
「……一緒にいるのが苦痛だったから」
「だからって、逃げるなよぉ〜…」
さっきの怒気とは裏腹に、葵は机にうなだれた。
それを見た夕真が、葵の格好を面白そうに真似してる。
…親子だな。
ふとそんな二人の繋がりを見て、笑みが漏れた。
「でも、しょーがねぇだろ?誰だって、『話がある』とか言われたら、悪い予想するもんだし」
「そんなの解らないじゃない…。OKの話かもよ?」
「…はっ。あり得ないね。アイツには、好きな男が居るんだぞ?なのに、なんで俺なんかに『うん』って言うんだよ」
「あのねぇ、たまにはガツンと砕けてみなさいよ」
「たまにはって何だ。…失礼だな。俺は割とぶち当たる方だぞ?」
「だったら尚更!どうして今回に限って逃げたりするのよ」
「何となく」
「……あのねぇ」
相変わらず、葵はドキッとすることをたまに言う。
普段の俺を見ているからこそ、出てくる言葉なんだろうが…。
…それでも、やはり今回ばかりは素直に『そうだな』なんて言えるはずが無かった。
どうして言える?
自分がやらかしたあの家に、自分から帰るなんて事。
「でも、逃げるなんて純也君らしくないんじゃない?いつだって、男らしくやる事やってたのに。……ねぇ、このままじゃいけないんだよ?このままだと、一生そのままなんだよ?……それでもいいの?」
「…それは――」
「その気持ちは解らないでもない。でも、当たって砕けないことには、次の恋にも進めないままになっちゃうんだよ?」
「……次なんて考えてないんだけどな」
「もー、頑固なんだから…」
夕真の頭を撫でてやりながら視線を落とすと、彼女が小さくため息をついた。
確かに、彼女が言う事は分かる。
理屈だって通ってるだろう。
…だが、それでも気持ちだけはどうにもならない。
俺がそういうヤツだって事は、きっと知ってるはずなんだけどな。
「…でも、待ってるだけじゃなくて、向かってみたら?今日で、彼女と過ごすのも最後なんだし」
最後…。
静かに呟いた葵の言葉に顔を上げると、『ね?』と続けた。
……確かに、そうだったな。
もう、約束の一ヶ月は今日までなんだから。
「………そろそろ帰るかな」
「ん。それでこそ、オトコ」
「そりゃどうも」
「気を付けて。…頑張れ」
「サンキュ」
膝の上で遊んでた夕真を彼女に返してから、玄関へ向かう。
…参ったな。
こんな風に、慰めて貰うつもりで来たんじゃなかったんだが。
「…………」
…それでも、いいか。
こうしてもう一度、アイツに会おうって気になったんだから。
「じゃあな」
「はいはい」
『さっさと行った』って顔してる葵と、ふにゃんとした顔で手を振らされている夕真に別れを告げて、一目散にマンションへと向かう。
――…腹でも空かして待っているであろう、アイツの居場所へ急ぐ為に。


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