「じゃあ、ふたりとも。しおりの草案ができたら、早めに提出するんだぞ」
 ある日のLHR。
 遠足の話し合いをしていたとき、俺と孝之が委員に決まった。
 ……正直言って面倒くさい。
 まぁ、簡単でいいだろ。
 どうせ水族館とかそんなとこなんだから。
 男同士で行って何が楽しいのかと思うし、、何も遠足でそんなとこへ行かなくてもいいだろうに。
 ……まぁ、別に水族館自体は嫌いじゃないんだけど。
「それじゃ、今度の遠足の行き先は八景島で決まりだな?」
 瀬那先生の声に、クラス内からは賛同の声が挙がった。
 ……まぁ、あそこならまだいいかもしれない。
 複合だしな。水族館と遊園地と。
「祐恭、任せたぞ」
「……は?」
「いやほら、俺こういうの苦手なんだよ。つーか、ぶっちゃけめんどくせぇ」
「…………あのな。お前のほうがよっぽど、こういうのに向いてるだろ? 細かい作業好きなクセに」
「別に好きってモンでもねーけどな。まぁ……やるっちゃやるけど」
「だろ?」
 しおりの作成を生徒が担当するなんて、1年のときは心底驚いた。
 そもそも、そういう面倒くさいことを分担になるとか、ありえないのに。
 ……まぁいいか。
 コイツは、こう見えて何かと面倒見もいいしな。
 『できない』とか言えば、全部やってくれるかもしれない。
 …………って、それは無理か。やっぱり。

 結局、この日は放課後も何かとやってはいたのだが、そう簡単にまとまるはずもなく。
 こういうのは男が作るもんじゃないと思うんだが。
 むしろ、羽織先生とかのほうが、よっぽど得意なんじゃないのか?
 …………。
 って、彼女が担当したらやたらファンシーなモノにできあがりそうで、それはそれで困るけど。
「あれ、ふたりともまだ残ってたの? もう18時だよ?」
 俺たちしかいない教室内に響いた、羽織先生の声。
 蛍光灯の明かりで鏡のようになった窓に反射した姿をとらえてから、本物へと視線を向ける。
「しょーがねーだろ。終わんねぇんだから」
「もぅ。家に帰ってやればいいじゃない」
「祐恭は平塚なんだっつーの。それともアレか? 俺ひとりでやれとかっつーんじゃねぇだろうな」
「葉月に手伝ってもらえばいいのに」
「っ……馬鹿か!」
「どうして? きっと、喜んで手伝ってくれるに違いな――」
「うるせーな、ちょっと黙れ!」
 あまりにも砕けた感じの物言いと表情が、まるで自宅での会話みたいだ。
 くすくす笑う羽織先生と、舌打ちしながらそっぽを向いた孝之。
 ああ。きっと家でもこんな感じなんだろうな、このふたりは。
「っ……おま、笑いごとじゃねーっつの!」
「はは、悪い……いや、なんか……はは。お前弱いな」
「るせぇ!」
 何がツボに入ったのかわからないが、見ていたらつい笑い出していた。
 手を振って一応謝罪はするものの、まったく悪いとは思っていないけど。
「……え?」
「あ、ごめんなさい。えっと……瀬尋君、こんなふうに笑うんだなーって思って」
「意外、ですか?」
「うん。だって、いつもすごく冷静でしょ? だから……なんかね」
「お前、それを偏見だって言うんだろ? 教師のクセに、どーかと思うぞ」
「だって……すごくいい笑顔だったから、つい……」
 両手を顔の前で合わせ、何度も謝る彼女。
 その姿は、俺と同じかはたまた下の子のように見えて、やはり父である瀬那先生のような威厳めいた雰囲気はまったく感じられなかった。
「あ、そうだ。よかったら、ごはん食べていかない?」
「え?」
「ほら、ウチの弟が引きとめたせいで遅くなっちゃったでしょ? だから、ごはん食べにおいでよ。そのあと私、駅まで送っていくから」
「いや、でも――……」
「そうすれば? お前、うちのお袋の飯好きだろ?」
「……それはまぁ……でも、いいんですか?」
「うん。私も今から帰るところだから」
「じゃあ、お願いします」
「はぁい。それじゃ、駐車場で待っててね」
 それだけ言った彼女は、窓の鍵を確認してから職員室のほうへときびすを返していった。
 後ろ姿を眺めながら、ぽつりと思ったことが素直に漏れる。
「……なんか、先生ってさ……」
「あ?」
「先生らしくないよな」
「だろ?」
 なぜか深いため息をついた孝之に小さく笑うと、俺に人差し指を向けて『やっとわーったか』などと口を曲げた。
 ……先生らしくない、か。
 どういう意味でなんて考えるまでもなく、ころころと表情を変えて笑うところが、自分より年下みたいに思えることがあるから、だけど。

「あ」
「え? ……あ。一緒だったね」
 鞄を持って昇降口から教員駐車場に向かうと、ちょうど途中で彼女も一緒になった。
 並んで歩くと、さらに背が低いことを実感してしまい、一層自分より年上には見えない。
 それだけじゃなくて、なんか……細いっていうか、華奢っていうか……。
 こうして見ていると、幼いな、とか思ってしまうんだが、それははたしてどうなのか。
「ちょっと狭いけど……どうぞ」
「……へぇ」
 彼女の車を見た瞬間、思わずそんな声が漏れた。
 勝手な想像でミラやマーチかと思っていたのだが、彼女の車はロードスター。
 しかも、赤。
 ……意外。
 果たして、どれだけの人間が彼女を見て想像するか。
「あ、自分はバイクで帰るんでしょ?」
「まぁな。置きっぱなしだし」
「……そうか」
 軽く手を振った孝之を見て、勝手に納得。
 ということは、彼女とふたりきり……か。
 いや、別に何がどうこうってわけじゃないんだが、こう、知り合い以外の車にふたりきりなんて経験はこれが始めてで。
 まして、相手は教師。
 ……であり、友人の姉。
「んじゃ、またあとでな」
「ああ」
 ひらひらと手を振って駐輪場へ向かっていった孝之を見送り、助手席へと乗り込む。
 今までよりもずっと低くなった目線。
 彼女が隣に乗り込むと、ふわりと甘い香りがして、思わずどきりとした。
「さすがにオートマなんですね」
「……うん。私、マニュアル向いてないみたいで……」
 あはは、と苦笑を浮べながらエンジンをかけ、ぐるりとロータリーを回ってから通りに出る。
 向かう先は、彼女の家。
 ……と言うとなんだか怪しげな雰囲気になるが、これまでも何度も通った友人の自宅なんだから、そこまで緊張する対象というわけでもない。
「…………」
 ちらりと横目で彼女を見ると、小さく歌を口ずさんでいた。
 自分もよく聞く、アーティストのCD。
 授業中は聞くことのない、高い柔らかい声に、少しだけ不思議な感じがした。
 ……なんか、やっぱり年上という感じはしないな。
 さっきから、こんな思いしか出てこないことを彼女にバレるのはどうかと思うが、まぁ、そんなことも起きないだろう。
 見慣れた景色が窓の外を流れているのを追っていたら、ほどなくして見知った家の前に車が停まった。
「どうも」
「いいえー」
 外に出ると、ちょうど孝之が外階段を上がるところだったらしく、途中で俺たちを振り返った。
「教師と生徒とか、すげーいかがわしい組み合わせだよな」
「……何言ってるんだお前」
 頭大丈夫か? と眉を寄せると、舌打ちしてから『うるせーな』と段を踏み始める。
 何が言いたいんだお前は、本当に。
 ――とは思うものの。
「…………」
「え?」
 あとから段を上がってきた彼女を待っていると、不思議そうな顔をして首を傾げた。
 ほんのりとした笑みつきで。
 ……まぁ……かわいい先生だとは思うけど。実際。
 ただ、だからといって俺がどうこう……なんては思っちゃいない。
 当然だ。
 俺は彼女にとって、ただのイチ生徒なんだから。
「あ。おかえりなさい」
「……ただいま」
 孝之が玄関のドアを開けると、うまそうな匂いが漂ってきた。
 ……だけでなく。
 目の前に立っているのは、現代文の葉月先生。
 …………。
 …………へぇ。
 少しだけ彼女と話した孝之が、そそくさと2階へ上がっていった。
 かたや冬瀬の制服で、かたや私服にもかかわらず、新婚夫婦みたいに見えるのはどうしてだろうな。
 つーか、アイツってああいう顔するんだ。
 普段どころか、これまで見たこともなかったような一面を発見し、思わず小さな笑みが漏れた。

「ご馳走様でした」
「いいえ、また来てね」
 それこそ、腹いっぱいの夕飯をごちそうになったあと、玄関先に立って頭を下げる。
 しかしながら、自分の通う高校の先生3人と一緒に飯を食うなんて経験、そうそうないぞ。
 ……すごいな。
 なんか、ドラマみたいだ。
「南口でいい?」
「あー、どっちでも平気です」
「そう? じゃあ、南口のロータリーに行くね」
 先ほどと同じく、彼女とともに車へ向かう。
 外灯がいくつもともる道を滑るように駅へ向かっている車内に流れるのは、変わらない聞きなれた曲。
 ……恋心、か。
 ドアへ肘をついて外を眺めると、窓越しに彼女の顔が映っていた。
 幼い……っていうか、なんかこう……かわいい、んだよな。
 屈託なく笑う顔は、結構魅力的でもあって。
 さらりと流れる髪も、声も……ああ、先生ってかわいいんだなと素直に思った。
 ――……でも。
 俺が教師を好きになることは今までもなかったし、これからも恐らくないだろう。
 だから、この感情は単なる憧れ。
 このくらいの年の人間がみんな年上にある種の憧れを抱くのと、同じだ。
 ……まぁ、彼女の場合は年上に見えないけど。
 自己完結ができたところでちょうど駅についたので、礼を言って車から降りる。
「じゃあ、気をつけてね」
「先生こそ」
「もぅ。私、そんなに危なっかしくないよ?」
「そうかな。十分、危ないっていうか……なんか、守ってあげたくなるけど」
「っ……あ、あのね。大人をからかうものじゃないのっ!」
「別にからかってないけど?」
「…………もぅ」
 一瞬目を見張った彼女が視線を逸らすと、これまでとはまったく違う表情に、こちらも驚く。
 かわいい、っていうか…………なんか、どうなんだ。これは。
 いろいろとマズいんじゃないかと今になって思うが、それでもなお、これはただの“憧れ”であり“気のせい”だと刷り込むしかない。
 友人の姉、だけだったらまだいい。
 だが彼女は、“俺たちの先生”だから。
「ありがとうございました」
「あ……いいえ。気をつけてね」
「はい」
 頭を下げて車から離れ、ふりかえらずに改札へ向かう。
 これ以上深入りしない。
 それが、俺にとっても彼女にとっても、きっと正解。
「…………」
 それでもなぜか、駅の入り口をくぐったところで振り返ってしまい、さまようように視線は彼女の車を探していた。


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