「じゃあ、テストを返します」
週明けの月曜には、それぞれの教科のテストが続々と返却され始めた。
例に漏れず、彼女の英語の時間もそう。
出席番号順でテストが返却され、当たり前のように自分も呼ばれた。
――……が。
『Sorry』
それなりの点数だったにも関わらず、1箇所に書かれた赤字を見て眉が寄った。
当然だと思う反面、どこかで期待していたのかもしれない。
だからこそ、そこが目に入った途端ため息が漏れる。
テスト返却のあとは当然のように解説があったのだが、意識は窓の外。
彼女の声こそ聞こえるものの意識がそちらへ向かうことはなく、そして彼女によそ見していることをとがめられることもなかった。
……だから、だよ。
そんなんだから、俺が“教師”だと認識できないんだ。
自分が蒔いた種なのに――……なんて、彼女に責任をすべて押し付けようとするのは、ズルイ子どもの自分。
終了のチャイムが鳴って号令がかかったものの彼女に視線を向けずに立ち上がって頭を下げると、やるせなさからまたため息が漏れた。
次の授業は、現代文。
結局、一度も彼女の顔を見ることなく終わった授業は、味気ないどころの話じゃない。
そういえば、朝のHRでも顔を見なかったんだよな。
「…………」
もしかして、結構ショックなのか。俺は。
ふと廊下に向かった彼女へ視線が向いてしまい、小さな背中がかろうじて視界に入った。
いつもと同じ彼女。
だが、自分の心持ちがまるで違うせいか、その背中もまた違っていたように思えた。
「お疲れー」
滞りなく授業が進み、やってきた放課後。
テスト期間が終了したため、今日からいつも通り部活が始まる。
「じゃあな」
「ああ、またな」
どの部にも所属していない孝之は、自称帰宅部。
だが、実際はたまに何かの部の助っ人に起用されているのを見たりもするので、どうやら今日は“ない日”らしい。
ひらひらと手を振って昇降口から駐輪場に向かうのを見送ってから向かうのは、校庭の隅にある弓道場。
いよいよ、3年はこの夏で終わる。
そのあとには、まさに受験が控えているわけで。
……まぁ、俺の場合は弓道を家でもやるハメになるだろうけど。
などと考えながら弓道衣に着替え、まだ誰も来ていない道場へ一礼してから足を踏み入れる。
しんと静まっているからこそ、心地よくてどうしても長居したくなる。
……というほど、長い間占領はできない場所だけど。
軽くストレッチをして弓を先に張り、矢を足元へ揃えて置く。
すべての準備を終えたところで早速一射するべく、足踏みして的を見すえる。
『雑念があれば当たらない』
瀬那先生がよく言う言葉。
……だとすると、当たらないかもな。
「…………」
会の状態から自然に矢が離れ、的に向かう――が、やはり的中のあの音は響かなかった。
聞こえたのは、今ひとつ残念な感じのするくぐもった音。
「………は」
やっぱり。
わかっちゃいた……いや、そんな思いがあってはいけなかったんだろう。
そんなふうに思ってしまったから、結果がそうなっただけ。
すべては、俺のせい。
たまらず座り込み、弓を足元に置く。
校庭からは、野球部の声。
それに比べれば、ここは本当に静かだと思う。
「っ……」
ことん、とわずかに聞こえた小さな音で振り返ると、そこには羽織先生が立っていた。
あれから初めてとらえた、まっすぐな視線。
思わず目を逸らして立ち上がってから、彼女がいる入り口とは別の戸口へ向かう。
「待っ、て……っ!」
扉を開けて出ようとしたとき、切羽詰ったような声が響いた。
わずかに顔をそちらへ向けると、困ったような……あの独特な表情。
じっと見つめていると、ゆっくりと歩いて来て気まずそうに瞳を合わせた。
「……私のせい?」
「何が?」
「避けてる……でしょ?」
「……別に」
彼女の問にひとことでさらりと答えると、口をつぐんでしまった。
それでも、別に構わない。
彼女の返事は、もう受け取ったんだ。
「答えはもう聞いたし。だから、話すことは別にないだろ?」
「ち、ちょっと待ってっ……!」
ため息をついて扉から出ようとすると、彼女が袖を掴んでから小さく続けた。
……だから、その顔をこんな近距離でするな。
つい眉が寄ったのを見たのか、彼女が少しだけ唇を噛んだのが見えた。
「……どうして、キス……したの?」
「したかったから」
「でも、私は――」
「……だからもう、いいって。先生の気持ちはわかったから」
「待ってってば!」
視線を落として彼女を振りきるようにすると、語気を荒めてぐいっと腕を引っ張った。
……どうして、ここまで追いかけてくる?
俺は、ただの生徒でしかないんだろう?
sorry。
あの返事の意味はそういうことだっただろうに、どうしてこうも俺に取り入ろうとする。
「どうして、顔見てくれないの?」
「……別に……見る必要ないし」
「そうじゃないでしょ? ……ちゃんと、私の話も……聞いてよ」
「っ……だから。先生は拒んだだろ? それで全部終わり。以上でも以下でもない」
「祐恭君!」
つい勢いでまくしたてて腕を払い、ドアに当てた手へ力を込める。
傷ついたような顔なんて、見たくない。
当然だ。
彼女よりも、俺のほうがよっぽど――……。
「……っ……な」
ぎゅっと、回された腕。
突然、背後から彼女に抱きしめられた。
「待って……お願い」
「っ……」
背中越しに響く声。
……なんなんだよ。
俺が……何をした?
ていうか――……。
「っ……」
「どうされたいわけ?」
「え……」
ふりかえりざまに彼女を抱きしめ、距離を狭める。
俺より年上で、教師で、友人の姉で。
……だからどうした?
たとえどんなものがあったとしても、好きになってはいけない理由には、値しない。
「……好きになってもいいか、なんて聞かない」
「………………」
「俺にどうされてもいいって思ったから、こうやってわざわざ出向いてきたんだ、って勝手に思うから」
「っ……」
簡単に手のひらに収められる、小さな顎。
撫でるようにラインを指先で辿ってから、くい、と上を向かせる。
きれいな形いい唇も、赤くなっている頬も、そして……潤んでいる瞳も。
何もかも、俺のモノにさせてもらう。
相手が先生だろうと構わない。
今俺の目の前にいるのは、たったひとりの女性だから。
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