「……何か、悪い番組見せたんすか?」
「まさか! 自分の首絞めるようなこと、俺がわざわざするわけないだろ?」
「……じゃあ、いったいどうして……」
「…………あーもーホント嫌だ。癒しどころか、拷問だぞ。コレ」
 長い長い絞首台までの道のりを歩くかのごとく、揃って廊下を歩く。
 ……ありえない。
 なんだ、コレ。
 なんともいえない微妙な表情のままぼそぼそと続けていると、すぐ後ろでやたら不機嫌そうな咳払いが聞えた。
「……ちょっと。ふたりともばっちり聞えてるわよ」
「…………」
「…………」
「何よ、その顔は」
「……別に」
「何も……」
 眉を寄せた彼女へ無難な返事をし、改めて背を丸めたまま廊下を進む。
 ――……と。
「……? 何?」
 不意に、くすくすと笑い声が聞えた。
「ふふーん。いいのかしら?そんな態度取っちゃって」
「…………なんで?」
「別にぃ?」
 ……感じ悪いな。
 その、何もかも『計画通り』みたいな顔の彼女に、自然と眉が寄る。
 この子はいったい何を考えて……というよりは、企んでいるんだろうか。
 まぁ、絶対によからぬことには違いないと思うんだけど。
「…………」
 ふと隣の彼を見てみると、仕事のとき以上に疲れ果てていた。

 『勘弁してくれ』

 深くキツく、そんな言葉がしっかりと刻まれた顔で。
「……? あれ?」
 果てがないと思われた廊下も、終点が見えた。
 普段だったら、こんなやたらめったら長くなんて感じない彼の家の廊下。
 だが、今日ばかりは本当に果てしないんじゃないかと思えるほど、長く感じられたのだ。
「絵里。……お前、メシ作ったの?」
「まさか。この格好準備するだけで、手一杯よ」
 ……だろうな。
 聞いた俺が馬鹿だった、とでも言わんばかりの顔で、彼がため息をついた。
「……?」
 だが、恐らく彼が感じた何かを、俺自身も感じることになった。
 ……匂い。
 少し甘いような、だけど……うまそう。
「……料理」
「…………って、コトは……」
 リビングへの扉へ手をかけながら、互いにぽつりと呟いてしまう。

 メイドの格好をしている、絵里ちゃん。
        ↓
     料理ができない。
        ↓
   でも、メシの匂いがする。
        ↓

 …………ということは。
「……だよな?」
「ですよね……?」
 思わず喉を鳴らして彼と向き合うと、まるで俺たちの考えを肯定するかのように、絵里ちゃんがくすくす笑って――……ドアを開けた。
「…………」
「…………」
 そこには、あるまじき光景が広がっていた。
 ふわっとした、いい香り。
 それはまさしく、空腹の腹を刺激してくれるうまそうな夕食の香りで。
「…………」
「…………」
「ほらほらっ! 御主人さまのおかえりよん?」
 純也さんとともに何も言えず立ち尽くしていると、ひょっこり俺たちの間をくぐった絵里ちゃんが、キッチンへと向かっていった。
「…………」
「……えっと……」
 ばっちりと、目の前の人物と目が合っている現在。
 だから当然、目の前にいるのが誰かなんてことは、とっくにわかっていて。
 …………。
 だけど、何も言えなかった。
 指1本動かすことすら、不可能。
 ……すげ。
 ただただ、ごくっと喉だけがかろうじて反応を見せる。
「あの……」
 まるで本物のメイドのような、いでたち。
 服は絵里ちゃんと同じものなのに、全然違うようにも見えて。
 ……しかも、アレだよ。
 極めつけは、この仕草と態度。
「…………」
 照れていることがわかる、ほんのりと色づいた頬。
 そして、胸の前で所在なさげに合わせられている両手。
 あちこちからわかるように、絵里ちゃんと違って『恥じらい』というモノをひしひしと感じることができた。
 ……これだよ、これ。
 絵里ちゃんに足りなかったのは、まさに。
 ――……だからこそ、より一層目の前の姿が輝いて……というか、なんだかもう、後光まで差しているかのように思えた。
「……お……」
「お?」
 おずおずと顔を上げて、俺を見つめた……彼女。
 ……が。
 乱れた呼吸を整えるかのように息をついてから、改めてまっすぐに俺を見つめた。

「……お……おかえりなさいませ、御主人さま……っ…」

 ぷちん、と何かが切れるような……外れるような。
 そんなハッキリすぎる大きな音が、自分の内側から聞えた気がした。
「っきゃぁあ!?」
「!? 羽織!!」
 気付くと、回りの景色が一変していて。
 なぜか、メイドの格好をしている彼女が、俺の腕の中にいた。
 ――……ただ、ひとつ。

「……まぁ、これじゃそうなるよな……」

 少し離れた場所で悟ったかのように呟いた純也さんだけは、俺の気持ちを痛いほど理解してくれていたんだと思う。


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