「ちょっと。ウチは健全がモットーなんだから、大事なメイドにお手を触れないようお願いいたしますわね? 御主人さま」
 睨みを利かせた総轄リーダーらしき、メイド・絵里。
 思わずメイドに扮した羽織ちゃんを抱きしめた途端、彼女にぺちんと手を叩かれた。
 ……。
 でも、俺以外のヤツだってきっとこうしてしまうはずなんだ。
 なんせ、絵里ちゃんにはなかったような『恥じらい』という要素をめいっぱいプラスされて、『御主人さま』なんて呼ばれたんだから。
「羽織、できた?」
「ん。もう食べれるよ」
「よっし」
 リビングのテーブルに付いたまま、視線は当然彼女へと向かう。
 …………。
 ……はー……。
 まさか、彼女があんな格好をする日が来るなんて。
 というか、まさか拝めるとは……。
「……え?」
 ついつい頬杖を付いて小さくため息をつくと、目の前に座った純也さんがおかしそうに笑った。
「いや、なんか……羽織ちゃんはマズいよな。あの格好」
「……やっぱり、そう思います?」
「うん。だって、絵里と違ってヤバいくらいハマってるし」
 『まさに適任』と言ってうなずいた彼に、こちらもつられてうなずいてしまう。
 ……メイドか。
 そういえば以前、某場所で似たような格好をさせたことがあったな……。
 でも、あのときはすぐに着替えさせてしまったし、それになんといっても――……今のシチュエーションは、うますぎるとしか言えないし。
 なんせ、今の彼女こそまさに『メイドとして御奉仕中』なんだから。
「お待たせしました」
 トレイに深めのお皿を運んできた彼女が、俺の隣に膝をついた。
 ふりふりのレースが付いている、どこからどう見ても見紛うことなきメイド服。
 ……で、しかも確かにメシを運んで来てくれたわけで。
「…………」
「……先生」
「ん?」
「……あんまり見ないでくださいよぉ……」
「いや、それは無理な相談だろ」
「……うぅ」
 頬杖を付いたまますぐそこにいる彼女を見つめていたら、空になったトレイを抱きしめるかのようにしてから、視線を落としてキッチンへと向かってしまった。
 ……あー。
 メイドだよな、アレはまさに。
 いつもの彼女も、仕草とか雰囲気とか……普通にかわいいとは思う。
 だけど、こんなふうにメイド服が基準装備されるとだな……。
「…………」
「……祐恭君、見すぎ」
「え? ……あ……はは」
 あまりにも見入りすぎていたらしく、ついには純也さんにまで指摘されるはめになった。

「……それにしても、なんで急にメイドなんだ?」
 給仕してもらった食事を、ほぼ終えたとき。
 烏龍茶を飲んだ純也さんが、おもむろに口を開いた。
「なんでって……。いやほら、最近流行ってるって聞いて」
「……どこで流行ってんだよ」
「え? 結構あるらしいわよ? カラオケとか、ゲームセンターとか」
 きょとんとした顔の絵里ちゃんが、最後のひと口を食べきると同時に羽織ちゃんへと同意を求めた。
 すると、そんな彼女も口元を押さえたままで『うんうん』とうなずく。
 …………。
 ホントに流行ってんのか……?
 テレビでは見かけるようになったが、まさかこの冬瀬まで侵食されているとは……。
「……すげー世の中だな」
「ですね……」
 目の前で楽しそうに互いのメイド姿で盛り上がっている彼女たちを見つめたまま、純也さんともどもため息が漏れた。
「……でも、だからってなんでウチでその格好すんだよ」
「何よ。嬉しくないわけ?」
「……誰が喜ぶんだ」
「え? いるじゃない。そこに」
 ぴ。
「……俺?」
「もちろん」
 当然とばかりの顔で絵里ちゃんが指を向けたのは、間違いなく俺自身で。
 たまらず眉を寄せて自分でも指差してしまう。
 ……俺。
 …………。
「……え?」
 視線が向かうのは、当然――……俺の隣にいる、のほほんとした彼女。
 …………。
 …………。
 なぜか絵里ちゃんが満足げな表情を見せたので、眉を寄せたまま羽織ちゃんを見つめるしかできなかった。
「……嬉しかったでしょ? 御主人さま先生」
「どんなネーミングだ」
「だって、そうじゃない。『御主人さまは教師さま』あ、これ新しい何かに使えそうじゃない?」
「何が」
 ぽん、と手を打って謎の発言を繰り返す絵里ちゃんにため息をつき、彼女は純也さんに任せて――……俺は俺の役目を果たすことにした。
「……なんでこんな格好したの?」
「え? ……あ……だって、あの……喜ぶ、って言われたから……」
「誰が?」
「……先生が」
「…………誰に言われたんだ、そんなこと」
 すまなそうな顔をしながらも目を見て言われ、身体から力が抜けた。
 ……いったい、どこのどいつがそんなことを吹き込んだんだろう。
 あ。
「……絵里ちゃんに?」
「ううん。絵里じゃなくて、優く――……ぁ……」
「……優人……?」
「あ、ち、ちがっ……! 違うんです! あのっ……!」
「優人か。……なるほど、アイツね」
「違うんですってばぁ!」
 口を滑らせたかどうかなんて、彼女の表情を見ればわかる。
 ……なるほどね。
 確かに、アイツだったら言いかねない。
 どうせまた、『祐恭って好きだぜ? 見かけによらず』とかなんとか言いながら、彼女に余計なことを吹き込んだんだろう。
 ……どうりで、帰りの駐車場で会ったときアイツのテンションが高かったワケだ。
「……はぁ」
 絶対に間違いなく、明日アイツは俺の所へ来るだろう。
 ……下らない、感想と称した実体験を聞きに。
「それじゃ、時間も時間だし……。そろそろ失礼します」
「もう? ……あー。でも、そうか。羽織ちゃん送ってかないといけないもんね」
「ですね」
 時計を見ると、すでに20時を回っていた。
 明日も当然普通に学校があるし、俺もまだ家に帰ってやることがある。
 そう思って純也さんに声をかけると、小さく声をあげた羽織ちゃんが絵里ちゃんに話しかけているのが見えた。
「先生、ごめんなさい。今着替えるんで、ちょっとだけ待っ――……え……?」
「さ。帰ろうか」
「え……? えっ……!? せ、んせ!?」
「もう遅いし、ご両親も心配してるだろうから」
「えぇえ!? ちょ、ちょっと待ってください! だって私、まだ、こんな格好っ……!」
「自分がしたかったんだろ? ……なら、このまま帰ればいいじゃない」
「ダメですよそんな!! こっ……こんな格好で帰ったら私……っ……何言われるか……」
 恐らく、制服を取りにでも行こうとしたんだろう。
 だが、そんな彼女へ持っていたコートを羽織らせてから、その肩を抱いてしまう。
「あ、そう? それじゃ、羽織の服今持って来るね」
「絵里!?」
「大丈夫大丈夫。ほら、最近そういうの流行ってるから」
「流行ってないーー!!」
 ぽん、と手を打ってそそくさと着替えを取りに向かってくれた彼女は、やっぱりわかっているんだと思う。
 ……といか、心底俺と似てるというか……。
「はい、どうぞ? 御主人さま」
「これはどうも。……優秀なメイドで助かるよ」
「まぁね」
 ご丁寧に紙袋へ制服を詰めてくれた彼女へにっこりと笑い、受け取ってから――……往生際の悪い、メイドな彼女を玄関へ促してやる。
「それじゃ、ご馳走様でした」
「いいえー」
「……気をつけてね」
「どうも」
 絵里ちゃんとは対照的に、苦笑を浮かべて手を振った純也さん。
 その目は『ご愁傷さま』と羽織ちゃんへ語りかけていた。
「それじゃ、帰ろうか?」
「やっ……困りますってば、本当に!」
「大丈夫だって。ご両親はきっと温かく見守ってくれるから。……ああ、孝之もか」
「っ……うー! やだぁっ!!」
「ヤダじゃないだろ? 自分から着たんだから」
「やぁっ……困りますよ! 本当に!!」
「はいはい」
「んもぅ! 先生ってば!!」
「帰るよ」
「先生っ!!」
 心底困ったように、抵抗を繰り返す彼女。
 だが、そうは言いながらも素直に俺の隣を歩いたままでいるのは、まさに従順な証拠と言えよう。
 相変わらず、素直というか……正直というか。
 困ったように眉を寄せながらも、コートの合わせをぎゅっと両手で握る彼女を見たら、苦笑が浮かんだ。
 ――……とは言え。
 俺だって、本気で彼女をこの格好のまま家に帰そうなんて思ってない。
 ……考えてもみろ。
 彼女の家には、俺が送っていくんだぞ?
 と、いうことはイコール………『祐恭君の趣味』なんて取られかねないだろ?
 ……それはさすがに、御免こうむりたい。
 そんな妙なレッテルなんぞ貼られた日には、本気で彼女は心配されるに違いないから。
 …………ただひとり、孝之を除いては。
「うぅ……先生、ホントに……やだ」
「……『先生』じゃないんじゃなかったっけ?」
「え……?」
 純也さんの家をあとにしてから、エレベーターへと向かったとき。
 再び呟いた彼女に、すました笑みが浮かんだ。
「さっきまで散々言ってたろ?」
「……せ……んせい……?」

「俺は、君にとっての何だっけ?」

「ッ……!!」
 瞳を細めて彼女を見つめると、ものすごく驚いたように瞳を丸くして唇を噛んだ。
「さ、帰ろうか」
「ちょっ……ちょっと待ってください……!!」
「おかしいな。……主の命は、絶対なんじゃなかったっけ?」
「……っ……だ、だから、あれはっ……!! うぅ……先生、やだぁ……」
「だから、先生じゃないだろ」
「先生ですってば!」
 エレベーターで1階へ向かいながら、困り果てる彼女を見て意地悪く笑みが浮かぶ。
 時間は、20時すぎ。
 だけど――……家で少し遊ぶだけの余裕はあるはず。
 相変わらず困ったように俯いている彼女を見ながら、反応が余りにもかわいくておかしくて、笑いを堪えるのがツラかった。

「ねぇ、純也」
「あ?」
 祐恭と羽織があとにした、純也宅――……のリビング。
 そこでは、食後のお茶を飲みながら、メイドリーダーと御主人さまその1が和やかに会話をしていた。
「……祐恭せんせ――……じゃなかった。御主人さま、我慢できると思う?」
「無理だろ」
「随分あっさり言うわね」
「そりゃあな。だって、ホントお世辞抜きで羽織ちゃんそれっぽかったし」
「あー、確かにそれはあるわね。……それじゃ、賭ける?」
「……は? 何を」
「だから、御主人さまがメイドを躾直すかどうか」
 にやっとした笑みで呟かれた、とんでもなくリアリティがあり過ぎる言葉。
 それで、純也がため息をついてから眉を寄せた。
「……お前なぁ……」
「だって気になるじゃない」
「……メイドも大変だな」
「あら。メイドは従順であるのがモットーなのよ?」
「……それじゃ、お前は一生無理だな」
「何よ」
「別に」
 湯飲みをかたむけた純也は、絵里からさっと視線を逸らした。
 だが、そんな姿が気に入らなかったのか、絵里は未だにぶつぶつと文句を続けている。
 ――……が。
 ふと、純也が何か思い出したかのように彼女を向く。
「……? 何よ」
「つーかお前、それじゃ賭けになんねーだろ」
「は? なんで?」
「だってお前……『躾せずにまっすぐ帰す』って選ぶヤツ、いねーだろ?」
「…………」
「…………」
「……純也も?」
「当たり前だろ」
「…………」
「…………」

「……かわいそうな羽織」

「お前が言うな」
 遠くを見つめてワザとらしく呟いた絵里に、純也が鋭くツッコミを入れたのはそのすぐあとのことだった。


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