「行くわよ」
「でも、ホントに……?」
「ったりまえでしょ! っていうか! 現に、ここにちゃーんと正式なお呼ばれを受けた子がいるんだから大丈夫よ! 犯罪じゃないわ!!」
 鍵を差し込んだまま、なぜかちょっぴり泣きそうになってる羽織。
 その背中を比喩でもなく押しながらうなずくと、私と葉月ちゃんとを見比べながら……だけどまた、振り返った。
「あーもー」
「だ、だって……」
 ぺしん、と軽く音を立てて額に手を当てると、困ったように羽織が呟く。
 ……こんな具合で、何度同じ光景見たかしら。
 早くも、祐恭先生の家のドアの前に立ったまま、5分弱が経とうとしていた。

「たーくんから、ここへ来るようにってついさっき電話があったの」

 なんで葉月ちゃんがここに来たのかって訊ねたら、至極当然のようにさらりと答えてくれた。
 ……だけど。
 『ふたりはどうして?』と聞かれても、ぶっちゃけ言葉はなくて。
 だって、言えるわけないじゃない?
 まさか、『祐恭先生と純也が、揃って女連れ込んで裸エプロンやらせてるだろうから』なんて。
 ……馬鹿だ。馬鹿すぎる。
 でも、ここに孝之さんまでいるとなると……選択肢としては、どうしたらいいのかしら。
 みんなでそろって、エプロン祭り?
 それとも、何か違う祭り?
 ……だって、どー考えたって怪しいじゃない?
 平日も平日、それこそまだ週の初日よ?
 そんな日の夜に、男3人だけが集まってわざわざ居留守まで使って何かしてるなんて、いかがわしいことこのうえない。
 まぁ、葉月ちゃんはちゃんと孝之さんから連絡もらったらしく、『迎えに行く』って言われたのを断ったうえで、おじさまに送ってもらったらしいけども。
 でも、私と羽織は当然連絡の『れ』の字もない。
 それどころか、羽織にいたっては、あの祐恭先生に居留守まで使われたワケで。
 …………。
 なんか……納得できないっていうか、腑に落ちないっていうか。
 そんなワケでまぁ、結局はこうして『突入!』って手段をとらざるをえなかったんだけど。
 まぁ、ね?
 葉月ちゃんが普通にチャイム鳴らせば、ふつーに開けてもらえるとは思うけど。
 でも、それじゃ困るのは私たち。
 ウチらの彼氏どもが何をやらかしてるのかわからないままなのに、そんな危険な場所へ孝之さんだけを信じてかわいい葉月ちゃんを旅に出させるワケにはいかない。
 ……そうよ。
 別に、決してデバガメ的要素なんかはこれっぽっちもないの。
「ってワケだから、ほらっ! そろそろ腹くくって開けなさいよ!」
「うー……」
 ぱしんっと肩を叩いて、再度羽織にはっぱをかける。
 すると、しぶしぶながらも鍵穴に鍵を差し込み、深呼吸ひとつ。
 ……ついにっ!

 ガチャン

「…………あれ?」
「え?」
 大きく響いた音。
 それは間違いなく、鍵が開いた音だった。
 ……のだけれども……。
「何? どしたの?」
「や……あの……あのね? 今のって……私、コレ使ってないの」
「……え?」
 しどろもどろに呟きながら振り返った羽織が、まじまじと金色に輝く鍵を見つめた。
「…………」
「…………」
 ……使って、ない……?
 思わず、葉月ちゃんと顔を見合わせてしまう。
 でも、もちろん私たちにわかるはずもなく。
 っていうかまぁ、羽織がわからないのに、私たちにわかるはずないんだけどさ。
 それにしても、謎は謎。
 『鍵を使ってないのにドアが開いた』ってことは、まぁ……当然ドアが勝手に自動ドアと化してるワケなんかじゃないだろうから、イコール……中から誰かが開けた、ということになる。
 でも、誰が?
 いったい、なんのために?
 ……く……やっぱり、葉月ちゃんをひとりにさせるわけにはいかない……!!
 あやつらめに限って……っていうか、孝之さんがいるんだから大丈夫だとは思うけれど、第二第三の被害者にさせるワケにはいかないもの。
 何のってもちろん『裸エプロンの刑』の!
「っ……!」
 などと、眉を寄せて開かないドアを見つめていたとき。
 ガチャ、という特有の重たそうな音を響かせながら、ドアがゆっくりとこちらへ開いた。
「…………な……」
「……え……」
「たー……くん……?」
 口々に、思い思いの素の言葉が出てくる。
 でも、それだけじゃない。
 共通して言えることがひとつあって、それは、私たち3人が間違いなく目を丸くしたということだった。

「いらっしゃい」

 久しぶりに聞いた、孝之さんの低い声。
 よく、食べ物屋さんなんかの『いらっしゃいませ』ってのとはまた違う雰囲気の声に、思わず喉が鳴った。
「……え……? お、お……お兄ちゃん……!?」
「なんだ」
「だって……だって、そのカッコ……何!?」
 ぱくぱくと金魚みたいに口を動かしながら、羽織が当然のことを指摘した。
 ……そう。
 彼の格好は、いつもとまったく違っていた。
 上がワイシャツだっていうのは、まぁ……なんとなくわかる。
 ほら、今日は平日なんだし、普通に仕事帰りの時間として考えれば、ね?
 ……でも。
 だけど、それ以外の点はどー考えても合点が行かなかった。
 なぜに。
 いったい、なぜに彼がこんな『エプロン』をしているのか。
 それだけは、どうしてもわからなかった。
「たーくん……どうしたの? それ」
「ちょっとな」
「……えっと……」
「似合ってンだろ? バーでバイトしてたころ思い出す」
「たーくん、そんなこともしてたの?」
「まぁな。こないだ、お前見たろ? 写真。なかったっけか」
「んー……もう一度見せてくれる?」
「まぁいいけど」
「……っちょ、ちょっとまったぁ!」
 目の前で繰り広げられている優しい雰囲気の会話を切りひらき、優等生のごとく手を挙げる。
 ていうか、葉月ちゃんって動じないわね!
 その平静さってすごい。
 そりゃまぁイケメンな彼氏がイケメンな格好で登場したら、惚れ惚れするでしょうけどもってそうじゃなくて!
「孝之さん!」
「え?」
「その格好はどうしたんですか?」
 どーしても、私は納得できない。
 さすがに、葉月ちゃんみたいに『そうなんだ』なんてひとことでうなずけるほど素直でもないから。
 ……だけど。
「ま、付いて来な」
 にやりと笑った彼を見て、情けなくも一瞬言葉に詰まった。
 と同時に、ほんの少し恥ずかしくなる。
 ……うぅ。
 やっぱ男前だわ……孝之さん。
 こんな身近にこんな逸材がいたなんて、ホントどうしてもっと早く気付かなかったのかしら。
 惚れぼれしながら彼に促されて中に入ると、なんとも言えない気持ちからため息が漏れた。

「…………」
 これまでも、祐恭先生の家に何度か来たことはある。
 だけど、こんなふうに……それこそ、ソムリエかはたまたギャルソンかなんて見紛うような格好の彼が前を歩いていると、変な錯覚が起きるというか……。
 まるで、ここがオシャレな完全予約制個室レストランのようにも思えて、ちょっと背が伸びる。
 …………。
 ……それにしても、ここでいったい何が行われてるのかしら。
 私と羽織もふっつーに招き入れてもらえて、一緒に薄暗い廊下を歩いている今。
 少し先にあるリビングのドアを目指すも、手前で孝之さんが私たちを振り返った。
「どうしたんですか?」
 まばたきをしながら彼を見つめ、隣の葉月ちゃんとまた顔を合わせる。
 すると、小さな咳払いをしたあとで、彼がゆっくりドアを引いた。

「よーこそ、お嬢さん方」

 それは、これまでとまったく違う声色で。
 こことは違う明るい光が中から漏れてきて、一瞬目が眩んだ。
「…………」
「…………」
「…………」
 絶句、とはまさにこういうときに遣うんだろう。
 目の前の光景が何かってのも目では見えてるし、実際に匂いも感じてる。
 でも、頭がうまく働かない。
 すべてにおいて、『これはなんだ?』という疑問が疑問のまま固まってしまって、正直ワケもわからなかった。
 ……ただ、ひとつ。
 なぜだか知らないけれど、ほんの少し気まずそうな顔で祐恭先生と純也が……孝之さんと同じ格好をしているのが、やっぱり不思議でたまらなかったけれど。
「……せ……んせ……?」
「いらっしゃい」
 ゆっくり歩きながら、羽織が彼の元へ向かう。
 信じられないとばかりに口元へ手を当て、まじまじと彼の姿をつま先から頭のてっぺんまで見つめながら。
 ……なんじゃこりゃ。
 いつもと違う、おいしそうな匂い。
 そんでもって、いつもと違う……格好。
 ……ここは何?
 どっかの隠れ家レストラン?
 はたまた、『イケメンが行く! 隣の晩御飯』とかって企画?
 ぼーぜんとバッグを握り締めたまま立ち尽くしていると、遠くで咳払いをしてからこちらに歩いてくる、ひとりのにーさんが見えた。
「よく来たな」
「何コレ」
「見りゃわかるだろ?」
「わかんないから聞いてるんでしょ?」
 淡々と言葉が出てくるのは、自分でも正直驚いた。
 内心めちゃめちゃびっくりしてるのに、意外と平静を保てるものなのね。
 ……ってまあ、若干所在なさげに髪なんかを耳へかけちゃったけど。
 いや……あの、うん。
 そりゃ……まぁ、純也のことをまだ直視できないってのもあるんだけどさ。
「ま、とりあえず座れよ」
「……なんでよ」
「いーから」
「あ、ちょっ……!?」
 眉を寄せて断固拒否を示したのに、あっさりと肩を掴まれ席へと案内された。
 ……っていうか、なんだコレは。
 すでに羽織と葉月ちゃんは席に着いてるんだけれど、どこからどーみても『お座敷的フルコースレストランのテーブル』にしか見えなくて。
 ……やだ、ゴージャスじゃないのよ。
 真っ白いクロスがかかっている、低いテーブル。
 その上には、キャンドルが幾つかと、一輪挿しが置かれていた。
 それだけでも『ちょっとイイんじゃない?』なんて頬が緩みかかるのに、さらにコレ。
 極めつけは、光をきらきらと跳ね返している銀のシルバーセットと、細い口のシャンパングラスだ。
「……すご……」
 羽織と葉月ちゃんの間にある中央席へ回り込んでから座ると、一層ゴージャスなことがわかった。
 それぞれの目の前には、大き目の白いお皿が並んでいて。
 その上には、よく有名レストランなんかで出てくる、きちんと形作られているナプキンまであった。
「……ずいぶんと、本格的じゃないのよ」
「だよね。なんか……どきどきしちゃう」
「すごいね。レストランみたい」
 三者三様の感想を述べるものの、それぞれ笑みがあった。
 ……そりゃそうだ。
 こんなもてなしをされて、喜ばない子はいない。
 まさに、予想外。
 びっくりした。たまげた。……いや、ホントに。
「あー……ようこそって言ったらいいか?」
 こほん、と小さく咳払いをした孝之さんが、私たちが席についているテーブルの前に立って、腰に手を当てた。
 その様相。
 それは、さっき玄関で見たときとはまた違って。
 あーもー、なんかホンモノっぽーい。
 なんて、ミーハーな考えでうっはうはになりそうだ。
「今日が何の日かってのは、知ってるよな?」
「……え?」
「え、じゃねーだろ。ホワイトデーだよ、ホワイトデー」
 せっかく意気揚々と喋っていたのに、隣に座ってる妹ちゃんの態度で、やっぱり彼は眉を寄せた。
 ……いや、でもいい。
 たとえそんな顔をしていても、彼はやっぱり彼だから。
 ああもう、ホントにうっはうはなんですけど。
 さっきから、にやにやが止まらない。
「ホワイトデー……」
「そゆこと。……つーワケで、だ」
 ぱんぱん、と手を叩いて仕切り直しをした彼につられて、葉月ちゃんから彼へと視線が移る。
 その途端。
「ッ……!」
 彼が、思いっきり男前な笑みでうやうやしく膝をついた。
 それ。
 ………それはまるで……主に仕える執事そのもの。
 忠誠心という言葉が、はっきりと頭に浮かぶ。

「今宵限りの特別席。……要望はなんなりと、お嬢様方」

 にっと笑った彼が、これまたステキすぎる笑みを見せた。
 あーもー……!!
 孝之さん、本気でどっかのバトラーみたいなんですけど。
 にやにやしっぱなしでうんうんうなずいていると、笑いながら孝之さんが純也たちのほうへと戻って行った。
 幾ら演技だとわかっていても、あんなふうに(ひざまず)かれると、やっぱりどきどきする。
 だって、まだ18の女の子だもの。
 そーゆー部分に憧れっていうのは当然なくはないからこそ、ちょっぴり……いや、結構な勢いで願望が叶ったような気がした。
「……それにしても、お嬢様か……」
 今耳にした言葉を反芻するようにつぶやくと、大きな白いお皿をそれぞれがそれぞれの彼女の前へ置いた。
 言うまでもなく、私の前には孝之さんと同じ格好をした純也がお皿を置いてくれたんだけど。
「…………」
「……なんだよ」
 まじまじとお皿の上のモノを見てから、彼を見る。
 いわゆる、フレンチの最初に出てきそうなオードブルの盛り合わせ。
 ちんまりとだけどキャビアが添えられていて、たちまち高級そうに見えるから不思議。
 ああ、料理ってほんと視覚情報大事なのね。
「これって……純也が作ったの?」
「まーな。一応、アレだぞ。総料理長並み」
 さすがに、料理は超が付くような一流とからはちょっと遠い。
 ……でも、それでも『よくやった』と言ってやりたくなるようなデキで。
「なかなかやるじゃない」
「お褒めにあずかりこーえーです」
 にやっと笑ってうなずくと、肩をすくめてから純也もおかしそうに笑った。
 キッチンへ回った彼らを見送りながら、早速フォークに手を伸ばす。
「なんかすごいね」
「ホントよ。すっごい意外」
「ふふ。こんなお返しだなんて……みんな、ロマンチストね」
 くすくす笑った葉月ちゃんに、私たちも大きくうなずく。
 絶対、こんなことしないと思ってたのに。
 どうせ、お店で売られてるやっすいお菓子で戻ってくると思ってたのに。
 なのに……まさか、ね。
 こんなびっくりイベントと化したものでもてなされるなんて、誰が想像するものか。
「…………」
 でも、正直ほっとしてる自分もいる。
 理由はひとつ。
 汚れたエプロンとか、毎日夜遅くまで家を空けていたこととか……あのへん全部。
 珍しく純也が口ごもると思ったわ。
 ……なるほどね。
 3人だけの秘密を共有するためだったのか。
 それはそれで……男気があることですわね。
 真鯛のカルパッチョをフォークで口に運びながら、笑みが漏れた。
「……あ、そうだ」
 もぐもぐごっくんと飲み下してから、グラスに伸ばした手が止まる。
 1度はやってみたかったー。
 こーゆーときにしか、できないアレー。

「純也! ちょっと、純也!! いないの!?」

 パンパン、と手を叩きながら彼の名前を呼び、わざとらしくキッチンに顔を向ける。
 すると、すぐに嫌そうな顔をした純也が、カウンター越しに私を見つめた。
「……なんだようるせーな。1回で聞こえるっつーの」
「聞こえてるなら一度で返事をしなさい。……まったく。いつも言ってるじゃないの」
 大げさに肩をすくめて、大げさにため息をつく。
 ……でもまだよ、まだ。
 これは序の口。
 だって、ここからがこのパーティの醍醐味なんですもの。
「ほらっ、早くいらっしゃい!」
 つんっと顎をそむけてから、瞳を細める。
 渋々ながらも彼がこっちへ歩いて来たのが見えて、内心ほくそ笑む。
 よくも悪くも、真面目なヤツね。
 我が彼氏ながら、ちょっとおかしくなる。
 ま、それでこそ……と言ってやってもいいけど。
「なんだ? その口調は。え? 何様だお前」
 目の前にどっかりとしゃがみ込んだ彼を真正面から見つめ、にやりと口角を上げる。
 途端、少しだけ『なんだ?』みたいに眉を寄せたのがわかったけれど、ここでコレをやらなくてどーする。
 ……1度はやってみたかった。
 だからこそ、今やろう。
 そんな固く熱い決心が、今の私に満ちていた。

「何様ですって? ……ッハ。お嬢様に決まってるじゃないの」

 口角を上げて彼を見上げると、1度瞳を丸くしてから、あんまり歓迎してなさそうな顔を見せた。
 だけど、視界の端では、祐恭先生と孝之さんがおかしそうに笑うのが見える。
 ……あらあら。
 そこのふたりも、笑ってる場合じゃなくてよ?
 今日はホワイトデー。
 彼らが宣言したように、主役は……そう。
 紛れもなく、私たち3人に違いないんだから。
「さ、どんどん運んでらっしゃい! 今日は飲むわよ……夜まで騒ぐわよー!!」
 ぐっと握り締めた拳に誓って、この晩餐会を思いきり楽しんでやろうと心から思った。
 ……もちろん、羽織と葉月ちゃんも私色に染め上げて、ね。


2007/3/14



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